8
父さんのご先祖様は、光の精霊様の加護が与えられた、この世界――ルミエール大陸とは別の大陸から移り住んできたそうだ。
ルミエール大陸の外側には海があって、その更に向こう側に広がるのは、悪しき神である闇の精霊の治める魔物だらけな世界ではない。
光の精霊様の加護が途切れる海より先が、滝になっていて堕ちるなんてこともない。
他の精霊様の加護が与えられた、全く別の大陸があるのだと、父さんは言った。
世界の根本から嘘を教えられていただなんて、驚くのを通り越してしまう。
開いた口が塞がらないって、こういうことだ。
母さんが理解できないことがあると、頭から湯気を上げているけれど、たぶん今のボクの頭からも、沸騰したヤカンのように、湯気がもうもうと立ち昇っている。
父さんの腕が火傷しないか、とっても心配。
父さんの家の役割は、世界中にある精霊様を祀っている教会の中で、精霊様ではないなにか別の悪い存在を崇めている人たちを捕らえて、処分することなのだそう。
まさかの断罪者!
ちょっと格好いいとか考えちゃうやつだ!
人が人を殺すことは、ご法度とされている。
人間は等しく、光の精霊様の愛しい子供だからだ。
そもそも、争うことが禁止されている。
ケンカや言い争いならたまに起きるけれど、度が過ぎた、相手に大怪我を負わせるようなものになると、周囲が必ず止めに入る。
止めなければ、見ていた人たちも、争っていた人たちと同等の裁きを受けることになるからだ。
そのため、ある程度の緊張状態にはたまに陥るけれど、概ね平和な日常を過ごしている。
母さんが村周辺の魔物を駆逐してくれるから、暗くなる前に家に帰れば、魔物に襲われる心配だっていらない。
そういう考えの根底から違うと言われても、この閉じた、嘘で塗り固め構築された世界で、十年間生きてきたのだ。
なかなか父さんの言う“真実“は、理解し難い。
でも、確かに歪だと思ったことはある。
おかしいなと疑問に思ったことだって、幾度もある。
森を超え海を越え、小さくなっていく妖雉の姿が、空の彼方から墜ちる様を、ボクは見たことがない。
遠くに飛んでいくその魔物が何処へ行くのか、尋ねても知る人は一人もいなかった。
浜辺に流れ着いた小瓶の中に入れられた、見知らぬ文字の書かれた手紙が、一体どこから流れ着いたものなのか、教えてくれる人だって、誰もいなかった。
鳥はどこへ行き、小瓶はどこから来たのか。
海と空のその向こうには、何もないはずなのに。
全てを飲み込む闇が広がるだけのはずなのに。
その向こうから来たのだとしか、思えなかった。
父さんが語るように、世界は球体になっていて、広大な海が広がっていて、その先に別の人が住む大陸があるんだと言われたら、それらの疑問は理解と言う形で吹き飛んだ。
今日は興奮しすぎて寝られないかも!
父さんの家のお役目は、実はこの大陸に引っ越してきた時点で終わりを告げている。
ルミエール大陸に入ると同時に、外界と連絡を取る手段が無くなってしまったそうだ。
そもそも立ち入れたのも偶然で、脱出しようとすれば教会の関係者に囚われる。
そのため、早々に諦めたそうだ。
だけど、そのお役目を忘れないために、また名は体を表すとも言うので、この大陸にある成人の儀を利用するために、代々男の子に『カノン』の名前を付け続けている。
それじゃあそのカノンとは一体何なのかというと、父さんの家に反精霊教信者撲滅の任務を拝した偉い人の名前だそうだ。
世界中で賢者と崇められている、正しく英雄と呼ぶに相応しい大人物であり、また世界を治めている国王の名前でもあるそうだ。
「父さんの、おじいちゃんのおじいちゃんよりも、ずっと前の御先祖様に命令をした人なんでしょ?
なのに、世界を治めているって、どういうこと?」
それに国王は、全然違う名前のはずだ。
尊び敬われるべき存在として、代々“尊“の字が必ず付けられると習った。
……そうだ、尊輝だ。
カノンなんて名前じゃない。
ルミエールという、ひとつの大陸に収まらないほどに偉大な賢者様は、とても人間離れしているらしく、この世界が創られて程なくしてから誕生し、現在に至るまでずっと存命なのだそうだ。
とっても衝撃的。
人間の寿命は、せいぜい五〇年ほどだ。
しかも歳をとると、皺が出てくる。
お肉もたるんでくる。
博爺よりも何十倍も長生きしているのなら、シワシワのダルダルになりすぎちゃって、人としての形を保てなくなっていそう。
魔物のお肉は、腐ると溶けるよね……まさか、溶けていたりするのかな。
スライムみたいになっていたりして。
父さんの『賢者』としての力は、どうやらその大賢者様の力の一部が使えるようになるスキルらしい。
そもそも成人の儀は、その人の得意なことや適正を教えてくれる儀式で、全く何もないゼロから特殊能力を生やすようなものではない。
適性があるものは、努力し時間を掛ければ身になって当然のものだ。
適性がない人よりも、上達しやすいし、覚えもいい。
神に祈ることによる副産物で、祝福によって技能が強化されることこそあれど、あくまでそれは、その人の素質と努力があればこそ。
元々種が植えてあった畑から、芽が出るように、大きく育つように、光の精霊様らしく、たくさんの光を当てて手助けをすることまでは出来る。
だけど毎日水をやって肥料をあげて、丹念に雑草を抜いたり脇芽を取り除いたり、日々のお世話をするのは、あくまで持ち主である自分の仕事であり、修得物はその功績によるもの。
『賢者』のように、授かったその瞬間から技能を得られる特殊なスキルあるけれど、それはあくまで例外だ。
そしてその例外である特殊スキルだって、その人が努力しなければ、せっかくの技能を使いこなすことは出来ないし、それ以上成長することもない。
光の精霊様の御力は万能では無い。
そう父さんは断言した。
「父さんたちは、よくそう言うよね。
スキルはあくまで指針みたいなもので、大事なのは努力だよって」
「えぇ、光の精霊様にお目文字叶ったことがありまして、その時に直接、伺いました」
完全に目が覚めた。
物語の中の、伝説の中の神様と、直接会ってお話をしたの!?
え、すごい!
鼻息荒く飛び起きたボクを再び寝かしつけながら、父さんは話を続ける。
父さんの御先祖様が別の大陸から来た人であること。
一族に与えられた任務を忘れないために、また、『賢者』のスキルが発現しやすいように、大賢者様の名前を父さん含めた息子につけ続けたこと。
それらを軽くおさらいしたあと。
父さんが『賢者』のスキルを授かったことで、大賢者様の力を使えるようになり、外界と連絡を取る手段を手に入れた一族は、再び反精霊教の人たちを断罪することになる。
そのはずだった。
その続きから話し始めようとした父さんは、深く、ゆっくりと呼吸をする。
何かを覚悟するように。
何の因果か、父さんが『賢者』のスキルを授かった、ちょうど同じ日に『剣聖』と『聖女』に『勇者』、そして『魔王』のスキルが子供たちに成人の儀で授けられた。
昔は今みたいに神子が巡礼する形ではなく、成人に合わせて王都――正確に言うのであれば、世界を治める王が御座すのは王都であり、そこはあくまでルミエール大陸の首都らしい――に集まるのが普通だった。
そして成人を迎える子供たちは、期待を胸いっぱいに、光の精霊様からの神託を授かった神官から、自分のスキルを声高に宣言されるのだ。
大衆の前で。
「えっと、それは……」
「そう、皆の前で『魔王』のスキルを授かったと、あの子は宣言されたのです」
「アタシとお父さん、『聖女』も『勇者』も、そして『魔王』も皆、この村出身の幼なじみだったのよ。
何をするのも一緒だった。
……だけど、あの日から、何もかもが一変した」
『魔王』は世に仇なす者として即行捕えられたが、何者かの手引きによって脱獄、逃亡し行方不明。
『聖女』は教会に幽閉され音信不通。
母さんと父さん、そして『勇者』の三人は、『魔王』を倒さなければならないと家に帰ることも許されず軟禁状態。
強制的に訓練の日々に突入した。
逆らえば折檻は当たり前。
親友である『魔王』を討ち取るべしと、洗脳めいた日々が、何年も続いた。
そして『魔王』の居場所を突き止めたという教会関係者によって、突如放り出されて旅に出ることになった。
普通の人は、魔物を倒すことすらままならない。
そのため、『賢者』・『剣聖』・『勇者』・『聖女』の四人だけで討伐に向かうこととなった。
久しぶりに会う幼馴染は、辛い毎日の特訓により憔悴しきっていたが、それでも、昔の面影は残っていた。
例え何年経っても変わらない友情が、確かにあった。
だから、旅立ちの日に誓えた。
『魔王』を取り戻して、きっとまたあの村に帰ろうと。
だけど今、この村には父さんと母さんしか同年の人はいないし、『魔王』は封印されたとか、倒されたとされている。
『勇者』と『聖女』の話は、全く聞かない。
あ、違うな。
『聖女』は聞いたことがあった。
村出身で教会の最高位までのぼりつめた、村一番の出世頭だって。
「結果として、私達は『魔王』の力を暴走させた彼女を封印するに至りました。
『勇者』が身を呈して……今もその封印は、破られることなく守られています」
「あんの馬鹿が邪魔しなけりゃ、今頃は四人で楽しく老後の話でも出来てたのに……オリギナーレのクソ女」
「はいはい、紡さん、どうどう」
飼い慣らされた魔馬じゃないんだから。
そんな掛け声だけで落ち着くものじゃ、ないと思うんだけど。
「オリギナーレって、庭にある打ち込み練習用の人形の名前だよね?」
「……紡さん、あれに彼女の名前を付けていたのですか?」
「呪いの人形は効果あるって話なのに、アイツちっともくたばんないよね。
今年ものうのうと顔出しやがって」
あ、やっぱり。
スキルを授けてくれる神子様は、この村出身の『聖女』様だったよな、って思いながら話を聞いていたんだよね。
二人に溺愛されている自覚があるボクだけど、成人の儀みたいな、人生で最も重大かつ晴れやかな日だと言われている今日、なんで教会まで送ることも、迎えに来ることもなかったのかと思ったんだけど……
対面したくないとかそんな単純な話ではなく、これだけ母さんが興奮するのだ。
きっと顔を合わせたら、問答無用で斬って殺しに掛かると、父さんが心配したが故の対応なのだろう。
ボクも晴れの日に母さんが犯罪者になるのは、勘弁してもらいたい。
父さんの英断に感謝したいね。
「呪いの人形は、呪う相手の髪の毛や血液を必要とします。
名前を付けただけでは、意味が無いですよ。
こっそり今から採取して来ましょうか?」
「……父さん?」
違った。
二人とも相当、神子様を恨んでいる。
制止できる人がいないから、お互い近寄らないようにしようと、事前に取り決めていた感じかな。
でも意外だったな。
二人とも、他人に対して不平や不満を持ったり、仕返しをしたいと思うような人間だと思わなかった。
それが罪だから自制するのではなく、そもそもそういった感情を持っていないのだと思っていた。
聖人君子ではないのだ。
当たり前といわれれば、そうとしか言えない。
『聖女』が教会に洗脳されたのか、本心から『魔王』のスキルを持った幼馴染を殺そうとしているのかは、当時の二人には判断出来なかった。
けれど、スキルを暴走させた『魔王』を、なんとか落ち着かせることが出来た、そう思った矢先に『聖女』が『魔王』に襲いかかった覆しようのない事実が、確かにある。
それを庇った母さんは負傷し気絶。
余りの深手に、母さんが死んだのではないかと父さんが動揺して、一旦は落ち着いていた『魔王』の力が再び暴走。
『勇者』が命懸けでそれを食い止め、『勇者』の進言もあり、二人まとめて父さんが封印をしたのが、英雄譚の真実だ。
幼い頃大切な人を守れなかった、ただそれだけの苦い思い出。
演目の題材にすらならない、語り継がれるような価値もない。
話に尾ひれがついて吟遊詩人が歌い歩いている内容は、もはや原型を留めていない。
「……皆が言うような大層な英雄ではなくて、がっかり、させてしまいましたか?」
「ううん。
むしろ、凄いなって感心した」
「どこが?」
「父さんも母さんも、未だに鍛錬を毎日欠かさずやっているでしょ?
封印を解いて、そのお友達を助ける手立てがないか、ずっと探し続けているってことなんだろなって。
絶対助けようって誓ったことを、実現させようって、諦めずにいるところが、さすがって思う」
だから、二人とも『魔王の親友』って書かれているんだよね。
言い終わるのとほぼ同時に、母さんがギュッと抱きしめてくる。
背骨! 折れちゃう!
その前に、胸! 窒息しちゃう!
暴れることも出来ずにもがくボクの頭に、何やら暖かい雫が落ちた。
……恥ずかしいけれど、気道さえ確保出来たら、このまま抱っこされた状態で寝るのも、やぶさかではない。
ぷはっと谷間から顔を出したら、後ろからもギュッと抱きしめられた。
サンドイッチの具になった気分。
押し付けられた前後の胸から伝わる鼓動の音が心地好く、眠気が急に襲ってきた。
「おやすみなさい」って言う日課……まだ……言えてない…………
意識の遠い所から聞こえる父さんと母さんの「おやすみなさい」の言葉に、あまりの眠さに頷くだけしかできなかった。
ちゃんと、伝わっただろうか。
今日も好きだったよ。
明日も大好きだよって。
今日も一日ありがとう。
また明日もよろしくねって。
大人になっても幸せな毎日が、この先も続くようにと願いながら、眠りに落ちた。