29〜ディビットside4〜
いくつかの引き止める声を、張り付けた笑顔でかわし、渡り廊下を進んでいけば、会場の賑やかな喧騒は段々と遠ざかる。
なんとわなしに、目線を横にずらせば、月の光に照らされている季節の花々が風に揺れていた。
どうやら私は王族と共に過ごす時間が長いと昔のことをよく思い出すらしい。
本当に王城は変わらない。子どもの頃に同じ場所で見た、今と、何も変わらない景色。
当時、感じた気持ちは、幼さゆえに処理できず蓋をした。
あの時の感情は空腹からくる孤独感だろうか。辛すぎる記憶は防衛本能で思い出し辛くなるらしいが、その通りだな。
そんなことを考えながら、庭先の王族専用区間へ進んだ。
一番端の、ここ数年ですっかり見慣れたドア。そのドアを開けて部屋に入る。
王族にしてはシンプルで、必要最低限しか置いていない空間へ入り、背中でドアが閉まる音を確認してから首元を緩める。
軽く息が漏れ、肩と背中の力も抜けた。気が抜けるのは自室だけだ、昔から。
用意されていた水差しで、乾いていた喉を潤し、ソファーに座る。腰が包まれ、体が望むままに、背もたれに頭を預ければ、自然と目線が上を向く。
その目をそっと閉じて身体の疲れを感じれば、ソファーに沈んでいくような感覚。
きっと早すぎる退室に、後で何か言われるだろう。 だが知ったことか。デビュタントだから仕方なく出たが、いつもならどんな誘いでも研究を理由に断っているんだ。
こんな気分の時には何もかもに嫌気がさす。
何も知らない、知ろうともしない兄姉にも。功績を上げたら態度を一変させた貴族にも。その元凶にも。そして、そんな国に生かされている自分にすら。
希望はボランチーノ王国にはない。早く、こんな国から出ていきたい。だが、まだ足りない。もっと、追うこともできないくらいに、もっと、何かをーーー。
嫌悪の渦と思考の波に飲まれているとノックが聞こえた。
意識を浮上させ、それに応えると、ひとりの青年がカートを押しながら入ってくる。
部屋の中では灰色に見える髪色は、陽の光に当たると銀色になり、その前髪の下の瞳は綺麗な海を思わせる碧眼だ。
廊下を歩けば、女性から色めいた視線を向けられ、声をかけられていることも知っている。
そんな顔が、少し顰められ、小さなため息をついた後、口を開いた。
「…ろくに食べていないのでしょう?何か口に入れてください」
その男の名前はシャル・セバスチャン。側近兼護衛を担っている彼は、スタンリーの孫だ。
本当なら『だらしない』と嗜めたいのだろうが、今日だけは見逃してくれるらしいシャルに、思わず笑いがもれる。
「…ありがとう、シャル」
頭を背もたれから上げて、側近にお礼を言うと、美味しそうな匂いに、朝からろくに食べていなかったことを思い出した。
⭐︎
2日後、姉が倒れていることを知った。原因はパーティーの飲み物。私が会場を出て行った後、声をかけられた青年が持ってきたグラスに口をつけたら違和感があったらしい。
すぐに飲むのをやめて、王族専用の休憩所へ入ったはいいが、直後、気を失った。せめてパーティーの邪魔にならないようにと休憩所まで頑張ったのだろう。
「貴様がしっかりエスコートしていればよかったのだ」
姉を見舞いに行ってくれと、母に言われたから来たが、私の顔を見るなり王は、私の責任だ、と言い放った。
後ろのシャルが雰囲気でイラついたのがわかる。シャルは、この城で唯一、王ではなく私に忠誠を誓っているのだ。
そもそも間者が入ってたのだとしたら、警備の不手際。それに、私がいても『お前がいたのに』『お前が代わりに飲めば』とか言われるのは目に見えている。最悪、犯人にさせられるかもしれない。
そう考えれば、早々に会場から出て正解だったな、と王から視線を外す。
「あぁ…ランチェッタ…僕が…僕がそばにいれば…」
青白い顔で目は閉じられている姉。その姉の手を握り、ハラハラと泣いているのは婚約者か。知らせを聞いてすぐに帰ってきたのだろう。
部屋には他にも、医者、数人の侍女、メイド。そして、王と母。
きっと、これが本来の姿なのだ。
昔、自室でひとり、熱が下がるのを待つしかなかった記憶が蘇る。頭がぼーっとして、喉が渇いて、でも水差しすら用意されてなくて。
夜中、フラフラする身体で歩いた。台所までの廊下が、いつもの倍以上遠かった、あの日。
また思い出していた自分にため息が出る。
感傷なんて、柄でもない、そんな、簡単で、単純で、容易いものではないんだ。
ふと気づけば、全員の視線が姉に注がれている中、母親だけは縋るように、私を見ていた。
(…あぁ、なるほど。そういうことか)
なぜ見舞えと言ったのかを理解する。がっかりするほどのことでもない。むしろ当たり前と言えよう。
そう考えたと同時に、チャンスなことにも気がつく。これ以上ない理由とタイミングだ。神はいると初めて思った。
「…母上。陛下と姉の婚約者以外に退室を」
わざと、部屋の人間全てに聞こえるよう声を出した。きっと今、私は極上の笑顔だろう。
幼少の頃から表に出て来なかった第二王子。 そんな王族と認められないような人間が命令はできない。そう思って、母にお願いをした。
「貴様、なにを言っている」
口を開いた王には目もくれず、母を見続ける。
数秒後、母は王を宥め、皆に退室を促した。最後まで渋っていた医者がドアの外に出たのを確認してから、顔を正面に向ける。
「……これから、姉を治します」
「……治す?貴様が?」
「はい。その代わり、私の願いをひとつ、叶えていただけますか?」
少しの沈黙。
怒りとも困惑とも取れる顔をしている王、希望を見出したように見ている母、困惑顔の婚約者。
「…好きにしろ。治せるならなんでも聞いてやる」
できるはずがないと言わんばかりだ。だが、言質は取った。
自然と口の端が上がっていくのがわかる。
「…では、ここから先に起こったことは他言無用に願います」
そう言って、シャルから手袋とハンカチを受け取り、手袋は自身につけ、ハンカチは姉の手にかけた。
そして、願いながらハンカチ越しの手に口をつける。
"ソフラの軌跡"を、人前では発動させていなかったが、密かに研究の合間に試してはいたのだ。
発動条件は『願いと共にその対象に口付けすること』。
薄い布ぐらいなら発動に問題はないが、分厚い本くらいになると難しい。
そして、なぜスタンリーと母には"ソフラの奇跡"を使ったのがわかったのか。それは発動から数秒後まで目の色が変わるから。
きっと私は今、目も髪色と同じ、金色になっているはずだ。
瞠目する王の顔が見える。顰めた顔以外をみるのは、この時が初めてだった。
⭐︎
数日後、姉の体調も良くなり、日中は起きていられるほど回復したとシャルから聞く。その日から、今か今かと運命の時を待つ。
「…そう、うまくいきますか?」
「いくさ。あの人はそういう人だ」
半信半疑のシャルに、安心して準備をしておけ、と機嫌よく伝える。
その翌日、待ちに待った連絡が来た。
「陛下がお呼びです」
片手は胸に、浅く腰を折っている王の側近。そんな、王よりも年上であろう男性に、すぐ向かうことを伝える。
側近が出て行ってから、シャルに許可を取ったらすぐに実行に移すと言い残し、部屋から出ようとした。
そこで、ふと思い出し、振り返る。
「…そういえば、ついてくるか?」
「…今更、それを聞きますか?」
「確認してなかったことを、今、思い出した」
「…行きますよ。あなたの行く所なら、どこへでも」
「…そうか。ありがとう。じゃあ、行ってくる」
行ってらっしゃいませ。そんなシャルの声を、ドアが閉まる向こうで聞いてから、深呼吸をひとつして、廊下を進んだ。
「……なぜ隠していた」
「……なんの話ですか?」
ふたりの空間で、笑顔で答える私に、眉の間のシワが深くなる王。
「…決まっているだろう、"ソフラの奇跡"のことだ」
静かに、だが確実に怒りを感じていそうな顔だ。
(勝手なものだな、自分が切ったというのに)
貼り付けた笑顔の向こうで、つい冷ややかな目になってしまう。
「…いつからだ?」
「…何がでしょう」
「…いつから、使えた」
拳を握り締めているのが見える。よほど腹に据えかねているようで、また喉の奥から笑いが込み上げてきた。
「……さぁ? 隣国から帰ってきたあたり?でしょうか」
「………そんな、前から…」
怒り以外の感情が見えるのは珍しい。これは戸惑い?驚きだろうか?
「なぜ…言わなかった…」
本当にこの人は、自分が興味あること以外は目に入らないらしい。なぜ母が回復したのか。そんなことにも疑問を持たないのは、もはや賞賛に値する。
そんな彼の世界では、最初から、私への興味は削がれているのだ。
「……言ったら、何か変わりましたか?」
「………」
しばしの沈黙。相変わらず何を考えてるのかわからない顔だ。きっと、私の顔も、今、同じ様な雰囲気を纏っていることだろう。
入室してから変わらない笑顔の私と、じっと目を合わせて、逸らさない王。
「…まぁいい。お前も"ソフラの光"だ。この国の役に立て」
今更、"ソフラの光"だと認められたとて。何も嬉しくない。
一瞬、笑顔が崩れそうになった。
「…もちろんです」
にっこりと、笑顔で答える。この国のために動く。それは嘘じゃない。
「そうそう、そういえば、私の願いをひとつ叶えていただける約束ですよね?」
確認するようにそう口にすると、王は、思い出したように目を細め、顎を上げる。
「…何が望みだ」
だから、今までで、一番最上級の笑顔で答える。
「私を、国外追放してください」
…瞠目する顔を見るのは2度目だな。この人の目はシーグリーンの色に近いのか…。
「まぁ、表向きは留学とでもすればいいでしょう。水が合って帰ってこないなんて、よくある話ですし」
「……できるわけないだろう…」
先程よりも低い声。腹の底からでも声を出しているのだろうか。
「おや、『治せるならなんでも聞いてやる』と言っていたのは嘘ですか?」
「…それ以外にしろ」
「無理です」
私は、それ以外に望みはないのだから。
「…お互い、悪くない話だと思いますけどね?」
「…なんだと?」
口の端は上げたまま、薄目で王を見る
「……今まで散々放置してたと周知されている第二王子が、"ソフラの光"の力を一番強くひいていたと知れたら……まずいのは、あなたの方ではないですか? もっと早く、"ソフラの奇跡"を発見できたかもしれない。 それを賢王と名高いあなたが阻害してきたと分かれば…」
先程よりも見開かれる目。
あぁ、喉の奥から笑いが出るのを我慢するのが大変だ…。
「ディビット…」
唸る様に名前が呼ばれる。2度目に呼ばれた私の名前。今回は震えることはない。
「この国の役には立ちますよ? 最近、私が研究開発しているのは、当初、隣国で得た知識です。 私のものは平民相手がほとんどですが、近年の隣国のものは貴族相手のものも多そうだ…。この国は、さらに発展することでしょう」
瞠目していた目は、喋り終わる頃にはすっかり細められていた。
この王は怯えている、常に。自分の威厳がなくなれば、きっと全ての人間がいなくなるだろうと。だから、髪色が違う第二王子のことも受け入れられなかったのだ。
完璧ではなくなるから。
本当は、人はそんなものについてくるわけではないというのに。
でも、頑なに信じている。だからこそ、何を犠牲にしても、完璧であり続けようとするだろう。
「……間違えないでください、これは取引ですよ。私がこの国を出れば、その心配も無くなるでしょう?」
元々ない王位継承権。だが、この言葉は、それ以上の意味をなす。実質の王族放棄だ。だが、そう言った私の顔は、生まれてから一番王族のような顔をしていたことだろう。腹黒く、人を従わせることのできる、オーラを纏って。
ディビットが、姉の婚約者を残したのはわざとです。
形は、人払いをして、他言無用と言いましたが。
人の口に戸は建てられませんから。
婚約者を家族と認めていた、とも取れるところがミソ。




