85.それぞれの思惑②
「ミンス・メラ=フォーム、今日からあなたは神々に仕える従順な使徒となります。身も心も捧げることを誓いますか?」
「・・・はい」
「よろしい。では貴族としての姓を捨て、ミンスと名乗りなさい。私、ハワードを師とし、共に救いが必要な人々へ手を差し伸べるよう努力を続けることを己に誓いなさい。さすれば、あなたが神々の元に帰るとき、大いなる許しと共に迎えられるでしょう」
僕には、「はい」以外の答えは許されない。
昼間とは違い、夜中の教会は不気味に感じる。
僅かな光源と、3人だけでの誓いの儀式。
どうして、こんなことになったのだろう。
僕は妹エリーナの『空洞病』が治ってほしかっただけだ。
両親の苦しみを軽くしてあげたかっただけだ。
アリステアさまから得た髪の毛から教会は薬を作った。
作った薬は、エリーナの命をつなぎとめることができたが、それだけだった。
エリーナは目覚めなかった。
微かに呼吸をしているので、かろうじて生きていると思われるが、飲むことも、食べることもないのに、やせ細ることなく美しいままの姿で数週間が過ぎた。
教会の人たちは、エリーナの姿を見て、これは神々の寵愛の印で奇跡だと言った。
そして、エリーナが眠り続けるのは来るべき時を待っているのだと言い出した。
正しき者がこの世界に降臨する時に目覚めるのだと。
『来るべき時』も『正しき者』がなんなのか、僕はまだ知らない。
ハワード司教に聞いたけれど、僕はまだ知る資格がないから教えられないと言われた。
資格を得るには、誓いをたて、行動で示す必要があり、数名の司教に認めらる必要があるらしい。
僕が分かっているのは、エリーナはすぐには目覚めることがないということ。
眠っているエリーナは、淡く光っていて、確かに幻想的で神々の寵愛を受けた存在に見えなくもない。
でも・・・僕は太陽の下で満面の笑顔で楽し気にはしゃぐ姿の方が眩しくて美しいと思う。
両親は、エリーナの姿をみて泣き崩れて喜び、ハワード司教に感謝を言っていた。
ハワード司教は、両親を抱きしめながら、これからは目覚めるため共に行動しようと言った。
なんでもすると言う両親に、ハワードは慈愛に満ちた微笑みを向けていたが、僕からしたら意味が分からなくて怖かった。
一体何を根拠に、エリーナは目覚めると言っているのだろう。
アリステアさまの髪を元に実験して作った薬なのに、なんで『来るべき時』や『正しき者』が関わってくるのだろう。
『空洞病』を克服したと思われるアリステアさまの髪から作った薬で、時を止めて眠ってしまったのなら、アリステアさまをさらに調べる必要があるというなら分かる。
でもハワード司教の話からして、『正しき者』がアリステアさまではなさそうな気がする。
目覚めるために、いったい何をしなくてはいけないのだろうか。
すがるようにハワード司教の腕の中で泣く両親は僕の知らないなにかを知っているのだろうか。
そのまま両親はハワード司教に連れられて部屋を出て行った。
僕は別の人に案内された部屋で待つように言われた。
待っていた部屋には窓もなければ、時計もなかった。
どのくらい時が過ぎたのかわからないが、短くない時間が過ぎて、時間の感覚がなくなったころににハワード司教が部屋にやって来た。
「おまたせしました、ミンス殿」
「・・・お父さまとお母さまは?」
「旅へ」
「旅?」
「ご両親は誓いをたて、行動を示すために旅へ行ったのです」
「どこへ?」
「必要なところへ」
きっと・・・教えてはもらえないのだろう。
胃がきゅっと縮むのが分かった。吐き気がする。
「僕は、これからどうなるのですか?」
「どうしたいですか?」
「・・・妹を、目覚めさせたいです」
泣きながらハワード司教にすがった両親を、何も知らない僕は止められない。
ならば眠り続ける妹だけでも助けたい。
「すばらしい。賢明な答えです。神々も喜ばれるでしょう」
ハワード司教は優しそうな笑顔を浮かべたが、目は笑っていない。
「ご両親が貴族の身分を捨て、誓いをたて旅へ出たので、ミンス殿は現在フォーム子爵の当主になります。そのあなたが妹のエリーナを救うために行動をするということは、子爵としての身分を捨てて、教会の人間として運命を共にすると誓うということです。実に素晴らしい」
いつ、そんな話になったんだろう。
両親が貴族の身分を捨てて、僕が当主?
でも妹を目覚めさせたいと言ったから、貴族と当主の権限と捨てて、教会の人間になる?
話に頭が追い付かないが、悪い予感でと恐怖で身体が震えてきた。
「僕は・・・」
「もし・・・あなたが貴族の身分にこだわっていたら・・・あなたの運命は神々から許しを得る機会を失い、妹君も目覚める機会を失うところでした」
そんなつもりで言ったんじゃない・・・もし、最後まで言っていたら、僕はどうなっていたのだろう。
僕が恐怖で声が出せなくなったのが分かったのか、ハワード司教は優しく僕の頭を撫でた。
「かわいそうに。恐怖で震えていますね。大丈夫です。教会はあなたの様な迷い子を救う場所なのです。さぁ、参りましょう。妹君のために誓いをたてましょう」
僕には、「はい」以外の答えは許されない。
「これを」
誓いをたてた僕に、ハワード司教が差し出したのは黒い金属でできた、小さなブローチとチョーカー。
震える手で、僕は左胸に小さなブローチを付け、チョーカーを首につける。
首にピタリと接する冷たい金属に、首を絞められているような感じがする。
実際、このチョーカーはハワード司教の意思で絞めることができる。
僕の意思で外すことはできない。
外せるのは僕の師となったハワード司教だけ。
ブローチは位置を知らせる発信機になっているそうだ。
ブローチもチョーカーも、エアルドラゴニア国のものではなく、隣国のストル国製で魔素や魔法の原理で出来ていないらしい。
だから僕が身に着けていても、エアルドラゴニアの人は、それが何なのかわからないらしい。
僕の状態は誰にも分らない。
「さぁ、ミンスこれから忙しくなります。行きましょう」
差し出されたハワード司教の手を、僕は取った。
もう、考える気力は僕に残っていなかった。
教会から出る時、教会の中に残るもう一人の人物と目があった。
その人の瞳に悲しみを感じた。
思わずその人に向かって手を伸ばしたが、その人は僕から目をそらした。
白い長いひげと三日月眼鏡の老人は長い杖を振り、僕を突き放すように教会の扉を閉じた。
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