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水よりも濃いワインを

 

 

 

 風呂用のかまどに薪をくべ、火を起こす。本当は沸くまで待った方が良いが、そんな余裕はないので放置だ。そのあいだに夕食の支度を済ませ、風呂の湯加減をみて火力を調整しておく。

 暑い季節ではないが、火のそばはやはり暑い。額の汗をぬぐいながら食堂に戻ると、ちょうど降りて来たのか、主人と目が合った。


「すんません。夕食、今出しますんで」

「あ、いや、急がなくて良い。まだ、言われた時間の前だ」

「用意は出来てますんで、よそえばすぐ出ます」


 今日の夕食は豆のスープとパンだ。スープをよそって、温めたパンを出すだけ。


「飲み物は、ワイン?エール?ホットワインも出来ますよ」

「ホットワインを」

「へい。お連れさまはどうしたんです」


 護衛も連れずに出歩くなんて不用心だ。まあ、ここは治安の良い村だけど。


「すぐ来る。ほかのものの分も、ホットワインを用意して貰えるか」

「へい」


 ワインを温めながら、すぐ来るならばと従者や護衛の分も料理を出してしまう。これだけかと文句を言われるかと思ったが、そんなことはなく、主人は黙ってスープを口にした。


「お飲み物、お待たせしました」

「ああ。……ご婦人、ひとりで宿を?」

「母がいますが、腰を痛めてましてね」

「女性だけで?それは危険では?」

「ここが女だけっつったって、」


 言葉の途中で宿の扉の開く音と、慌てた足音。


「リッタ、宿になにやらものものしい馬車が来たって、あ」

「お客さまだよ、ドミ兄さん」

「なら良かった。すんませんね旦那。この村でいちばんわけぇのがリッタでさ、村じゃみんなリッタを自分の娘みたいに可愛がってるもんで、いかつい馬車にさらわれでもしちゃ困るってね」


 ドミ兄さんが、日焼けた太い腕を伸ばして、あたしの頭をなでる。


「おれにとっても娘みたいな子なんで、死んじまったここの親父の代わりに気にかけてましてね、旦那を疑った訳じゃねぇんで、おおめに見てくだせぇ」

「構わない。ちょうど、女性二人で宿屋など、危険ではないのかと気になっていたところだ。そうか、周りのものが目を光らせているのだな」

「辺境の小せぇ村だもんで、みぃんな家族どうぜんでさぁ。リッタはよく気が付くし、手伝いも色々やってくれるから、村の爺さんも婆さんもえらく可愛がっててさ。ほんとに、親孝行な良い娘で、おかみも安心でさぁ」


 じゃあ騒がせて悪かったねと、ドミ兄さんが出て行く。


「この通りなんで、心配は要りませんよ」

「そのようだな」


 頷く主人に、ほかのお客さまの夕食を出すと断って離れる。見ず知らずの宿の女の心配など、する義理もないだろうに。


 もう一組は国を行き来する商隊で、この宿の常連だ。勝手知ったる仲なので、訊きもしないでエールを出しておく。向こうも向こうで、案内などなくともいつもの席に座って食べ始める。大人数ではあるが、楽な客だ。


「リッタちゃん、エールとスープのおかわりをおくれ。人数分」

「へい、まいど。ちょっと待っててよ」


 商隊長の投げた数枚の銀貨を受け取って、厨房のスープを温め直す。おかわりもいつものことなので、スープは多く作ってある。


「はいよ、おまちどおさま」

「ありがとう。いやー、職業上いろんな宿使ってるけど、リッタちゃんのスープがいちばん美味い!嫁に欲しい!!」


 酔った商隊員に手を握られて笑う。こんな軽口もいつものことだ。


「あんたが旅をやめて根を張る覚悟が出来たら考えるよ。旅のひと」

「そう言わずに、絶対幸せにするから、俺について来てくれないか」

「悪いけど、ここが気に入ってるんだ。おかみさんもいるしね」


 手を引き抜いて、商隊の机を離れる。


「ご婦人」

「ご主人もスープと飲み物おかわりですか?」

「おかわりでは、いや、ホットワインをもう一杯ずつ貰えるか?彼らには、スープとパンも」


 主人が彼らと指差したのは四人の護衛だ。


「へい。飲み物が1スー、スープとパンが2スーずつなんで、1フランと3スー、さっきのおつりがあるんで、1フラン貰います」


 2フラン出されておつりはいらないと言われるのも癪なので、先んじて言う。


「わかった、これで頼む」

「まいどあり。ちょっと待って下さいね」


 ワインとパンを温め、そのあいだにスープをよそって先に出す。さっき温めたので温度は大丈夫だ。


「はいどうぞ。パンはもうちょっと待って下さい」

「ありがとうございます、あの、」

「なにか?」

「スープ、すごく美味しい、です」

「そりゃどうも、ありがとうございます」


 貴族の護衛なんだから、もっと良いものを食べているだろうに。こんな辺境の宿の若くもない女に、お世辞も敬語も必要ない。

 思わぬ言葉に驚きつつも答え、ワインとパンを取りに厨房へ戻る。


「お待たせしました、どうぞ」

「ありがとう」


 主人からまで礼を貰って戸惑う。これが仕事だ。お金も払われているのだから、礼を言われることではない。貴族相手なら、なおさらだ。


「ところで、ご婦人」

「なにか?」

「先のようなことは、よくあるのだろうか」

「先のような?」

「手を握られて、言い寄られていただろう」


 それがどうかしただろうか。


「あんなもの、酔っぱらいの軽口ですよ。気にすることじゃあありません」

「酔っているにしても不躾ではないだろうか、若いご婦人に」

「そりゃ、あんたみたいな上流のとこの若いお嬢さんならそうでしょうが、こんな辺境の宿屋で不躾もなにもないでしょうよ。若いって言うほど若くもない」


 相手の意図がわからないながらも、笑い飛ばす。


「若くないことはないだろう。私よりは若いのだから」

「さて、ご主人のお歳は知りませんで、なんとも」

「妹がいる。ちょうど、あなたくらいの歳の」

「そうですか」


 何歳に思われているのかわからないけれど。


「さぞ大事にされてるんでしょうね。ああでも、もう嫁いじまってますか?大事な妹が嫁に行ったんじゃ、寂しいでしょう」

「十年前に」


 主人の目が、じとりとわたしに注がれている。


「この辺境の修道院に送られたはずだった」

「そりゃあ」


 片眉を上げ、首を傾げる。


「あんた騙されてるんじゃないですか?さっきも言ったけど、ここには修道院なんてないんだから、どこぞべつな場所と間違ってるか、嘘を教えられてるかだ。言っちゃ悪いけど妹さん、修道院に行ったなんて嘘吐いて、誰ぞと駆け落ちでもしたんじゃ、」

「妹から連絡が来たことなど、一度もない。こちらから連絡したことも」

「ならなんで、辺境の修道院に行ったってわかったんです?」


 そらとぼける。なんにも知らない田舎女の顔をして。


「ひとに頼んで送らせたからだ。戻った御者は確かに、辺境の修道院前に降ろしたと言っていた」

「そんで」


 それを信じて十年間確かめもしなかったと?客観的に聞けばそれは。


「十年放置って?そりゃあ随分薄情な話ですね。ああいや、御者への信頼が厚いのかな」


 あの御者は、家に仕えるものではなく、金で適当に雇ったものだった。そして、降ろした場所が本当に修道院かどうかなんて、確かめもせずわたしを置き去りにした。

 その御者の報告を受けて、本当に無事に修道院に送られたかどうか確かめもしなかったのは、御者の報告を信じたわけでもなんでもなく、どうでも良かったからだろう。欲しかったのは役立たずの娘をそれでも親の慈悲で殺さず修道院にやったと言う事実タテマエだけで、娘が生きようがのたれ死のうが、どうだって良かったのだ。


「どっちにしろここにはいないよ。ほかあたって下さい」


 ひらひらと手を振って、商隊の席に向かう。もう食べ終わっているから、食器を片付けないといけない。

 厨房に引っ込んで皿洗いをして戻ると、主人たちの一行もいなくなっていた。息を吐いて、食器をまとめる。


「リッタちゃん」

「!」


 突然掛けられた声に肩を震わせて振り向けば、


「商隊長、びっくりさせないでよ」

「ごめんごめん、飲み足りなくてさ。ホットワインを一杯貰えるかい?」

「商隊長がワインなんて珍しいね」


 差し出された銅貨を受け取ってエプロンのポケットに入れると、まとめた食器を手にする。


「用意するから待ってて」

「よければリッタちゃんも一緒にどう?夕食まだだろ?」


 おかみさんには食事を運んだが、自分はまだだ。


「そうするよ。ありがとう」


 思いの外おかわりが出たから、スープは余らなかった。適当に野菜とチーズを焼いて、焼いたパンにのせる。飲み物はレモネードだ。


「うっわ美味しそうなもん食べようとしてる」

「あんたはもう食べただろ。はいホットワイン。ツマミにナッツもつけたげる」

「リッタちゃん優しい!天使!」

「はいはい」


 調子の良い商隊長の横に座って、用意した夕食を口にする。チーズも野菜もレモネードも、どこで食べるものより美味しい。パンだって、おかみさんと同じ味で焼けるようになった。


「戻りたいとは思わない?」


 不意に投げられた問いに、食事の手が止まる。

 商隊長は静かな目で、あたしを見ていた。

 彼は、先代の商隊長の息子で、幼い頃から父親に付いて行商の旅をしていたと言う。ずっと、この宿の常連だった。あたしがここに来るより、もっとずっと昔から。


「戻りたいって、どこに?ここ以外に、あたしに戻る場所なんてないよ。ああそれとも、若返りたいかとか?」

「そっか。わかった」


 商隊長が笑って頷く。骨張った日焼けた手が、あたしの頭をなでた。


「おかみさんにはそれこそガキの頃から世話になってるからな。いざとなりゃ、リッタちゃんとふたりまとめて連れ去ってやるよ」

「なあに、若者の恋の応援でもするって?嫌だな商隊長まであんな酔っぱらいのたわごと真に受けて」

「そう言ってやるなよ、アイツ、どんだけ酔ったってリッタちゃん以外を口説いたことなんてないんだから」

「そうだとしても、惚れてんのは、あたしじゃなくて料理にだろ」


 こんな男勝りな案山子女、おかみさん譲りの料理の腕以外、惚れる要素はない。


「リッタちゃん、本当に料理が上手くなったもんね。でも」


 ホットワインを飲みながら、商隊長はあたしに優しい目を向ける。


「リッタちゃんは気立ての良い美人だよ。おかみさんとそっくりだ。やっぱり親子だな」

「さすが、お世辞が巧いね」

「お世辞じゃないよ、だからさ、村を出る気になったら、アイツの言葉を真面目に考えてやって」


 ちらりと視線だけで食堂の入り口をうかがいながら、商隊長がナッツを口にする。


「商隊長が有望な若手をひとり手放す覚悟が出来たら、考えるよ」

「あー、これはやられた。真面目で優秀な男なんだよアイツは。ところで、このナッツめちゃくちゃ美味しいんだけど売り出さない?」

「ドミ兄さんに譲って貰ったんだ。売るほどはないよ」


 肩をすくめて立ち上がる。お皿を洗って、明日の朝食の仕込みもしないといけない。

 商隊長がホットワインをあおり、ナッツを手に乗せ皿を空けた。


「ごちそうさま。付き合ってくれてありがとう」

「上客だからね。これからもご贔屓に」


 厨房に戻るついでに目を向けた食堂の入り口には、誰の姿もなかった。


「ちょっと出るけど、四半刻くらいで戻るから」

「こんな時間に?狼に気を付けなよ」

「ドミさんにナッツのことを訊きにねぇ」

「そんなに気に入ったの?」


 呆れた声を出せば、ひらりと手を振って商隊長は出て行った。

 

 

 

つたないお話をお読み頂きありがとうございます


続きも読んで頂けると嬉しいです

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