31〜ディビットside6〜
夏休み直前。自身がこの数年間続けていた行動に虚しさを感じて、これからどう行動すべきかわからなくなった。家に帰ってからも、力なくソファーに座り、足の下にある絨毯を見続けている。
おれは奢っていた。ロッティの中で、特別で、大切な思い出の”デビ”本人なのだから、と。奢っていたんだ。だが、ロッティの中の”デビ”はおれではない。あの最低最悪な婚約者デビッド・ナヴァルだ。あいつがおれで、おれがあいつ…。それが事実になっている。真実は違っても。ロッティにとっては、それが事実で真実になっている。思い出の中の”デビ”が不貞を働いたことになってる。つまりは”おれ”。おれが不貞を働いている。………そうか、おれが働いてるのか。おれは……おれは、なんて最低最悪なやつなんだ…。
「あなたはなにを言っているのですか?」
乾いた笑いが口から出そうになっている時、聞こえた声にゆっくり顔をあげると、シャルが扉に立っていた。夕食の準備ができたから呼びにきたらしい。またもや考えていることが声に出ていたらしいが、もうそれを気にする余裕すらない。
はぁ…と、わかりやすくため息をすると、シャルはいつもの抑揚の少ない声で静かに口を開いた。
「落ち込むのは勝手ですが、思考が変な方向にいってます。あなたが落ち込んでいる理由は、目の前に出て行ったにも関わらず、気づいてもらえなかったからでしょう?」
言われて気づく。
確かにそうだ。奢ってると落ち込んだ理由は、目の前にいるのにわかってもらえなかったからだ。会えば気がつくと、きっと気づいてくれると、そう思っていた。髪色が変わっても、身体が変わっても。おれが ”デビ” だと。
…だから、ここ数年、隠れていたことも虚しくなったのか……意味がなかったのだから…。
また、ため息が出る。
そんな私に、シャルは夕食に行くよう促す。お腹が空いているから余計なことまで考えるのだ、と言いながら。いつまでも子ども扱いをする述者に、腹立たしさも覚えたが、このまま動かないわけにもいかず、致し方なく、部屋を出るために腰を上げた。
⭐︎
なんだ、あの男は。貴族のくせに腹芸もできない。いつか利用される未来が簡単に想像できる。自分じゃ何もできないくせに父親を含めた周りを疎ましく感じているのか? 自分に自信がないのを隠すかのように当たり散らして。ああいう奴は自分に都合がいい甘言だけは聞き入れるんだ。あぁ、だから変な女にも引っかかるんだな。本当にありえない。なんであんな男が婚約者なんだ? 愛しい人の一番そばにいる権利を手にしながら、それに胡座をかいていて腹立たしい。
「………デビ、心の声が漏れてるよ…」
ここは、ナヴァル伯爵領地にある宿屋。
夏休みに入って数日後。常にロッティの隠れ小鴨状態だった私が、王都の家にこもりがちに過ごしているという事実に、友人達は心配になったらしく、ある日ジェームスが訪れ、王都に近い領の開発のために父と行くから着いてこないか、と誘われたのだ。
『ホワイティ侯爵家が開発したものをゆっくり見ることもできるし、良い気分転換になるんじゃないか?』と言われたが、ナヴァル伯爵領地に行くとは思わなかった。
「…ロッティからも、物理的な距離をとれば冷静になれるかもしれないと思って来たのに…」
「実際、物理的距離は離れたじゃないか」
顔を上げれば、ロッティに似ている顔。似ているはずなのに、どこか策士的なことが伺えるのは昔から変わらない。
確かに物理的距離は離れたが、忘れようとしている事実にいやでも直面してしまう。
探さなくても見える婚約者のアラも気になって仕方ない。
あいつはきっと、仕事上の笑顔も媚びてると感じているんだろう。わかりやすく父親に嫌悪感を抱いていた。何も分かってないんだ。自分が恵まれていることも、自分が守られていることも。
「…髪と目の色以外、どこがおれに似てるんだ…」
つい頭に浮かんだ疑問を口から出してしまう。するとジェームスが、少し思案顔で言った。
「…危なっかしさは、似てるかもしれないな」
意味がわからず、何も言わずにいると、先を促されたと思ったのか、再びジェームスが口を開いた。
「…あの時の君は、どこか危うかったよ。必死ではあるけど、いつでもここではない場所へ行ってしまえるような…。というより、今の場所に執着がない…ような?」
執着? …確かになかった。 ないようにしていた。自分の環境にも、家族にも、どこか諦めていたんだ。期待しないように。いつでも手放せるように。手放された時に、『そんなもの最初から要らなかった』と、そう言えるように。
「…婚約者も、何か諦めてるってことか…?」
「………人は生き続ける限り、何かは諦めるだろ? それが選ぶってことなんだから。 大事なのは何を選ぶかだ」
ジェームスの予想以上に腹落ちしている言い方に目を見張ると「…父親からの受け売りだけどね」と笑った。
私を気遣ったような笑顔に、釣られて笑う。
無自覚の自分の狭量さも見透かされたようで、それもなんだかおかしく、しばらく笑い合っていた。
……すごいな。
素直に驚く。目の前には、あっという間に仕事をこなしていく職人達。皆、声を掛け合い、お互いを補い合っている。自らの力も生かしている感じがして、ひとりひとりのポテンシャルも高い。現場を監督している侯爵家の力が伺える現場だ。
そんな私と同じように驚いた顔をしているデビッド・ナヴァル。婚約者の家の仕事なのに知らなかったのか?
「…素晴らしいですね。圧巻だ。いつもこのように進めていくのですか?」
そのデビッド・ナヴァルの父親である伯爵に声をかけられた。
「…そのようですよ」
実際、おれも現場は初めてだ。だが、職人達と話している時に、同じ疑問をジェームスに投げたところ肯定された。
ひとりひとりの役割をギルフォード侯爵とジェームス自ら声をかけて確認している。士気が上がるはずだ。
デビッド・ナヴァルも何かを感じ取ったのだろう。目の力が見るからに変わっていった。
きっと侯爵家は、これからもなにかを開発し、それを広め、この世界を変えていくのだろう。私の世界を変えたように…。
…そんな未来で、私は君の隣にいたい。きっと、きらきらと輝いている、君の隣で。そんな横顔を見ていたいと、切に願ってしまう。もうどんな形でも構わない。そばにいられれば。支えられるならば。君の笑顔を守れる権利が欲しい…。
そう思った矢先、婚約解消することを知った。
その場で、私と婚約を交わすことを許してほしいとギルフォード侯爵に伝える。順番も何もない。自分が焦っているのはわかっているが、逃す手はなかった。
自己紹介はしていたが、あの夏の"デビ"なことは伝えていなかったから、それを言おうとするとー。
「君が、べルーファス領で会ったデビなことは知っている」
と、ギルフォード侯爵が言った。
なぜ?いつ?
婚約者が私でないことも知っていたということか?
色んな思いが出てきすぎて、何も言えずにいると『あの子の意思に任せる』とだけ言われた。
威厳とも威圧とも取れる空気に、口を閉じる。
それは隣にいるジェームスも同様で、その後、使用人が呼びに来るまで、ギルフォード侯爵が私達を見ることはなかった。
伯爵邸ではなく宿屋に泊まったのは、その街の雰囲気を知るためです。つまり、リサーチ。
その話を入れようかと思いましたが、流れて的に入れない方がいいかなぁと思って入れませんでした。




