3.決意と懇願
彼は動けないままの僕へ近寄り、僕を上から見下ろした。
その動作もどこか気だるそうなのに、熊の魔物よりも恐ろしいと本能で感じ取れる何かがある。
こんな立派な角を頭から生やしている人なんて……それこそおとぎ話の……。
僕が考えている間に、目の前の彼は更に話しかけてきた。
「ほう。人間にしては悪くない見目だ。その空色の瞳から流れ続ける涙は儚く美しいものだな。随分と絶望に満ちているが――」
「あなたは……一体? それに、熊の魔物は……?」
「ああ、それなら処分しておいた。弱き者は淘汰されるとは言え、我を失い無抵抗の者へ襲い掛かるのは秩序が足りぬ。よって、処分した」
「しょ、処分……」
彼が指し示した先には、黒焦げの大きな熊の魔物が地面へ転がっていた。
さっきの轟音はもしかして……雷? 何が何やら理解できなかったけど、別の恐怖でまた涙が溢れだしてきた。
「人間よ、ずっと地べたに這いつくばっているつもりか?」
「そんなこと、言われても……僕は、大切な者すら守れない弱者です。なのに、僕の大切な子たちはそんな僕を命がけで守ってくれた。だからせめて側に……」
僕はぎゅっと大切な二人をまた抱きしめた。もう可愛らしい鳴き声は聞こえてこない。
その事実が僕の心を締め付けてくる。
「……ほう? この者たちは魂だけになろうとも我を威嚇して、お前を守ろうとするのか。家畜の分際でなかなか度胸がある」
「え……?」
目の前の彼は少しだけ面白そうに口を歪めた。そして、また僕を見下ろしてくる。
「弱き者が命を投げうち、魂となっても守ろうとする弱い人間か。本能的に逃げ出すであろう家畜がそこまでお前を慕うのには何か理由があるのだろう。我はお前に少々興味が湧いた」
彼の言っていることは難しいけれど、メェとムゥは魂になっても僕を守ろうとしてくれているらしい。
そして、彼にはそれが見えるということなのだろうか。
魔物を倒せるだけの力を持つこの人なら、メェとムゥを助けてもらえるのかもしれない。
「僕には何の取り柄もありませんが、メェとムゥは本当にいい子なんです。僕はどうなってもいい。なんでも差し上げますから……お願いです! メェとムゥを救っていただけませんか?」
「我に家畜を助けろと。そう言うのか?」
恐ろしく冷たい視線なのに、彼の瞳は燃えるような紅の瞳で熱を帯びている気がする。
でも、ひるんでいたら何も始まらない。僕は震えながら助けてくださいと懇願する。
「全く、家畜の魂の癖に我へ攻撃を仕掛けようなどと生意気な。しかし、そこまでして主人を守ろうとする心意気は上に立つものとして評価に値する。人間よ、いいだろう。お前の願いを叶えてやる」
「ほ、本当ですか?」
「ただし、お前には我の言うことを聞いてもらう。我の名はゼルブラッド・ノクターノ。魔界を統べる王である」
「魔界……王……? ということは、あなたは……」
僕は全てを理解する。学に疎い僕でも聞いたことはあった。
この世界には人間の住む世界と、魔物が住んでいるという魔界があると。
そして、人間たちを治める王がいるように魔界にも王がいる。その人は……。
「では、あなたは……魔王様?」
「ああ。ここへ来たのはただの気晴らしだと言うのに、いきなりの血生臭さ。気になって来てみればこのありさまという訳だ」
まさか魔王様だとは思わなかった。でも、この威厳のある雰囲気や気品は人間とは違うと分かる気がする。
本来だったら僕ごときが話しかけてはいけないような存在の人なのかもしれない。
「それで、お前はどうするのだ?」
「その、僕にできることでしたらなんでも。魔王様に命も含め、全てをお捧げします」
僕が真剣に言ったのに、魔王様はフゥと気だるそうに息を吐き出した。
どうやら求めていた答えと違っていたみたいだ。