いじめはなぜ駄目なのか
いつも通り、とっちらかってます。
上手いこと解釈してください。
なぜ○○ゃいけないの。
例えば「いじめをしちゃいけない理由」「勉強しなきゃいけない理由」
という問いに答えるには、やはり「そもそも○○なのか」と考えなくてはならないと思う。
結論ありきで考えるから、わけのわからない理屈が出てくる。
例えば「いじめをすると、傷つく人が出てくるでしょう」とか「いじめは、外から見ても不快でしょう」だとか。
いやそれは、一面的な見方でしかない。
確かに、いじめをすると傷つく人は現れる。いじめを不快に思う人もいるだろう。私だって、誰かがいじめられる様子を見るのは不快だ。
だけど、じゃあ「不快だから止めろ」といわれて、いじめっ子が矛を収めるか?
んなわけない。だとしたらこの世にもはや、いじめという概念は残っていないはずだから。
だから、問題を真に解決するためには、まずは「いじめは駄目」という固定観念から抜け出す必要がある。
つまり「そもそも、いじめは悪いことなのか」という問いになるわけだ。
ちなみに、こういう問いを出すと「いじめは駄目に決まっています!」と言い出す輩は一定数存在する。
世界からいじめがなくならないのは、まさしくこういう人種がいることが原因だと思うわけですが、まあそれは諦めましょう。いじめはなくなりません、これが結論。
いじめが良いことなのか、悪いことなのか。
それを判断するには、そもそもいじめが発生する原因を考えなくてはいけない。
つまり、いじめっ子側の立場に立たなくてはいけない。
それはまさに、自分自身の醜さをさらけ出すことだ。
自分だったらどのようなときに、誰かをいじめたいと思うか。あるいは思ったか。
幼い頃の記憶を掘り返す。美しい思い出でのメッキを剥がし、その本質を暴く。
いじめられた経験を語るのではなく、いじめに加担した経験を暴露する。
誰かがそれをしないと、世の中にはなぜか被害者ばかりが増えていく。
ということで少しだけ、語る。
私は、小学生の頃にいじめる側に加担したことがある。
その時は、主導者という立場ではなかった。というか、クラス内でそこまで強い立場じゃなかった。
そのクラスには、明確にいじめられる立場の子。というのが一人いた。
今にして思えば、多分ADHDとか、そういう性質の子だったのだろう。
授業中に突然暴れ出したり、教室を抜け出して廊下を走り回ったりしていた。
私自身、真面目に過ごしていたかと言われるとそんなことはないのだが、それでも授業を妨害するその子のことを、不快には思っていた。
ある日……というか日常的なことでさえあったのだが、クラスカースト上位の集団が、その子に対して制裁を下そうとしていた。
物理的な暴力ではなく、もっと陰湿なそれだ。
上履きを隠したり、机をわざと離して孤立させたり。
今にして思えば、かなり不快だ。直接加担している奴らも。それを傍観している私を含めた集団も。
少しだけ大人になった今だったら……いや、どうだろう。
それでも私は傍観を続けるかもしれない。だって、制裁を受けるのは怖いから。
だけどその時の私は多分、不快にすら思っていなかった。
なんだったら、普段から迷惑をかけるその子に対して、もっと酷い制裁を加えるべきだ。などと考えていたかも知れない。
さて、ではこの状況。いじめが良くないという意見はもっともだとして、じゃあどうすれば良かったのか?
傍観者の立場からできることは何もないとして、じゃあ首謀者だったなら?
その子を不快に思うのは、悪いことなのか?
それとも、授業を妨害し続けるその子を、説き伏せれば良かったとでも?
馬鹿言うな。言葉で通じる相手なら、最初からそうしている。小学生にだってそれぐらいはわかる。
先生が、なんとかするべきだった?
もちろん、本当に優秀な一部の先生なら、その状況を上手いこと好転することもできただろう。
だけど、結局のところほとんどの教員は滑り止めで教職に就いただけで、それこそが天職というわけですらない、免許を持っているだけの素人に過ぎない。
そんな、まさしく『先に生まれただけ』の人に、完璧を求めるのは無理というものだ。
ではこうならないか?
結論として、この状況でいじめを防ぐのは何人にも不可能、と。
誰が悪かったのか。
そもそも論で言えば、周囲に迷惑をかけていた子が悪い。だけどそれはその子の個性で、それを否定したくはない。
あるいは、直接手を下したいじめっ子が悪い。だけど仮にその子が何もしなくても、クラスに30人もいれば他の誰かが同じことをしていただろう。たまたま先に手を出しただけのその子を、否定したくはない。
じゃあ、教師か? 教師が何もしなかったのが悪いのか? まあ、そりゃそうだ。だけどはっきり言って、そんなのは管轄外でもある。教師の仕事は、勉強を教えることのはず。
そうなると、誰が悪いとも言えないことになる。この結論は「いじめは駄目だ」と言っているだけでは出てこない。
解決方法としては……やはり環境自体をいじる必要があるのだろうか。
少なくともクラス全体に対して「いじめは駄目だよ」と言うだけでは、何も解決しない。
いじめをすると、傷つく子がいるでしょ。などと、そんなことは知っとるわ! あまり小学生を馬鹿にするな! それがわかった上で、つまり相手を傷つける目的で、いじめをしているんじゃい!
他にもいじめに加担した経験は、簡単に数えるだけで片手が埋まる程度にはあるのだけど、あまり言い出すと私の印象が悪くなるからこれぐらいにしておく。
ああちなみにこれは私自身を擁護するために言うのだけど、同じかそれ以上ぐらいの数、いじめられた経験もありますよ。だれだって、そんなもんでしょう。
ちなみにこれは、どこかで聞いた話なのだけど。
愛情深い人間ほど、いじめの加害者になりやすいらしい。
そもそもなぜいじめるのか。
自分一人の利益のために、ということは案外少ない。
というか、個人的な理由の攻撃だと、周囲の同意をそもそも得られない。
いじめには、大義名分が存在する。
いじめる側が悪いが、いじめられる側にも責任がある……などと言われることがあるのはそのためだ。
例えば、チームで常に足を引っ張る人がいるとする。
他のメンバーは当たり前にできることが、そいつだけはできない。
大縄飛びで、毎回引っかかる奴。
テストで低い点を取り、クラスの平均点を下げる奴。
みんなで一丸となっている中、一人だけ無気力な奴。
それは単に能力が低いだけだったり、あるいは努力が足りなかったりする。
そういう人間がいじめられているのを見たときに、傍観者達は「まあ、迷惑をかけるあいつも悪い」と判断するのだろう。
いじめられっ子は、外来種みたいなものなのだ。
普通に暮らしているだけで、環境を破壊してしまう。
いじめっ子は、なんとか環境を守ろうとして、それがいじめという行為につながってしまう。
さて、この状況でもなお、いじめっ子を『悪』と断じることができるだろうか。
◇
いや、まあね。
私は「いじめなんてない方が良い」って思っているよ。
多くの人が、そうだと思う。
だけど、そう思うだけじゃ何も変わらないのはなぜって考えるわけ。
きっと、いじめには特効薬みたいな解決方法が存在しない。
人と人が関わり合う限り、それが常に対等であることはあり得ない。
優劣が生まれる。登場人物が多くなると、関係性に歪みが生まれる。
明確に立場の強い人間と、立場の弱い人間が現れる。
全てが均等になるように抑えつける?
それは、出る杭を打つ行為に他ならない。そして、それこそがいじめだ。
では、放置する? 一部の人に負荷が集中する状態。それがいじめでなくて、なんだというのか。
結局のところ、いじめを無くすことはできない気がする。
だけど、いじめられた結果、命を落とすというのは悲しすぎる。
とりあえずできるのは、逃げ道を用意することなのかなと。
学校でいじめられたときに、簡単に転校できるようにするとか。
あるいは、学校に行かなくても不利にならないようにするとか。
いやでも、それはそれでいろいろ面倒があるんだろうな……
◇
私としては、世の中にもう少しでも、いじめた側をカミングアウトする人が増えても良いと思う。
世の中には、いじめられっ子が多すぎる。
だけど、百パーセント完全ないじめられっ子って、存在はかなり稀なはず。
いじめられた苦い記憶だけでなく、かつていじめに加担した後悔とか。
そういう情報が出てこないと、そもそも何でいじめが発生したのかわからない。
いじめられた経験を聞いても「まあ、私は関係ない」などと、考えてしまう。そんなわけないのに。
だから、私みたいな片隅の小説家だけでなく、テレビに出てるような有名人とかが、いじめっ子側の後悔を語ってくれれば良いのに……
なんて、思いました。
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