その者、青き空の色を持ちし者 3
風が、頬を優しくなでて行く。
さわさわと地平線まで続く緑の平原をそよ風が絶え間なく吹き、草花を揺らして行く。
空は、高く雲ひとつない。
どこまでも澄み切った青い青い空。
柔らかい日差しがやんわりとあたりを照らしている。
その広い平原に俺は、寝そべっていた。
何をするわけもなく、ただただ飽きることなく青い空を眺めていた。
一瞬前の記憶は、『死』と隣り合わせだったはずだ。
しかし、今は、痛みも何もない。
ただ心地のよいこの空間に、静かに自分が居ることがとても不思議に思った。
『俺は、死んだのか?』
そう自問してみる。
ここは、よく巷で言われる死後の世界なのだろうか?
普段なら考えないようなばかげたことを思い浮かべてしまう。
ここが、死後の世界なら悪くはない、この美しい風と緑と青の世界なら、と。
― くす くす
小さな笑い声が、雰囲気を壊すことなく風に混じって聞こえてきた。
どこかで、聞いたことのあるような、なぜか懐かしいさを駆り立てる声。
しかし、どこで聞いたのか思い出すことができない。
― ここは、死後の世界ではないですよ?
そう風にのってまた声がする。
まだ成熟していない無垢な少女の様なとても柔らかな声。
『死後の世界でなければ、ここはいったいどこだ?』
起き上がりながら風に向かって問いかけてみる。
― ここは、遠い遠い昔に実際あった風景
― あなたの中に眠っていた、かけがえのない大切な記憶
愛しいそうに、声はそう返事をかえす。
『俺の、記憶の中の風景?』
― そう、貴方のDNAに刻まれていた、安らぎと癒しの空間
『安らぎと癒しの空間?』
こんな美しく安らげる景色を生まれてから一度も見たことがない。
当たり前だ。
この風景は、はるか昔に失われているのだから。
― 貴方は、まだ死んではいない
― 実体は深い傷のため癒しの眠りについているの
― 精神は安定を図るため、この空間にある
『俺は、あの状態でまだ死んでいなかったのか?』
朧げに思い出される『死』と隣り合わせの最悪の状況。
― もうすこし、遅ければ貴方は、死んでいた
『俺は、助かるのか?』
― 貴方は、助かる
― 私が、必ず助ける
自信に満ちた声でそう返事が返る。
『お前は誰だ?』
前に何処かでしたようなその問いを声に主に問いかけた。
― ……私に名は無い
切なげな声で、寂しそうにそう声は告げた。
『名が無い?』
― 私にはまだ名前がないの
― 出来れば私は、貴方に付けてほしい
『俺が、お前の名を?』
その請うような声に、俺の心臓が大きく鼓動を打つ。
― 私は貴方に名づけてほしい
声質が変わったわけではなかった。
しかしその声は俺の耳からはいりこみ体の奥に火を灯した。
普段制御されている感情や欲情が沸き起こり、戸惑う。
『実体の無いものに名をつけることはできない』
その戸惑いを悟られないように俺はぶっきらぼうにそう答えた。
実際、声だけではそのものの本質がわからない。
自論だが、名前とは名と視覚と聴覚が一致してこその名だと思う。
― 貴方の記憶の中で私にもっとも似ているイメージは
次の瞬間、目の前に澄んだ水をたたえた池が広がり、蓮の葉がその水面に浮かんでいた。
その池の中心に一輪の緋色の蓮の花が咲いていた。
― この花が私
声を乗せた風が、その花をそっとなでる様に吹き、それにあわせて花が揺れる。
『緋色の蓮の花、緋の蓮、ひれん、「緋蓮」』
俺は、その花そのもののを連想しながら浮かんだイメージをそのまま並べ立て、最後に行き着いたその名をそっと呼んだ。
― 『緋蓮』 うん、いい名前
うれしそうな声で、そう声は反芻する。
― あと少しで、貴方の実体が癒える
― 目が覚めたらその名で私を呼んでください
名残惜しそうに、切なそうに、哀願するように、そう声が告げる。
また、俺の心臓の鼓動があがる。
― 現実の世界で、私は貴方を待っています
そうして、声は消え、目の前にあった蓮池も消え、もとの風と緑と青の世界に戻る。
その後何度呼びかけても、返事は返ってくることはなかった。
俺は、再び草むらに横たわり空を見上げる。
声だけしか知らない存在のに、その声の主に無性に会いたくなる。
体にともった火が、まだかすかに疼く。
苦痛を伴わない快感を含んだその疼き。
待ちどうしい。
こんな気持ちは、初めてだ。
愛しいと想い始めている、限りなく優しい声の主を想いながらそっと目を閉じる。
次に目覚めた時に、現実世界で声の主に対面できるということに喜びを感じながら。
まだ、主人公の名前が出てきていないです……orz
もう少し先でようやく出る予定です




