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「おいっ!」
夏休みも終わった、新学期の学園。
久しぶりに、というか初めて、学園内で元婚約者に声をかけられた。 後ろから肩を勢いよく引かれる形で。
顔を見たら、気持ちがまた戻るかもしれない…。そんな不安がなかったわけではないが、思ったよりは平気そうだ。きっと兄に甘えて、思いっきり泣けたからだろう。それでも、身体は強張ってしまった…。
(大丈夫。大丈夫よ。落ち着いて…。)
それにしても…今や私は大口の取引先相手なのに、その私に向かって乱暴すぎやしないだろうか? 転んでてもおかしくないですよ? 壁ドン同様、これも傷害罪にならないのかな…? 結構な強さでやられれば首も痛めるかもしれない。…あ、でも適用されるのは前世でだけだから、この世界では意味がないのか…。
そんな取り留めもないことを考えながら、あくまで冷静な態度を保つ。
「…なにか?」
私の雰囲気に気押されたのか「…ぁ」という言葉を呟き肩の手が緩む。 そういえば、久しぶりにこんな真っ直ぐ目が合うなぁ。 それが婚約解消の話が出てからだなんて皮肉。
「……こ、婚約を解消すると聞いた…」
「…えぇ、父がそのように進めているはずですわ」
婚約解消の書類は父によって進められた。 すでに受理されているはずだ。 それ以前から関係は破綻している感は否めないが。
冷静に対応する私を見て元婚約者は、みるみるうちに不機嫌になっていった。
(…な、なに? なにをそんなに怒っているの?)
「ー!ー! …お前、はっ!俺がー!!」
ぎりぎりと、先程より強く掴まれる肩が痛い。 痛みに顔が歪んだ。その時ー。
バシンっ!
元婚約者の手が宙に浮くと同時に肩が楽になる。
「…淑女の肩を乱暴に掴むなんて。紳士じゃないな」
耳に聞こえてきた声と共に感じるぬくもり。
元婚約者の手を弾き、もう片方の手で私を抱き寄せているのは、金髪翠眼イケメンのディビット様。私の目の前には男性の胸、ふわっと鼻腔をくすぐるムスクの香り。
(…抱きしめられてる…?)
と、数秒の思考停止後、急激に顔が熱くなっていくのがわかった。 顔を真っ赤にした私の横で「おっお前はだれだ!?」と元婚約者が喚いている。
「礼儀をわきまえない人間には名乗りたくないが、同じような無礼者にはなりたくないから答えよう。 はじめまして。ディビット・ソフラだ」
笑顔で名乗るディビット様。私は肩を抱かれたまま数年振りに沸騰令嬢と化している。
「お前にはっ関係ないだろ!?」
「残念ながらあるんだ。彼女には婚約を申し込んでいるから」
「…は?」
ディビット様の言葉を聞いて、顔の表情が抜ける元婚約者。数秒ポカーンとした後、どんどん怒りに身を震わせていく。
「…ふ…ふざけるなっ!こいつはっ!こいつはっ!!オレの女だ!!」
「…『ふざけるな』? それはこちらはセリフだ。彼女はものじゃない」
「こいつは…!だって!こ、こいつは…!!」
うまく感情を言葉にできていなさそうな元婚約者。そんな様子を見ているうちに冷静になっていく頭。
(あれぇ…? デビ…?)
自分の頭で考えたことに、自分でも信じられない気持ちを持ちながらも、確信めいていく思い。
(デビって…デビって…もしかして……)
「間違えるな。寄り添いもせず、目移りし、先に手を離したのはお前だ」
そんな怒気をはらんだ言葉に我にかえる。 元婚約者は、言われた言葉に思い当たることがあったのだろう。 悔しそうにしながらも、何も言えなくなっていた。
(それは……そう、よねぇ…)
最近の元婚約者は、誰がどう見ても『婚約者を蔑ろにしている』行動そのものだったのだから。
「彼女なら何をしてもいいと思っていたのか? 何をしても、離れていかないと? とんだ勘違いだな」
ディビット様は私の肩を抱いたまま踵を返す。数歩歩いたところで「あ、そうそう」と思い出したように振り返った。
「…ナヴァル伯爵子息、君にはお礼を言わなければと思っていたんだ」
意味を理解できない顔の元婚約者に、良い笑顔で
「…ありがとう。おかげでもう一度、彼女にプロポーズができる」と言った。
ポカンとした顔から真っ赤に変化した元婚約者を横目にその場を離れる。
(プロポーズ?もう一度?……っていうか肩が抱かれたままなのですが!?)
体制は変わらないまま、廊下をしばらく歩き、小さな中庭に出る。 ベンチの前についたところで肩から手を離された。 ぬくもりがなくなって少しの寂しさを覚えた自分に気付き、恥ずかしくなった。
「…座って話す時間をもらっても?」
伺うように顔を覗かれる。もちろんです、と答えた後、促されて座り、ディビット様も隣に腰を落とした。こういうのを面映いというのだろうか…。 熱の引かない顔を見られないよう下を向いた。
(いけない、このままでは誤解されてしまうかもしれない…)
そう思った直後。
「…怒っていますか?」
「い、いえ!そんなことはありません!」
思っていたことをそのまま言葉に出されて、急いで目を合わせ、首を振りながら否定する。
「よかった」
ふわっと。そう、効果音をつけるならふわって感じの笑顔がそこにあった。
あ〜…この笑顔ひとつでご飯3杯はいける…。
さっきまで元婚約者に肩を掴まれて痛い思いをしてたのに…。 なんだろう、このギャップ。
高低差ありすぎて耳キーンなるわ、って言ってたの誰だっけ?
「先程は失礼しました」
思考の渦に飛び込みそうになった直前、声をかけられてハッとする。
しまった。なんだか異次元すぎて現実を直視できなくなってるのかもしれない。
そんなことを私が考えている間も、ディビット様の話は続く。
「緊急性があったとはいえ、抱きしめてしまい…申し訳ありません」
謝罪をするディビット様。反省して落ち込んでいるのか、頭を下げている。そのせいだろうか、ディビット様のつむじが見える。
……なにこれ、可愛い。つつきたい…。はっ!違う違う!頭を下げられてる状態を、そのままにしてることにも気づき、急いで声を出す。
「とんでもないですっ こちらこそ、ありがとうございました。ディビット様が来てくれなければ大変なことになっていたかもしれません…」
改めて考えるとゾッとする。 元婚約者はなぜかわからないか怒っていた。 そんな状態の時は自分を制御できない場合が多い。またも思い出すのは前世の父。 元婚約者をきっかけに前世を思い出すのは最後にしたいものだ。
「…それに、フォローもしていただき、ありがとうございます」
「…フォロー?」
「…ぇっと……プロポーズを、したと…」
私の立場を考えての嘘であろう言葉なのに、言いながら、また顔が赤くなってきてしまう。
(こんな見目麗しい人に、嘘でもプロポーズなんて…照れて当たり前よ!)
赤くなってるであろう顔を少しでも隠せるよう、手を頬に当てる。
「あぁ、あれはフォローのつもりはないよ。本当のことだから」
「…え?」
「婚約解消の話を耳にしてね。 今度こそ先を越されないように、急いで手紙を送ったんだ…順番が違ったことは謝らせて? …ごめんね」
申し訳なさそうに、顔を覗かれる。 いつの間にか無くなっている丁寧語もなぜか嬉しい。
(…顔を覗くの…癖なのかしら…)
私の顔はきっとまだ、赤い。
「…改めて、言わせてくれる?」
ディビット様は、ベンチから立って私の前に来ると、膝を折って腰を落とす。右手は胸の前、左手は私の右手を持ち上げ、まっすぐ、私を見据える。その視線は真剣そのものだ。
「スカーレット・ホワイティ嬢。貴女を考えない日はありませんでした。愛に囚われた私の心を解放できる唯一はあなた。愛しています。どうか、私ディビット・ソフラ・ボランチーノと共に歩む未来を考えてはいただけませんか」
風に撫でられるように動く金髪。キラキラと光る森のような翠眼。その瞳は私以外を映していない。
正式な愛の告白の言葉に一瞬、息をするのを忘れるくらいな強烈さがあった。
「…はい」
………だから、無意識にでもそう答えちゃったのは、致し方ないよね?




