第七話 止まることはできない
恵まれていない側の人間、というものを恵まれた側の人間は認識できない。
それは単に生きている世界が違うからであり、言語や文化が違い、人生の物差しが違うからだ。何もかも違うものを、同じものだと認識できるだろうか?
それは、プランタン王国でも同じだ。貴族と平民の間には様々な隔絶があり、それゆえに特権が生まれ、格差が生まれ、同じ時代同じ土地にいるにもかかわらず生き方の根本そのものが異なっていく。
例えば、ベルと忠次は異なる国の人間だ。時代も異なるかもしれない。でも、一つの同じ体の中にいる。そこで、相互に理解や認識を行えるだろうか?
私は、できないと思っている。互いに話し合いができないからではない。貴族令嬢であるベルは忠次の人生を理解できないだろう。荒くれ者の忠次はベルの人生を認識したがらないだろう。それでも忠次はベルのフリを受け入れてくれているのだから、感謝しかない。
その理由が——自分の人生を諦めて、ベルの未来を望んでくれているからだとしても、私はその優しさに縋り、親友を助けたいのだ。
私は、ひどいことをしている。その自覚を、今、まざまざと感じてしまった。
本来ならそんなことは思わないだろう。ヴェルグラ侯爵家令嬢として、ブランモンターニュ伯爵家令嬢ベルティーユを優先することはあっても、見知らぬ異国の死んだと思しき男の気持ちなど考慮せず、ただ押し付けて踏みつけてしまうべきだ。なぜなら、私たちは貴族の家に生まれたから。優先されるべき貴種であり、人生に汚点を作ってはならないからだ。
貴族として人生を全うし、その血統に託された責務を果たし、家門を維持していかなくてはならない。そう教育されてきたし、それもあながち間違いではないと知っている。そうしなくては、プランタン王国において私たちは貴族として生きていくことができない。
だが、私の中に残るごく普通の良心や常識というものが——たとえそれがささやかな人生経験によって植え付けられたものだったとしても——忠次を見捨てていいわけがない、と叫んでいた。
ベルのために働いてくれている忠次へ、私は報いなくてはならない。
それはどうやって、何をすればいいのかも見当がつかない。しかし、だからと言って無視していいことではないと思うのだ。
できる範囲から始める。私は、まずは忠次という人間を理解しよう、そう決めた。
「ねぇ、何か手がかりはないかしら? あなたの憶えていることを話してほしいんだけれど、どう?」
この提案に、忠次は顔を曇らせた。話したくないのか、あるいは話すことが難しいと思っているのか。忠次はお喋りではないし、私は忠次の国のことをまったく知らないから理解できないことも多い。厄介だと考えても無理はない。
しかし、忠次は小さくため息を吐いて、了承した。
「かまやしやせんが、大して面白くも何にもありゃしやせんぜ」
「いいのよ。あなたのことも知りたいと思っていたから」
「そんなら、まァ」
テーブル近くの丸椅子を引いてきて、忠次は腰掛ける。ベルの見た目で足を組まれると、どうにも大人っぽさとあどけなさが喧嘩してしまって不自然だ。
忠次は自身についての名乗り口上に一番慣れているのか、まずはそこから話をしてくれた。
「最初に名乗ったとおり、あっしは武州藍問屋の末の倅でした。とはいえ口減らしに奉公へ出されないくれェには余裕があった家でしてね、読み書きくれェはできやす。ところが、十一で親父と伊州に行商へ行ったとき、野分に遭いやしてね」
「野分って?」
「途方もない大嵐のことでさァ。それで親父はあっしを助けて暴れ川に流されちまいましてね。何とも故郷に帰れずそのへんで悪さをしつつ生き延びてたら、地元の大遊侠、鉄次郎親分に目ェつけられたんですよ。で、組で世話してもらいつつ、いくらか年季が経って廃寺の賭場を一つ任される立場になってやした」