10.頼みと癒し
僕の不躾な申し出にも、魔王様は動じずに手を止めて僕と視線を合わせてくれる。
何度見ても慣れない深紅の瞳は、少し疲労感があるように見えた。
「今日やるべきことは大体片づけた。それにお前を呼び出したのは我だ。パストルカよ。あのケルベロスを手懐けた手法、我にも試してみよ」
「え?」
ケルちゃんにやったことと言えば、棘を抜いて簡単に手当てをしたあとにブラッシングしながら子守歌をうたったくらいだ。魔王様はどれをご所望なんだろう?
「お前のことが気になったので、様子をコレで眺めていた」
魔王様が机の上に置いてあった水晶を叩くと、城の中庭が映し出される。
陽が落ちた中庭ではケルちゃんが映っていて、すやすやと眠りについていた。
「そうだったのですね。では、僕は何をすればよいでしょうか?」
僕が問いかけると、魔王様は立ち上がり僕の手を引いてソファーに座らせる。
そして魔王様は頭に手をかざして立派な角を消してしまうとソファーに寝転び、いきなり僕の膝の上に頭を乗せてきた。
あまりの出来事に僕は緊張で身体がカチコチになる。魔王様は気にした様子もなく僕を見上げた。
「そこにブラシがあるだろう。それで我の髪を梳いてほしい。ついでにあの歌も頼む」
「は、はい。分かりました」
つまり、魔王様にもブラッシングをしろということなのだろうか?
僕はそっと手を伸ばして木のブラシを手に取ると、魔王様の長い黒髪にブラシを通した。
滑らかな髪はブラッシングなんてしなくても艶やかで綺麗だ。
僕の指先は緊張で震えているけれど、魔王様は静かに瞳を閉じて堪能されているみたいだ。
「どうした? 歌え」
魔王様の顔も近いし、何故か膝枕をしている状況に慣れなくて身体はすこし震えている気がする。
けれど、これも魔王様のお役に立つためだと自分に言い聞かせて深呼吸する。
少し心を落ち着けてから、ケルちゃんに歌ったのと同じ歌をうたいはじめた。
魔王様は静かに耳を傾けてくれているのか、また静かに目を閉じる。
魔王様はまつ毛も長いし、何だかいい香りがする気がして僕の方がふわふわと不思議な気持ちになってくる。
優しく髪を梳きながら歌っていると、魔王様の身体が僕の方へころんと転がってきた。
どうやら魔王様も眠ってしまったらしい。
規則正しい寝息が聞こえてきた。
僕はなるべく力を抜いて、魔王様の身体に負担がかからないように少しだけ体勢を整える。
「魔王様、おやすみなさい。いい夢を」
僕は挨拶だけしてから、また小さな声で子守歌をうたい始めた。
+++
どれくらいの時間が経ったのか分からない。
あの後、僕もだんだん眠くなってきてしまってブラシを机に置いてから少しだけ眠らせてもらおうと目を閉じたところまでは記憶があった。
だけど――
「あれ……ここはベッドの上……?」
室内は薄暗いけど、柔らかなベッドの上に寝転んでいることは分かった。
そして……隣には魔王様が美しい寝顔で眠っている。
まさか、僕は魔王様と同じベッドに寝ているということか?
慌てて身体を起こすと、魔王様が身じろぎする。どうやら起こしてしまったみたいだ。
それでもここにいるのは申し訳ないと思ってベッドから降りようとすると、ぎゅっと手をつかまれてしまった。
「何処へ行く?」
「起こしてしまい申し訳ありません。部屋に戻ろうと思っ……わっ」
魔王様が手を引いたので僕はまたベッドへ倒れ込んでしまった。
ベッドの上で魔王様と目が合う。暗闇の中でも魔王様の深紅の瞳は輝いていて、目が離せない。
「このような夜更けに戻らずともよい。お前の歌声は確かに心地よかった。アレが眠ったのもよく分かる。我がこのように眠れたのは久しぶりだ。髪を梳かれながら歌を聞いているうちに癒されたのだろうな」
「魔王様に褒めていただけるのは光栄ですが、でも高貴なお方とベッドを共にするなど……」
僕の発言を聞くと、魔王様はフッと口元を和らげる。魔王様が……微笑んでいる?
いつもの威厳が満ちているお顔との差に、妙に胸が高鳴ってしまう。