罪と植物
ここはグレッグ・ディオラが燃やした『グイルアルバシタ』から少し離れた王都『ノースアルバシタ』。国王『アルベロ・マルクトロイ』はグイルアルバシタの惨状を騎士からの報告で知る事になった。
「確実に『教団』の仕業だろう。奴らの行動は見逃せん。直ちに体勢を整えよ」
アルベロ・マルクトロイの掛声で大勢の騎士達が忙しなく動き始める。アルベロ・マルクトロイは苦悶の表情を浮かべて、下唇を噛む。
一方、グイルアルバシタ。亞巧徹を殺したグレッグ・ディオラはグイルアルバシタを去り、ノースアルバシタへと足を進めようとしていた。
「おい、何処へ行くつもりだ」
後ろから声を掛けられ立ち止まり、後ろをゆっくり振り向く。そこには全く服も髪も燃えていない亞巧徹が立っていた。
「っ!?…はぁ、しぶとい人間だ。徹君」
「言っただろ。オメェは俺が殺すって」
「そのままくたばっておけばいいものを…というか、なんで君生きてるんだ。あの爆発の中、生き残る手段は無かったはずだ」
「お前は植物を舐めすぎだな。世の中には耐火植物、パイロファイトってもんだあんだよ。パイロファイト、セコイアデンドロン。その幹を俺の魔法で組み換え、円状のバリアを作った。それだけだ」
『セコイアデンドロン』ヒノキ科セコイアデンドロン属に属する巨大な常緑針葉樹のパイロファイトの一種。主に米国カルフォルニア州の標高900メートルから2600メートルに分布している。
本来であれば、寒冷地でしか育たない植物であるが、亞巧の魔法によって数十秒の間だけ維持させる事でバリアの形成を成功させていた。その真実にグレッグ・ディオラは人差し指を顬に押し付け、右脚をタンタンと音を鳴らして怒りの表現をしているかのような仕草をし出す。
「徹君…私はね、ずっと君にイライラしていたんだ。当初はバカな人間だと、利用しやすい人間だと思っていたが、君はあまりにも頭が良い。私の苦労して育てた畑も君がいつしか管理するようになり、私が苦労して築き上げたバカな村民共との仲良しごっこも君は簡単にやり遂げた。私の今までの苦労が君には分からないだろうな…そうだろうな…っ!私は魔王様の為に苦労して手に入れた物を全て!全て簡単に手に入れやがった!君は利用出来る存在だと思っていたが、逆に邪魔になりやがった!私の邪魔をする者は誰であろうと許さん!」
嘗ての紳士のような彼の言葉は無くなり、亞巧に向け、魔法と怒りをぶつけるが、それは悲しくも亞巧の作り出したセコイアデンドロンの盾によって弾かれ、魔法をいなしながらグレッグに一歩一歩、歩を進めてくる。グレッグとの距離が1メートルも無くなると、亞巧は彼の腹部目掛けて蹴りを入れ込む。痛みに耐え切れず、唾液をだらしなく垂らして腹を抱えて蹲る。
「どうだ、痛ぇか?この村と俺の味わった痛みや苦しみはこんなモンじゃねぇが……っな!」
蹲って倒れているグレッグの脇腹を蹴り飛ばし、ミシミシと音を立てて2メートル程飛んでいく。傍に置かれていた荷台にグレッグの身体は落ち、砂埃を立てて荷台は崩れていく。
刹那、亞巧の右足裏から煙が立ち込み、靴が燃え始める。亞巧は慌てて靴を脱ぎ捨て、直ぐ様グレッグに向けて体勢を立て直す。
「やってくれる、じゃないか徹君…!私が、育てたまである…っ!」
砂埃の中から赤い光が薄ら見え始め、中から炎の魔法陣を体に纏ったグレッグの姿が現れる。亞巧に蹴り飛ばされる直前、魔法【フランマ】を使用し、その炎を制御し炎の魔法陣を作り出していた。その魔法陣は一時的に炎の威力を底上げする事が出来、魔導書無しでも魔法を使用する事ができるようになる。
「炎の魔法陣…テメェの言ってた特技の1つって奴か。実際見るのは初めてだが、厄介な魔法だなコイツは」
「はぁ…。肋骨が1本折れた気がするよ。だが、私の魔法がこれだけだと思わない方が良い」
ボロボロな体を無理矢理動かし、炎の魔法陣から自分の身体より3倍程巨大な炎の塊を作り出して、それを亞巧目掛けて投げ飛ばして来る。亞巧に近づいた所で炎の塊は爆発し、その勢いは村内に留まらず、半径500メートル範囲の草木を燃やし尽くす。
しかし、炎の中から樹木で作られた球体が現れる。その球体はゆっくりと解き始め、中から髪の毛や服が所々焼け焦げた亞巧徹が現れる。亞巧は先程の炎の魔法をミリ単位の速さで魔法を立ち上げ、全身全霊で受け止めていた為か肩で息をしている。
「この魔法は【ヘルフランマ】。クリフォラ様から与えられた私の第2の魔法でね、普通人間は魔法を1つしか持つ事が出来ない。が、クリフォラ様を信仰すればこんなにも素晴らしい力が手に入るのだよ。どうだい?闘いを辞めて私と共にクリフォラ様を信仰しないかい?そうすれば、私も君を殺さなくて済むし、君も私を殺さなくて済む。正にウィンウィンではないか」
そんなグレッグの宗教勧誘のような口車を無視しているのか、気絶しているのか、顔を俯かせたまま動かない。そんな彼に対してグレッグは溜息を吐きながら【フランマ】を、恐らく最後の一撃を打ち込む。炎の玉は勢いを知らないまま彼に向かって飛んで行く。
刹那、彼の脳内にはグレッグとの思い出、グレッグと過ごした日々が走馬燈のように流れてくる。亞巧は眩い日差しと共に目を覚まし、1階へと降りると朝食の匂いが立ち込めてくる。厨房を覗くと、グレッグが厨房で朝食の準備を終えて、紙と万年筆を持って本日の問を始める。必死に答える亞巧を見て笑いながら話してくる彼は今や見る影も無い。農園で作業をしながら、時々亞巧が摘み食いをしていると彼は怒るが、その後笑って許してくれていた彼の揶揄う姿は最早忘れてしまったのか、亞巧の脳内には上手く再生されなかった。夕飯を食べながら笑い話や互いの知識を共有している時間は同じ趣味の友人と話しているかのような時間だったが、その友人は友人ではなかった。嘘のような5年の歳月があっという間に過ぎ、その人物は今、対峙している。
そんな日々が秒で過ぎ去り、亞巧は顔を上げると近づいてくる炎の玉。ゆっくりと片手を地面に押し当てて魔導書に従って魔法を唱える。淡い光の魔法陣が形成された瞬間、巨木が立ち上がり始めるが、炎の玉は成育途中の巨木に当たり爆発を起こす。
「はぁ…まだ耐えるだけの力は残っていたのか」
【フランマ】が当たりメラメラと燃え滾る木で彼の姿は見えず、またしても彼が姿を現すのを今度は逃さぬよう、グレッグはその木が燃え尽きるのを待っていた。しかし、しばらくの間、熱地に居たせいかグレッグの目は乱視のように乱れていく。
「なんだ…なんだなんだなんだっ!目が!目が痛いぃ!」
「意外に人間の体ってもんは丈夫だな。毒ガスが回るまでラグがあるのか」
燃え滾る木の後方からガスマスクを身に付けた亞巧徹が歩き出てくる。悶え苦しむグレッグを目の当たりにすると、亞巧は魔法を解除し、その木はゆっくりと魔法陣の中へと消えて行く。
「この木はマンチニール。幹や葉、全身に毒素を含んでいて、この木で雨宿り使用ものなら葉から垂れた水滴によって激痛が走る水垢ができる程強力な毒を持っている木だ。しかし、最も厄介なのが、コイツを焼却しようとすると、毒素を含む強力な煙となって周囲に毒を撒き散らす厄介な特性を持っている。お前がデケェ火の玉ぶつける時に運良く鍛冶屋があって助かったぜ。そこにガスマスクが偶然落ちてたからよ。知識勝負は俺の勝ちだな」
『マンチニール』トウダイグサ科に属する被子植物。主に北アメリカ南部から南アメリカ北部に分布する。
マンチニールから発した毒煙によって苦しんでいるグレッグに対して冷たい目で見下ろしていると、いきなり彼の身体が炎に塗れ始める。亞巧は驚き、少し距離を取るが、再度ゆっくりと燃える彼に近づく。毒煙によって失明しかけていた目は充血はしているものの、確りとその目は亞巧の目を捕らえていた。その目はもう怒りや憎悪と言った感情は一切感じず、炎に塗れる彼はゆっくりと口を開く。
「ぁ…よか、った。君の顔が、見たかったんだ…ぁ。徹君、君との生活は…たの…しかった…」
炎に塗れた彼は手を持ち上げ、亜巧を掴もうとするが、その焼け爛れた手は亜巧を掴む事無く、空を切って地面に落ちる。彼の身体はもう動く事無く、メラメラと燃え盛る身体を只々亜巧は見詰めるしか出来なかった。
しばらくして炎が止まった彼の死体は思わず目を背けたくなる程、悲惨な状態だったが、そんな彼の死体をゆっくりと壊れぬよう持ち上げると、一歩一歩歩き始める。その一歩は重く、深く、地面を踏み締めて歩いて行った。この衰退した廃村にはそんな彼等を止める者は誰も居ない。
廃村に乾いた風が吹き、嘗て亜巧に知識を与えた青年の魔導書が捲れて行き、1つの頁で止まる。そこには、この世界の言葉で『知識だけを求めるのは違う。行動に移してこそ、その知識は発揮する』と書かれていた。その文は誰にも読まれる事無く、虚しく次の頁へと捲れて行った。
「これは…」
先程、グレッグ・ディオラと亞巧徹が戦闘を起こしていた廃村に着いた国軍隊はこの惨状を目の当たりにし、謎の威圧感に押されそうになる。圧倒されながらゆっくりと歩を進めると、1人の青年がボロボロに焼け崩れた、嘗て家だった物の前に蹲って何かをしているのを見つける。先頭を歩く隊長らしき人物は隊を止めると、彼に話しかける。
「そこのお前、何をしている」
青年はその掛け声に何も返事をせず、ただただ祈りを捧げている。そんな青年を不穏に思ったのか、隊の隊長は彼に近づき青年の腕を掴む。その青年は涙を流して此方を見上げる。彼の前には即席で作った十字架の墓があり、明らかに誰かの埋葬をしている最中であった。
「す、すまない…。ここで教団の騒ぎがあったと聞きつけて来た軍のものだ。もし良かったら、何か知っている事を聞かせてくれないか?」
男はボロボロの服の袖で涙を拭うと、立ち上がって軍の者達に向き直る。そして、深々と頭を下げた。
「私がやりました」
男はその一言を発した以降、何も話す事はなかった。国軍は困惑しながらも彼を捕え、馬車に叩き込んだ。そんな様子を1人、少し離れた木の上で何者かが覗いていた。
「アイツ、なんでグレッグ・ディオラを庇ったんだ?気になるなぁ…実に気になる…。アイツが欲しい…俺の新しい玩具」
フードを深々と被った謎の男は口角を目一杯上げ、闇の中へと消えて行く。そんな事なぞ知らず、国軍は王都ノースアルバシタへと向かった。
「以上が報告になります」
「うむ…。その者がグイルアルバシタを滅ぼしたと。そう言ったのだな?」
「はい。この耳で確りと聞き取りました。私がやりました、と」
亜巧徹を乗せた馬車はノースアルバシタの城へと向かい、その地下にある牢獄に彼を叩き込んだ。その際でも彼は一言も発さず、まるで魂が抜けたかのように牢獄で座った。
その後、軍隊長である『エドワード・カトラス』は玉座の間へと向かい、現国王アルベロ・マルクトロイに調査報告をしていた。その報告をアルベロは紙に書き記し、彼は玉座の間から姿を消して行った。
一方、牢獄へと入れられた亜巧は一点を見つめて座り込んでいた。彼の脳内にはグレッグ・ディオラとの5年間の共同生活が流れている。「彼はいつから教団に入信していたのだろう」、「彼は何の為に自分に様々な事を教えてくれたのだろう」、「彼は一体何を考えていたのだろう」、そんな思いがグレッグとの生活の記憶と共に過ぎて行く。『私の邪魔をする者は誰であろうと許さん!』、少し考えてみれば、彼は祈りを捧げている時は何も亜巧の話を聞いていなかった。その頃から彼の心は完全に魔王に魅入られてしまっていたのだと、亜巧は悟り、彼は悔しさに大粒の涙を流した。「自分があの時に気づいていれば」、「自分が止めれていれば」と。気づいた頃には泣き疲れたのか、彼は眠りについていた。
亜巧は夢を見ていた。それは、遠い過去の記憶のような物。何者かが彼の名を呼ぶ声がすると、彼はその声に引かれるように前に進んで行く。進んだ先には、扉があり、扉を開けろと声が諭す。ドアノブに手をかけ、扉を開けた先には火の海に変わり果てたグイルアルバシタの姿がある。人々は泣き、怒り、叫び、苦しみ、様々な感情が飛び交う、まるで地獄のような光景に彼は手で顔を覆う。ビチャと音が鳴り、手を見ると、血塗れになった自分の手が目に映る。「何故助けなかった」、「何故私達を見放した」、「何故グレッグ・ディオラを疑わなかった」、「何故グレッグ・ディオラと暮らしていた」、「この裏切り者め!」と、彼に罵声を浴びせているのは、火達磨になって皮膚が焼け爛れた嘗ての住民達。
「違う…、俺は知らなかったんだ…。俺は何も悪くない!」
その声で一気に夢から解放され飛び起きた亜巧は、汗でビショビショになった布切れを退かし、フラついた足で水道まで歩いて顔を洗う。バキバキに割れている鏡を見ると、酷い顔をした自分の顔が映る。
「酷く魘されていたな。亜巧徹君」
その声に驚き、後ろを振り向くと、金色のマントを身に纏った如何にも王族のような顎髭を生やした男性が牢獄の外に立っていた。
「驚かせてすまない。私はこの国の国王、アルベロ・マルクトロイだ。君の事は国軍の隊長から聞いているよ」
「国、王様…?何故、自分の所へ…自分は、あの村を…あの村を焼き払った犯人ですよ」
「それも聞いている。しかし、私はね、君が犯人だとは思っていない」
「え、しかし、自分が自首してここに…」
「はぁ…教団自ら『自分がやった』などと言う事はない。奴等の考えは残虐非道だ。目的の為ならば、手段を選ばない。例え、国軍相手だろうと1人で向かっていくような輩だ。だから私は君は犯人ではないと信じている」
その言葉に曇りは無いと、アルベロの瞳を見た亜巧は思った。アルベロの瞳は真っ直ぐ彼の目を捕え、子供に向けるような優しさに溢れた瞳をしていた。アルベロのそんな瞳に彼は屈服し、子供のように泣き崩れた。涙が溢れ止まらずとも、アルベロに全てを真実を明かした。その間にもアルベロは優しく相槌を返したりと、彼が気が済むまで泣くのを待った。
「すみま、せんでした…」
「いや、構わないよ。しかし、友人であった者は初めから自分を騙す為に様々な事を教えていたと…。妙だと思うが、君の様子を見る限り嘘偽りの無い事実なんだろうね。私の知り合いにも似たような人物は居たが…、その者の名はなんという?」
「グレッグ・ディオラと名乗ってましたが…」
「グレッグ・ディオラ?なるほど、そういう事か。奴、やはり手に落ちていたか…」
「えっ…?ディオラを知ってるんですか…?」
「知っているよ。詳しい事は後で聞こう、これから君の処分を決定する。暫し待っていてくれ」
そう言うと、アルベロは牢獄から姿を消して行った。1人残された亜巧は牢屋の中をグルグルと歩き回り、やがて何もする事がないとまた眠りについた。
牢獄から離れたアルベロは議会の間へと足を運んでいた。そこには、この国の国防長官、保安部長、警察署長や裁判長等、この国の所謂上級国民が居る。アルベロが席に着くと、異例の事態である事の処分を決める議会が開始した。
数時間後、亜巧のもとに保安部長が来た。保安部長は彼に着いて来いと命令すると、彼を玉座の間へと連行した。玉座の間へと着くと、保安部長は国王に跪き、彼もそれに従って跪いた。
「よく来たな、亜巧徹君。君は少し席を外してくれたまえ」
そう保安部長に告げると、見事な仕草で玉座の間から出て行った。彼が出て行くと、アルベロは亜巧に向き直り、自分に何か言う事は無いかと言うかの様に無言で待っていた。亜巧はそれに気付くと話を切り出した。
「先刻はあの様な無礼な姿をお見せしてしまい申し訳ありませんでした」
「構わない。そんなに畏まるな、私は然程礼儀は気にはしない。さて、まず本題に入る前にグレッグ・ディオラの件だ」
その言葉に亜巧は思わず立ち上がり、彼の目を見た。数時間前に見た彼の優しさに溢れた目は変わらず、亜巧の姿を捕らえている。
「グレッグ・ディオラ…ディオラ君は私が仕向けた『教団』の潜入者、所謂スパイというやつだ」
「え…」
想定外の展開に亜巧の思考が停止した。亜巧の頭の中にグレッグと過ごした日々が駆け抜ける。彼との戦闘中は思い出せなかった彼の笑顔が鮮明に、亜巧の脳内で再生された。
「いきなりの事で戸惑うかもしれないが、ここに契約の書類がある。これが証拠になり、君の処分は私が担う事になった」
アルベロが手に持っているのは数枚の紙であり、そこには間違いなく彼、グレッグが自ら書いたサインがあり、契約書には『クリフォト教団潜入捜査契約書』と見出しに書かれている。
『クリフォト教団』、亜巧はグレッグとの記憶を辿る。嘗て、グレッグと買い物の途中、彼に少し聞いた話。
「教団の話は知ってるか?知らないか、『クリフォト教団』っていう魔王クリフォトを信仰する教団がいるんだが、奴等は平気で人道を無視して来る。私からは詳しく話せないが、魔王に魅入られている者を見つけたら逃げるか戦うか、それは君の自由だが…そうだな、君は賢いから負ける訳ないな」
そう言ってグレッグは亜巧に笑顔を向けて買い物に戻る。
「少し話は長くなるが、この国には元々浪人が多くて、彼もその1人だったのだ。その際、彼が主任となって一揆を起こした。『私達も国民だ。為す術なくこのまま息絶えるのはゴメンだ』と。当初、私は国王の座を譲られたばかりでな、彼等のような国民にどうしてやればいいのかさっぱり分からなかった。彼等浪人であろうとも立派な国民の1人、その一人一人の意見も尊重せねばならない。決断を迷っている内、前国王、私の父『アルベロ・アドケテル』がこの契約書を私に渡してきたのだ。『彼等は好きで浪人をやっている訳では無い。我等とは違い力、金が無く、そう生活しなければ生きていけない者達だ。お前はその者達を導くのも王としての役目だ』そう言われ、私は彼等の主任格であるグレッグ・ディオラにこの契約書を渡した。彼は当初喜んでいたよ、自分にようやく役割が出来たと。それから彼は潜入者として教団の洗脳に苦しみながらも報告書を書いてくれていた。君という存在が居たから余程安心したんだろうな、とある時期から筆量が増えていた」
明かされた事実に脳の処理が追いつかず、亜巧は思わず呆けてしまっていた。友人だと思っていた人物に裏切られ、裏切られたと思っていた人物は実は敵軍への潜入者で、脳が理解するのに時間かかってしまっていた。数秒後、理解出来た亜巧は契約の内容を聞き出そうと話を切り出した。
「契約者が亡くなられた場合の処置は、契約ではどうなっているのですか?代理人が担う事になるのですか…?」
「いや、彼はもう契約を満了しているよ。契約書では、契約者が亡くなった場合、契約満了する事になっている。彼のお陰でクリフォト教団の企みは大体掴めた。奴等がどう私の国に入り込んで来るかはわからないがな」
「そう、ですか…」
亜巧はこのアルベロに対してまだ疑惑を抱いていた。グレッグが契約書にサインしているのは確かだが、本当に彼の合意の元、この契約書にサインしているのか、しかし、そんな嘘を吐く必要はあるのか、そんな思考を巡らせていると、アルベロは立ち上がって玉座の横に置いてある机の上から数十枚の紙束を此方に持って歩いて来た。
「疑うのも当たり前だろう、いきなりこんな話を持ち出されたら誰だって疑う。だが、ここに証拠は幾らでもある。これらは彼が私の元に送り届けていた報告書だ」
そう言うとその数十枚の紙束を手渡して来た。そこには間違いなくグレッグによって書かれた報告書があった。捲っていくと1枚だけ紙質の違う紙が挟まっていた。
『親愛なる友人、亜巧徹君へ。これを読んでいるという事は、国王様に会ったという事だね。今まで色々と隠していてすまなかった。君には逸早く伝えるべきだったんだろうけど、私の中に居る教団の意思には逆らい切れなかったんだ。こんな事なら国王との契約なんて破るべきだったよ、そんな事出来ないけどね。さて、こんな手紙を書いている理由を簡潔に書かせてもらうよ。今はもう殆ど自分の意思で言葉を使う事が出来ないんだ、信仰上の関係でね。行動と脳までは制御されてないからまだ手紙を残す事はできる。だが、すまない。もう無理なようだ。これで終わらせてもらう。徹君、君に迷惑を掛けてすまなかった。グレッグ・ディオラ』
「謝るのはこっちの方だ…。なんでこんな事になる前に気づけなかったんだよ…クソ…」
グレッグを救う事が出来なかった自分への怒りと悔しさで、手紙を持つ手に力が入る。そんな亜巧を見て、アルベロは自分の権力と決断力に不甲斐さを感じ下唇を噛む。それを亜巧に見られないよう踵を返して、咳払いをしながら玉座に着く。
「グレッグ・ディオラの話は以上になる。次、君の処分について話をする」
間髪をいれず切り出された話に、手紙に集中していた顔を持ち上げ、どんな処分に下っても構わないと覚悟を決めてアルベロと向き合う。
「君は私の下僕としてこの先働いて貰う」
「……え、下僕?」
想定外の言葉に亜巧は少し言葉が詰まってしまっていた。亜巧の想定では、殺処分されると思っていたのだ。
「下僕というより、君にやって欲しい事が山程あるのだ。如何せん私は常日頃から多忙でね、それを手伝って貰いたい。勿論、報酬も饗しもそれなりに行う。無論、それが嫌と言うのならば、君を別の手段で処分するしか無くなる」
ニコニコしている顔でもアルベロの怖色は伝わり、亜巧は冷や汗をかきながらその選択を了承した。亜巧の了承を得ると、国王の隣に居た1人の国軍兵が亜巧に近寄って来る。彼に一礼すると国軍兵の方も一礼を返す。
「私は第1国軍隊、軍隊長エドワード・カトラスだ。国王様の名に従い貴方を御案内します」
「これからはエドワードを通して指示させてもらう。では、話は以上だ。エドワード、彼を頼むよ」
「はっ…。では、亜巧様参りましょう」
エドワードは胸に拳を押し当て敬礼の意を表意すると、出口へと向かって行く。亜巧もエドワードと同じ仕草で出口へと向かう。アルベロは亜巧達が出ていくと、溜息を吐いて頭を抱える。
「彼に出来るのだろうか…。いや、信じるしか無いか…。こんな国王ですまない。だが、アレはこの国の、私の希望なんだ。頼むぞ」
誰にも聞かれていない、アルベロの独り言は玉座の間に響いて虚しく消えていく。亜巧に託された使命に身を寄せて、アルベロは玉座の間を後にする。