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集中力が続かず休憩のたびに素振りをしてみたり、宿の周りを走ったりするボクを「バケモノ」呼ばわりするステラの方が、ボクからしてみれば人外じみていると思う。
ジッと机に向かってお利口さんにしているのが、ボクには合わないみたいだ。
こんな堪え性がないとは思わなかった。
我ながらびっくりである。
人には得手不得手があるのだから、それは仕方の無いことだ。
だけど苦手を克服してこそ、イイオトコだって母さんが激励してくれたからね。
母さんに認められる男になるべく、勉強の時間は頑張るのだ。
結局書き取りをしたのは精霊様の名前と、「〜してください」って言葉。
それと「撃ち抜く」「降らせる」「壁を作る」のみっつの言葉。
それぞれ単体攻撃、広域攻撃、防御に汎用性が高く、使い勝手がいいそうだ。
あと、実験をするのに適した方陣があるからと言って、「貫く」の言葉も教わった。
どれも少ない文字の組み合わせなので、覚えるのはさほど苦労しなさそう。
だけどボクは精霊様の名前ではなく、まず二六文字それぞれの書き取り練習から始めたので、ステラの半分も紙を文字で埋めることが出来なかった。
数をこなせば身につくものでは無いけれど、父さんが時間の許す限りとにかく書けと言ったのだから、数をこなさなければならない部分があると言うことだと思う。
なのに、出来なかった。
書き取りは、剣術の型と同じだ。
戦いの場面で、咄嗟に考えなくても身体が動くように身につける、定められた剣の使い方。
繰り返し愚直に型をなぞることで、自然と習得出来る。
勿論、頭の中で仮想敵を想像しながらでもいいけれど、ボクは母さんに願い出れば相手をしてくれたし、格上の存在と対峙する胆力を同時に鍛えて貰った。
殺気を自由自在に出し入れ出来る母さんは、ボクが調子に乗ると威圧をかけてくるからね。
おしっこチビるくらいに怖いよ。
最近はさすがに失禁まではしなくなったけど、冷や汗なのか脂汗なのか分からない体液は相変わらずダラダラ勝手に流れ出てくる。
胃液も込み上げてくるし、膝に力は入らなくなるし。
少しでも容赦されたら、脱兎のごとく逃げ出すよ。
本能的に、逃げなきゃ死ぬって思って身体が勝手に動くんだ。
右手に持ってる剣で、型通りに斬りかかれるようになれば、上々らしいけど、今のところは無理だね。
座学も同じように、反復練習が大事みたい。
そしてどの分野でも、上には上がいるようだ。
ボクの目にはとても美しく映るステラの書き取りの結果も、本人から言わせてみれば、まだまだだそうだ。
流麗さが足りないんだって。
父さんには、それよりも一文字ごとの形を意識するように注意されていた。
所々、言葉が抜けていた所があったみたい。
指摘されて凝視しても分からなくて、指をさされてようやく分かる程度のことだけれど、精霊様はそのボクたちが見落としてしまう間違いにも、目敏く気付くから、コレでは術が発動しないと言われた。
ボクは正確に出来ているから、あとは速さと丁寧さを心掛けるようにと注意された。
速さと丁寧さって、両立しない気がするのだけど。
早く書こうとすると文字が踊るし、丁寧にやったら時間がかかるじゃん。
ようは、やはり数をこなせってことらしい。
そうすれば、手が慣れて速記が出来るようになるんだって。
でもさ、そんな長い時間座っていたら、おしりが椅子にくっついちゃわないかなって心配にならない?
そうしたら生活しにくくなるよ。
いつでも休憩が気軽に取れるようになるのはとっても魅力的だけど、早く走れなくなるし、厠に行く時、とっても大変そう。
「そんな心配はいりません」と身体を押さえつけられ、精霊様の名前を追加で三回ずつ書かされた。
いつになく厳しい。
ある程度書き慣れた頃に、術式を組み込んだ方陣の描き方を今度は習った。
さっき練習した「貫く」の言葉を使う方陣だ。
なるべく綺麗に書くことを心掛けるように、と最初に注意をされて、父さんが描く手の動きに倣って、自分も紙の上に鉛筆を滑らせる。
「幾何学において、円はとても重要な図形になります。
その応用生の高さが故に、方陣に使用されているのだと思います」
言って父さんは円規でも使ったかのように、正円を紙いっぱいに描いた。
え、コレ本当に製図用具一切使わないで書いたの?
目の前で見ていたから、鉛筆以外の文具を使っていないのは分かってるけどさ。
信じられないくらいの丸なんだけど。
どうなってんの。
ボクには見えない下書きでもしてあった?
慣れだという父さんに、今まで何回くらい描いたのかを聞いてみる。
「透は今まで食べてきたお米の粒を数えたことがあるのですか?」と逆に聞き返されてしまったけど。
とりあえず、途方もない回数だって言うことは分かった。
最初のうちは多少円が歪んでも構わないから、とにかく描き始めと終わりは一点で集結させなければならないと指摘される。
線が交差するとそれだけで、他の術式や文字をどれだけ美しく書いたとしても、術は一切発動しなくなる。
大きく円を書くのは、まだ文字を書くのに不慣れな状態だから、余地が多い方が練習に向いていると思ったが故のことなので、先程練習した術式を難なく書けるのであれば、小さい円でも問題ないそうだ。
その言葉を聞いて、ステラは少し小さめの円を書いた。
ボクは、小さい文字を書くのは、まだ無理。
自分の力量は過信しちゃいけないのだ。
「紙って折っても平気?
あと、一筆書きじゃなくても大丈夫?」
「えぇ、どちらも問題ありません」
父さんの返事を聞いて、紙を四つ折りにした。
折り目の中心から上下左右大体同じ距離になるような位置に、折り目の上に印を付けた。
あとはそこを経由するように、曲線を書き込んでいく。
紙全体を見て、綺麗な丸になるように。
細かい線を繋ぎ合わせた方が見た目は美しい円になるだろうけれど、線を交差させたら駄目だという条件がある。
なら、一筆書きじゃなくていいとは言われたけれど、なるべく一発描きの方がいいだろう。
……もしくは、線の太さは言われてないのだ。
幾つも細かい線でアタリをつけたあと、鉛筆を寝かせて太い線でなぞる方法もあるか。
いくつか書いて手の運び方や腕の動かし方のコツを掴んだあと、最後に別の紙に勢いよくグルっと一筆で、円を書いた。
線が交差しそうになったから、最後だけゆっくりと帳尻を合わせるような動きになったのはご愛嬌だ。
二人にバッチリ見られていて、クスクスと笑われた。
ちぇっ。
「やはり透は、考え方に柔軟性があって良いですね。
感性の問題なので、一朝一夕で身に付くものではありませんが、ステラは是非、見習って下さい。
あとは……資源は有限ですからね。
失敗を恐れないその気概は良いですが、すぐに廃棄する癖はご遠慮下さい」
「かしこまりました」
くるクシャポイされ床に散乱している紙くずを見て、父さんが呆れ混じりに注意をした。
決してその咎められた様子を見てのことじゃないよ。
だけど、口角がどうしても少し上がってしまった。
最近は、ステラを褒めるついでみたいに褒められることが多かったから。
もしくは、ステラばっかり褒められて、ボクには何の言葉もかかんなかったり、お小言しか言われなかったり。
素直に褒められた気がして、嬉しかったのだ。
歪みすぎて駄目出しをされた円も、方陣を描く時の記号や文字を配置する場所決めの練習になる。
そう言って父さんに合格を貰った円以外に、習った文字を書き込んでいく。
中心が力を借りたい精霊様を表す言葉。
どんな術を使いたいのか。
お願いの言葉。
そのみっつの他に、数の指定をしたもの、術の指定を複数書いたもの。
他にも精霊様を崇める言葉や褒める言葉を追加したもの。
色々用意する。
詰め込めるだけ詰め込んだものと、単純なものを比べると、その差は歴然。
円が小さいと、当然欲張った仕様のものは、途中で空白が足りなくなってしまった。
その紙はもうどうやったって使えない。
ああ、もったいない。
上手く書き込めたものは、父さんが円を書き直してくれた。
その紙を持って、街の外へ繰り出す。
この辺は大人しい魔物しかいないけれど、万が一のこともある。
父さんは街の中に入った時の格好で出かける準備をした。
念のため、母さんも一生だ。
やっぱり、剣士の格好は父さんには似合わないね。
腰に剣を差していないだけ、まだ違和感は小さいけれど。
万が一対処が必要な状況に陥った時、すぐに対応出来るように、剣は母さんが抱えている。
父さんは自由自在に自分の杖を出し入れ出来るからね。
武器って基本的にいらないんだよね。
街に入る時は、見た目重視で剣を装備していたけど、身体の重心がズレるから出来るだけ持ちたくないんだって。
「本当は?」って聞いたら「重いから嫌です」ってキッパリ言っていた。
ボクは持ち上げて走ることも出来るのに、余程軽い剣はやだってどういうことなのさ。
「今回は実験なので、込める霊力が一定になるように、コチラを使用します」
言って取り出したのは、小指の爪ほどの大きさもない、小さな石だ。
「今は魔石と呼ばれている、魔物の心臓から獲れる石です。
高濃度のエネルギーが宿っているので、霊力切れを起こしかけた時のために、持っておくと色々便利です」
「解体してる時、見たことないよ」
「妖兎や妖狐ですと、大きくてもこの半分程の大きさの魔石になるので、見落とされがちになりますね。
利便性も低いですし、わざわざ回収する手間をかけるくらいなら、放置しますし」
魔物を解体した時に取っておく部位って、素材になる毛皮や爪、牙が大半で、あとは可食部であるモモ肉が基本になる。
大きな獲物だと、肋骨周りのお肉なんかも取っておくけど、内臓は病気の元になむて危ないし、棄てる。
心臓にそんなものがあるとは知らなかった。
今度解体する時には、気を付けて見てみよう。
父さんが取り出したのは、鱗猪から摘出した魔石を加工したものになる。
内包されている力を抜いたり足したりして一定にする方法があるので、今回の実験のために作ったんだとか。
持たせて貰ったけど、見た目のわりに重いかな、と思う程度の、キラキラ光っていてちょっと綺麗な石だな、程度にしか思わない。
怪我をするといけないからと、地面にボクとステラが書いた紙を置いていく。
文字の大きさに太さ、円の歪さに鉛筆の濃さ……同じ方陣を書いたつもりでも、並べると結構違いが出てて面白い。
それが精霊術の発動にどう影響を及ぼすのか、見せてくれるそうだ。
今回書いた方陣は、一番精霊の中で温厚な地の精霊様の力を借りるものになる。
万が一の事故が、億が一でも起こりにくいということで選ばれた。
慈愛を司るだけあって、やはり穏やかな方なんだね。
地面を槍の穂先や剣の先端を連想させる形状に、変化させる術を書き込んだ方陣。
父さんが書いた見本に魔石を置いて離れ待つこと数秒。
ズバンっ! と勢い良く紙を貫き、ボクの背丈程に地面が隆起した。
鋭く尖った円錐状の土は、しばらく――呆気に取られていたので正確な時間は分からないけれど、何十秒か経過したら、自然と崩れ落ち、地面は元の形に戻っていた。
あの勢いで地面から突出してきたら、何が起こったのか分からないうちに、身体を貫かれて絶命するだろう。
コレは悪用する人が得ちゃいけない知識だね。
人に使っちゃいけないやつだ。
「では、あなた方の書いたものだとどうなるのか、試してみましょう」