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暫く寝ると言っていたインベル様が、目の前にいる。
今なら分かるのだけど、精霊様は人間と違って、普段は睡眠を必要としない。
ほぼ精神体だからね。
力を使い果たした時や、消滅しかけた時にのみ、強制的に休眠状態に陥る。
転移装置は時の精霊様の力を借りる方陣だったから、属性違いのインベル様だと、さぞかし霊力の消耗が激しかったことだろう。
寝ると宣言したということは、消滅しかけるまで御身をすり減らしてでも、あの装置を起動させてくれたということだ。
その事実に気付いた今、お礼を言えることが出来るのは、とても嬉しい。
嬉しいけれど、なんでいるの?
『――水の精霊様に叩き起された。
契約者殿はともかく、ヌシの中の気配が嫌だから我に行けと』
「水の精霊様と神さまって、仲悪いの?」
『――あぁ、ヌシは‘’欠片持ち‘’か。
色々合点がいった。
なるほどなぁ……
……問に答えるならば、不仲と言う程ではない。
確執があるだけだ』
それは一体、どう違うと言うのだろうか。
神さまは、精霊様の頂点に立つ存在だ。
生みの親と言うよりは、力関係的に。
だからそのチカラの一端である‘’神さまの欠片‘’を持っていれば、精霊様の守護や祝福を得やすくなるし、精霊様と心と言葉を交わすのが容易になる。
免罪符みたいなもの、と思えばいいのかな。
別に罪なんて犯していないけどさ。
あ、三葉葵の印籠の方が近いか。
ボクは偉い方の関わりがあるのだぞ、控えおろう!
そこまで言うつもりは全くないけど、関係者だよ、よろしくね、くらいの意味合いのつもりでいる。
だけど‘’神さまの欠片‘’を持つが故に、喚びかけに応えてくれない精霊様もいるんだ。
精霊様も、人間のように意志を持っているのだから、性格の相性が悪いことも、あって当然……なのかな。
精霊様って、この世界の万物を愛し、慈しんでいるイメージだったから、ちょっとびっくり。
インベル様にお礼を言ったり、今の状況を説明していたら、一方的に嬲られていた燼霊が、少し持ち直してしまったらしい。
母さんの攻撃を十にひとつは防ぐようになってしまった。
あの様子では、反撃するようになるのも時間の問題だろう。
慈悲の復活の効果はまだ継続中なのに。
やはり、油断ならない存在だ。
ただ……なんだろう。
もはや人の形すら保っていない、スライムのように不定形な塊になっている燼霊の、色? がおかしい。
闇をそのまま落とし込んだような黒色だったのに、ところどころ、その色が薄いというか、闇が歪んだように見えるというか。
母さんに削ぎ落とされた影響だろうか。
『――慈悲の復活の効果だろう。
核にされていたヒトの魂が、抵抗しておる』
「どうやったら切り離せますか!?」
『――この術の範囲内でアレでは、無理だろう』
え、そんな無慈悲な。
インベル様に見えているのは、燼霊の核と複雑に混ざりあっている、神子様の魂だ。
助けられるのなら、輪廻へと還してあげたい。
慈悲の復活の効果によって、燼霊の魔力は削ぎ落とされ、逆に神子様の魂に宿る霊力が増した。
それによってどうにか分離しようと、神子様の魂が抵抗しているそうだ。
完全に一体化していたら、あのような反応は示さないらしい。
神子様が性根まで腐り切っていて、燼霊を受け入れる土台が出来ていたら、とうの昔に魂の全てが取り込まれていた。
しかし取り込まれまいと、何年もずっと、足掻いていた。
母さんの攻撃がやけに通るようになったもの、神子様が中で暴れ回っているせいで、その対応に燼霊が追われているせいもあるようだ。
だけど慈悲の復活の効果が徐々に弱くなってきて、それに伴い神子様の抵抗する力も弱くなってしまっている。
母さんの攻撃で満身創痍でも、燼霊とは恐ろしい存在で、微かな負の感情――絶望や焦りといったものでも、すぐに自分の力として取り込んでしまう。
そして取り込んだ負の感情の分だけ強くなる。
母さんに父さんの無事を告げて、慈悲の復活の効果を増強して、サッサとケリをつけなければ、また全滅しかねないと忠告された。
とても他人事のように言うけれど、インベル様は手伝ってくれないのだろうか。
精霊様の宿敵だろうに。
甘えすぎだと却下されてしまうだろうか。
『――まぁ、一理あるな。
ならば、加勢してやろうではないか。
水の精霊様に無理矢理起こした詫びと称して、かなりの力を頂いたしな』
言って構えたインベル様の周囲に現れたのは無数の……水玉?
親指と人差し指で輪っかを作ったら、ちょうどスッポリとハマりそうな、決して大きいとは言えないサイズの水球だ。
『――ほれ、ヌシはあの男女を探しに行くのだろう?
さっさと行け』
「え!?
こんな気になる状況で!?」
『――知的好奇心と人命、どちらが大事だ』
ごもっとも!
インベル様がこの場に残ることで、父さんの無事が分かるし、気絶している間の護衛も頼める。
なんだか元気ハツラツしてるし、今のインベル様はかなり強い。
どう考えたってボクがアステルを探しに行くべきだ。
気になるけど。
とっても気になるけど……う〜、仕方ない。
四方に飛び散り縦横無尽に飛び跳ねる水球を横目に、アステルが飛ばされた方角に走った。
開けた場所だ。
方向が分かっているのだから、すぐに見つかる。
そう思って駆けたのだけれど、暫くして突然、何かにぶつかった。
真っ直ぐ前を見て走っていたのだ。
何かを見落としたなんてことはない。
目の前に広がっていたのは、草原の中に点在する壊れた石畳だけだったもの。
目を回しながら何にぶつかったのか見てみたら、同じような格好で尻もちをついたまま、鼻を押さえるアステルだった。
え、どこから出てきたの?
「あぁ、良かった。
戻って来られました」
聞けば‘’ギンヌンガの裂け目‘’の周囲には、‘’裂け目‘’の封印以外に目くらましの結界が張られているみたいで、その外側に弾き飛ばされてしまったアステルは、ここに戻ってくるまでにかなりの時間、外側を彷徨ったらしい。
吹き飛ばされた衝撃で死にかけはしたけれど、‘’即死回避‘’や‘’蘇生‘’と‘’復活‘’のおかげで、なんとか意識を取り戻した。
『勇者』の固有能力のおかげで、常に微弱に治癒術がかかっているようなものな上、携帯していた回復薬を飲んでダメ押しした。
そのおかげで今は傷口は完全に塞がっているし、折れた腕も、変なくっつき方をしてしまったけれど、治りはしている。
だけど途中でボクがかけたバフが全て切れてしまったこともあり、戻ってくるまでに、かなり時間が掛かってしまったそうだ。
そう語るけれど、アステルが退場してからは、そんな何時間も掛かっていない。
傷はともかく、折れた腕が元通りになる程の時間って……
もしかしてこの付近と外側って、時間の流れ方が違うんだ?
慈悲の復活の効果が長く持続しているのも、効果が高いのも、ここに時の精霊様の御力が満ちているからって理由があったんだ。
全然気付かなかった。
『魔王』が磔にされてから十年も生きていたのも、『魔王』と『勇者』が死んでから、その魂を引き継いでボクが産まれてくるまで、かなりの時間差があったのにボクとして生まれ変わったのも、そういう時間の歪みがあるからなのかもしれないね。
……正直、そんなことに霊力を使っているの、無駄じゃない?
そのおかげもあって『魔王』は燼霊になるほどの怨念を抱かずに済んだのだろうし、ボクもボクとして生まれてくることができた。
だけどさ、どうせ‘’ギンヌンガの裂け目‘’の封印は何年か周期で必ず綻ぶし、魔物だって程度の差こそあれ、定期的に出てきてしまうのだ。
伝承さえ朧気になるような忘れた頃にそうなって、慌てて討伐隊を組んだり、『勇者』の誕生を願って生まれてきたらたった一人に責任を負わせるくらいならさ、定期的に封印を強化すればいいだけじゃない。
呆れてしまうけれど、今はそんなことを考えている場合でもないし、その抗議をする相手は、少なくとも目の前のアステルではない。
外側と時間の経過が違うとなると、下手に巻き戻しの力を使ったら、アステルの怪我は酷くなる。
痛みはもう無いと言うけれど、痛々しくボコボコになっている腕を見ると、どうにかしてあげたい。
今は男の身体だけれど、女の子なのに。
嫁入り前なのに。
こんな身体にしてしまった。
燼霊を倒して、父さんが無事起きたら、相談しよう。
「トオル、わたくしの剣を見ませんでしたか?」
「あ……方角は分かるけど、結界の外だと思う」
「剣聖様に予備を貸して頂く余裕……あるかしら」
「あれ?
自分のは?」
「二本とも、既に壊れています」
回復薬を飲みながら、小走りで戻りながら尋ねたら、腰に差してある剣を見せてくれた。
アステルが言うように、柄から先はほぼ無くなっており、鞘に辛うじて納まっているだけの状態だ。
やっぱりバフが強力すぎて、剣身が耐えられなかったみたい。
よく見ると、握力のせいで柄も歪んでいるもんね。
母さんが最初から隠し玉の聖剣を抜いていた理由は、コレか。
霊力さえあれば折れないって豪語していたもんね。
欠けてヒビは入ったけど。
逆に言えば、本来折れるはずのない剣ですら、そうなる位にバフが強力過ぎたってことだよね。
そして、そんなバフをかけても、四対一でようやくイーブンに持ち込めた、燼霊が卑怯なくらいに強すぎるんだよね。
父さんと母さんがいれば、どんな魔物でも余裕で対処出来ていたから、油断したつもりはなかったけれど、心のどこかで今回もどうにかなると、甘く見ていたのだろう。
その結果、全滅寸前に陥った。
父さんの死を間近に見ているから、まだ全滅してないんだからいいじゃん、なんて軽くは思えない。
燼霊を消滅させるまでは、全力で挑まなきゃ。
「……ボクの剣、使って」
「え、ですが……」
「折れてもいい。
ボクじゃ、母さんの横には立てないから。
皆で笑って帰れるようにさ、勝ちたいじゃん」
「……では、お借りします。
遠慮なく使って、良いのですね?」
「うん、よろしく」
ボクの力で十回が限度だと見ていた耐久力だ。
恐らくアステルの力では、その半分も持てばいい方だろう。
つまり、五回はアステルの身を守ってくれる。
壊れることを惜しんで、アステルを無手で燼霊の前に放り出すのは、色んな意味で駄目でしょ。
武器は、使われてこそ意味がある。
兄弟子として、後輩の面倒を見るのは当然だし、男としてもここは格好のつけ所でしょ。
……一応女の子を最前線に送り出す時点で、男としては間違っているか。
そこはまあ、仕方ない。
アステルにもバフ一式をペーストする。
そのことを伝えると「では、一足先に向かいます」と言って、一気に走る速度を上げ、瞬く間に見えなくなってしまった。
うん、基本能力が高すぎるんだから、男女の区別関係なく、適材適所として送り出すのは間違っていないよね!
そもそも、母さんが前衛、父さんが後衛を務めていたんだし、そういうパーティも珍しくないよ、きっと。
アステルが愛用していた剣は、少し独特な気配がする。
立ち止まって集中すると、そう遠くない所にあるみたいだった。
運がいい。
遺跡の柱にぶつかって落ちたか、刺さるかしているのかな。
どうせアステルには追いつけないのだ。
寄り道をしてから、皆の所に戻ろう。




