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大きな玻璃で作られた重そうな扉の前に立つと、重く低い不思議な音と共に、ソレは左右にいとも容易く開かれた。
この遺跡の中は、不思議がいっぱい過ぎて、なんかもう、ちょっとやそっとじゃ驚かなくなっている。
こんな透明度の高い玻璃だと、何もないように見えて、あるということが分からないければ、ぶつかってしまいそう。
押したり引いたりしなくても扉が開くのは便利だけど、ぶつからないための目印くらいは欲しいよね。
次来た人が衝突して鼻とおでこを負傷しないように、ここに来た記念の落書きを兼ねて、なにか書いてしまおうか。
普通にインベル様に怒られたので、やらないけどね。
玻璃製の扉の中に入れば、色んな大小様々な突起や、模様や数字が書かれた金属板が、雑然と並んでいた。
どんな理由でここにあるのか、そもそも何をするためのものなのか、全く分からないのに圧倒される。
よくよく考えてみると、書かれている文様に見えたものって、精霊語じゃないだろうか。
確認をしたくて、フラフラと来た道を戻ろうとしたら、「集団行動を乱さないで下さい」と父さんに首根っこを掴まれた。
インベル様が先導するままに、金属の山の中を進むと、奥の方に、この中には不似合いな石製の台座が置かれていた。
精霊術を使う時の、方陣が刻まれている。
すぐに気付いた父さんが、最後尾から颯爽と母さんを追い越し、大きな方陣に跪く。
どんな術式が書いてあるのか、気になったのだろう。
さっきボクに注意したのに、自分から率先して手のひらを返すとは。
その探究心の高さが、父さんらしいのだけど。
列を乱すのはダメですよ。
ボクもアステルも、方陣の基礎は習った。
こんな仰々しい遺跡の奥に眠っている方陣となれば、きっと凄いものに違いない。
二人で顔を見合せひとつ頷くと、父さんに続いて方陣に駆け寄った。
一目見ただけで、父さんの杖に刻まれている術式よりも、数が多くて複雑なことだけは分かる。
霊力が一切注がれていないから沈黙しているけれど、これは霊玉を置いたら、すっごく明るくなるやつだ。
方陣自体が大きいし、眩しくて目を開けてられなくなりそう。
「覚えのない属性が書いてありますね」
「地・水・火・風・光・闇以外の属性なんてあるの?」
「いえ……聞いた事がありません」
例えば水の精霊術を使う時‘’aqua‘’と方陣に刻むのは、水の大精霊様の名前がアクア様であると同時に、水の精霊様の総称がアクアだからなのである。
そのため、特に精霊様と契約を結んでいない人が方陣に精霊様の名前を刻む時は、必然的に大精霊様方と同じ名前になる。
そして喚びかけに応えてくれた水精霊様の力を借りて、霊力を対価に精霊術が使える仕様となっているのだ。
なので父さんは、各上位精霊様と契約を結んだ後に、杖の霊玉に刻んだ名前を全部書き換えていた。
地味に大変な作業だったらしい。
だけど、直接契約している精霊様の機嫌を損ねないためにも、必要なことだからと言って、長めの時間不寝番を担当して、新たに契約を結ぶたびに、すぐに書き換えていた。
あの焦り具合は浮気を疑われないために必死になってる人みたいだった、とは母さんの言である。
父さんを疑う余地などないけれど、まさか村の中で、そんな男女の愛憎劇が繰り広げられていたのだろうか。
まあ、なので、方陣に見知らぬ名前が書いてあっても、不思議ではないのだ。
個人が利用する範疇のものであれば。
この方陣は、設置されている場所から規模まで、どこをどう見ても、特定の個人が利用するためのものではない。
インベル様が案内してくれたということは、ボクたちはこの方陣を使って精霊術を発動させて、‘’ギンヌンガの裂け目‘’まで行くことになるのだろう。
どのような形でそこへ至るのかまでは、ちょっとまだ分からないけれど。
不特定多数が利用する方陣だと考えると、書いてあるのは、各属性の大精霊様の名前だとしか考えられない。
もっと言うなら、判明している各属性の一番上の立場の精霊様の名前は、全て判明しているのだ。
ならばボクたちがまだ知らない属性があって、その属性の大精霊様の名前が書いてあるのだろうと、父さんは考えたのだろう。
「カロ……クロ……どちらの読み方か分かれば、霊力の消費量を抑えた上で、喚びかけに応えてくれる確率が上がるのですが」
「複雑そうな術式だし、やっぱ霊力の消費量、多そう?」
「ザッと見積もっただけでも、私の全霊力を消耗したとしても足りませんね。
道中倒した魔物から回収した魔石を全部足したら、なんとか使えるかもしれませんね」
「それは、アンタの霊力と合わせて?」
「……はい」
「途方もない量になりますね」
「不甲斐なくて面目ありません」と項垂れているけれど、父さんほどの霊力を内包している人なんて、今まで会ったことがない。
この方陣が規格外過ぎるだけなのだから、父さんが申し訳なさそうにする必要はないと思う。
こんな方陣が置いてあるくらいだ。
もしかしたら、霊玉や魔石がこの部屋のどこかに保管してあるかもしれない。
そんな話になり、部屋の中で家探しがはじまった。
稼働させるためか、稼働の実験をするためか、目的は色々あるだろうけど、この方陣の規模を考えれば、山ほど出てきてもおかしくない。
専用の保管庫があってもいいだろう。
だから探すのは比較的簡単だと思っていた。
量が必要なのだから、必然的に管理される場所は限られてくる。
そして中身の出入りが頻繁ならば、なるべく運搬先の近くに置いておきたいと考えるはず。
魔石って石というわりには軽いけれど、まとまった量になれば当然、重くなって運ぶのが億劫になる。
だから方陣の近くを探せばいい、という結論に至るわけだ。
その方陣の近くにあるものは、使い方も分からない金属の塊だけ。
棚になっていたりしないだろうかと触ってみるが、隠し扉の類も一切ない。
床下収納もなさそう。
この設備を整えた人は、実際に使うことを想定しなかったのだろうか。
それとも、使う人が父さん以上の、桁外れの霊力を持つような人だから、そもそも魔石を必要としなかった、なんてことも考えられ……ないよなあ。
『賢者』である父さんの霊力は、それこそ一般人と比べた時に正しく桁違いだ。
その父さんから更に桁が多くなると、それってもはや、上位の精霊様並かそれ以上の霊力持ちということになる。
……もしかして、上位の精霊様を生贄にして起動させる、なんてこと言わないよね。
供物にするとまでは言わなくても、精霊様の御力ではなく、その身にまとっている霊力そのものを借りる、なんてことは今までしたことがない。
聞いたこともない。
畏れ多い考えだもの。
力を借りるのではなく、道具扱い――それこそ、霊玉や魔石のような、霊力を供給させるための手段として見なければ、考えつかない方法のような気がする。
ボクだって、道具扱いなんてしていないよ!
単純に、霊力が沢山必要だなって考えた時に、父さんと桁違いの霊力を持っているような人なんてそうそういない。
だけど、精霊様なら余裕でその対象になるよなって考えただけで。
「インベル様、インベル様」
こそこそと声をかけると『――やはりヌシが逸早く気付いたか』とニヤリと笑った。
なんということでしょう。
まさかの畏れ多過ぎるにも程がある考えが、正解だったらしい。
大賢者様がこの遺跡への道案内を、精霊様に頼むように指定をした時点で、そのことに気付いても良かったのだ。
遺跡までの道のりなら、地図でも十分だし、遺跡内部に関しては、ほぼ一本道だ。
壁の模様に触れる機会が幾度かあったけれど、それだって手紙で説明すれば十分だった。
それを敢えて精霊様に案内させたのだ。
その意図を読めと、軽くお説教をされた。
ボクは真っ先に気付いたのだから、怒るのなら未だに気付くことなく、床を這いずっている父さんたちにして欲しい。
探すのを辞めたボクに気付いたアステルも、その隣にいるインベル様のニヤけた顔を見て、気付いたみたい。
本人に聞くのははばかられると考えたのか、ボクに聞いてきたけれど。
目の前にいるのに、なんでわざわざボクを通すのさ。
どうせ聞こえる距離なんだから、敬も不敬も関係なくなる。
二度手間になるし、直接聞けばいいじゃない。
精霊様方は、世の中を良くするために存在しているモノだから、そのために道具のように扱われたとしても、特に怒る理由がないんだって。
むしろそれで大多数の幸福が約束されるなら、消滅したとしても、それは誉高いことであり、望ましい状況と言えるそうだ。
「ボクは、せっかくお知り合いになれたのだし、インベル様が消えてしまうのは嫌ですよ」
『――例えの話だ。
実際、過去、散って行った同胞は多い。
それに精霊としての存在が滅したとしても、魂まで滅びることは、早々ない。
輪廻へと至り、次なる生を歩むのもまた、一興であろう』
「それって、生まれ変わりとか、そう言うこと?」
『――記憶は継がれぬぞ。
魂の研鑽により、ヒトになるか魔物になるか、はたまた再び精霊になるか……それは神のみぞ知ることで、我等のような木っ端者には、知る由もないことよ』
ははあ、なるほど。
朧気ながらも父さんと母さんと過ごした覚えが、もっとずっと前からあるように思えたのは、そういうカラクリだったんだ。
本当に、ささいなことなんだよ。
あれ? なんかこんなお話知っている……ような気がする? むしろ前に経験してない? 違う、かもしれない? 程度のことだ。
夢で見たことと現実とが混ざってしまって、錯覚を起こしているのかな?
その程度にしか思っていなかった。
けれど、今のお話を聞いて合点がいった。
ボクはボクになる前に、父さんと母さんと知り合いだったんだ。
その上で、インベル様を含めた精霊様たちに対して、畏怖の念を抱くよりも、親しみを覚えたのは、前世で何かしら繋がりがあったからなのかもしれないね。
なるほど、なるほど。
一〇年間抱えていたモヤモヤが、スッキリした。
まあでも、別にコレは父さんたちに言う必要はないだろう。
今はボクなんだし。
前のことなんて、ほとんど覚えていないもの。
ふとしたキッカケが与えられて、ようやくなんとなく不確かながら「こんなことがあった気がする」程度なのだ。
そんなの、覚えていないも同然じゃない。
もし告白をするとしても、今から危険地帯に行くのだし、それなら落ち着いてからの方がいいよね。
下手に混乱させてしまって、気がそぞろになって集中力を切らしてしまったら、生死に関わるもの。
約三〇分後。
結局痺れを切らしたインベル様が、もっと柔軟な考え方を持つようにと父さんをお説教しながら、どうやってこの方陣を動かすのか、説明をすることになった。
ボクとアステルなんて、途中から飽きてアチコチ見て回っちゃったもんね。
インベル様は気が長いねえ。
精霊様って、とっても長生きなんだっけ。
そのせいもあるのかな。
方陣を起動させるにあたって、注意事項が幾つかある。
一つ目は、行先の設定。
目的地に登録されているのが、‘’ギンヌンガの裂け目‘’と、別大陸にある、とある街だそうだ。
前者は知っての通り、『魔王』と『勇者』が封印されている土地だ。
その上精霊と敵対する「悪しきもの」が封印されている場所でもある。
魔物が発する毒である瘴気が溢れており、行ったら最後。
戻れなくなる危険性が非常に高い。
片や後者は大賢者様が興したとされている、別大陸の中でもかなり大きな街だ。
そこに移動すれば、大賢者様の庇護下に入れる上に、女神教の脅威や権威もこの大陸ほど大きくはない。
その上物理的にも追ってくるのは難しい。
ここルミエール大陸よりも魔物が強くて、なかなか生きにくい土地ではあるけれど、父さんや母さんほどの実力があれば、難なく暮らせる。
この大陸から逃げるのであれば、うってつけの場所だ。
進むか、逃げるか。
その二択をインベル様は迫っている。
なにせ二つ目の注意事項が、インベル様の霊力で転送出来るのは、一回限り。
どちらか片方しか選べないと言うのだ。
とりあえず‘’ギンヌンガの裂け目‘’に行って用事を済まして、それを終えたらまたここに戻ってきて、安全に別大陸に避難する、ということは出来ない。
ようは友達の生存確認と過去の遺恨を晴らすのを優先させるか、安全を取ってボクの将来を選ぶか、父さんと母さんに判断させようと言うのだろう。
アステルには、命を投げ出してまで国のために忠義を捧げるか、全て放り出して安全圏に逃げるかを選ばせている。
とっても意地が悪いね。
そんな聞き方をしたら、迷うのは当然じゃない。
インベル様が言うから、余計にね。
片方しか選べないように聞こえるんだもの。
父さんって、基本的に頭がいいのに、精霊様の言葉になると、ホント柔軟性が失われる。
今注意されたばかりなのに、ヤレヤレだ。
インベル様は、ボクをいやらし〜い目で見て、ニヤニヤ笑っている。
さっきの霊玉を探している時と同じように、ボクが質問の抜け道に気付いたと感じ取ったからだろう。
インベル様にお手本を見せてもらって、この特別な方陣の起動のさせ方を学んで、‘’ギンヌンガの裂け目‘’で用事を終わらせる。
そのあと、また徒歩でここまで戻ってきて、その道中、更に魔石を集めて父さんの負担を減らして、大量の魔石に含まれている力と父さんの霊力を使って、方陣を起動させればいい。
それだけのお話だよね。
どっちを選ぶにしても、別にそれぞれの場所へたどり着くための手段は、この遺跡を使わなくてもあるのだ。
遠回りになるだけ、時間がかかるだけ。
優先させるべきはどっちなのか。
そう考えればいいだけだ。
ここまで来たのは、『魔王』と『勇者』の生存確認。
それと魔物の脅威を少しでも減らすためだ。
大陸外への避難なんて、いつでも出来る。
今すべきことではない。
『――中央へ』
腹を括り頷いた皆は、インベル様に促され、方陣の真ん中、何も書かれていない場所へと移動する。
『――…………、……、…………』
聞き慣れない精霊語による詠唱を、インベル様が歌うように紡いでいく。
水の精霊術を使う時みたいに、空色の光をまとっている時の姿は、美しくて格好いいけれど、今の淡い光に包まれたインベル様は、とても綺麗だ。
床に刻まれた術式を走るように、霊力が満ちて行く方陣は、次第に光が強くなっていく。
『――我は暫し眠りにつく。
水の力を欲するならば、水の精霊様を頼るが良い』
その言葉と共に、インベル様と方陣がカッと発光し、思わず目をつぶる。
すぐに目をつぶったのに、チカチカして目の前が白く瞬いていて、目を開けているのに何も見えない。
「……え……?」
瞬きを何度かして、目がようやく慣れてきたと思ったら、眼前に広がるのは、先程までいた景色とは打って変わったものだった。
鈍く光る金属の板も、何に使うのか分からない大小様々な置物も、何もない。
足元に方陣はあるけれど、数秒前の光が嘘のように沈黙していて、その意味を知らない人が見れば、ただの模様になっている。
どこか嫌に懐かしい気がするのは、何でだろう。
胸が、きゅうっとする。
古ぼけた、所々欠けた石畳の隙間から伸びる雑草の長さを見るに、近年誰の手も入っていない場所なのだということは分かった。
人の出入りが頻繁にある場所なら、あるいは魔物が棲み付いている場所なら、雑草は踏まれて折れて、こんな伸び放題にはならない。
「‘’裂け目‘’……」
父さんが、青い顔をして、まさかと口を抑えて呟いた。
視線の先を追えば、裂け目という他ない、大きな大きな切れ目が、お空に走っていた。




