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逃げろと言われても、一体どこに?
そんな無粋な、短い質問すら出来ないくらいに、精霊術とよく分からない術の応酬が続いている。
神子様(?)が繰り出す術は、精霊術とはなんだか雰囲気が違う。
この人のスキルって『聖女』だったはずだよね。
なんでこんな禍々しい雰囲気が漂っているのだろう。
父さんや召喚された上位精霊様が、ひっきりなしに術を放っているのに、神子様(?)は身構えることすらせずに、それらを無効化していく。
あくびでもしそうな雰囲気だ。
その精霊術を消していくのが、おどろおどろしい、単に黒というには、余りにもドス黒い、足元の影から伸びた触手たちだ。
その触手が触れるだけで、大抵の魔物なら一撃で葬れそうな強力な術を、軒並み全て消していってしまう。
腐食されるように、土はドロリと崩れ落ち、炎は立ち消え、風は凪へと変わる。
いつの間にか背後へと回り込んだ母さんが、渾身の一撃を胴に叩き込む。
いつもより力みすぎているその渾身の一薙は、力任せに振られている分、速度が乗っている。
遠慮が、微塵も感じられない。
その人、二人の幼なじみなんだよね!?
それと同時に、『魔王』と『勇者』の仇でもあるのか。
そしてそっちに比重が傾いているからこその、この全力攻撃なのだろう。
それにしたって、えげつない。
肉と骨が断たれる、嫌な音が響く。
……かと思いきや、立てられたのはジュッと聞き慣れない、軽い音だ。
「……あぁ、貴女のその武器、聖剣でしたっけ?」
伸縮自在の、母さんが霊力を込めれば込めるだけ、斬れ味の増す愛剣は、聖剣だったらしい。
初めて知った。
ボク、あの剣で魔物の解体したことあるんだけど。
忌々しげに自分の横腹に突き付けられている剣を見下ろす神子様(?)の顔は、形容しがたい程に凶悪だ。
立ち込めているモヤモヤででも、隠した方がいいんじゃないかな。
「そのっ聖剣止めるとか、ワケ分かんないんだけど……っ!」
ジジジ……っと高温の鉄板の上に、水滴を落とした時のような音を立てながら、黒い触手は徐々に聖剣を押し返していく。
母さんの手には、力を込め続けているからか、血管が浮いていると言うのに。
母さんの力、ボクの十倍以上あるんだけど!?
どうなってるの、あの触手。
大きく飛び退いて、一旦距離を取った母さんは、胸の前で聖剣を祈るように構えて、霊力を込め直す。
再び神子様(?)の間合いに入り、目に見えない猛撃を繰り返すけれど、影の触手によって全て防がれてしまう。
影すら追えない速度なのに、その速さに付いてこられるあの触手、只者じゃないな。
父さんと精霊様たちの攻撃は、防いだり弾いたりって言うよりも、相打ちみたいになることが多いみたい。
攻撃は通らないけれど、あの触手も消えるか細くなるかしている。
母さんの攻撃は、触手の表面に何か膜みたいなものが張られていて、それで防がれている。
触手に触れることすら出来ていない。
逆に言えば、あの膜をどうにか出来れば、神子様(?)に攻撃が届くのは、母さんの聖剣による攻撃なのかもしれない。
神子様(?)が視線を向けるのは、母さんに対してだもの。
父さんに対して、甘い恋情の目線は一切送られない。
母さんに対しても、恋敵に見せる怒りや嫉妬というよりも、絶えることなく続く攻撃に対しての、煩わしさしかない。
父さんに対する恋心が暴走して、『魔王』や『勇者』を‘’ギンヌンガの裂け目‘’に封印したり、父さんと母さんを執拗に追っているわけではないみたい。
神子様(?)のステータス紙に表示されている生命力の数値は、一般的な人たちとそう変わらない。
だけど、どれだけ攻撃をしても、あの触手に阻まれるせいで、その数に変化は見られない。
魔力の数字まで見られたら良かったのに。
どれだけ消耗しているか分かれば、反撃の目安が立てられる。
二人の攻撃が休む間もなく続いているおかげか、ボクとアステルに、あの影は向かってこない。
だけどあれが本気ではなくて、まだ余力があるのだとしたら、下手に逃げようとしたら、背後から攻撃される危険性がある。
どうすれば、現状を打破出来るのだろう。
「成人の儀の折にお会いしましたが……あちら、神子様で間違いないですよね」
「神子様なのか、神子様の皮を被った別の存在なのかは、ちょっと分かんない」
ボソボソと、かなり抑えた声でアステルが尋ねてくる。
そうだよね。
アステルだって『勇者』のスキルを授かった時に、神子様に会っているんだもんね。
間違いなく見た目は神子様だし、ステータス紙に記されている名前も、斜線こそ引かれているけど、父さんたちの幼なじみである神子様で間違いない。
なので、肉体は神子様なのだろう。
たけど、人間が使えるのは霊力だ。
魔力ではない。
そして魔力を使うのは、魔物だけだとされている。
種族も、身分や出身は関係なく、通常なら‘’人間‘’としか書かれない。
目の前の神子様(?)は魔力を扱っていて、‘’燼霊‘’という種族であることを考えると、中身は違うのだろう。
そしてその燼霊は、とても厄介な相手なのだと思う。
父さんが即座に逃げるように言ってきたのだもの。
もしかしたら、父さんと母さんでは敵わない程の強敵なのかもしれない。
「アステルは、燼霊って知ってる?」
「いえ……聞いたこともありません」
「あの神子様、人間じゃなく燼霊って書いてあるんだ。
しかも、魔力持ち」
「……ならば、わたくしなら、戦況を覆せるかも知れませんね。
可能な限りの、サポートをお願い致します」
そう一方的に告げて、戦火の真っ只中に突っ込んで行った。
ああ、これで後で父さんに怒られるの確定だね。
逃げろって言われたのに、その命令に背いたんだもの。
一人だけ逃げて生き延びた所で、目覚めが悪いだけだ。
せいぜい、足掻くとしましょうか。
アステルが愚直と罵りたくなる程に、真っ直ぐ神子様(?)に向かって行ったのは、ボクの補助の有用さを知ってるからだ。
なにより、『勇者』に与えられた固有技能である‘’即死無効‘’があるのは大きいだろう。
例えステータス紙に書かれている生命力の値が、残り一の死ぬ寸前だとしても、ボクのスキルがあれば、あっという間に回復出来る。
今まで皆に協力してもらって、散々検証してきた、ステータス紙に書き込むことの出来る言葉の数々。
それを全部、三人のステータス紙に記載するつもりで、速筆していけば、神子様(?)を無力化することも出来るだろう。
神子様(?)のステータスを触って、ボクの存在に注目されたら厄介だからね。
弱体化させられたら良かったのだけれど、果たしてそれがどれだけの時間もつかは分からない。
それなら、皆の能力を底上げするべきだ。
実験による検証がされていて、確実だからね。
ボクはあくまで後衛。
皆の補助以外の行動はしない。
なるべく隠れて、可能な限り有用な強化を皆に施す。
とりあえず父さんと母さんにも‘’即死無効‘’を書き込まなければ。
あの触手、見間違いじゃなければ霊力の膜に覆われているお陰で、本来刃こぼれしないはずの、母さんの聖剣まで蝕んでいた。
アレに巻き付かれたら、とっても大変なことになりそう。
霊力増強と回復促進効果のあるお薬を、予め飲んでおく。
即効性があるやつは、前線で戦っている三人こそ飲むべきものだ。
万が一の時のために、とっておかなきゃ。
ステータス紙に後から書き込む内容は、一定時間を過ぎると効果が消えてしまうものが多い。
なのに時間差をつけても、重複した内容は書けない。
‘’即死無効‘’は絶対に切らしたくない効果だけど、消えないともう一度書くことは出来ない。
消えている時間をほぼゼロにするよう、務めなければ。
逆に時間が経っても、ある条件の元でなら、消えずに半永久的に効果が持続するものがある。
攻撃力や防御力といった、基本的なステータス値だ。
ただ数字を書き込んでも消えてしまうけれど、ボクの数字を譲渡すれば、消えることはない。
今のところ、以前ボクのステータスから移動させた数値は、そのまま皆に反映されている。
もちろん、譲渡した数字を掛けることも可能だ。
だけどそれは、とても細かな作業になる上、時間がかかる。
なら真っ先にするべきなのは、今の状況を少しでもこちらに有利にしておくこと。
そうすれば、今は攻撃術しか使えない父さんが、精霊術による回復や補助に手が回るようになる。
精霊術による補助は、父さんが解除を意識しない限り持続する。
その上、ボクの書き込んだ言葉と重複も出来る。
精霊術がろくに効かないのなら、攻撃は‘’悪しきもの‘’に有効とされる聖剣を持つ母さんと、その存在を屠ることに特化した能力を持つ『勇者』であるアステルに任せるべきだ。
戦いながらステータスを見ていたら、察してくれるかもしれないけれど、あの状態でそんな余裕があるかは、正直疑問だ。
父さんに、なんとか伝えられないかな。
最前線で戦う母さんとアステルの攻撃力と瞬発力を、ボクが今書き込むことが出来る最大数値で記入する。
アステルに剣を教えたのは父さんだけど、二人とも戦い方の傾向が似ている。
死にさえしなければ、どんな怪我をしても治して貰える。
だから防具は最低限急所を守るだけに留め、何よりも速度を重視する。
母さんの怪我は、父さんが絶対に治してくれる。
ならボクは、アステルが怪我をしたら、すぐに治そう。
一気に霊力が減って目眩がするけれど、気にしない。
今はとにかく、最初にかけた‘’異常状態無効‘’の効果が切れる前に、付与できる補佐の効果を一気に書き込みたい。
同じ言葉は書き込めないけれど、同じ意味の言葉なら重ねて書けるのは、既に実験済みだ。
攻撃力上昇(小)
攻撃力上昇(中)
攻撃力上昇(大)
負傷効果上昇
会心値上昇
会心率上昇
……
攻撃に関わってくる言葉を、次々書き込んでいく。
その度に、神子様(?)は影による防御が覚束無くなり、身体に傷が増えていく。
そして母さんのステータス紙に攻撃上昇効果のある言葉を羅列し終えたら、それを選択し指三本でピンチ。
コピーをしたら次にアステルのステータス紙に、指三本でピンチアウトし、ペーストをする。
散々練習したからね。
コピーとペーストも手馴れたものだ。
まだまだ母さんに比べたら、技術も攻撃力も拙いアステルだ。
完全に、侮られていたのだろう。
一気に攻撃力が上がったアステルの一撃を、モロに食らった神子様(?)は、反撃しようと上げたその腕を、切り落とされた。
そして動揺した隙に、母さんが袈裟懸けに剣を振り下ろし、反対の腕ごと腹の中ほどまで斬りこんだ。
普通なら、致命傷だ。
出血多量で平衡覚が狂い、立っていることすら出来なくなる。
そのはずなのに、神子様(?)は悲鳴すら上げない。
切り落とされた二の腕も、肩からお腹までバッサリと斬られてダラりとぶら下がる逆の腕からも、血の一滴すら出てこない。
……コレは、絶対にまずいやつだ。
嫌な予感しかしない。
回避や防御力上昇、移動速度上昇の他にも、回復率や負傷減少、ありとあらゆる守りに関する言葉を一気に書き込む。
文字が崩れて効果が得られない可能性なんて、考慮していられない。
回復増強に回復持続のような、この後も続いてしまうだろう戦闘において、少しでも生存率を上げる言葉も書き、片っ端からコピーとペーストを繰り返す。
「……ふ、……ふふふっ
アハハハハハハハっ!」
三人に、書けるだけ書き出した、全ての能力向上に繋がる言葉をステータスに表示させることに成功した。
この短時間で、よくやったものだと、自分を褒めてあげたい。
安堵する間もなく、神子様(?)は狂ったように高笑いをした。
その途端、傷口から、落ちた腕から、瘴気が立ち上り周囲をみるみるうちに汚染していく。
草は枯れ果て、空気は肺を汚染し、空から太陽を奪う。
世界の終わりがあるとするのなら、こんな景色なんだろうなと思わせるほどに、おどろおどろしい色彩に、世界が染まっていった。
神子様(?)の顔面に張り付いた、三日月のように弧を描いた目と口は、深淵でも詰まっているのかと言いたくなるほどに、ただただ不気味で底の見えない闇を抱いていた。
そしてその三つの穴が、ぐりんと有り得ない角度で、顔ごとこっちを向いた。
……あ。
三人のステータスを書き込むのに必死で、自分のステータス、何にもいじってない。




