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黒い羊に粉をふる

 

 

 

 しばし黙り込んでから、主人は続けた。


「妹は、今では悲劇の令嬢として、世間に注目されている。誰より清く正しくあったのに、婚約者に裏切られ、家族に見捨てられた、憐れな令嬢だと」

「だから、連れ戻しに?剥奪した家名を挽回させ、家族の縁を戻すことで、落ちた評判を取り戻そうと?」


 それこそ、皇女の予想通りではないか。あたしはあたしの友人だと言う隣国の皇女の顔なんて、思い出せやしないけど。


「父母はそのつもりだろう。感動の再会と涙の謝罪をして、美談に仕立て上げようと」

「あんたは違うって?ご主人」

「私は」


 主人がゆるりと、まばたきをする。


「どんな顔で、どんな言葉を掛ければ良いか、わからない。妹からしてみれば、私は、妹にかけられた冤罪を疑いもせず信じて、罰される妹に手もさしのべず見捨てた兄だ。加えて、思い返せば手紙の一通はおろか、些細な会話のひとつすら、妹と交わした記憶がない」

「家族なのに?些細な会話って、まさか、おはようも、おやすみも言ったことないなんて言わないでしょう」


 主人は気まずげに顔をそらした。おはようもおやすみも、交わしたことなどなかったのだ。


「はー、裕福な家ってのは、どこもそんなもんなんですかね?おっかないや」

「おっかない」

「だって他人より他人じゃないですか。あたしなんか道っぱたの猫にだって、おはようって声かけるんだから、あんたその妹さんに、道っぱたの猫ほどの興味もなかったんでしょう」


 そんなことはと否定しかけた言葉が止まる。

 廊下の掃除が終わったあたしは、別の階に移動しようと、掃除道具を持ち上げる。


「ご婦人、あなたなら、どんな顔で、どんな言葉を掛けるだろうか」

「は?」

「その、もし、十年振りに兄弟に会ったとしたら」

「十年間、手紙の一通も交わさなかった兄弟と?」


 音信不通なわけではない。お互い、いるはずの場所はわかっていたのだから。


「会わないですね」

「は?」

「だから、会わない。会う必要を感じない。だって、お互いに全く興味なんてないんだから、会ったって仕方ないでしょう」


 言って階下へ階段を掃除しながら降る。はっとして追って来る主人に、まだなにかあるのかと眉を寄せた。


「そ、それでも会ったとしたら」

「あんたはどうなんです」


 ハタキで窓のほこりを落としながら、問いに問いで返す。


「会いに来たんでしょう。なにをするつもりで?ご両親の要望通り、連れ戻しに?」

「せめて」


 主人が言葉を詰まらせながら言う。


「名誉が、回復したこと、だけでも、伝えようと」

「へぇ、なら」


 窓から見える外を指差す。


「墓前で教えてあげたらどうです」

「は……?」

「十年前だったかは、よく覚えてないし、あんたの妹かはわからないけど」


 たしか九年前だったけど。


「王都から来て、森で狼に喰われた娘がいる」

「なん、」

「家族に捨てられたってね。辺境の修道院に来るつもりだったみたいだけど、ここにはない。落ち着くまで宿で手伝いしながら暮らせば良いって言ってやったけど、追い込まれてたんだろうね。夜に抜け出して、森に入って」


 息を吐く。あたしはおかみさんのおかげで助かったと思ったけど、おかみさんが助けてくれたって、それを助けと思わないなら、助かりはしないのだ。


「夜の森に狼が出ることも、だから外に出てはいけないことも、言い含めてあったんですけどね」


 狼に人肉の味を覚えさせたら、村人の安全だって脅かされる。追い詰められた人間に、そんな配慮を求めるのも無理があるけれど。


「骨まで喰われて、かけらも遺体は残らなかった。脱げた靴だけ見付かったから、墓にはそれが入ってます」


 それだって、随分な賭けだった。獲物を横取りしたと思われれば、狼から恨まれて狙われるかもしれなかったから。


「名前も名乗らなかったから、どこの誰とも知れなかった。名前がわかるものも、残らなかったし。無銘の墓がその子のだから、花でも供えてあげたら良いんじゃないですか」


 彼女は目の前のひとの妹ではないけれど、おそらく身の上はあたしと似たようなものだろう。冤罪で断罪されて、家を追い出されたのだ。ならば、その犯人の罪が暴かれ罰されたと聞けば、少しは浮かばれるだろう。あまりにも、遅すぎたけれど。


「……生きてると思ってたんですか?家族に捨てられた貴族のお嬢さまが、こんな辺境で」


 炊事洗濯はおろか、ひとりで着替えることすらまともに出来ない、貴族のご令嬢が?


 呆然とする主人を置いて、あたしは掃除用具を二階の廊下に置く。そろそろ、商隊が出発する時間だ。作ってあるサンドウィッチを、出して渡さないと。


「リッタちゃん」


 ちょうど、荷物を背負って降りて来た商隊長と目が合う。


「もう出る?待ってね、サンドウィッチ出来てるから」


 ほこりっぽくなった三角巾とエプロンを外して丸め、掃除用具の横に置く。商隊長と並んで、一階に降りる階段に向かったところで、背後から声が掛かった。


「ここは、そんなに厳しい土地なのだろうか」

「そうですね。冬の寒さと乾燥が厳しくて、毎年のように山火事がありますよ」


 あたしに代わって答えたのは商隊長。


「ここのレモンってすごく美味しいんですけど、本当はここみたいに寒かったらレモンって枯れるはずなんですよね。だからレモンって言っているけれど、実は別の果物なんじゃないかって」

「商隊長、話が逸れてるよ」


 言い置いて、厨房へ向かう。手を洗ってから、カゴに詰めておいた商隊用のサンドウィッチを手に取る。宿の外に出れば、すっかり準備のととのった馬車や馬が待ち構えていた。

 

 

 

つたないお話をお読み頂きありがとうございます


続きも読んで頂けると嬉しいです

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― 新着の感想 ―
[良い点] ”おかみさんが助けてくれたって、それを助けと思わないなら、助かりはしないのだ。”の一文に、胸を突かれました。 リッタが元々貴族社会を生き辛く感じる、勤勉で心優しく欲の少ない娘だったから宿屋…
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