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突然糸が切れたように、受け身も取らずに倒れた父さんへ駆け寄る。
確認するが、幸い、地面には石も木の枝もなかったようで、どこも怪我はしていない。
なんで気絶したのかと思えば、ステータス紙に書かれている生命力と精神力の総量を示す横棒が、本来ならジェンガのような長方形の棒状をしているのに、今はペラッとした線しかない。
熟練された筆さばきの達人が、神経をすり減らして可能な限り細く書いた縦一本線って感じ。
つまり、瀕死状態である。
どうしてこうなった。
気絶した大の大人を担ぐなんて、とてもじゃないけど無理だ。
だからといって、こんな森の奥である。
どこに魔物が潜んでいるかも分からないのに、母さんを呼びに行くまでの短い時間だとしても、放置するのは危ない。
この状態だと、ちょっと油断をしてぶつけちゃった、程度の怪我で死んでしまいかねない。
きっと今の父さんなら、豆腐をぶつけただけで召されてしまうことだろう。
茶碗蒸しでもいいよ。
勿体ないからしないけど。
なんでこんな状態に陥っているのか。
それは考えなくても分かる。
ボク内心慌てている今もなお、特に気に止めることなくお空に浮いている、向こう側が透けて見えているこのヒトが原因だろう。
状況的にこのヒトが精霊様、なのかな。
父さんのステータス紙には『召喚士』の文字が記されている。
念願の精霊召喚ができて、その上で契約を結べたということだ。
その時に、ごっそりと生命力とか削られちゃったのかな。
このヒトと契約したってことだよね。
契約って、命懸けですることなんだ。
『――いかにも』
「ボク、口に出してた?」
『――我等精霊は、心が読める故』
「へ〜!」
それはなんだか……とっても大変そう!
特に父さんなんて、母さんのことばっかり考えているからね。
村でも「砂糖吐く」「あてられるから近寄んな」ってよく言われていた。
父さんは母さんと違って、ご近所付き合いをしてたからね。
村の子供たちに勉強しを教えたりもしていたし。
助かっていると言われていた割には、その親世代からは、結構粗雑に扱われていたと言うか。
同世代の人が少ないからかな。
ボクと李王たちの関係性とは、違った感じ。
隙あらば母さんのノロケ話をするものだから、煙たがられていたんだろうね。
だって本当に、常に母さんのことばっかり考えているんだもの。
花を見ればそれが毒草だとしても「紡さんに似合いそう」と言い、仕留められた魔物を見れば「紡さんの処置は素晴らしい」と本人がいないのに褒め称える。
口を開けば母さんの名前が出てくる。
父さんはその優秀な脳みその九割以上、母さんに割いているんじゃないかな。
精霊様は不敵な笑みを浮かべながら『ヌシの父は、そこまで単純ではナイぞ。……確かに思考は御内儀が大半を占めて居るが』と後半からちょっと胃もたれしたように遠い目をしながら、勿体ないとため息をつきぼやいた。
せっかく『賢者』のスキルで知性の値が底上げされているのに、想定通りとは言え、考えることは母さんのことばっかりだと言われたら、確かに勿体ない気はする。
父さんが他のこと――魔物対策とか、精霊術の研究とかにもっと思考を割けば、世の中良くなりそうな気がする。
……ううん。
父さんが悪どいことを考えたら、世界征服も夢じゃなくなるかもしれない。
なら、呆れられるくらい母さんのことばっかり考えていた方がいいね。
あれだけ魅力的な人のことを考え続けられるのなら、とっても有意義だものね。
それだけ頭の容量が大きいから、傍から見れば全力で母さんの事しか考えていないように見えるのも、当然だよね。
因みに六割は母さんのことを考えていて、他二割はボクのことだそうだ。
意外とボク、愛されてるね。
『――子よりも妻を優先させるような父はイヤではないか?』
「? ぜんぜん。
父さんの唯一は母さんで、母さんの唯一が父さんなんだから、そこにボクが入り込んでる時点で凄いことだよ。
しかも二割も!
……と言うか、母さんに対してはともかく、ボクのことに思考を割きすぎて、自分のことを適当にしてそうでヤダな」
『――クッ、ハハハっ!
子が親を憂慮するにしても、些か不甲斐ない理由だな』
目の前の精霊様は、ボクの言葉にお腹を抱えて笑いだした。
そんな変なことを言っただろうか。
だって、ボクと母さんのことで八割思考が占められているんでしょ。
残り二割は何を考えているんだろうって考えたら、趣味の精霊術の研究と新しく買った本のこと、村の人たちのこととか先代『勇者』や『魔王』のようなお友達のこと……たくさん考えるべきことがあるんだもの。
そういう諸々の中で一番適当にしそうなのって、自分に対してだよね。
母さんもシッカリ父さんのことを考えているのなら、互いに気を配りあって尊重し合っている状態になるから、割合で見たら均衡が取れているのだろうけれど。
知性の数値的に見ても、母さんの頭の容量は父さんの半分以下だしなあ。
果たして釣り合いが取れていると言っていいのか、微妙だ。
母さんの方が情が深い分、各方面に心をさく割合が高そうだし。
『――挨拶が遅れたな。
水の精霊様が眷属が一人、インベルと言う。
此度の召喚の儀式により佳音と従士契約を結んだ。
主の伜よ、宜しく頼む』
「インベル様は、上位精霊様?」
『――如何にも。
……何やら、面白そうなことをしておるな』
父さんの紙の厚み程の幅しかない、生命力だけでもどうにか元に戻そうと、ステータス紙をいじっていたら、手元をのぞき込まれた。
精霊様には見えているらしい。
このステータス紙は、対象となる人の霊力から情報を読み取る、精霊様に元々備わっている能力のひとつだそうだ。
低位の精霊様だと見られる項目は少ない。
保有霊力の多さに従い上位精霊となり、その力に応じてステータスに表示される項目もそうだけど、使える精霊術も増える。
知能も高くなるので、上位精霊様だとインベル様のように、意思疎通が普通に出来る。
低位の精霊様だと、自我と呼べるものがほとんどなく、呼びかければ善悪の判断もなく力を貸してくれる。
だけど力を使い過ぎると、精霊様は死んで魔物になったり「悪しきもの」に変わったりしてしまう。
だから精霊術は確かに便利だけれど、使う時は精霊様側の事情も考えて使って欲しいと言われた。
人間のボクからしてみたら万能感のある精霊様だけど、色々と制限があるみたい。
中位の中でも上位寄りの精霊様から上の立場になると、人を見たり用途で判断して、力を貸すか否か決める方も多いそうだ。
最近は精霊術を対価も用途も考えずに使う人が多くて困っているんだって。
それに巻き込まれて精霊様の数が減っているとボヤいた。
気苦労が多いお方らしい。
数が減ったってことは、その分魔物が増えたり、その「悪しきもの」の存在の割合が大きくなったってこと、だよね。
それは……人間にとっては、とっても大変なんじゃないだろうか。
大昔みたいに、人間が絶滅寸前まで追いやられたりしてしまうのかも。
そうならないために『勇者』がまた誕生したのかな。
過去に例がないだけで、父さんたちの友だちの『勇者』が死んでなくても、世界が危機的状況になっているのなら、『勇者』が二人いたっておかしくないじゃない。
光の精霊様から賜るスキルだもの。
世界の状況に応じて、変則的に例外を作ることも、あるんじゃないかな。
過去の英雄に因んでつけられた名称なワケでしょ。
三人までなら、いてもいいと思うんだ。
ステータス紙の相談が出来る人――人じゃないけど――がいるなら、是非操作の仕方を聞きたい。
検証はしたけど、合っているのか分からないし。
なのだけど、インベル様は表情を曇らせた。
上位精霊でも、見ることは出来る。
むしろボクに見えない項目まで見れる。
だけど、操作が出来るなんて話は聞いたことがないそうだ。
だから『面白そうなことをしてる』って言ってきたんだって。
精霊様でも出来ないようなことが出来るって、やっぱりこの「スキル」って、変。
『――ステータス画面を操作、のぅ……
それは最早、神の如き所業よな。
水の精霊様たち属性神様方なら、あるいは可能なのだろうか。
……聞き及んだ事は無いが』
顎を撫でながら考えを呟くインベル様は、とんでもないことを言い出した。
神様みたいって……畏れ多すぎる。
だけど、確かに出来ることが増えるたびに、コレって卑怯なくらいにボクには過ぎた能力だよなって思っていた。
ステータスの表示を整理するまでは、まだいいと思う。
整理をして空欄が出来れば、そこを埋めるように、鍛錬をすれば再び数字が現れる。
今まで打ち止めがあった能力の、天元突破が可能になったことで、成長幅が増えたことは、とても喜ばしいことだ。
努力をどれだけ続けても、頭打ちがあって続けることを挫折する人が、過去にはいただろうから。
だけど、父さんでも治せない毒物の症状を消したり、書かれていない文字を書き足したりするのは、人が持っていていい能力の度合いを超えている。
それで救えた命があるのは、確かに嬉しいしありがたいよ。
だけどさ、過ぎた力は、怖いよ。
ボクたちからしてみれば、神様と言ってもいいような精霊様が『神様みたい』って言うんだもの。
そんな太鼓判、要らなかった。
こんな怖いスキルは、使うべきではない気がする。
それならいっそのこと、消してしまった方がいいんじゃ……
『――辞めておけ。
薬や道具と同じだ。
使い手によって、結果が変わる。
お前が自分を律するなら、何の問題もない。
例えば、薬は症状を緩和し人を救う側面があるが、投薬量の間違いによって、人を害するものになる。
例えば、包丁は美味い飯を作って人を幸せにするための道具だが、握り方を変え、切る対象を変えたらただの凶器になる。
精霊術も人を救うために使う者もいれば、自分を守るためだけに他者を傷付ける者、自分の利益のために邪魔者を排する者。
……色々いる。
使い方を誤ることが怖いからと、目を逸らし続ければ、直面せざるを得ない状況に追いやられた時に困るのは、自分自身だ。
逃げるよりは、立ち向かって、散々悩め。
子供には、周囲に訪ね、助けを求める特権がある。
助力を求められる相手がいるような、恵まれた環境にいるのだ。
臆することなく聞けばいい。
少なくとも、瀕死状態で倒れた父を助けられるのは、この場ではヌシだけだ」
そう言って足元から作り出した大きな水玉に、父さんを乗せて浮かばせた。
風の精霊様の術以外でも、浮かぶことって出来るんだ!
つっつくと、ぷよんぷよんしていて面白い。
大海月を彷彿とさせる。
つついていた場所から、スルスルとむにむにとした触角のような紐が伸びてくる。
その紐はボクの腕に絡まり、水玉を牽引できる状態になった。
『――我もヌシの能力が気になる故、水の精霊様に尋ねてきてやろう』
一方的に言ったインベル様は、ニヤリと微笑んだあと、パシャリと水音を立てて形が崩れた。
足元に出来たボクを映し出していた水溜まりも、すぐに乾いて、なにごともなかったように、周囲の霊力の光と共に消えて無くなった。
感触のいい、父さんが乗る水玉が横になければ、ボクは白昼夢でも見ていたんじゃ無いだろうかと、自分を疑っただろう。
それくらい、振り返ると現実味のない時間だった。