第十八話 どうなるのか分からないの
ブランモンターニュ伯爵家は、プランタン王国では有数の財産家であり大商家を率いていることから、貴族としてよりも経営者としての面がよく知られている。
当然、貴族からはやっかみが激しい。ことあるごとに嫌味を言われ、金勘定ばかりしている卑しい身分とはっきり罵られることさえある。しかし、現ブランモンターニュ伯爵は娘にそんな思いはさせまいと、交友関係を絞ってきた。となると利益を出すためには必然的に大貴族とばかり取引することとなり、縁戚関係で結ばれている大貴族たちとの繋がり強化には、一緒に連れていったベルティーユがとても役立った。気難しい大貴族たちも、久々に見る他人の子ども——それもお淑やかで可愛らしい女の子——をこよなく愛し、甘やかしてきた。
おかげでベルティーユの趣味は骨董品を愛でることという古風で年寄りくさいものとなり、今も大貴族たちと何かと身内のお茶会やパーティーで和気藹々と過ごしている。大貴族たちは損得勘定の入らない趣味仲間を大切にする傾向にある、ましてやブランモンターニュ伯爵には宮廷での野心などなく、ただ商売をしているだけとあれば、安心してその娘のベルティーユを甘やかせる、というわけだった。
ベルティーユの婚約者であったイヴェール侯爵家エルワンなどは、その父イヴェール侯爵がブランモンターニュ伯爵家の交友関係に目をつけて、強引に婚約を結んでいた。イヴェール侯爵は涙ながらに醜男の息子と婚約してくれと頼んだとか、種々噂話はあったものの、結局のところブランモンターニュ伯爵が沈黙を貫いているため噂止まりだ。
しかし——そんな話も、今は昔。ブランモンターニュ伯爵家とイヴェール侯爵家の婚約はエルワンによって破棄され、ベルティーユは傷心のあまり親友であるヴェルグラ侯爵家令嬢レティシアを頼って静養中だ。
ベルティーユの趣味仲間である現王の叔父であり国一番の大富豪ジュレ太公や隣国ルトン王国から嫁いできた元王女のネージュ公爵夫人、グラス王弟妃、現王の叔母シュミネ王女……とにかく、プランタン王国のトップ層はこの婚約破棄の話を快くは思っていなかった。とはいえ、その結果起きた誘拐未遂事件については、まだ誰も全容を掴めていない。
事態はベルティーユやエルワン、レティシアが思う以上に広範囲に、予想外に強く影響してしまっているのだが——それもまた、誰も全容を掴めていなかった。
数日ぶりの親子の対面は、静かだった。
ヴェルグラ侯爵家屋敷の応接間は、武門の家系らしく壁に古い武具が飾られていること以外は普通の応接間だ。普通と言っても、平均的な家屋一軒分が丸ごと入りそうな広さに、シャンデリアではなく蝋燭立てが壁に並び、窓は磨かれた巨大な一枚窓が五枚、部屋中を照らす光を入れるには十分すぎる。
ブランモンターニュ伯爵は、ソファにちょこんと座る娘の様子を窺っていた。
「何だか、痩せたか?」
挨拶よりも先に出た心配の言葉に、ベルティーユはどう答えるべきか迷った。「元気です」では明らかに嘘だと見抜かれるだろうし、「元気ではないです」と答えてもイマイチそれも自分の今の気持ちとは違う。
ベルティーユが今の気持ちをより正確に表すならば、困惑、それ以外になかった。
未だかつて、箱入り娘のベルティーユに、ここまで自分ではどうしようもない出来事が起きることはなかったからだ。忠次の出現、体を乗っ取られて……いや、ベルティーユが気絶していたあいだ、代わりにフリをしてくれていたこと、そのあいだに起きた自分でも信じられない乗馬体験や誘拐未遂事件。
ここから日常に戻れるのだろうか、魂だけの忠次をどうにかしてあげられるだろうか、ベルティーユの心は不安でいっぱいだった。それゆえに、生返事を返す。
「ええと、はあ」
「ああいや、すまん。そうだな、人一倍繊細なお前が、婚約破棄などされては痩せもする。はあ、あんな男だと知っていれば婚約などさせなかったものを」
ブランモンターニュ伯爵は勝手に娘の身の上に同情して、嘆息した。
元々口の上手くないベルティーユは訂正することもできず、仕方がないので、どうにか父親を安心させようとヴェルグラ侯爵家は安全な場所であると主張することにした。
「お父様、レティがずっとよくしてくれましたから、私は大丈夫ですわ。レティの兄上、アレクサンデル様も面倒を見てくださって、今度乗馬を教えてくださるそうです」
「それはいいが、家に帰るつもりはないのか?」
「それは、その」
目を泳がせそうになったが、ベルティーユは重要な確認事項についてレティシアと事前に打ち合わせていたことを思い出す。
すなわち、『婚約破棄は今も有効なのかどうか』ということだ。
「お父様、イヴェール侯爵家から正式に婚約破棄についての話は来たのでしょうか?」
ブランモンターニュ伯爵は、うーむと考える素振りを見せた。
「そういえば、まだだな。もう何日も経っているんだし、そろそろこちらから違約についてつついておくべきだろうか」
呑気な話だ、とレティシアが聞けば焦ったく思うだろう。
しかし、婚約破棄はそんな簡単な話ではない。ましてや、イヴェール侯爵が打診してきたことで成立した婚約だったのだ。互いの面子を守るためにも、穏便に終わらせるには話し合いが欠かせない。にもかかわらず、その話し合いの席が未だ設けられていない。
ベルティーユは、それが吉と出るか凶と出るか、分かりかねていた。確かにイヴェール侯爵家のエルワンはベルティーユを嫌っていたし、本人は婚約を破棄したかった本心があったのだろうが、家の都合はそうはいかない。しかし、舞踏会の席でああも人々の耳目を集めてしまった以上、婚約の継続は難しい。
政治のことにはとんと疎いベルティーユでも、婚約はおそらく解消されるだろうと分かる。
それでも——ベルティーユは、エルワンに同情していた。恋も愛も知らない少女は、大して親しくもない婚約者をまだ愛してはいなかったが、その境遇にだけはいささか可哀想と思えてしまっていたのだ。
あれは、婚約が成立して初めて、ベルティーユがイヴェール侯爵家を訪問したときのことだった。