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物心ついた時から続けている、日課がある。
朝、日の出と共に起きて、井戸で冷たい冷たい水をくむこと。
顔を洗うこと。
歯を磨くこと。
桶に水をくんだら、家のカメがいっぱいになるまで、井戸を往復する。
足腰の鍛錬になるし、父さんの手間がひとつ減る。
それが終わってコップ一杯のお水を飲む頃に、母さんが起きてくる。
「スキあり!」
「そんなものはない」
寝ぼけた状態の母さんならばと、毎日挑むが一撃も入れられないのも、悔しいけれど、ある意味日課だ。
木の棒を持って襲いかかっても、階段下の見えにくい所に濡れた雑巾を置いておいても、『剣聖』である母さんは、そのことごとく、全て対処してしまう。
「母親襲う前に、なんか一言なぁい?」
「おはようございます」
「はい、おはよう」
もう十歳になるボクの身体を、ヒョイと片手で持ち上げ、笑顔で尋ねてくる母さんは、とても怖い。
笑っているのに、怒ってる。
とっても器用だ。
ビシッとそのままの姿で敬礼をするボクに、今度はちゃんとした笑顔で答えてくれた。
今度は、とっても美人な笑顔だ。
この母さんの顔は、とっても好き。
「今日も水汲みしてくれたんだ?
ありがとうね」
「コチラこそ、いつも鍛錬に付き合ってくれて、ありがとうございます」
母さんがエラいのは、どんなことでもお礼を言うことだと思う。
自分がして貰ったことを、当たり前と思わないこと。
自分がしたことは、相手がソレを受け取る時、その価値は労力の半分以下に下がること。
それをシッカリと自覚しておくのが夫婦円満、人間関係の円滑化をはかる秘訣だと、父さんが言っていた。
やって貰うことが当然だと思うと、最初は厚意からだったとしても、そのうち相手は「やってあげたのに!」と積もり積もった不平不満から怒りだす。
いつもやってくれてたのに「何? 突然??」とやって貰っていた方は、怒りの理由に気付けない。
立場を反転させた時、やってあげたのに、と思ってケンカの種を自分でまかないために、心に刻んでおくことが大事なんだって。
お礼の言葉は、苦労が報われる。
お礼の行動は、苦労の対価になる。
だから常に感謝を忘れず、相手には真摯に向き合いましょう、と教わった。
難しい所はイマイチ分からないけど、大人になったら、わかると思う。
今日はその、大人になる日だ。
とっても楽しみ。
その前に日課だ。
母さんに連れられて村の周囲をパトロールしながら、走り込みをする。
母さんはジョギング。
ボクにとってはランニングの速度だ。
背が伸びた分足も長くなったのに、それは変わらない。
ウォーキングとランニングの差があった、今よりももっと小さい頃に比べたら、まだ成長したのだとは思う。
でも、走るので手一杯なボクは、母さんが走りながら倒していく魔物の姿は一切、目で追えない。
少しずつ増えていく母さんの荷物を持つ、手伝いすら出来ない。
体力も筋力も、まだまだ全然足りていないのだと、今日も自覚させられた。
「今朝も元気ですね」
そう言って井戸で汗を流していたボクと母さんにタオルを差し出すのは、寝坊助の父さんだ。
また夜遅くまで、本を書いていたに違いない。
お礼を言って受け取るボクをよそに、母さんはソレを拒否した。
ボクにも、父さんに返すように言う。
「今日は鱗猪が獲れたから。
どうせ解体する時に血まみれになるんだ。
タオルは解体後でいい」
「え、ボクもするの!?」
確かに引きずっていたけれど、あの大型の魔物はいつも通り村長の家に持って行くのだと思っていた。
妖兎のような小型の魔物の時は、村長に申告せず、自分たちだけで消費する。
そしてボクも、解体に参加する。
最初から家族三人で消費できる量の肉しか取れないから、多少失敗したところでなんの問題もない。
だけど、鱗猪はその身体の大きさから、さばくのが凄く大変だ。
その分取れる肉の量も多いから、ご近所さんどころか、村全体で食べないといけない。
魔石も取れるし、毛皮は上手に剥げると価値が高い。
だから村全体の財産として、一旦村長に納められる。
その後、力もコツもいるからと、大人が解体をするのだ。
ボクを含めた子供はいつも、希望者が見学をするだけなのに。
「今日は透の成人の儀でしょ?
大人になるんだから、出来るようになっておいた方がいい」
そっか。
今日の成人の儀を終えたら、ボクも大人の仲間入りだ。
そうなれば解体に参加する側になる。
その予行練習をさせてくれるというなら、甘えさせて貰おう。
大きな獲物を前に、オロオロとやれることがないか探しているうちに作業が終わってしまった、なんていったらダサいもんね。
冒険者をしていた頃から解体には慣れている。
そう言って、普段力仕事はしない父さんも、解体に参加して教えてくれた。
母さんとは違って『賢者』である父さんは、言葉で教えるのが上手だ。
「ココをズバーっと切ってボトッと落としてグリっと回してバキッとすれば良い」と母さんが説明する所、「最初はナイフを深く突き刺さないように皮と脂の間に刃を入れて切ってください。胸から腹の中ほどまで切ったら肋骨を広げて。食道と器官を引っ張って結んで。その際なるべくキツくして下さいね。肛門付近の皮を丁寧に剥いだら、直腸を傷付けないように引っ張って、ココも強く結んでください。この作業を怠ると、内臓を傷付け排せつ物が付着して過食部が減りますよ。丁寧に剝皮したら、先程結んだ肛門部分を内側から引っ張って、内臓を支えている腹膜などの筋を切ります。紡さんの言うように、ボトッと落ちますので、落とさないように注意してくださいね。…………」と母さんなら一行で済む説明が、延々と続く。
母さんは感覚派だし、手馴れているから解体を実演するのに華がある。
普段村の広場で行なわれる解体作業も、よく拍手が巻き起こる。
だけど初めて教わるなら、断然父さんの方が有難い。
注意事項も、何故注意しなければならないかも、全部言葉で教えてくれるから。
一通り作業が全部終わると、確かに血みどろになった。
普段使わない筋肉を使ったせいか、全身アチコチ痛い。
しかも生臭さが手から落ちてくれない。
父さんが台所から臭いが消えるからと、お酢を持ってきてくれた。
薄めた液体で身体をすすいだら、全身酸っぱい臭いになったけど、それは充分な水で洗い流したら取れた。
さすが『賢者』だ!
色んなことを知っているね。
「放血処理が甘かったね」なんて言って苦笑しながら父さんが作ってくれた朝ごはんは、相変わらず美味しかった。
ふかふかのパンに、沢山のハーブが混ぜられたソースのかかった鱗猪のステーキ。
畑で収穫してきた野菜たっぷりのサラダに、以前作ったソーセージが入ったポトフ。
辺境にある田舎の村で、こんな贅沢を朝からしているのなんて、ボクの家くらいじゃないだろうか。
大満足の朝ごはんを食べ、薪割りをしていたら、ゾロゾロと同じ年に生まれた皆が、教会へと歩いて行く姿が見えた。
そろそろ三の鐘が鳴る頃合だ。
今日は王都からやってきた神子様が「成人の儀」を教会で執り行う。
成人となる十歳まで生きることができたご褒美に、神様から「スキル」という力を授けられる儀式だ。
何か劇的に特別な力が与えられるとかではなく、『剣士』のスキルが与えられたら、剣術が上達しやすいとか、体力が付きやすいとか。
その程度なんだよと、父さんからは教わった。
母さんは『剣聖』のスキルを確かに授かったし、とっても強いけれど、それは母さんが努力をし続け、鍛錬を欠かさずし続けた結果だ。
スキルを神から与えられたからと、胡座をかいていたら、沢山努力をした人には敵わない。
だから、成人の儀と呼ばれているそれに参加すると、自分が適した職業を教えて貰える。
その程度に考えておけばいい。
どんな「スキル」が授けられたとしても、透は自分の歩むべき道を見失わないようにね。
成人の儀が行われる日が近付くにつれ、浮き足立つボクに、事あるごとに父さんも、母さんも言った。
「努力に優る天才なし!」
そう言って木刀を振るボクの横で、母さんは刃を潰した重剣を、ボクの倍の速さで振っていた。
確かに、あの筋肉と体力は一朝一夕でつくものじゃない。
説得力が違う。
「行ってきまーす」
「「行ってらっしゃい」」
父さんと母さんに見送られ、教会に進む行列に合流した。
同じ十歳でも、春生まれと冬生まれでは、約一年分の差が開く。
まだ一人で歩かせるのは不安だからと、両親同伴で歩く子もいる。
そのうちの一人のお父さんが、ボクの父さんと母さんの話をしだしたら、周りからも人が集まってきて、何度も繰り返し聞いた昔話をされた。
昔話といっても、父さんと母さんが冒険者をしていた、ボクが産まれるちょっと前の話だけど。
『剣聖』と『賢者』、それと『勇者』と一緒に『魔王』を倒して、世界を平和に導いた、英雄の話だ。
その『剣聖』と『賢者』の息子がようやく成人だと、朝から酔っているのか大きな声でガハハハ笑っている。
『裁縫』のスキルを持つ人の子供も『裁縫』のスキルを授かる傾向があるように、ボクもきっと凄いスキルを授かるだろうと言って、盛り上がっているのだ。
ボクのことよりも、自分の子供の話をすれば良いのに。
そのせいで、ボクはいつも皆に睨まれる。
親の注目を自分に集めたい年頃だもの。
嫉妬されるのは仕方ない。
幼い子供の気持ちは分かるけど、大人はもう少し子供心に配慮して欲しいよね。
教会の中は今日、大人は立入禁止だ。
やっと開放される。
つい、ため息を吐くと、さっき睨んできた子が「ごめんな、おれの親父が」と謝ってきた。
子供の方が、親より大人だ。
「いいよ。 こっちこそ、ごめん」
「トオルも大変だよね。
親がすごいと期待がおっきくなって」
「別に……スキルは参考程度に考えておけばいいって、父さんは言ってたよ。
自分がなりたいものと違ったとしても、気にせずに努力を続ければいいんだってさ」
「賢者様がぁ?」
「賢者なのに?」
「スキルは賢者だろうけど、今の父さんは主夫だよ」
「あ」
「たしかに……」
スキルが『賢者』なのは間違いないし、世界を救ったのも、本当かもしれない。
だけど、父さんは母さんと結婚してからは、主夫をしている。
自分が作り出した、精霊様の力を借りた術の使い方を本にまとめているけど、それは趣味だって言っていたし。
最近は家庭菜園と料理だ。
とてもじゃないが、普段の父さんは『賢者』からは程遠い。
ボクの家の大黒柱は、母さんだ。
村の周辺に出る魔物を倒して、素材や肉を売ったり、物々交換をしたりしている。
大きな街に行く村長の護衛なんかも、たまにしている。
そういう時はお土産を買ってきてくれるから、ちょっとうれしい。
そんな『剣聖』の強くて頼れる母さんだけど、昔はお針子さんに憧れていたんだって。
好きな人の服を暖炉の前で縫って、編んで、椅子に揺られながら家で待つのが夢だったんだって。
すごく具体的。
だけど成人の儀で神様から授かったスキルは『剣聖』だった。
母さんはそれでも裁縫の道に進みたかった。
なのに周りに強制されて、剣を持つことになった。
今では剣の道も悪くないとは思っているそうだけど、それでも、夢を諦めきれないと言って、たまに針を持っている。
折らないようにするのが大変だって言ってた。
父さんも母さんも、スキルに対してあまりいい感情を持っていない。
たぶん。
否定まではしていないけど。
なんか、そんな感じがする。
「ご静粛に」
わいわい、ガヤガヤ。
賑やか、というほどではないけれど、隣合って座った人たちと、皆でコソコソ話しをしているので、教会の中はザワめきで満ちていた。
それなのに、鈴の音が鳴るように凛と澄んだ声は、最後列に着席していたボクの所まで届いた。
聞き惚れてしまうような、耳心地のいい声だ。
左手に錫杖を、右手には本を持ち、女神像の前に立つのは、声からして女性だろう。
布を頭から被って口元だけ出し、教会の人専用の服を着ている。
神官様だ。
今日村を訪れているのは、神託を授かる神子だと聞いている。
女神様の代理なんだって。
だから粗相のないようにと、そろそろ神子様が村に来るぞってなった時、ボクも含めた今年成人になる子供たちは、事前に集められて注意を受けた。
それもあってか、ボクと同じように神子様の声に惚れ惚れしているのか、皆一様に口を閉ざして前を向いた。
珍しい鎧牛の解体を広間でした時ですら、こんなに静かに大人しく前を向くことなんてなかったのに。
これが神子様の力のひとつなのだろうか。
「本日皆様が健やかにここに集い、成人を迎えられますこと、心よりお慶び申し上げます。
この度の成人の儀を執り行わせて頂きます光の精霊様の神子です。
短い間ですが、どうぞ宜しくお願い致します。」
聞き慣れない、ムズムズするような言い回しのせいか、ちょっと空気がザワつく。
ボクは父さんがこんな感じの喋り方をするから慣れているけど、すごく丁寧に喋られると、なんというか。
非現実感があって、驚くよね。
神子様が話した内容は、村長たちが子供たちを叱る時によく口にする『光の精霊様』に関する、昔話だ。
世界にはいくつもの神様がいるけれど、その中でボクが住んでいるルミエール大陸は、光の精霊様からとても強い加護を授かっている。
魔物も他の大陸と比べたら少ないし、安定した温暖な気候で食べるものに苦労することもない。
日々平和に、心穏やかに過ごせる生活は、光の精霊様からの恩恵によるもの。
だから光の精霊様に祈りを捧げることを、常々忘れないようにしましょう。
そんな感じの内容だ。
「神々の恵み、愛、平和、そして交わりが、皆様と共にあらんことを」
「「「また、あなたと共にあらんことを」」」
語り終えた後に神子様が唱えた言葉は知っている。
週に一度、昼に教会からの施しだと言われる集まりの最後に、皆で両手を胸の前で交差させて、お辞儀をして言う言葉だ。
その後に集まった人たちにおやつが配られるから、欠かさずに行くので覚えた。
この場にいる全員がシッカリと言葉を返したことに満足しているのか、神子は顔のほとんどが布で隠されていて見えないけれど、チラリと見えるその口元は、弧を描いていた。
「それでは、光の精霊様から皆様に与えられる、最も誉高い恩寵である、スキルの付与を行います。
前の列から順番に、神子の前に並んで下さい」
お待ちかねのスキルが与えられる!
そうなると、さっきまでの静けさなんて、すぐに吹き飛んでしまった。
だけど、シャンッと神子様が錫杖を鳴らすと、再び静粛に、の状態になる。
あの錫杖に、なにかそういう力があるのかな。
女神像が光り輝くたびに、皆の列より一段上に立っている神子の姿が見えなくなる。
たぶん、屈んでどんなスキルが与えられたのか、コソコソ話をしているんだ。
スキルは本来、他の人に知られるべきものじゃないって言って、父さんたちが教会に掛け合って変えてもらったって聞いたことがある。
『魔王』を倒した褒賞の代わりに望んだのがそれだって聞いて、中には「馬鹿だなぁ」なんて言ってる人もいた。
父さんたちになんでか聞いたことはあるけれど、「私達のような者を増やさないためですよ」とだけ言われた。
母さんには「いつか話せる日が来たら話す」と。
いつかって言ったから、その日が本当に来るかは分からないけれど、ボクはその言葉を信じて待つことにした。
その話は、それ以降していない。
二人とも、とても辛そうな顔をしていたから。
いつの間にかボクたちの番が近付いていたようで、隣に座っていた子に肘でつつかれた。
並んで待つ時間はまだあるけれど、逆に言ったら、もう並んで待たなきゃいけない。
慌てて立ち上がり、最後尾につく。
普段は「澄ましたやつ」なんて言われるけれど、ボクだって浮き足立つ気持ちくらいある。
指針程度なんて言われても、過去にこの村からも、『聖女』のスキルを与えられた子が王都に呼ばれる大出世をしたことがあると聞いている。
『料理人』のスキルを持つおじさんの作る料理は格別に美味しいし、『剣士』のスキルを持つお兄さんが大魔熊を倒したと風の噂で聞いた。
人生が一変する人だっているのだと思うと、ちょっとドキドキする。
何度も見ているのに、今日は女神様の像が、一段と輝いて見える。
荘厳とか、神々しいとか、こういうことを言うんだと思う。
その女神像の前に立つ神子様は、ちょっと怖かった。
なにが、って聞かれると困るけど……自分の知らない世界の住民のように思えたから、かな。
未知との遭遇って感じ?
前にいた子がそうしていたように、ボクも神子様の前に跪く。
そして目を閉じるように促されたので、言われた通りに目をつむる。
そうすると、なんだか夢の中にいるような、温かくてフワフワとした心地良さを感じた。
干したお布団の上で、日向ぼっこをしているみたい。
ふと、顔の横に誰かが近付いた気配がする。
そして鈴のような声が、耳をくすぐった。
「トオル、貴方の与えられしスキルは、『整理士』です」
プロットっぽいものを書いてみたので、もと神さま、新世界で気ままに2ndライフを堪能する(https://ncode.syosetu.com/n9459jj/)のような長さにはならないと思います。
ご拝読、宜しくお願いします。