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夜の帷が降りると、善き神である光の精霊様の御加護が人々に届かなくなる。
対極にある悪神である闇の精霊様が力を振るう時間になり、魔物の動きが活発化して危ないから、日の出前に家路につき、以降太陽が昇り空が白み始める夜明けを迎えるまでは、外に出てはいけない。
そう幼い頃から習っていたのもあり、家族三人手を取り合って真夜中に村を抜け出すのは、とってもいけないことをしている気分になって、ドキドキした。
李王の家に皆でお泊まりした時、大人が寝静まるまで寝たフリをして、その後隠しておいたお菓子を食べながら、夜通しおしゃべりをして過ごした、あの日。
窓から見上げた空と、同じ位に空はキラキラ輝いている。
あの時と同じ位、もしくはそれ以上に、ボクの胸は今、高まっている。
暫くはボクも走ったけれど、身長の高い二人と比べたら、どうしても足は遅くなる。
ほら、円規の長さがそもそも違うから。
途中からは父さんに担がれての移動になったので、余計に心が踊る。
父さんに抱っこされるのなんて、いつぶりかな。
照れ臭いけれど、ちょっと嬉しい。
甘えるような年でもないけど、久しぶりに抱き上げられたその腕は、想像していたよりも、ずっと逞しい。
すごく以外。
なにせ母さんは日々の鍛錬を怠らず、かなり引き締まった身体をしている。
その上身体の線がハッキリと分かる服を着ているから、筋肉も多いし力持ちなんだろうな、と予測が出来る。
それに対して父さんは、普段走り込みも素振りもしていない。
ゆるっとした服を好んで着ているし、そんな筋肉質には見えなかった。
「父さんって、意外と力持ちなんだね」
夜逃げ最中なのでコッソリと、なるべく小さい声で耳元に囁くと、くすぐったそうに笑いながら「奥さんをお姫様抱っこ出来るくらいの甲斐性は持っていますよ」と言ってニッコリされた。
とっても父さんらしい理由に、ついボクも釣られて笑ってしまった。
木々がどんどん流れていく様子は迫力があって凄いと思う。
森の中を走っているのに、全然それを感じさせない速度は、いったいどうやって出しているのだろう。
走って、と言うのは分かるよ。
そうじゃなく、障害物があるのに速度を維持し続けられる、その理由が知りたい。
お月様とお星様に照らされている夜道は意外と明るいけれど、木に隠れていて、時折葉っぱの隙間から顔を覗かせる程度。
十分な明るさとは到底言えない。
毎朝の鍛錬のように、母さんが枝払いをしてくれるわけでもないのに、器用に屈んだり身体を捻ったりして先を進む。
それだけで普通、こんなに早く走れるものなの?
机仕事している様子ばかり見てきた父さんが、こんなに身体を動かせることに驚きだ。
正直、ボクよりも走るの早いかも。
円規の長さ関係なく。
十年以上前のこととはいえ、旅の経験者は皆、こうなのだろうか。
もしそうなら、ボクも同じくらい器用にならなければならないんだね。
……できるかな。
ちょっと自信ない。
夜の森には魔物が沢山出ると聞いていた。
そのわりには、全然遭遇しない。
先行している母さんの道選びが上手だからなのか、微かに香るこの刺激的な臭いのおかげなのか。
はたまた両方なのか。
あとで落ち着いたら聞いてみよう。
街道に出るまで走り続けるのかと思ったら、途中で小休止を入れるみたいだ。
母さんが片手を挙げて合図をすると、速度が緩まった。
「透、疲れたり、喉乾いたりしてない?」
「ボクは全然……」
「飲める時に飲んでおきなさい。
棗椰子も、一粒でいいから食べて」
夜目が覚めてしまった時に入れてくれる温牛乳ですら、虫歯になるからダメと言われることが多いのに。
オヤツを食べることを推奨されてしまった。
お泊まり会の時は、片付けをする前に全員途中で寝落ちしてしまったせいで、翌朝、こっぴどく怒られたんだよね。
お布団には食べカスが落ちているし、当然寝る前にした歯磨も意味がなくなってしまっていたし。
保護者総出で並んで怒られた。
母さんは雷の精霊様の力を借りられるのかと思ってしまったよ。
ヘタな魔物に遭遇するよりも、よほど怖かった。
そのことも相まって、なんだかとても背徳的!
「果物が一番、いざ動く時に熱変換されやすいからね。
だからと言って食べ過ぎたら動けなくなるし……三粒程度で十分かな」
オヤツじゃなくて、単なる栄養補給だった。
母さんは種を丁寧に取り除いて乾燥させた棗椰子を一気に口へと放り込み、父さんが作り出した水球に口を付けて、直接水をグビグビ飲む。
なんだかとっても野性的。
そっか、なんで保存食を沢山持ったのか疑問だったけど、家でご飯を食べなくなるのだもの。
座るならイスではなく、そこら辺にある石や倒木の上になる。
座布団なんて持ってきていないから、腰が冷えてこの後の動きに支障を出さないために、立ったままの食事になる。
机代わりになるようなものも、当然ないしね。
そうなると、食器にわざわざ盛り付けて食べるのは、合理的じゃない。
そもそも我が家にあったのは、陶器製の食器が多かったので、持ち出していない。
あれだけの速度で走っていたら、鞄の中で割れちゃうもんね。
短時間で荷造したわりには、きちんと取捨選択していたんだ。
いつかこんな日が来ると思っていたと話していたし、その日が来た時のことを考えて、頭の中であらかじめ考えていたのかもしれない。
もしかしたら、ボクが物をあれこれ移動させたり入れ替えたりしていなければ、もっと早く出発出来ていたのかな。
成人の儀を終えて大人になってからの方が、二人に迷惑をかける率が上がっている。
まだ二日しか経っていないのにな。
……二日も経っていないのに、随分とめまぐるしく状況が変わったなあ。
朝の鍛錬の時とは違い、準備運動もせずに飛び出したせいか、母さんが足を気にしている。
屈伸をした時に、首を少し傾げた。
ボクが気付いた違和感を、父さんが見落とすはずがなく、即座に駆け寄って治癒術をかけていた。
「……今まで精霊術ってあんま興味なかったんだけどさ、やっぱり、使えると便利そうだよね」
「そうですね。
程度の軽い怪我なら治せますし、薬代が節約出来て、生命の危機に陥る可能性が、一気に下がります。
それに遠距離から攻撃出来る手段を持っていると、戦いにおいて有利になりますからね」
「アタシみたいに素養がないと、使えないけどね」
確かに母さんは、精霊術を使うために必要とする霊力量の値がとても低い。
父さんの百分の一にも満たない値だ。
霊力量が精霊術の威力に直結するなら、母さんとそう変わらないボクも、使えないと言うことか。
……あれ? でも母さんは広間で治癒術を使っていたよね?
「あれは『剣聖』のみが使えると言われている癒しの術ですよ。
術者の生命力を対価にして、任意の範囲内にいる者全ての状態異常を治してくれます。
同じように『剣聖』の生命力を犠牲にして傷を治す術もありますが……広範囲の治癒術ならば、『賢者』も使えますから、滅多なことでは使わせませんがね」
治癒術をかけ終わったのか、父さんが一歩離れて母さんが再び屈伸をする。
健を伸ばしたり、その場で飛び跳ねたりと調子を確認したあと、ひとつ頷く。
問題が取り除かれたみたい。
父さんにお礼を告げた。
「お礼を言うなら身体で払ってください」と真面目な顔をして両腕を拡げる父さんを、母さんは華麗に受け流す。
二人とも場所が違うだけで、本当にいつも通りだな〜。
「体力も霊力も少ないボクじゃ、使えないかな」
「ああ〜……アタシの言った“素養“っていうのは、頭の良し悪しの話だからね。
精霊術って基本的に、勉強しないと使えないのよ。
方陣だとか術式だとか、そういう小難しいことを、アタシはいい子に机に座ってなんてできないもの。
そういう意味での素養ね」
……納得していいのか微妙だけど、なるほど。
母さんはお勉強苦手だし、嫌いだもんね。
身体を動かすことは、好きだし得意なようだけど。
「興味を持って頂けたなら、腰を落ち着ける場所で過ごせるようになった時に、お教えしましょう」
そう言って父さんは、嬉しそうに顔を綻ばせて教師役を買って出てくれた。
ボクが今まで興味を持たなかったから進言をして来なかっただけで、父親と言う立場から、何か教えられることはないのか、ずっと探していたのかな。
お料理なんかも、嬉々として教えてくれたもんね。
この様子をみると、教えてってお願いするのは負担ではなく親孝行になりそう。
「お願いします」と深々と頭を下げたボクの頭を撫で回したあと、再び軽々とボクの身体を持ち上げた父さんは「眠かったら寝ても良いですからね」と言って、背中をポンポンと叩いた。
そんな、赤ん坊じゃないんだから。
思ったけれど、もしかしたら大人になったこともあるし、厳しい旅路で余裕がなくなれば今後、こんな風に甘える機会はなくなってしまうかもしれない。
なら今は、思いっきり甘えておこう。
ギュッとしがみついて、お礼を言った。




