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すっごくビックリした!
‘’ギンヌンガの裂け目‘’と言われた時に、布を裂いたような印象を受ける地割れがあるのだと思っていた。
一部の魔物がまとっている、瘴気がアチコチに溢れていると言われたし、温泉地帯みたいに、その地割れや地表から湯気や熱水が噴き出しているような景色が広がっているのだと、信じて疑わなかった。
まさか、見上げたお空に切れ目が入っているだなんて思わないじゃない。
日中のはずなのにドンヨリと暗いのは、時差のせいではなく、きっと空を漂う瘴気のせいだ。
視界が悪くなる濃度となると、確かに息をするだけで生命力が削られそう。
皆のステータス紙を見ると、やはり状態異常の所に‘’生命力減少(弱)‘’と‘’精神汚染(弱)‘’のふたつが、もれなく書かれていた。
蔓延している瘴気のせいだからか、消してもゴミ箱に入れても、すぐにまた記入されてしまう。
これなら、‘’状態異常無効‘’と書き込んだ方が早いね。
ゴッソリと霊力を消費してしまうことになるけれど、‘’状態異常無効(弱)‘’じゃなく、どんな異常状態にも対応してくれる方がいい。
進んだ先にもっと酷い症状が襲ってくるかもしれないからね。
今のうちに対策をしておくべきだろう。
‘’精神汚染(弱)‘’が消えたお陰か、少し時間を置くことで心に余裕が出来たのか、父さんと母さんの様子は落ち着いたように思う。
顔色は悪いままだけど。
アステルは混乱しているみたい。
ボクもそうなれたら良かったのだろうけれど、混乱って心の中や頭の中が、収拾つかなくなって、入り乱れることじゃない。
『整理士』のスキルを授かってから、そういう散らかった状態になることが少なくなっているんだよね。
心の整理がスキルによって、自動でされるようになったって感じなんだと思う。
常に冷静でいられるのは、今みたいに、大人な父さんたちがそうなれない時にとっても便利。
皆と気持ちを共有出来ないのは、ちょっと悲しいけどね。
お空から目を逸らせば、一見のどかに見える景色が辺りには広がっている。
石畳の間から伸びた草は、そよ風になびいて揺れている。
蒲公英の綿毛がいずこかへ飛んでいく様子は、穏やかさを増す演出にはもってこいだろう。
魔物もいないし、適度な障害になる大きな岩が、アチコチに散見される。
かくれんぼや追いかけっこをしたら楽しそうだ。
子供を連れて野掛けや遊歩をするのにピッタリな場所だね。
……空さえ見なければ。
「流石、大賢者様が管理されている施設なだけありますね。
まさか、一瞬でこの距離を移動するとは……」
「妖狐にでもつままれた気分だね……」
呆けていた父さんと母さんの意識が、やっと戻ってきたみたい。
やっぱり、方陣によって、何千キロの道のりかは分からないけれど、移動してきたのは間違いないらしい。
あんな‘’裂け目‘’としか形容のしようがないものがお空にあるんだもの。
ここは間違いなく、‘’ギンヌンガの裂け目‘’だ。
転移装置とか言っていたし、かなりの霊力を消耗することから、凄いことが起こる方陣なんだろうなとは思っていたけど……まさか、ここまで凄いとは思わなかった。
使用するのに、大賢者様からの許可が必要なのも頷ける。
方陣の大きさからして、ぎゅうぎゅう詰めに密着すれば、一度に二十人くらいは利用出来ると思うんだよね。
足元に方陣があることから、方陣同士を繋いで、方陣の範囲内にいる人や物を運ぶ術なのだろう。
そんな精霊術、聞いたことがないけれど、なにせ書いてあるのが見たことのない精霊様の名前なのだ。
単にボクたちが知らない――もしかしたら、他の大陸では当たり前に認知されているような精霊様なのかもしれない。
他の大陸と交流がないと、情報が行き来しないから、こういうことも起こり得るのだろうね。
いやはや、それにしても、懐かしい。
草の生え方から苔のむしかたまで、何ひとつとして変わっていない。
……つまりは、アレか。
父さんと母さんの親友は既に、亡くなっている。
そういうことか。
目線が随分違うのに、懐かしいと思ってしまうくらいには、不自然なくらいに、ここには本当に何もない。
それは何故かと言えば、大抵の霊力を宿しているものが、‘’ギンヌンガの裂け目‘’から漏れ出る瘴気によって汚染され、侵食され、やがれ崩れ風に流され消えてしまうからだ。
どんな妙薬だって、摂りすぎれば毒になるように、魔物にとっての瘴気は、ある程度の量なら力を増幅してくれる蠱惑的な力だけれど、コレだけの量となると、魔物にすら毒になる。
だから瘴気の影響を受けないように、‘’ギンヌンガの裂け目‘’の中心部から離れる魔物が多い。
逆に言うと、これだけの瘴気の影響を受けないような、すっごく強い魔物しか、この辺にはいないということだ。
生半可な精霊術では、傷一つ負わせることすら出来ないだろう。
そんな中平然と立っていられるのは、今のボクたちみたいに、何らかの方法で‘’状態異常無効‘’の効果を獲得している人。
もしくは、瘴気が充満している‘’ギンヌンガの裂け目‘’の、向こう側の住民くらいなものだろう。
足取り重く四人が向かったその先に立っていたのは、皆、面識がある、一人の女性だ。
その人はゾッとするほどの無表情で、崩れかけた、主のいない磔台を見上げていた。
父さんと母さんからしてみれば、絶望そのものを具現化したような光景だろう。
『魔王』が磔にされていた台座には誰もおらず、その根元には、干枯らびた骸の一部、しかし二人分だと判断出来てしまうモノが転がっているのだから。
その上、その亡骸のうちの一人をここに閉じ込めた犯人が、目の前にいる。
「……おかしいわ。
何故、『勇者』も『魔王』も死んでいるのかしら。
……貴方達は、何かご存知?」
「閉じ込めた張本人が、何言ってんだい」
「こんな所で何年も放置されれば、誰だってそうなると思いますがね」
『聖女』を完全に敵として捉えている父さんと母さんは、即座に杖と剣を隙なく構えた。
ボクとアステルも、それに続く。
女神教の信者は、連れてこなかったんだ。
正直、人間を相手に切った張ったする覚悟はなかったので、ありがたい。
魔物だって、切れば血が出るし、死の瞬間には断末魔を上げる。
その声を聞くのは、未だに慣れない。
だけど姿形が人間とはだいぶかけ離れているから、まだある程度開き直れる。
ご飯のためとか、お金のためとか、殺すことへの理由付けが出来るからね。
人間相手だと、打ち合いの稽古だとしても、真剣で向き合うのは心臓に悪くて嫌だ。
怪我をさせてしまったらどうしようと思うと、まともに剣を振ることすら出来なくなる。
そういう思い切りは、ボクにはなかったみたい。
掛かり稽古ですら、腰が引けてしまった。
アステルは、そこのところの折り合いを付けるのが上手だったな。
すぐに母さんを相手とした掛かり稽古も地稽古も、遠慮なく打ち込み、打ち合いとしていた。
だから今では、ボクではアステルの相手には全然ならない。
的の代わりになるのがせいぜいだね。
ああ、そう言えば、オリギナーレって神子様の名前だっけ。
神子様自身をさす時には、二人とも名前を呼ばないから忘れていた。
スキルを使い込むことで、初めて見た時は全然読めなかった神子様のステータス紙が、一部見れるようになっていた。
ぐちゃぐちゃと雑に塗りつぶしたような黒色が、字消しによってあらわになった感じ。
性別は間違いなく‘’女性‘’だけど、名前は‘’オリギナーレ‘’とは書かれていない。
ただしく言うなら、書かれているが、斜線で消されてしまっている。
種族名も‘’人間‘’ではなく、‘’燼霊‘’となっていた。
聞いたことがないけれど、字面からして、精霊のようなものだろうか。
そしてステータスの、本来‘’霊力‘’と書かれているべき場所は、魔物と同じように‘’魔力‘’になっている。
……もしかしなくても、‘’燼霊‘’って、‘’ギンヌンガの裂け目‘’の向こう側にいるという、「悪しきもの」のことだろうか。
燼霊って、悪霊のように、ヒトや魔物の身体を操る種類の魔物のことなのかな。
悪霊の場合は、死体を操るそうだけど、燼霊はどうなのだろう。
死体を操るのか、生者の肉体を乗っ取るのか。
つまり‘’オリギナーレさん‘’は、意識を手放しているだけで生きているのか、死んでいるのか。
いずれにせよ、いつから?
一体いつ、オリギナーレさんは、燼霊に身体を乗っ取られたのだろう。
父さんたちを長年苦しめる原因を作ったのは、‘’オリギナーレさん‘’自身なのか、それとも、オリギナーレさんの肉体を使って悪さをしている‘’燼霊‘’という存在なのか。
一体……
裂けたのかと錯覚する程に、ニィッと神子様の口が弧を描く。
思考を読まれたかのように、偶然にしては余りにも時宜を得ていた。
だって、視線がボクを真っ直ぐ捕らえているし。
とっても怖い。
「貴方は……何者なのでしょう?
私のステータスを、読めていますよね?」
「――怨鎖の呪縛!」
言ってこちらに近付いて来る神子様(?)に、父さんが情け容赦ない精霊術を叩き込む。
地面から無数に伸びた鎖が神子様(?)に絡み付き、身体の自由を奪った上で、その鎖の幾つかが白く発光。
大爆発を起こした。
爆発によって、もうもうと立ち上がる煙。
その煙が風によって流されるよりも先に、爆発することなく、神子様(?)に巻き付いていた鎖だろう。
それが音もなく、煙を貫きコチラに飛んできた。
母さんによって弾き落とされた鎖は、霊力を失ったのか、地面に落ちる前に光の泡となって消えて行った。
「私は質問をしただけですのに、佳音さんは相変わらず気が短いですね」
その顔に笑みすら浮かべて、煙の中から悠然と歩いてくる神子様(?)の姿は、爆発によって煤がつくことも、焦げるようなこともない。
何もなかったかのように、落ち着いている。
今先程、殺されかけたと言うのに。
それ程の火力のある攻撃だったのに。
離れているボクですら、焼け焦げた煙の臭いにむせそうなのに。
その真っ只中にいる神子様(?)が平然としているのは、どう考えたっておかしい。
「……徹、彼女のステータスが見えると言うのは、本当ですか?」
「うん……一部だけだけど。
名前に斜線が引かれてて、種族が人間じゃなく、燼霊ってなってる」
「なるほど……」
頷いた父さんは「逃げなさい」と小さな声でそう言って、契約した精霊様達を召喚した。
……――総力戦、開始だ。




