25.1
ステラ姫の独り言。
恐れを抱くほどに化け物じみた方は、これまでにも幾人か聞き及んだことがあります。
お父様に忠誠を捧げた『聖騎士』は、わたくしが生まれるよりもずっと前、魔物の大暴走が起こり王都が飲み込まれそうになった際、三昼夜かけて魔物の大群を殲滅させたと言われております。
他には 『射弓高雅』は遠方を見通す力とコントロール力に非常に優れており、数百メートル先の林檎すら撃ち抜くと伝えられております。
正直眉唾といいますか、誇張表現が入っているのだと思っておりました。
三日三晩起き続けることすら困難なのに、魔物の大群を相手に動き続ける体力や精神力が、人の身に備わっているはずがありません。
しかも巨大な王都を飲み込むような、魔物の群れを殲滅させるだなんて、有り得ない話だと思うのです。
せいぜい一昼夜が限度でしょう。
しかしそうなると、魔物の大群を殲滅させるのは、時間的に酷く困難です。
不可能と断言できます。
三昼夜が事実だとしても、王騎軍と共に、相応の犠牲を払って獲た勝利だったでしょう。
空を駈ける魔物もいるというのに、殲滅なんて、土台無理な話です。
退けるだけでも十分な功績であったからこそ、何年も経過した今でも市井の間では語り草になっているのだと思います。
『射弓高雅』に関しては、それはもう人間の話ではなく、魔物の類の話ではないかと考えております。
魔物でしたら体躯も大きいですし、人間よりも五感に優れておりますから。
遥か数百メートル離れたような距離の獲物でも、仕留めることができるでしょう。
人間では、とてもじゃないですが、そんな遠くの物を見通すことはできません。
ましてや林檎のように掌ほどの小さな果物を弓矢で貫くなんて……
人の想像力には、驚かされます。
そう思っていた時期が、わたくしにもありました。
明言こそされておりませんが、年格好や伝えられている見目の特徴、それにお兄様方やお父様の妾達から送られてきた刺客を難なく倒す、その手腕。
総合して考えた時、近代史における一番の英雄である四英雄の『剣聖』と『賢者』であると判断した、男女の連れ合い。
たまたま身代わりとして配置した者たちが、恐らくその二人だと聞かされた時には、心が踊りました。
なにせ、王族を支える影として、厳しい訓練を受けたミツですら瞬封されたと言うのですから。
にわかには信じられない話でした。
ミツの実力は、わたくしが一番よく知っています。
暗器による不意討ちもさることながら、女性ならではの柔軟な肉体と、小柄で華奢な体格を生かした、縦横無尽に繰り出される予測不能の打撃技。
一撃のダメージは小さいものの、その速度について来れる者はまずおらず、確実に急所を狙う拳に、ミツを相手にする者は一方的に蹂躙され、気が付けば地に伏すことになる。
文字通り負け無しの最強の護衛と言えるでしょう。
それが、まさかの瞬殺。
何かしらの精霊術によるものだと思われると申告されましたが、ミツのメイド服は特注品です。
物理的な防御力はさることながら、精霊術も生半可なものなら無効化する優れもの。
どんな精霊術だとしても、軽減くらいはされるでしょう。
どの程度、と例えるのであれば……妖鹿を一撃で屠れるような精霊術でしたら、完全に無効化できる位です。
わたくしもミツが着用している衣装と同程度の装備品が与えられたら良かったのですが、残念ながら妾たちの妨害により叶いませんでした。
残念でなりません。
ですが、そんな高性能の装備品ですら意味を成さない攻撃を、呼吸をするように扱う術者。
ミツには申し訳ないですが……欲しい。
わたくしが無事帰国すれば激化することが容易に想像できる、次代の王座を巡る争い。
その折に近くに立っているだけで、どれ程わたくしに安心感を与え、それと同時に周囲を牽制できるか。
その効果を考えたら、今からでも囲っておくべきでしょう。
そう判断し、招待状を認めました。
こちらが都合を合わせるので、是非お話をしたいとミツに代筆を頼みました。
恥ずかしながら、まだ書き取りはミスをすることがあり、文字は淑女らしからぬ、造形乱れた図形のように見えてしまうため、おおよそ伝えたいことを口頭で説明し、ミツに書いてもらうようにしております。
しかしミツへの伝え方が悪かったのか、わたくしの態度が癇に障ったのか……
同席を許可していない、同年代の男の子が突然、話し合いの途中で怒りを顕にしました。
城下町やこの街で薄々気付いていましたが、王宮内の常識が市井には通用しないことが、この一件でよく分かりました。
わたくしが学ぶべきことは、沢山あるようです。
良き王となるためにも、ここは教えを乞う立場になる必要があります。
『賢者』と『剣聖』を身近に引き止めておくためならば、わたくしのプライドなんて、些細なものですから。
それに……同年代の異性との交流が今まで全くなかったので、このトオルと呼ばれる男の子に、凄く興味があります。
同性ならば派閥の味方になって貰うため、また将来の従者を選ぶためにお茶会を主催しますが、異性ですと、どうしても周囲に王配候補探しを勘ぐられます。
お父様の意向もあり、全くと言っていいくらいに、男の子とお喋りをしたことがないのです。
初めての会話がトオルの怒りに満ちたものであったのもあり、すっかり腹の虫が治まった状態になっても緊張し、ろくに話せませんでした。
次の日こそはと、気合十分に鍛錬と言うものに参加するべく、ミツに今までにない程早くに起こしてもらいました。
引き留めるためとはいえ、かなりの金額をむしり取られたと報告されています。
ならば形だけでも参加しなければ。
実際、わたくしも剣術を使えるようにならなければ、この旅で魔物をどれだけ倒しても、それはわたくしの実力だとは認めて貰えないでしょう。
下手をすれば、ミツの引き抜きが起きてしまいます。
それは到底看過できません。
剣を振るだけならば、わたくしにだってできるはず。
『勇者』のスキルによって、身体は自然と最適解を導き出し動いてくれます。
『賢者』は教えるなどと上から目線で物事を言いますが、誰よりも『勇者』を身近に見てきたでしょうに、なぜそれが分からないのでしょう。
ですが結果は……なんと申せば宜しいのでしょうか。
惨敗、などと言うのもおこがましい。
戦いの舞台にすら立たせて貰えなかった気分です。
まず、服装です。
『剣聖』が夜通し、手ずから繕ってくれたと言う運動着。
剣を持つ者が作ったとは思えない程に丁寧に縫製されたその服は、一人で脱ぎ着できるとても機能性に優れたものでした。
その上、ゆったりとして身体のラインが出ない、柔らかい生地で作られています。
確かに運動着の名に恥じぬ、とても動きやすそうな衣装です。
なのですが……動きやすさを重視するあまり、腕も足も途中から肌が出てしまっています。
嫁入り前に、不特定多数に見られる可能性があるのに、それを誰も気にしないのは、文化の違いのせいなのでしょうか。
だとしても、わたくしには余りにもこの服を着るハードルが高すぎます。
しかしせっかく作っていただいたのに、厚意を無下にするわけにも参りません。
不興を買って契約を反故にされてしまったら、たまりません。
ミツと相談して、肌の露出する箇所はロンググローブとショースでカバーすることにしました。
トオルはそれを見て「日焼けしたくないの?」と仰ってました。
トオルの生まれ育った村では、夏場には男女関係なく下着姿で水浴びをすることもあるそうです。
なんて破廉恥な……!
文化の違いという言葉だけでは片付けられない、全く異なる生物の話でも聞いているかのような気持ちにさせられます。
準備運動という、鍛錬の前に必ずする踊りのようなものがあると、トオルに倣って身体を動かすよう『賢者』に言われた動きもまた、衝撃的すぎでした。
そんな激しく、目一杯身体を逸らしたり曲げたりしたら、骨が折れませんか!?
ミツは特殊な訓練を受けているからできるのだと聞かされていた動きを、当然のようにトオルはするのです。
そして真似しようとしても同じように動けないわたくしを見て、トオルは困ったように笑うのです。
馬鹿にされている印象は受けないのですが、確実に呆れてはいるでしょう。
これが羞恥というものでしょうか。
穴があったら入りたい……
そんな準備運動を乗り越え、既に疲弊しているわたくしに、剣を振るうにも、長旅をするのにも、大切なのは体力であると『賢者』が仰いました。
王宮では、例え子供であっても走ったら咎められます。
いついかなる時も、冷静に、お淑やかに、ゆったりとした動きを求められます。
先程の準備運動もそうですが、この方々は私を辱めるのが目的なのでしょうか。
まさかお兄様たちの刺客だったりしませんか。
こんな仕打ち、あんまりです。
しかし実際に走り出したら、そんな気持ちは粉微塵に吹き飛びました。
日々鍛錬を怠ったことがないと仰っていたトオルに、『魔王』討伐における、とても長い旅をしていた『賢者』の二人は、底知れぬ化け物でした。
「この後の鍛錬のことを考えて軽く」と『賢者』に言われたトオルが、まず目の前から消えました。
遠くに目を向ければ、既に遥か先を走っており、その姿は瞬く間に消え失せました。
呆気に取られながらも、走る際の注意点や走り方のコツ、またフォームの乱れを『賢者』に一通り教授され、お礼を述べたわたくしに、「では後は宜しく」と言ってミツに託したその直後、『賢者』もトオルと同じようにすぐに消えて居なくなりました。
何か、二人とも精霊術の類で瞬発力や筋力の底上げをしているのでしょうか。
ミツに付き合ってもらい、なんとか街の外周を二回、曲がった所でトオルに追い越されました。
三回目の時点で『賢者』に。
走り込みを始めたスタート地点に戻って来ると同時に二人に。
わたくしが一周する間に、二人は倍の距離を走って、なのにそれを苦とも思わない涼しい顔でこなしている。
そして、わたくしに付き添っているミツもまた、わたくしとは違い、息を切らすことも、汗をかくようなこともなく、特に苦しい様子もなくピッタリと寄り添い並走しています。
むしろわたくしの様子を見て、心配する余裕すらあります。
先程までとは違う意味で、恥ずかしくなりました。
ここまでの旅の苦難は、全てミツが対処してくれています。
魔物が襲ってくる危険性の少ないルート選び。
奇襲が仕掛けにくそうな場所での野宿。
わたくしの武器や防具の制作依頼も、本来ならば使用者であるわたくしがするべきだったでしょう。
なのに、王宮にいる時と同様、当たり前のようにミツがしてくれるので、すっかり意識することも特になく甘えておりました。
そう、甘えていたことに気付かされたのです。
トオルが昨日怒りを顕にしたのもきっと、わたくしが甘えるのが、さも当然のように振舞っていた、その態度によるものなのだったのでしょう。
王位を継ぐことを望んだのも、『勇者』のスキルを名実ともに我が物にするべく、王位を我が子にと狙う妾や、女神教の画策に乗じて旅に出ることを望んだのも、他ならぬわたくしだと言うのに。
なぜそのために歩く道を、他者が用意するのが当然と思い込んでいたのでしょう。
他力本願にも程があります。
剣を振るうための稽古をお願いしたのです。
せめて、剣を持つ所までは頑張りたい。
その一心で、手足の感覚が無くなり、息をすることもままならず、お腹も痛いし涙まで出てきても、走ることを諦めませんでした。
ようやく何度目かの宿屋の前が見えてきた時、トオルがその場で足踏みをして待っていてくれました。
これでようやく、剣を持てる。
そう思った途端、気が抜けてしまったのでしょうか。
足がもつれてその場に崩れ落ちてしまいました。
転ばずに済んだのは、とても運が良かったのだとしか言えません。
立てと言われても、全身にもう、力が一切入らないのです。
辛うじて上半身を起こしたままでいられたのは、王女として、最後の最後に残された、なけなしのプライドのおかげ。
目の前が黒く霞んで行く中、『賢者』の声で「『勇者』のスキル持ちに根性が備わっているなら、誰よりも強くなれますよ」と仰って下さいました。
その日がいつか訪れることを夢に、今はミツの腕の中、甘えさせて下さい……
ミツの肩を支えに見学をしていた、トオルと『賢者』の稽古は、文字通り異次元のものでした。
完全に剣術を舐めていたなと、猛省致しました。
あんな量産された型の子供向けの剣で、地面が抉れるわけがない。
細身の木の棒にしか見えない杖で、その威力が込められた剣を受け流せるわけがない。
目の前で繰り広げられる景色を、脳が認識するのを全力で拒否します。
あくびをしながら顔を出した『剣聖』が、二人の頭を殴りつけるまで、裏庭に襲う惨事は留まることを知らずに繰り広げられました。
「手合わせ、今から断って来ようかしら」と冷や汗を流しながらミツが口にしたのがおかしくも、「大切な命ですから、ぜひそうして」とお願いをすることにしました。
わたくしには、まだまだミツが必要ですもの。
こんな所で散らされては、敵いませんから。




