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大切な人が亡くなって暴走する時って、もっとこう……頭に血が上って、激昂して、わけが分からなくなるものなんだって思ってた。
泣き叫んで、喚き散らして、敵も味方も見境がなくなってしまうものだと想像していた。
『賢者』のスキルのせいなのか、生来のボクの気質のせいなのかまでは分からない。
息をしていない父さん。
それを見下ろすボクは、酷く無心だった。
心臓の鼓動に合わせて溢れ出ていた血は、勢いこそなくなってはいるものの、静かに、留まることを知らずに流れ続けている。
瞳孔は開き虚ろで、何も映さない。
伸ばした手は、何に、誰に向けられていたものだったのだろう……
ボクの様子を、視界の隅に捉えてしまったらしい。
母さんが動揺したのか、燼霊の攻撃を受けてしまったみたいだ。
その悲鳴を聞いても、何の反応も示さない。
半身をもがれていようが、腕が片方無くなろうが、這ってでも駆けつけようとするのが、父さんだろうに。
……頭の中が、やけに静かだ。
ここだけ空間が切り取られたみたいに、何も感じない。
何も聞こえないし、父さんの姿しか見えなくなる。
どれくらい、佇んでいたのか分からない。
そんな時間の感覚すら分からなくなる中……誰のものだろう。
ふと、囁き声が聞こえた。
――死の気配は濃厚だけれど、まだ大丈夫。
まだ、助けられる。
そう、言ってくれていた。
しっかりと、聞き取れた。
暴れることなく冷静になれたのは、認識出来ていなかっただけで、その声がずっと、励まし続けてくれていたおかげかもしれない。
魂はまだ、ここにある。
まだ、死んでいない。
さっき回復薬を飲んだおかげで、霊力もまだある。
足りない分を補うための、霊玉だってココにある。
大丈夫。
絶対に、大丈夫。
「――天地に 坐し坐す 御祖の神にして 時辰司りし精霊 クロノス
光輝司りし精霊 ルーメン
御仕え申すことの 由を引き受け給いて
遠近交わりし 愚かなる我が心
祈願奉ることの 由を聞こし召して
神ながら守り給へ
幸へ給へ
……――慈悲の復活!」
頭の中に響く声を復唱する。
父さんの杖に霊力を吸われることに抵抗していたけれど、今は逆に、ありったけの霊力を送り込む。
ここに転移する時に使った方陣に刻まれていた、存在を忘れ去られた精霊、時の精霊様と、ルミエール大陸を守護する光の精霊様。
その二柱の大精霊様の力を借りる術だ。
本来ならば光の精霊様の力を借りる、『剣聖』の固有能力になる。
母さんが、毒を受けた村の皆に使っていた術だ。
広範囲に及び、光の精霊様の庇護の下にある、負傷者や毒に侵された者たちを癒す精霊術になる。
霊力を込めれば込めるだけ、その効果範囲と治癒力が増幅する。
それが時の精霊様の御力も借りることによって、より強い精霊術に変わっている。
死んで間もなく魂が輪廻へと至っていない状態、かつ、その魂を神の天秤に乗せ審議に掛けられ、相応の善行を積んでいると審判されれば、死者の復活が叶う、高位の精霊術。
ボクが使うには、余りにも強力すぎる術だ。
現に今、不相応として肉体が嫌な音を立てている。
扱う霊力の負荷が大きすぎるのだろう。
力の奔流によってアチコチから血が吹き出している。
杖を支えにして立っているのが、やっとだ。
それでも、辞めない。
辞めるわけにはいかない。
父さんを、取り戻さなくちゃいけない。
母さんの聖剣を修復した時のように、‘’神さまの欠片‘’による時間の巻き戻しが出来れば良かったのだけど、ボクが自覚して時間が経っていないこともあり、その有効範囲は、あまりにも狭い。
巻き戻せる時間に関しては、多分問題ない。
無機物なら最大三十分、有機物でも十分なら出来る……と思う。
感覚的に、それくらいなら出来そうだと思う。
だけど今のボクではせいぜい、術を掛けられるのが、両手のひらにおさまる十五センチ四方が限界だ。
そんな狭い範囲では、とてもじゃないけど父さんの怪我を、魂が昇天するまでに治すことは出来ない。
治すと言うと違うか。
時間の巻き戻しと治癒術は、根本的に違うから。
治癒術は水と風と光の複合的な精霊術で、全ての属性に適性がなければ使えない上、人体構造を熟知しているか、天性のセンスがなければ、ろくな効果が得られない。
怪我の場合、代謝を促進して様々な因子に働きかけて、止血、傷の深さによっては肉芽組織やかさぶたが形成され、傷が治る。
壊死組織は勝手に取り除かれる。
なので治癒術はどちらかというと、指定箇所を早送りしている感じ、かな。
毒にしても、肝臓と腎臓に働きかけて分解、場合によっては抗毒素を体内で作り、解毒をする。
治癒術は被術者にある程度の体力がなければ、治療どころか逆に危険に晒してしまうことになる。
術者に霊力さえあれば、その体力を補いつつ治療が出来るけれど、治癒術自体が霊力の消費量が半端ないからね。
なかなか難しいところだ。
だから今、もし父さんの意識があったとして、父さん自身が治癒術を施そうとしても、意味が無い。
それくらい、肉体の損傷が激しい。
ボクが幸運なのは、‘’神さまの欠片‘’のおかげで、時の精霊様の力を借りやすい立場にいることだ。
時の精霊様は、精霊様の中でもちょっと特殊な立ち位置で、あまり世の中の出来事に関心を寄せない。
人間に過干渉しないし、世の中を平和にしたり、幸せに満ちた世界にしようと、率先して行動することがない。
だから誰に崇められることもなく、存在を忘れ去られてしまったのだと思う。
だけど時の精霊様は、神さまの幸せを誰よりも願っている。
世界中を幸せにしたいと望み、自分を犠牲にすることも厭わない、神さまのことを案じている。
そのおかげで、‘’神さまの欠片‘’をより多く持つ、ボクの味方をしてくれる。
またここが、霊力が集まりやすい場所で、かつ、光の精霊様の祝福が得やすい土地だということは、かなりの幸運と言える。
ただの治癒術では、余程霊力を注がなければ、喪われた血液が補填出来ず、今の父さんの状態では、傷を塞ぐことが出来たとしても、そのまま失血死してしまう可能性が非常に高い。
それにボクには医学的な知識がないから、腕はもげたままだし、腹部の傷が癒着したり、変な骨の生え方をしてしまうかもしれない。
だけど早送りの治癒術と違い、時の精霊様の力を借りられれば、肉体そのものに働きかけて、時間を巻き戻すことが出来る。
更にヒトの魂を輪廻へと誘う役割を持っている大精霊様、特にこの地の守護を司る光の精霊様の力を借りられれば、父さんの魂は、肉体が修復される間保護され、一切損なわれることなく、復活を果たすことが出来る。
生前の行いがキモになるけれど、父さん程の人なら何の問題もない。
だって、父さんは偉いもの!
沢山の人を救ってきたし、失えば世界にとっても損失となるほど偉大な人だ。
光の精霊様が復活を良しとしないわけがない。
膨大な霊力を消費することになるけれど、この土地の霊力を利用すれば、その問題もクリアされる。
唯一‘’ギンヌンガの裂け目‘’が開いてしまわないかが心配だけれど、さすがに封印に使っている霊力にまで手を出さなければならない、なんてことは起こらない。
もし万が一そんな事態になったとしても、封印に使われている霊力を一〇〇〇とするなら、慈悲の復活に使う霊力は、せいぜい一か二程度。
それくらい拝借したとしても、誤差程度のものだ。
その霊力の消費量で、‘’ギンヌンガの裂け目‘’に施された封印の規模の大きさが、どれだけ桁外れなのかが分かるよね。
ネックは……ボクの忠誠を時の精霊様と光の精霊様に捧げること、くらいかな。
いや別に、 隘路とまでは言わないけれどさ。
生涯関わることすら、認知することすらないような畏れ多い存在に、忠誠を誓い、生涯を捧げるのだ。
とても名誉なことだと思う。
ただ自分のこの先一生を、この二柱の精霊様のために生きることを誓ったので、この戦いが終わったら……すぐに、親離れをしなければならなくなると思う。
二柱の大精霊様の使徒として、命じられるままに、彼らの手足の代わりとして、世界を平和にするために駆り出されることになるからね。
ブラック企業さながらの、劣悪な環境じゃないといいな。
魂の審判を終え、父さんの肉体は光に包まれ、失った腕や内臓に留まらず、外套や防具の類まで、全てが元通りになっていく。
おお……精霊様の力って、やっぱり凄い。
凄いんだけど……凄すぎて、なんというか、思っていたよりも、術の効果範囲が広いな?
霊力注ぎすぎちゃった?
術が暴走してしまっているのかな。
無我夢中だったから、父さんしか見えていなかったのだけど、父さんの肉体が、腕もしっかり生えてお腹の傷も塞がって綺麗になったのを見届けて、ふと周りを見たら、周囲がものの見事に光っている。
ボクの傷もいつの間にか治っている。
それに、その……母さんまで、光っているんだけど。
それはもう、太陽くらい光り輝いていて、眩しさに直視出来ないくらいだ。
目がチカチカする。
父さんがよく母さんに「紡さんは私の太陽ですよ」なんて言っているけれど、父さんの目には、母さんがこんな風に見えているのだろうか。
だとしたら直視出来ないし違うよね。
アレはあくまで比喩表現だ。
そのせいなのか、燼霊はたじろぎ怯んで母さんから距離を取ろうとする。
そしてそれを追いかけ、問答無用で斬り掛かる母さん。
形勢が完全に逆転している。
もうね、見た目が弱い者イジメみたいになってるの。
治癒術や薬では、蓄積した疲労や消耗した体力は回復しない。
それが慈悲の復活の効果によって、戦いが始まる前の段階まで戻ったのだろう。
動きが軽やかになっている。
しかも霊力が満ち、時の精霊様と光の精霊様の祝福が周囲にもたらされているため、燼霊はどんどん弱体化していく。
そりゃ、弱い者イジメをしているみたいにもなるよね。
慌ててステータスを確認したら、やはりボクが母さんに付与したバフは、綺麗さっぱり無くなっていた。
時間が巻き戻っているのだから、そりゃそうだろう。
慌ててなけなしの霊力を使い果たして、コピーしてあったバフをペーストする。
その途端、一撃の重みが増し、鋭さも速度も、見るからにさっきまでとは段違いに良くなった。
キレッキレである。
ボクは霊力を根こそぎ持っていかれたのでヘロヘロになっているけれど、母さんが回復したのだ。
思いがけない所で幸運が転がり込んだ形になるけれど、これなら、確実に勝てる。
だってイジメっ子の図から、一方的なリンチに変わってしまったもの。
この祝福の中なら、細切れにしたら勝手に消滅しそうだね。
さすが大精霊様の御力だ。
凄まじい。
父さんの顔には血色がさし、呼吸も戻った。
気付け薬は子供が持ってはいけないと言われたから、父さんと母さんの荷物の中にしか入っていないんだよね。
あったら飲ませたんだけど。
暫くすれば、目を覚ますだろうし、このまま寝かせておこう。
間違いなく、一度死んでしまったのだもの。
魂こそ肉体に戻ったけれど、意識が三途の川の向こうから帰ってくるのに、時間は必要だ。
目を覚ましたら、混乱もするだろうし、そっとしておこう。
自分のステータスを操作するのにも、霊力が必要なのは、困ったものだよね。
霊力がすっからかんになっているので、何をするにしても、薬を飲んで回復するしか方法がない。
油断したつもりはないけれど、さっきの父さんを貫いた一撃といい、アステルを吹き飛ばした攻撃といい、さすが精霊様が戦うのを避けただけある。
燼霊を相手にするなら、一分の隙すら見せず、倒し切るまでは全力で挑まなければ危ないんだと、学んだ。
それを考えると、今の状況も、何らかの要因で逆転してしまうかもしれない。
父さんにありったけ即効性のある回復薬を使ってしまったから、今あるのは遅効性のものだけだ。
回復次第、父さんにもバフを付与して、アステルを探しに行かなきゃ。
ボクでは今の状態の母さんには、とてもじゃないけどついていけない。
慈悲の復活自体の効果で燼霊の動きは鈍化しているから、一対一で戦うことは出来そうだけど、なにせ父さんを殺されたと思っている、ブチ切れた状態の母さんの動きには、ついていけない。
今の母さんを前にしたら、修羅すら裸足で逃げていきそうだ。
……もっと一緒に剣を振っておくべきだったな。
アステルなら、今の母さんにもついていけるもの。
そうすれば、肩を並べて戦うことが出来たのに。
父さんにも、もっと、沢山のことを教えて貰えば良かった。
一緒に居られる時間のお終いが見えたら、途端に後悔ばかりだ。
父さんを助けられたのだから、仕方ないのは分かっている。
時間をあの時に巻き戻せたとしても、ボクはまた同じことをする。
手段があるのに見捨てるなんて、したくないもの。
だけど……勝てると早とちりして、欲張って、退散させるのではなく、燼霊を消滅させようとした結果、父さんを死なせてしまった。
慎重に判断して、追い払うだけに留めておけば、こんなことにはならなかったかもしれない。
そう考えると、悔しい。
自分のせいだと分かっているから、余計に。
そのせいで父さんを殺したことも、母さんを傷付けたことも、そして二人から離れなければならなくなることも。
若い頃の過ちだと、何年経ったら笑い話に出来るかな。
そんなビジョン、一ミリたりとも思い浮かばないや。
アステルを探しに行くのに、父さんを守ってくれる人が必要だ。
父さんが契約した精霊様たちは、父さんが一度死んだことで、霊の繋がりが切れてしまったのだろう。
いつの間にか、いなくなっていた。
インベル様は、もし水の力が必要なら、水の精霊様を呼べと言っていた。
今の父さんには大精霊様を召喚するだけの力があるということなのだろう。
契約が無効になったせいで、気心知れたインベル様は喚べないかもしれないが、より上位の存在である水の精霊様が喚べるなら、それに越したことはない。
燼霊がまだ力を隠し持っていたとしても、大精霊様なら対処してくれる。
精霊様を召喚する方陣を描き、まだ目を覚まさない父さんのお腹の上に置いた。
更に紙を固定するように手を置いて、ボクが誘導して強制的に父さんの霊力を身体から引きずり出し、二人の霊力を方陣に流す。
もし父さんの力が足りなかったとしても、コレならボクの――‘’神さまの欠片‘’を多く持つ霊力に反応して、水の精霊様が来てくれるはず。
時の精霊様や光の精霊様も力を貸してくれたんだもの。
きっと水の精霊様も応えてくれるはず。
……だったんだけどな。
『――ヌシ、何をしたのだ?』
喚んで出てきたのは、見慣れたインベル様だった。
ん?
なんで?




