11.閑話ランス
僕はランス。
洗礼式を終えたばかりの10歳。
グリーム・トルトさんのシトミリア工房で働く、魔法工具師見習い。
工房の前に籠に入れて捨てられていた僕を、グリームさんが工房で育てくれたので、工房のグリームさん一家と職人たちが僕の家族。
時々乱暴な言動をする人もいるけれど、意味もなく殴られたり、怒鳴られることもない。
怒られるときは、大体僕がミスしそうになったり、好奇心から危ないことをしそうになった時だけ。
だから僕は工房のみんなが大好きだ。
そして、もう一人、大好きな人ができた。
僕の専属契約の主、アリステア・ルーン=ディルタニアお嬢様。
お嬢様が部屋に入ってきた時は、大人の職人たちの陰で姿が見えなかったけれど、グリームさんとの挨拶で聞こえてきた声がとても落ち着い柔らかい声だったから、優しそうな人だなと思った。
ソファへ移動する途中で姿が見えた。
髪は金細工のように繊細で動きに合わせて揺れていた。大きな瞳は生命の息吹を感じる新緑。
透き通るような白い肌、すらりとした四肢が優雅に動いていた。
こんなきれいな女の子が世の中に存在しているなんて信じられなかった。
工房で妖精や神様をイメージした細工を見たり、教会や美術館に飾られている様々な芸術品を見たことがあるけど、今まで見たどんな存在よりも美しかった。
ディルタニアの奥様、お嬢様のお母様とは、絵姿も見たことがあったし、職人たちが噂をしていたので、なんとなくイメージできていたが、実物は別次元だった。
お嬢様と会う前にご挨拶させていただいたが、女神様って本当にいたんだなって思った。
美しく光り輝いて・・・本当に少し光っていたから、人間というより、女神様なんだって納得した。
でも、アリステアお嬢様のお話は聞いたことがなかった。
公爵家に着く前にグリームさんに聞いたら、なんとなくごまかされた。きっと僕を驚かそうとしたんだと思う。
アリステアお嬢様の姿を見た途端、身体が動かなくなって、お嬢様の動きをただ目で追うことだけで精一杯だった。
そうして、微笑んだんだ、僕たちの方を向いて、ニコッって、アリステアお嬢様が。
死んだと思った。
僕はお迎えが来たんだと思った。
こんな天使様が最後に来てくれたのなら、僕は死後に行くという天ツ国で幸せになれるだろうな・・・って気持ちになったら、腕の力が抜けて手に持っていた魔石のランプを落っことした。
――――ガシャン!
ランプが壊れる音で現実に感覚が引き戻されると、足下にランプの残骸が散らばっていた。
慌てて拾おうとしたけれど、身体はまだうまく動かなかったから、さらに焦った。
拾った先から零れ落ちる部品を絶望的な気持ちで拾おうと手を伸ばすと、美しい手が目の前に伸びてきた。
伸ばしはじめた僕の手は急には止められず、その美しい手に触れてしまった。
――――ガシャンガシャン!!
頭が真っ白になって、拾ったものをすべて落として腰が抜けた。
顔に熱が上がってくるのがわかったし、恥ずかしさと嬉しさで身体が震えてうまく動かなかった。
「お、お嬢様、すみま・・・せ、ぼ、僕、ごめ」
謝ろうとしたけれど、身体が動かないように、口が動かせるわけがなかった。
「邪魔してしまってごめんなさい。怪我はないですか?」
あの落ち着きのある柔らかい声が聞こえた。
ニコッ
ぼ、僕に話かけている?!しかも微笑まれた!
「ひっ」
先ほどとは違って、手が触れ合う距離にいる。僕の視界がアリステアお嬢様でいっぱいになった。
余りにも恐れ多くて、身体が反射的に後ずさってしまった。
腰は抜けたままなので、お尻をズリズリ引きずりながらだから、かなり変な動きだったと思う。
恥ずかしすぎて消えたい。
僕が固まっていると、グリームさんや他の職人の皆が助けてくれた。
頭がぼんやりして、うまく動かない。
「ランス、挨拶を」
グリームさんに声をかけられて、はっとして、なんとか声を絞り出して挨拶をした。
羞恥心でアリステアお嬢様を見ることができなかった。
グリームさんとアリステアお嬢様が何か話しているが、ちゃんと聞き取れない。
うつむいていると、視界にあの美しいアリステアお嬢様の手がみえた。
「では、ランス。よろしくね」
!!これは!専属契約の誓い!!!どうして?!
しまった!!グリームさんとお嬢様の会話聞いてなかった!
僕たち職人は、日々己の腕を挙げるために技術の研鑽を積み、職人頭と工房長に認められると一人前になる。
そして、それとは別に専属契約を受けることでも一人前と認められる。
通常は成人した16歳以上の見習いが専属契約の対象となるが、例外がある。
それは、成人前でも有名な品評価会で功績を残していたり、特殊技術を習得している場合だ。
将来有望な職人は奪い合いになるので、成人前に有力貴族が成長を助けるという慈善活動を名目に専属契約するのだ。
僕は本来成人を待たなくてはいけなかったけれど、前日に行われた洗礼式で魔素レベルがクラウン級であることが分かったため、例外対象となった。
魔素レベルは才能みたいなものだが、基本的には両親や親族の影響が大きく反映される。
そのため、平民の多くが3、4級がほとんどで、5級、6級となれば色んな役職の高官になれる。
7級以上にもなれば、平民でも国の政治にかかわる仕事もできる。
平民の、しかも捨て子がクラウン級。
あまりにも異例で、教会の人たちは戸惑っていたが、グリームさんは喜んでくれた。
「ランス、お前は何にでもなれるんだ!やりたいことを思いっきりするんだぞ!」
「僕、一人前の職人になりたい!」
本音だった。僕を育ててくれたグリームさん達に恩返しをしたかったし、僕にとっての家族である皆に喜んでほしい。
僕にできそうなことは、一人前の職人になって、工房を助けることだったと思う。
「そうか・・・一人前の職人か。まぁ、色んな道がある。違うことをやってみたくなったら、いつでも言うんだぞ」
「わかった」
違うこと、が全く思いつかないが、優しく微笑むグリームさんの言うことに素直にうなずいた。
そして、目の前に専属契約という一人前になれるチャンスがやってきた。昨日の今日で。
グリームさんの方を見ると、驚いているし、戸惑っているようにも見える。
僕は早く一人前になりたい。
心が決まると、身体が自然と動いた。
――――ちゅっ
これで、額に口づけの返事をもらえれば契約成立・・・あれ?口づけ・・・ん?
僕は今、誰の何に口づけをして、誰の口づけを待っているの?
視界には僕が口づけをしたアリステアお嬢様の美しい手が、僕の手の中にあるのが見える。
しかもこのあと、アリステアお嬢様の唇が僕の額に触れるの?
あれ?どうしてこうなった?
思考がグルグルし始め、事実確認のために膝まづいた状態で顔をあげると、美しいアリステアお嬢様と目があった。
やはり天使様だ・・・
思考が現実逃避を始めると額に柔らかい感触があった。
――――ちゅっ
っつ!!・・・
「よかったな!ランス。見習いとは言え、さすがクラウン級だ。お嬢様は先見の明がおありなのですな!はははは!」
意識が遠のき始めたところに、グリームさんの声が聞こえて我に返って、なんとか立ち上がる。
頭がぼーっとする。
――――トントン
「へっ」
「ランス、早くお嬢様の横に立って注文を受けなさい」
グリームさんに肩をたたかれて、自分の役目を思い出し、あわててアリステアお嬢様の隣に立った。
僕の専属として、そして一人前の職人としての初仕事だ。
――――カチャカチャ・・・よし。
今、アリステアお嬢様がつぶやいていた小型通信鏡の試作品を作っている。
すでにあるものの小型化は考えたことがなかったから、面白い。
作業しながらアリステアお嬢様のことを思い出すのは、僕の作業ルーティンになっている。
机の上には、アリステアお嬢様の毛髪が入った小瓶がある。
金糸のような髪は予想以上に柔らかくて、作業するときはドキドキして震えた。
僕の髪の毛は一般的な平民の色である茶色。
貴族や王族のような色持ちもいるにはいるが、少数派。
フワフワで柔らかい髪はよく絡まるし、寝癖がついたら簡単には直らないので、まったく好きになれない。
アリステアお嬢様のさらりと指通りの良い髪ならずっと触っていたくなる。
瞳は琥珀色。一般的な黄色より少し濃い。
目は二重で大きい方らしいが、細かい作業をしすぎたせいか、目が悪くて丸眼鏡は外せない。もはや体の一部だ。
アリステアお嬢様の新緑色の瞳が見たいな・・・
「いつでもランスとお話できるのにと思っただけですから・・・」
ピタッ・・・・
作業していた手が止まる。
これは、幻みたいな望みだ。
天使のようなアリステアお嬢様が僕と話がしたいって聞こえたけど、時間が経つにつれて幻聴だった気がしてきた。
勝手に小型通信鏡を作って渡したら気味悪がられるだろうか。
「ランスが作ったものを色々見せて欲しいわ」
「申し訳ございません・・・手元に残っていなくて」
作ったものは基本売り物か、他の職人の手伝いで作ったものなので、ほとんど手元に残らないのだ。
「では、これから作ったもの・・・試作品でもよいので、作ったら見せて欲しいわ」
「試作品・・・」
「今欲しいものが思いつかないから、注文したいものが思い浮かぶまで。腕をあげてもらうためにランスが作りたいものを予算内で作って私に見せてほしいの」
「作りたいもの・・・ですか?」
「ええ。楽しみしているわ」
・・・難しい注文だなっと思った。
注文通りに作るより、アリステアお嬢様に見合うものを自分で考えて作る方が何倍も難しい。
納品の帰り際に言われた為、アリステアお嬢様の好みなど詳しいことが聞けなかった。
紙とペンの依頼を受けた時に、ある程度聞いたが、もっと詳しく質問すればよかった。
アリステアお嬢様の好みは、その容姿や雰囲気とは異なってカッコイイものや強いものがお好きなようだった。
ペン先の彫りのデザインのために、どんなモチーフが好み尋ねると、随分と悩んでいらっしゃたので、
小鳥やリス、ウサギなどご令嬢が好むものを伝えてみても、反応が良くなかった。
「では、ディルタニア家の家紋のライオンはいかがでしょう?」
「ライオン?!ライオンがいいわ。私しし座なの」
「シシザ?とはなんでしょう」
「あ、なんでもないわ」
シシザが何かわからなかったが、ライオンがお好きなようだ。
家紋とは言え、令嬢の中には勇ましすぎると公式のもの以外には使わない人も多い。
「では、羽根の部分はグリフォンはいかがでしょう?」
「グリフォンですって?!すごいわ。ぜひ、それで!」
ライオンがお好きなら、強い魔獣であるグリフォンは好みかもしれないと思い提案すると、
案の定、美しい笑顔で答えて下さった。気絶するかとおもった。
アリステアお嬢様の専属として初めての仕事。
急ぎの入用と伺っていたので、寝るのを惜しみ今の自分ができるすべてを詰め込んで作った。
納品するときは、自分の心臓の音がうるさすぎて、アリステアお嬢様に聞こえてしまうのではないかと思い、さらに緊張した。
「ありがとう」
礼の言葉とともに見せてくださった笑顔が頭から離れない。
思い出すだけで幸せな気持ちになる。
会いたいな・・・この小型通信鏡を使って話ができたらどんなに幸せだろう・・・
――――カチャカチャ・・・
夜中、誰もいない工房で僕は作業を再開した。