50.誕生パーティーが終わって
―――バフッ
キングベットへダイブし全身の力を抜くと、身体が柔らかいベッドに沈んだ。
つ・・・疲れた・・・
肉体的な疲労は、イデュール兄さまのクリスタル靴のおかげでほとんど感じないが、精神的疲労はしっかり溜まっていた。
レオナ兄さまに引っ張られて皆が踊る中へ入ったはいいが、その後が大変だった。
もちろんはじめはレオナ兄さまと慣れた曲を踊ったが、2曲目も続けて踊ることはできなかった。
というのも、レティシアさまを伴ったサフィールさまが現れ、レオナ兄さまに相手の交代を提案したのだ。
レオナ兄さまがその提案を断るわけもなく、レティシアさまはツンツンしながらもしっかりレオナ兄さまの手を取った。
そんな2人の様子を見て、私が断るわけいにもいかないが、サフィールさまはちゃんと私の意思も確認してくれた。
「アリステア様、どうか私のお相手をしていただけないでしょうか」
イケメン美青年に成長しているサフィールさまのお誘いに、心臓がダメージをうけたがしっかりと肯定の意味でうなづいて手を取った。
成長期のサフィールさまと私では、ダンスの相手として身長差30㎝ほどあるのだが、踊れないほどではなかった。
というより、サフィールさまのリードがとてもスマートで、踊り慣れたレオナ兄さまよりも踊りやすさを感じるほどだ。
「サフィールさまはとてもダンスがお上手なのですね」
「そう言っていただけて光栄です。アリステア様と踊るために練習したので。貴女が私の腕の中で微笑みながら舞ってくれるのを楽しみにしていました」
ピンク色の瞳が私を優しく見つめ、甘く感じる言葉を伝えてくれる。
サフィールさま・・・ダンスだけでじゃなく、大人のセリフの勉強の成果も出ていますよ。
レティシアさまが『最近大人っぽいセリフを勉強中で、父親と兄のところにばかり行ってしまう』と言っていた。
・・・サフィールさまの学んでいる大人っぽいセリフの知識って偏りがある気がするんだよね。
世に言う口説き文句風が多いような・・・サフィールさまのお父様かお兄さまのコラムさまがそんなセリフをよく言っているのだろうか・・・
「アリステア様・・・何を考えていますか?どうか・・・私といるときは私を見ていただきたいです」
サフィールさまが抱き寄せるように腕の力を籠め、悲し気な表情で私の目を見つめていた。
考えはじめると、周りが見えなくなるのは私の悪い癖だ。
「申し訳ございません・・・でも、サフィールさまのことを考えていたのですよ」
「っ・・・わ、私のことを、ですか?」
「もちろん」
笑顔で大人の定番っぽいセリフで返事をすると、赤くなって目線を外されてしまった。
セリフは大人風にしていても、反応は子どものままで安心する。
サフィールさまの心の衛生環境が若干心配になっていました、とは言えないので「どんなことを?」と聞かれなくてよかった。
そのまま2曲ほど踊ると、サフィールさまは私を椅子のある所へ連れて行き、「飲み物をお持ちします」と言って離れた。
お茶会では飲み物を受け取ると、『あなたの好意を受け取ります』という意味になると言われたが、ダンスが行われる場ではそのルールは適応されないらしい。
そんなシーンごとのルールが他にもパターンごとに無数にあるとお母さまから教えられたときは、すぐにでものんびり暮らしを開始したいと思ってしまった。
クリスタル靴を履いているとはいえ、のどの渇きまでカバーしてくれるわけではないので、素直に椅子に座ってサフィールさまを待っていると、テオドールさまがいつのまにか側に立っていた。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
会話ができる距離にいて、青くなりながらもチラチラとこちらを見ているし、口がパクパク動いている。
私に声をかけようとしているのは分かるが、一向に音声が動く口から発せられない。
口が動いているので、私からも声をかけてようにも、タイミングが被りそうで、私はじっとテオドールさまを見つめるしかできなかった。
こういう時、私から声をかけると、テオドールさまの言葉とかぶって譲り合う・・・みたいなことが起きそうだけど、あえてその感じにもっていった方がいいのかな・・・と考えていると、まったく違う方向から声をかけられた。
「アリステア様」
声のした方へ顔を向けると、見たこともない男の子が立っていた・・・何人も。
・・・え、何この列。5人は並んでいるよね?
「私はルトルク侯爵家次男のドリス・カント=ルトルクと言います。是非私と踊ってくださいませんか?」
突然名乗りだしたドリスは、私と同じ歳くらいの男の子のように見えた。
こげ茶色の髪に、薄いオレンジ色の瞳をしていた。
侯爵家と言えば、この国の三大公爵家の次の身分だ。
服装は貴族らしい仕立ての良いものだし、顔立ちも整っている方ではあると思うが、表情がすべてを台無しにしていた。
人を見下すような目に、ニヤリと笑う口は曲がっていて、性格が悪そうな雰囲気が出ている。
人を見た目で判断したくはないが、仲良くなりたいタイプではないと感じた。
「すみません。私、今サフィールさまを待っていて・・・」
「お飲み物でしたらこちらを!」
ドリスと名乗った少年はニヤリとイヤな感じの笑顔を深め、ずいっと片手で飲み物を差し出し、もう片方の手でホールの奥の方をさした。
「あちらを見てください。サフィールさまは他の方をお相手するのに忙しそうですよ」
ドリスのさす先を見ると、サフィールさまが私と同じか年上の女の子達に囲まれていた。
真顔のサフィールさまが横に顔を振って、女の子たちから離れようとしているが、離れるのに合わせて女の子たちも移動して動けないでいる姿が見えた。
ドリスの方をちらりと見ると、どや顔で飲み物をさらに私に近づけてきた。
・・・サフィールさまと私のやりとりを見ていて、女の子たちをサフィールさまのそばから離れないように差し向けた・・・と思えるけど、サフィールさまはイケメン美青年なので、ドリスが差し向けなくても自然と女の子たちがサフィールさまを取り囲むことは十分にあり得る。
ドリスがもし、このままでは私が飲み物を飲めるのがいつになるかわからないので飲み物を持ってきてくれたイイ人だった場合、目の前に出された飲み物は受け取るべきなんだろうけど、どうしても飲み物を受けとる気になれなかった。
「・・・ドリスさま。申し訳ないのですが、私、その飲み物は今飲みたくありませんの」
『アリステア』が『良い子』であることは、この世界でのんびり暮らすための前提条件に掲げた1つだけど、笑顔できっぱりと拒否をした。
私は『良い子』を目指すけれど、万人に優しい聖女みたいなものになる気はないし、なれるとは思っていない。
何より、聖女のようなヒロインポジションはお断りである。
将来のためにも交友関係を無理して広げる気はないので、嫌なものは嫌だと言える私でいたい。わがままと言われない程度にだけど。
私が飲み物を受け取らずに拒否したことに驚いたのか、ドリスはポカンとして私の顔と手に持つ飲み物を交互に見た。
なかなか立ち去らないドリスにしびれを切らしたのは私ではなく、次に並んでいた男の子だった。
ドリスを押しのけるようにして私の前に立ち、飲み物を差し出しながら名乗った。
「私はフォーム子爵家の長男、ミンス・メラ=フォームです。どうか私の飲み物を受け取って、ダンスを踊っていただけないでしょうか」
水色の髪に黄色の瞳を持った少年は、ドリスとはちがって嫌な感じはしなかったが、なぜか必死な思いが真剣な表情から感じられた。
喉も乾いていたし、ミンスの必死で真剣表情が気になりグラスを受け取り飲んだ。
冷たい果実水は飲みやすくて、のどが乾いた私にはありがたかった。
飲み干したグラスを空いたテーブルに置くと、ミンスは私に手を差し出した。
次はダンスというわけか・・・
ちらりとサフィールさまをうかがったが、まだ女の子たちに囲まれていたし、テオドールさまは居なくなっていた。
飲み物を取りに行ってもらった手前、他の人のダンスを受けるべきか迷ったが、飲み物を受け取ったのにダンスを断る理由が思いつかなかったので、ミンスの手を取った。
ここからが大変だった。
ミンスは1曲踊り終わると、先ほど座っていた椅子の方へ私をいざない、椅子の前で礼をすると立ち去った。
代わりにミンスの次に並んでいた男の子が、私にダンスを申し込んだ。
ミンスの必死で真剣な表情から、何か今後起こりうる事件的な情報が得られるかもと期待したが、ダンス中はまったく会話はなく、目を合わせようとしても避けられて合わせてもらえなかった。
どうしてあんな表情をしていたかは謎だが、立ち去るときのミンスの顔は青ざめているようにも感じた。
ダンスが終わったあとの表情からして、親からディルタニア家とコネクションを作るために私と踊ることをミッションとしてきつく言われていた・・・とかでもなさそう・・・なんだったんだろう。
ミンスのことを考えていたせいで、うっかり差し出された手を取ってしまった。
仕方なくダンスをして、また1曲終わると椅子の前へ、そして次の・・・会話らしい会話のない、外面笑顔で踊るダンスを一体何人と踊ったのだろうか。
疲れ知らずの身体と言うのも困りものだと感じた。
止めるきっかけがつかめずに、随分と踊る羽目になってしまったのだ。
そして、もう最後にしようと思って、相手が名乗る前にこちらから男の子の手をとって歩き出すと、聞いたことのある声が聞こえた。
「・・・アリステアさま」
・・・・・・テオドールさま?!姿が見えなくなったと思ったら列に並んでいたのですね!!
驚きのあまり声が出せずにいると、テオドールさまは震えながらも話しかけてくれた。
「アリステアさまから手をとってくださって、う、嬉しいです」
いつもの青ざめた表情ではなく、頬を赤らめるテオドールさまはとても可愛いらしかった。
その分、とても申し訳ない気分になる。
どうでもいいかのように名乗りも聞かず、手を差し出されるのも待たずに引っ張ってきてしまったのだ。
幸いテオドールさまは怒っていないようなので、挽回するように丁寧に接しようと考えた。
「テオドールさまと踊りたいと思っていたので・・・手を引っ張ってしまってすみません」
「い、いえ!なかなか誘えずに、いたので、むしろありがたかったというか・・・申し訳ありません」
お互い謝ってしまい、なんとなくしょんぼりしてしまったテオドールさまに笑顔になってほしかったので、こちらからリードしてダンスの体制に入る。
テオドールさまは少し戸惑った表情をしたあと、ほっとしたような表情に変わった。
テオドールさまは引っ張ってくれるような人の方が安心するみたい・・・
極度な人見知りと言われるテオドールさまには、無言でのダンスは緊張するだろうと思い、YESかNOで答えられるような質問をして会話をつづけるようにしてみた。
案の定、硬かった身体の動きが質問をはじめて意識がそちらに向くと滑らかな動きになった。
テオドールさまって、運動神経は良いのかも・・・
余分な力が抜けたテオドールさまの身体は柔らかく、そして自然な流れで私をリードしてくれて、サフィールさまとはちがった上手さを感じた。
1曲踊り終わると、テオドールさまは他の子同様に私の手を取って椅子の方へ進もうとしたので、それをあわてて止めた。
「テオドールさま。私、まだグレイシャー家の皆さんとちゃんとご挨拶できていないの。ご紹介いただけるかしら」
「え?!・・・あ、え・・・はい。ぜひ・・・」
今日はグレイシャー家、トゥルクエル家の当主や長男長女など、お茶会にいなかった人たちも来ている。
パーティーのはじめに家族みんなでの形式的な挨拶は済ませているので、絶対に必要なことではないだろうけれど、ダンス地獄から解放される方法がこれしか思いつかなかった。
心なしか顔が赤いテオドールさまにエスコートされながらグレイシャー家の方へ向かおうと歩きはじめると、イデュール兄さまが突然目の前にあらわれた。
「テオドール様、アリステアのエスコートをありがとうございます。しかし、もう間もなくパーティーが終わりとなりますのでエスコートを代わっていただいてもよいでしょうか?」
本日2回目のイデュール兄さまによるテオドールさまのエスコート中断。
・・・これは・・・私また危ない行動をとってしまったのだろうか。
「あ、えっと・・・」
私の願いを叶えられない状況になってしまったことに、テオドールさまが青ざめてしまった。
「テオドールさま、楽しい時はすぎるのは早いものですね。今日はありがとうございました」
手を離し、よくある別れ際の挨拶と礼をすると、テオドールさまも礼を返してくれた。
テオドールさまには悪いが、きっと私の行動に問題があったのだろう。
今の私には明確に問題点がわからないので、簡潔な礼しか言えないのが心苦しくなる。
イデュール兄さまの手を取って家族のもとに向かいながら、尋ねるとやはり『危ない行動』をしようとしていたらしい。
ダンスを終えてすぐ相手の家族へ紹介することは婚約者候補としたい、または候補にしてほしいというアピールなのだそうだ。
「テオドール様とアリステアの組み合わせは危険だと思って見ていたが・・・正解だったな」
「イデュール兄さま・・・守ってくださって心から感謝いたします」
「構わない。こうして経験から学ぶものだ。私も父上や母上に何度も助けられた」
「え?!そうなのですか?」
「意外か?私は・・・周囲曰く『嵌められやすい性格』で『格好の獲物』だそうだ。きっとアリステアもそうなのだろう」
・・・・なんとも物騒な表現で悲しくなりますね。
イデュール兄さま、そんな同情するような目で見ないでください。
きっと私が同じ経験をしそうなことに同情しているんですよね
「イデュール兄さまはどんな経験を・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「大丈夫だ。私が守ろう・・・家族も皆でアリステアを守るから安心しなさい」
「・・・ありがとうございます」
・・・話したくないのですね・・・承知致しました。
家族のもとに戻ると、すぐにお父さまがパーティーの終わりを告げて閉会となり解散となった。
私の『危険な行動』を止める目的もあったが、本当に終わりの時間だったようだ。
両親とイディール兄さまは招待客の見送りをするので残ったが、サラ姉さまとレオナ兄さま、私は部屋に戻り早く休むように言われた。
そして今、食事とお風呂を済ませベッドにダイブした、というわけだ。
今日だけで私的に危険な場面が何度かあった。
家族が守ってくれる安心感も得られたけれど、申し少し気を付けられるようになりたい。
何せ、イディール兄さま曰く、『嵌められやすい性格』で『格好の獲物』仲間なのだから・・・
そういえばイディール兄さまは成人して公爵家の跡取りなのに婚約者がいないのも、その経験が影響しているのかもしれない。
言いたくなさそうだったけれど、私が無事に生き残り、のんびり暮らしていくヒントをもっていそうだ。
イディール兄さまに話してもらうにはどうしたらいいだろうか・・・と考えているうちに、いつの間にか眠っていた。
精神疲労は肉体疲労と同じく、私には負担の大きいものだったようだ。