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『魔王』と先代『勇者』が封印されている場所は、ルミエール大陸の最西端にある、‘’ギンヌンガの裂け目‘’と呼ばれる遺跡だそうだ。
精霊教の教えに出てくる‘’悪しきモノ‘’が封印されている場所と同じ名前だね。
実際に精霊様たちが‘’悪しきモノ‘’を封印した‘’ギンヌンガの裂け目‘’とは正確に言うと違うものだそうだけど、関係はあるそうだ。
裂け目の裏側というか、ご近所さんというか。
ルミエール大陸が他の大陸から分断されているのは、その‘’ギンヌンガの裂け目‘’によって空間がねじ曲がってしまっているせいで、干渉がしにくくなっているとかどうとか。
難しいことはよく分からないけど、この世界とは違う世界に繋がりやすい場所だから、近くに行くとその違う世界に吸い込まれてしまいやすいんだって。
この世界に戻ってくるのがとても難しい上に、違う世界はとても厳しい環境だから、吸い込まれたら最後。
戻って来れないものと考えなければならない。
だから大陸西側からの、別大陸の行き来が禁止されていた。
では最東端はと言うと、海流や魔物の影響で、物理的に行き来するのが非常に難しい。
精霊様の力を借りて飛ぶには距離があり過ぎる。
橋を渡すのにも遠過ぎる。
船を出せば、九割以上の確率で海の藻屑となる。
しかも‘’ギンヌンガの裂け目‘’に近付きさえしなければ、大陸の大半は弱い魔物しか出ない安全地帯と言える。
作物は被害に遭いにくくよく育つし、家畜化した魔物を利用した畜産も盛んだ。
スキルを光の精霊様から授かるようになり、それぞれの分野に特化した人たちが、率先して仕事をしてくれる。
わざわざ危険を犯してまで、諸外国と交易をする理由が、今のルミエール大陸にはない。
そのせいで往来が全くなくなり、領主だった人は自分こそが絶対的な国王だと名乗る。
こうしてルミエール大陸は、他の大陸の存在を忘れてしまった。
そんな歴史だそうだ。
時空の歪みは単なる偶然で起きたものではない。
自然のあらゆる場所をたゆたい、流れ続ける霊力の中心地――人間で言うと心臓のような場所が世界各地に存在している。
そういう場所は、あらゆるものが不安定になり、現実には起こりえないような現象が、自然と起こりやすい土地になる。
その内容としては死者と対話が出来たり、潜在能力が覚醒したり……色々とあるが、邪悪な存在を封じるには、うってつけの場所なのだそうだ。
なにせ霊力が絶え間なく世界中から集められるため、基本的には自然に封印が弱まることがない。
大規模な飢饉が起きたり、戦争が起こったりすると、世界の霊力循環が滞って、弱まることはある。
加えてそういう時は決まって瘴気と呼ばれる、霊力とは反対の性質を持つ力が発生されるために、封印の術式を構成している霊力が蝕まれる。
理屈としては、二つの要因が重なってしまうことによって、封印が弱まるということになる。
だけどそれは、世界規模で霊力の大量消費がされるような大事件が起きた時に限定される。
そして今まで揺らぎ程度の霊力のムラこそあったものの、封印が解けたことは、過去一度もない。
綻びが生じるくらいはあるけれど、その際の被害は封印されているモノの中で、弱めの個体が外に飛び出してしまう程度のこと。
霊力の循環さえ元通りになれば、その綻びはすぐに元に戻る。
網で考えれば分かりやすいかな。
網が封印。
網を編むための紐が霊力。
普段は蚊帳のように細かい目で、太くて立派な霊力で作られている封印は、何でも通せんぼをしているけれど、霊力が弱まるとその紐が細くなって網目が緩くなってしまう。
大きい魔物は変わらず通せんぼ出来るけど、網目の隙間を通り抜けられるような弱くて小さい魔物は、その緩んだ網目からコッチ側に来てしまう。
そういうことだろう。
ちょっとやそっとじゃ、紐を構成するための霊力は弱まらない。
世界中から集められているんだもの。
総数が違うよね。
一〇〇の中で一消費するのと、1,〇〇〇,〇〇〇の中で一消費するのとでは、負担の割合が違うもの。
文字通り、桁が違う。
三英雄と精霊様が、封印をするのにそこを選んだのも納得だ。
そんな古代の封印を利用して、『魔王』は‘’ギンヌンガの裂け目‘’に封印された。
更に封印より内側にいる「悪しきモノ」は、周辺に重ねがけされている術式により、その場から出て来られない。
外部から何かしらの刺激があれば、その限りではない。
だけどそもそも、ソコにたどり着くことがかなり困難な道のりになる。
なにせ魔物がとても強いから。
遺跡を中心に、円状に何重もの段階に分けられた術式が施されているのだけど、中心地に近くなれば近くなるほど、魔物がとにかく強くなる。
‘’悪しきモノ‘’はその術式に弾かれるため、それぞれの術式を境に、行き来が出来ない。
封印に‘’悪しきモノ‘’だと認識されなければ、その限りではないけれど。
魔物は‘’悪しきモノ‘’認定されるので、狙い通りにいっていれば、魔物の数は減る、もしくは全滅しているはず……らしい。
術式の綻びが生じた時に、強い魔物が一段階外側の、弱い魔物が生息するエリアに行ったとしよう。
魔物は基本的に肉食だ。
破壊の本能に従い、周囲の弱い魔物を狩り尽くしたら、食料が尽きる。
そうなれば飢えて死ぬ他なくなる。
それを長い年月をかけて繰り返され、いつしか魔物はいなくなる。
封印や術式を刻んだ人は、そんな計画で居るようだ。
気の遠くなるお話だね。
ここら辺は‘’ギンヌンガの裂け目‘’からは随分と離れている。
一切封印の力も、術式の力も及んでいない土地だ。
稀に術式に綻びが生じた時に、一段階、もしくは二段階術式の内側から、強い魔物が迷い込んで来ることなら、他の土地と同じようにある。
その綻びが生まれた場所の近くに、たまたま魔物がいた場合になるので、確率的にはやはり低い。
なのだけど、ステラと初めて方陣の勉強をした日は、その低確率でしか起こらないはずのことが山のように起きてしまった。
『勇者』の特性として、‘’悪しきモノ‘’を引き寄せる呪いのような効果があるためだ。
まず綻びが生じる場所が、『勇者』のいる方角に固定される。
『勇者』とそれ以外の人物が近くにいたら、魔物は間違いなく『勇者』を襲う。
よほど『勇者』から魔物が嫌いな臭いや気配を放っているのか、逆に好かれているのか。
判断は出来ないけれど、その効果範囲はかなり広い。
だから封印がしっかりされているかの確認をして、更に強固な術式を施すまでの間は、なるべく街や村には滞在しない方がいいと、街から戻ってきた父さんたちに言われた。
予想はしていたけど、改めて口にされると、ちょっと辛いね。
昔父さんたちが立ち寄った、封印に近い街がまだ現存していれば、そこなら強者が多い上、魔物を狩ることを生業としている人が多いから、滞在することも可能だという。
だけど基本的には、野宿が主となる。
そのための組立式の寝台の材料なんかも買ってきたそうだ。
売ってるものを買うんじゃないんだ、と思ったけれど「構想こそ頭の中にあるのですが、誰かに話したことはありませんし、売っていないのだから作るしかないでしょう?」とさも当然のことを言うように呆れられた。
ボクが市場で見落としただけで、そんな便利な物があるんだと思ったんだもん。
父さんって、知恵や発想を売ったら大儲け出来そう。
その組み立て式の寝台だって、精霊教の巡礼者や冒険者と呼ばれる少なくない人たちに需要がありそうじゃない。
二人が戻ってきたのは、行動を始めるには少し遅い時間だ。
ちょうどいいので、今日はここでもう一晩過ごし、仕留めた妖羊の毛皮を使って布団を作る係と、寝台を作る係に別れて作業することになった。
補強するための棒を多く入れたら、その分重くなるのは然り。
枠組みは買ってきた材木を使い、羊毛を編んで補強材を各所に張るそうだ。
出来上がった寝台は、折りたたんでかなり小さく出来る上、背負子に変形させられるし、凄く使い勝手がいい。
展開には慣れるまで少し時間かかかるものの、コツさえ掴めば一瞬だ。
寝転がれば妖羊の羊毛が丁度いい塩梅で身体の重さを分散させてくれる。
きっと雲の上で寝転がれたら、こんな感じなんだろな。
こんな便利なものを考えていたのなら、もっと早く作れば良かったのに。
そう文句を言ったら、このひと月の間で母さんが少し背中を痛めてしまったので、それを解消するために考えたのだそうだ。
父さん自身も、よる年波には逆らえないようで、少し腰を痛めてしまったとか。
さすが精霊様に、思考の半分以上が母さんのことを考えている、と言われただけある。
母さんのことが絡まないと、『賢者』の能力が発揮されないね。
ぎゅぎゅっと圧縮して紐で結べるようにした妖羊のお布団は、バサバサして空気を含ませればフワフワになる。
軽くて温かくて、包まれば熟睡出来そう。
これならかなり長い期間野宿でもへっちゃらな気がしてきた。
ボクは意外と寝床にこだわりがあったみたい。
母さんとアステルは、お風呂に入れないのが気になるみたい。
そういう所の認識は、女性同士通じ合うんだね。
アステル、今の肉体は男だけど。
心の問題だもんね。
幸い父さんが水の精霊であるインベル様と契約してくれたことで、気軽に大量の水を用意することが可能になった。
水辺に行かなくても、道中で毎日水浴びはできる。
だから汚れは気にしなくていいけれど、温かいお風呂に浸かれるのって、確かに気持ちいいもんね。
それならばと言うことで、このひと月の間に父さんが新しく契約した地精霊・コルリス様と、火精霊・クラテル様の力も同時に借りて、何日かに一回はお風呂に入れるようにすると約束をしていた。
さすが父さん。
母さんに甘い。
まさか精霊様も、お風呂に入りたいなんて理由で、こき使われるとは思っていなかっただろうなあ。
皆様、父さんの『愛妻家』ってスキル名を見てお腹を抱えて笑っていたし、そんな父さんをとても気に入っているみたいだから、協力は惜しまないだろうけど。
父さんは本当は毎日でも、って言ったんだよ。
だけど毎日だとさすがに霊力の消費量が多すぎる。
旅に支障が出てしまいかねないからと、逆に母さんが断っていた。
その言葉を聞いて、父さんに「霊力の底上げするのに協力して下さいね」とかなり圧が強めで迫られた。
ボクも母さんが健やかに、心置きなく過ごせるようにすることには大賛成なので、スキルの練度上げを頑張らなきゃいけないね。
湖は渡らず遠回りをするし、森の中もなるべく避けて通りたい。
そうなるとギンヌンガの裂け目までの道程は約一〇,〇〇〇キロメートル。
……それがどんな距離かはよく分からないけれど、「徒歩ですとザッと一,〇〇〇日はかかる計算ですね」と言われたら、どれ程気の長い旅路なのかの想像がついた。
魔物に襲われることがなければ、もっと期間は短縮されるけど、『勇者』の特性上、それは有り得ないし、この先、進めば進むほど魔物が強くなるのなら、もっとずっとかかることになる。
気候の変動によっても、左右される。
風邪をひかないとも限らない。
……かなり無謀なことを言っているよね?
「でもさ、そんな距離が離れてるなら、どうして精霊教は封印が解かれたって知ってるの?」
「遠い地の様子を覗き見ることが出来る、特殊な道具があるのですよ。
大量の魔石を消費するので、あまり使い勝手は良くないのですが、年に一度はチェックしているようですね。
表向きは『勇者』が身を呈して『魔王』を抑え込み、そこを『聖女』が封印したことになってます。
その封印が解かれれば、『聖女』の力が衰えたのだと『聖女』にとって不名誉な噂が立ちます。
女神教の沽券に関わりますし、彼女達も必死でしょう」
「王都では封印された『魔王』が、長き封印の間に力を増幅させたのだと説明されました。
各地で魔物の被害が増大することが予想されるからと、その対処に『精霊術師』を多く入教させている噂話まで上がる程です。
わたくしという新たな『勇者』が誕生したことで、封印が解けたことを隠す理由が無くなりましたし、かなり派手に動いていらっしゃいます」
「……ウワサしてると湧いて出てきそうだからこの話辞めましょ」
そんな、黒光りする害虫じゃないんだから。
でも確かに、村での一件以降、気のせいや考えすぎだったんじゃないかと思うくらい、女神教の人たちからの接触が一切ないよね。
アステルが言うように、魔物の被害が増える前に、その対処を慌ただしくしている、それだけならなんの問題もない。
むしろ、是非被害を少なくするためにも奮闘して欲しい。
このまま大人しく関わってこないでいてくれるのなら、とてもありがたい。
……だけどこれが、嵐の前の静けさだとしたら、どんな大事件が待っているのか。
それを考えただけでお腹が痛くなってくる。