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第十九話 破綻していてもと思った

 イヴェール侯爵家は宮廷で要職を勤めることが多く、そのため王都でも一際王の住まう城に近い地区に屋敷を構えていた。豪華さよりも機能性、何かあればすぐに駆けつけられる利便性、それが歴代イヴェール侯爵が重視してきたことだ。


 それゆえに、屋敷と言ってもさほど広くはなく、貴賓室や客間など人の目に触れる場所だけ貴族の邸宅らしさを維持していても、それ以外の場所は質素に壁紙すらない煉瓦の壁や年代を経た頑丈な家具が置かれているだけ、使用人の数は多いが宮廷に登る前の見習い教育を施す訓練所を兼ねているため粗相の跡がそこかしこに見受けられる。


 王に尽くす一風変わった貴族であること、そして何より——イヴェール侯爵家は醜男や醜女の家系だった。見てくれのよさよりも家柄や財産、果ては人脈を重視したため、他の貴族の家よりも容姿に関してはかなり緩かった。


 嫡男エルワンももちろん、その顔は醜男と言っていい。不健康そうな青黒い肌、押しつぶされた鼻、太り気味の体は不摂生さを印象付ける。短く切りそろえた黒髪も脂分と匂いを抑えるために薬剤を使っているため、鼻につく。そのくせ格好だけは貴族の礼服や詰襟服を着る。あまりの不釣り合いさに、行く先々で失笑を買うなどいつものことだ。


 それでも息子と同じような顔をしているイヴェール侯爵は「容姿よりもいかにして王に忠誠を尽くせるかを考える、それが我が家の役目だ」と言って憚らない。その家風では、たとえエルワンが容姿を改善したいと思ったところでどうにもならないのだ。


 だから、エルワンは婚約者ベルティーユへ、憎悪と不快感を抱いていた。






 イヴェール侯爵家屋敷の短い廊下を、おっとりとしたベルティーユが珍しく早足で歩いていた。


「エルワン様、待ってください」


 先を進むエルワンは、それでようやく止まる。


「何だ、トロい女だな」

「申し訳ございません」

「昨日のダンスのレッスンで何度足を踏まれたやらだ。まったく」


 エルワンの言葉はいちいちとげとげしい。


 何のことはない、エルワンは父イヴェール侯爵の決定に強く反発していた。いつも自分が容姿のことなど気にすべきではないと語っているくせに、息子の婚約者には容姿の優れた女を、それも頭を下げて婚約を結んできたと言う。それがエルワンには理解できなかったし、腹立たしかった。


 エルワンは自分が醜男であることを自覚している。異性どころか同性さえも寄ってこない、顔面から滲み出るのは本能的な嫌悪を呼び起こす見た目の圧。あまりにも不細工すぎて、逆に同情さえ買ってしまう。


 ブランモンターニュ伯爵家令嬢ベルティーユ、彼女もそう思っているだろう。確かめたわけでもないのに、エルワンはそう思い込んでいた。確かめるまでもなく、人は誤魔化してイヴェール侯爵家の権威を欲する。それに群がる虫の娘だとさえ思い、ベルティーユを嫌っていた。


 ただ、ベルティーユは婚約者エルワンに合わせる努力をしようとしていた。


「エ、エルワン様、あの……どのような女性が好みでしょう? 私、近づくために頑張ります」


 その言葉を、エルワンは鼻で笑う。自身を嘲笑した貴族たちと同じく、その顔は歪んでいた。


「お前が? 馬鹿も休み休み言え、そんなことは必要ない」

「でも」

「第一、結婚してお前を書類上の妻とはしても、一緒に過ごす気はないぞ。別居だからな」

「え……? ど、どうして?」


 エルワンは歯軋りして苛立ちを露わにする。ベルティーユがビクリと震える様子を見て、嘲笑う気持ちが込み上げてきた。


「ふん、これだから夢見がちな子どもは。結婚なんて親が決めた相手とするもので、好きな相手とは限らないだろう」

「でも、私は夫となるエルワン様を愛しますわ」

「今は? この先、いつその()とやらがなくなるんだ? え?」


 愛だの何だのという綺麗事を、エルワンは信じない。


 何なら、家族の愛さえもイヴェール侯爵家には存在しない。


「母上もそうだった。父上とは名ばかりの結婚、嫡男さえ産めばあとは自由気ままに外で愛人作りだ。父上がどれほど心を痛められたか。その二の舞になるつもりはない、異性として好きでもないお前とは()を育めるわけがないだろう。それに」


 エルワンは、ベルティーユの怯えた瞳を見て、何もかもがどうでもよくなった。婚約者に気を遣う気さえ起きない、コテンパンにその浮ついた気持ちを叩き折ってやろうとさえ思って、強い言葉を使う。


「こんな醜男(ぶおとこ)を、お前だって内心嘲笑っているんだろう。知っているぞ、イヴェール家の嫡男は紛れもなく当主と血が繋がっている、あの顔を見ろ、と使用人どもさえ口さがなく罵倒しているのを!」

「私はそんなことは」

「うるさい! お前のような恵まれた人間に、何が分かる!」


 そう、ブランモンターニュ伯爵家令嬢ベルティーユは、恵まれた人間だ。


 実家は国内有数の財産家、伯爵位を持ち、有能で評判のいい父、美人で有名な母、そして本人はおっとりしたお淑やかで可憐なご令嬢と名高く、ジュレ太公など著名人の覚えがいい。


 何もかもが、エルワンには手に入れられないものだ。イヴェール侯爵家にないものを得ようと、エルワンの父イヴェール侯爵は企んだのかもしれないと思うほどに。


 それが、エルワンには到底受け入れられなかった。


 どれほどベルティーユが善良な人間であろうと、それはできない。あらゆる醜さから性根さえも歪んでしまった人間に、善良さは毒だ。


 つまりは、エルワンとベルティーユの婚約は、最初から破綻していたのだ。






 ベルティーユは、エルワンが好きではなかったものの、嫌いでもなかった。実のところ、努力すれば仲良くなれるのではないか、とさえ希望を抱いていた。


 しかし、エルワンは自分のことが嫌いでしょうがなかったのだろう。


 気付いていながら、見ないふりをしていた。


 だって、あまりにも悲しかったから。


 誰かから嫌われるなんて、いけないことだと思っていた。


 嫌われる自分が悪いのだと思って、悲劇のヒロインぶって悲しんでいた。


 そこから何か改善させる手立てをすればよかったのに、何もしなかった。


 そんな自分が、エルワンと結婚するなんておこがましいのだ。


 であれば、婚約破棄も致し方のないことだ。


 ベルティーユはそう思って、前の婚約者への未練を断ち切ることにした。今となっては、何もかもが遅く、どうしようもないことだとやっとベルティーユは受け入れ、目の前で嘆き悲しむ父をこれ以上わずらわせないようにすることへ目を向ける。


 ブランモンターニュ伯爵は、吹っ切るように手で思念を振り払い、話題を変える。


「まあ、それはどうでもいい。今更復縁など受け入れないのだから」

「はい、そうですね……」

「それよりもだ、お前を心配している方々から手紙が届いている。婚約破棄の噂を聞いて、ジュレ太公やネージュ公爵夫人をはじめとしたお歴々が心配されているんだ」

「あら、まあ。では、早めにお返事を出しておきますね」

「うむ」


 うんうん、と頷き、ようやくブランモンターニュ伯爵の機嫌が直ってきたかに思えていたときのことだ。


 そろっと、ブランモンターニュ伯爵は身を屈めて、小声で娘に耳打ちのように尋ねる。


「ところでだ、ベル。お前は……舞踏会のとき、何やら凄まじい啖呵を切った、と人伝に聞いたのだが」


 ベルティーユは肝を冷やしかけた。


 しかし、これもレティシアとともに事前に想定した問答のうちにある。考え抜いた模範解答を、そのままベルティーユは答える。


「申し訳ございません。あのときは無我夢中で、何も憶えておりませんの」

「そうか、ショックだっただろうしな」

「はい。落ち着いたら、あの場にいた皆様にご迷惑をかけたお詫びをしなくては」


 娘のふふ、と穏やかな、少し気恥ずかしげな笑みに、ブランモンターニュ伯爵はまんまと騙されてくれた。本当ならばベルティーユは嘘など吐きたくない。もっとも、事実を語ったところで信じてはもらえないだろうし、万事丸く納めるためにはこうするしかないのだ。


 ベルティーユはちょっとだけ、大人の階段を昇った気がした。大人は上手な嘘が吐けるものだ。


 そんなとき、応接間の扉が叩かれた。ブランモンターニュ伯爵が「どうぞ」と声をかけると、入ってきたのは同行してきたブランモンターニュ伯爵家の若い執事長だった。


「失礼します、旦那様」

「ん? どうした?」


 若い執事長は、ブランモンターニュ伯爵へ耳打ちする。ベルティーユからはその声すらもほとんど聞こえない。


 ようやく若い執事長が顔を上げ、ブランモンターニュ伯爵のソファの後ろに待機してから、ベルティーユは父へ何事かを尋ねる。


「お父様、何かありましたか?」


 ブランモンターニュ伯爵は、すぐさま笑顔で応対した。


「いや、大丈夫だ。こちらにも色々あってね、しばらくはヴェルグラ侯爵家にお世話になりなさい。そのほうがお前も気が楽だろう?」

「はい、分かりました」


 大人しくベルティーユはその話を切り上げたが——娘なのだから、父が愛想笑いをしているかどうかなど一目で分かる。


 ——あの笑みは、ブランモンターニュ伯爵家で何かがあったのだ。あとでレティシアにも相談しなければ。

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