クラスのギャルがメイドカフェで働いているのを俺だけが知っている
俺――朝日川誠は朝から憂鬱だった。
なぜならば、昨日の席替えでクラスのギャル、富良野芽衣の隣の席になってしまったからだ。
富良野は明らかに染めている茶髪のショートヘアで、顔には派手な化粧をしている。
耳にはエグい数のピアスが開いていて、爪には目が痛くなるような色のネイルが施されている。
休み時間はずっとスマホを見ていて、誰かと喋っているところを目にしたことはない。
そんな謎のギャル――富良野芽衣。
うわー、怖。目を合わせたら殺されるんじゃないだろうか。
俺は授業中、バレないように富良野の方へ視線を向けた。
富良野は教科書に埋もれるようにして机に突っ伏していた。
……あれ、完全に寝てるよな。
さすがギャル。授業中なのを気にしない圧倒的睡眠。
そんなことを考えていると、富良野の顔がこっちを向いた。
見ているのがバレたのかと一瞬焦ったが、彼女の両目はしっかりと閉じていた。
良かった、まだ寝てるみたいだ。
とは――いえ。
こうして富良野の顔をちゃんと見るのは初めてかもしれない。
富良野は意外と整った顔をしていて、唇や頬はとても柔らかそうで、寝息を立てる安らかな表情からは普段の冷たい印象は感じなかった。
むしろ思っていたより童顔で、かわいらしい感じだ。
え……今俺、富良野のことをかわいいって思ってるのか?
いやいや待て待て、こいつはクラスでも浮いてる不良ギャルなんだから。
裏ではパパ活とかやってるってもっぱらの噂なんだから。
「あー、富良野。この数式の答えを言ってみろ」
不意に数学教師が富良野の名前を呼んだ。
刹那、富良野は目を開けて立ち上がると、大きな声で言った。
「おかえりなさいませ、ご主人様っ……!?」
言葉の途中で我に返ったのか、富良野は慌てた様子で周囲をきょろきょろと見回した。
クラスの中で失笑が起こる。
一体何を言ってるんだ、こいつは⁉
『おかえりなさいませご主人様』? どんな夢を見ていたんだろう。
そのとき、不意に富良野と目が合った。
富良野は今にも泣きそうな目をしていて、頬は熟れた林檎みたいに真っ赤だった。
俺は咄嗟に囁いていた。
「Y=Xの3乗だ!」
「わ……わいいこーる、えっくすの、さんじょう……?」
舌足らずな発音で富良野は言った。
教師は納得いかないような顔をしながら、正解だ座っていい、と言った。
富良野は脱力したように椅子に座ると、長いため息をついた。
※
昼休みの時間になった。
俺は優雅なランチタイムに入ろうとしていた。
メニューは、昨日スーパーの特売コーナーで入手した総菜パンが二つ。
本当は弁当か何かを買いたいのだけれど、一人暮らしの身としては贅沢を言うわけにはない。
と、俺の眼前に人影が現れた。
「……あんた、あたしのことジロジロ見すぎ」
さっき聞いたばかりの舌足らずな声。
富良野だった。
いつもの冷たい目で俺を見下ろしている。
なんだよてめー、助けてやったのは誰だと思ってんだ感謝はされても文句言われる筋合いはないぞ―――と、言い返す勇気は陰キャである俺には無かった。
というかジロジロ見てたのは事実だし……。
「ご、ごめん」
ここは素直に謝罪だ。
余計な反論をして問題が拗れるのだけは避けたい。
富良野は気だるそうにため息をつく。
「ま、別にいいけど」
良いのかよ……。
じゃあいちいち言ってくるなよ……。
心の中で悪態をつく俺を他所に、富良野は自分の席に戻っていった。
なんだこいつ、俺に文句を言うためだけにわざわざ俺の机まで来たのか?
もしかして暇なの? それとも何なの?
富良野に対するヘイトが限界値に達しようとしたとき、隣の席から小さな声が聞こえた。
「………………………さっきはありがと」
思わず二度見した。
富良野は既にスマホに視線を落としていて、こっちを見向きもしなかった。
しかし―――今確かに、富良野は俺に言ったのだ。
ありがとう、と。
………もしかして意外と素直なところもあるのか、こいつ?
「やあ朝日川氏。本日もご機嫌なランチですかな?」
今度は誰だよと思って顔を向けると、俺の唯一の友人である牛山だった。
度の強い眼鏡に生気を感じない表情、一目で陰の者と分かる男―――牛山。
「どうしたんだ、牛山も昼飯か?」
「さすがの洞察力、さては朝日川氏ニュータイプ?」
「ニュー……なんだって?」
「宇宙に適応した新人類のことだよ。宇宙空間という広大な空間で生存するために認識能力や洞察力が進化した存在なんだ」
「ごめん何言ってるか分からない」
「まあ、ようござんす。それより朝日川氏のごきげんなランチに小生もご一緒させていただきたいのだが、よろしいかな?」
牛山は牛丼チェーンのビニール袋を俺に見せた。
彼の昼食だ。
「ああ、いいよ」
「実はお話ししたいこともありますゆえ、場所を変えて欲し候。重要機密でござる」
「……了解」
俺たちは教室を抜け出し、屋上へ続く階段の踊り場へ向かった。
ここは他の生徒がくることもほとんどなく、俺たちのようにクラスの圧倒的マイノリティにとっては安息の場所だった。
「というわけで新たな調査任務だよ、朝日川氏。駅前に出来た新しい店だ」
牛山がビニール袋から牛丼を取り出しながら言う。
「新しい店……つまりあれか」
「そう、あれさ。女神たちが舞い踊るエデン」
「メイド喫茶だな」
「そうとも言う」
牛山は牛丼の蓋を開け、その上に付属の七味をかけた。
俺も総菜パンの包装を破る。
「しかしお前も飽きないよな。またメイド喫茶か」
「小生の宿命だからね、メイド喫茶に通うことは」
この牛山という男はメイド喫茶の熱狂的な信者で、必ず週に一度は通っているのだという。
「で、そのメイド喫茶がどうしたんだ?」
「調査任務だと言っただろう。今日の放課後、早速潜入捜査を行おうと思っている。いいな、アサヒカワ・スネーク」
「ごめん何言ってるか分からない」
「……ま、まあ、要するに、メイド喫茶行きたいからついてきてくれない? ってことなんだけどね」
「ああなるほど、別にいいぜ。どうせ俺も暇だし」
「そ、そうか! 助かり申す助かり申す、いかにメイド喫茶マスターの小生としても初めてできた店に一人で吶喊するのはハードルが高いというかなんというか、本質的に小生、コミュニケーションに一抹の不安を持つ人間であるからにして」
急に早口になるなこいつ……。
これも牛山という男の哀しい性質なのかもしれない。
「じゃあどこに集合する? 学校終わったらそのまま行くのか?」
「いや、制服のまま行くのはマズい。一度帰宅し服装を整えたのち駅前に集合というのはどうっスかね」
駅前か。
俺が借りてるアパートの近くだな。
「分かった、そうしよう。そっちの方が都合良さそうだし」
「では放課後、駅前集合ということで。遅れたら承知しないんだからねっ☆」
「牛丼食えよ。冷めるぞ」
「心配無用、既にキンキンに冷えておりますゆえ。しかし小生のメイド喫茶に懸ける想いは冷めないのさ―――永遠にな」
「はいはい」
駅前――メイド喫茶―――メイド?
何かが頭の中に引っかかっているような気がしたが、まあ、気のせいだろう。
俺はパンを一口齧った。
※
「……ここか」
放課後、俺と牛山は駅前のメイド喫茶の前にいた。
だいぶアングラなジャンルの店ということもあって、大通りからは少し離れた閑静な通りに位置している。
「うむ、この店のオーナーは分かっておられる。得てしてメイドとは主に付き従う存在。つまり、このような落ち着いた場所こそがふさわしい」
「要するに、周りに人が多いと入りづらいって言いたいんだろ?」
「そんなところでござる」
「じゃ、早速入るか」
「待ってくだされ朝日川氏、小生、まだ心の準備が……」
「なんで毎週のように通ってるお前の方が緊張してんだよ」
入口のドアを引いて入店する俺の後ろから、牛山はぴったりと付いて来る。
店内は意外にもシックな雰囲気で統一されており、居心地は悪くなさそうだった。
こんな感じなのか、俺はてっきりピンクの壁紙でも貼ってあったりするのかと思って――
「おかえりなさいませ! ご主人様!」
「あ……どうも」
入って早々、元気いっぱいの黒髪ロングのメイドさんから挨拶された。
いきなり眩しい笑顔を向けられたため、返答もぎこちなくなってしまう。
きょどったな、俺。
「ご帰宅されたのは2名様ですか?」
「……はい? ご帰宅?」
「そうでござる!」
困惑する俺の背後から牛山が意気揚々と答えると、それを聞いたメイドさんはニコッと笑って。
「かしこまりました! ではお席にご案内いたします!」
と、俺たちの前を歩いて先導してくれた。
「…………」
黒を基調とした衣服に、白のフリル付きエプロン。
すごい、本当にメイドさんだ。
……いや、そりゃメイド喫茶に来たんだから当たり前なんだけど。
ていうか牛山の奴、急に元気になったな……。
まるで水を得た魚のようだ。
そんなメイドを得た牛山と共に、俺はテーブル席に着席する。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びくださいね、ご主人様!」
黒髪のメイドさんは深々と頭を下げて、一度も笑顔を絶やすことなく去って行った。
牛山はそれを見て満足そうに頷く。
「素晴らしい。これは実に良質な時間が期待できる……!」
「まだ席に着いただけなんだけど」
「朝日川氏、メイド喫茶は出迎えの挨拶で八割方わかるのでござる。あの可憐な笑顔はまさに接客が行き届いている証拠!」
「そういうもんなのか」
その辺は普通に飲食店と変わらないらしい。
「さぁさぁ、それではメニューを吟味しようではありませんか」
牛山は可愛らしいデザインのメニューを手に取り、それを開く。
オムライスにカレー、コーヒーやパンケーキ、パフェなど様々な料理が載っている……のだが。
「いや高いわ。ここアメリカ?」
思わずそんな声が漏れる。
四桁もするカレーなんてそんじょそこらじゃ中々見ないぞ。
「朝日川氏ぃ、メイド喫茶とはそういうものでござる。料理がおいしくなる魔法の代金も込みでこの値段、むしろ安いと思うべきでは?」
「そういう……もんなのか……」
「まあ、経験が浅い朝日川氏が理解できないのは当然。小生もご主人様の端くれとして付いてきてくれたお礼はさせていただく、なので、ここは小生の奢りということで」
「マジで? いいの?」
「うむ、代金は気にせず好きに頼まれると良い」
「じゃあ俺オムライスにするわ、お腹空いてるし」
「メイド喫茶は空腹を満たす場所では無いと思われるが……まあよろしい。では朝日川氏はこの『心を打ちぬくハートのおまじない付きオムライス。赤い流星模様Ver』でござるな。小生はパンケーキにするとしよう。早速注文をば」
牛山はメイドさんを呼び、慣れた口調で複雑な注文内容を述べていく。
すげぇ、俺だったら絶対噛むと思うわ。それを聞き逃さないメイドさんも凄いし。
「さて、注文は無事に終えたので後は待つだけでござる」
「流石によく来るだけあって手際が良いな」
「ふっ、褒めても何も出ませんぞ。それより朝日川氏、先程のメイドさんの髪を見て何か思うことは?」
「え? ああ、可愛いカチューシャを付けてたな」
「チッチッチ。あれはカチューシャではなくプリムでござる。よろしいか、この店ではメイドさん一人一人に個性を出すため、それぞれが別のアクセサリーを付けておられる。あの子はプリム、あそこで接客している茶髪の子はヘッドドレスでござる。こちらに背を向けているので少々分かりづらいでござるが」
「ふぅん……そうなんだ……」
言われるまま、俺は牛山が指さす方を見る。
うーん、どれも全部ヒラヒラの付いたヘッドホンにしか見えない。
「頭の部分だけではござらん、当然、衣服もそれぞれコンセプトが違っていて――」
と、そこから10分間、俺は牛山からメイド衣装のなんたるかを叩き込まれた。
もうすぐ期末テストだっていうのに、どこで役立つかも分からない知識で脳がパンパンである。
「――つまり、メイドにミニスカというのはあまりも安易な組み合わせであり、慎ましさを信条とするメイドとでは相乗効果なんてものは期待できず、やはりロングスカートが至高で――おっと、話の途中で失礼、小生、お手洗いに行ってもよろしいか?」
「もちろんいいよ。どうぞどうぞ。ぜひともごゆっくり……」
「……? ではお言葉に甘えて失礼」
席を立ち上がりトイレに向かう牛山を見送ってから、俺はテーブルに突っ伏す。。
やっと終わった……ああいや、中断しただけか。帰って来たらまた再開するんだよな、うん。
嫌だ。これ以上メイドの情報を摂取したくな――
と、そこへ。
「おまたせしましたご主人様、お料理をお持ちしました! 本日からこのお屋敷で働かせていただくことになったフランです、よろしくお願いしますね!」
注文していた料理をメイドさんが運んできてくれた。
おまけに活発で明るい自己紹介付き。
しかし机に突っ伏している俺を見て、その声色は少しだけ心配そうなものに変わる。
「どうされたんですかご主人様? 具合が悪いんですか?」
「ああいや、大丈夫です。ちょっと疲れただけなんで……」
「そうですか? なにかありましたらフランにお申し付けくださいね」
ああ、なんて良い子なんだろう。
俺は天使の邪魔に――ああいや、メイドさんの邪魔にならないよう、テーブルから顔を上げる。
その格好は、先程牛山が邪道だと言っていたメイド×ミニスカートのタイプのメイドさんだった。
黒髪清楚なメイドさんとはまた違う魅力を感じるな。なんか挑発的な雰囲気っていうか、ヘッドドレスも明るいブラウンの髪によく似合ってるし……って。
「……え?」
配膳をしてくれているメイドさんを見て思わず固まる俺。
……富良野だよな?
それはまさに、今日の昼に机から彼女を見上げた時の角度と同じだった。
唯一異なるのは、その表情が学校では一度も見せたことのない笑顔だということだけ。
あ、それとメイド服を着てることも追加。
「…………」
「……? どうなさいました? ご主人さ…………げっ!」
絶句している俺を不思議そうに見た富良野もどうやら気付いた様子だ。
メイドが出していい声じゃない。
「な、なんであんたがここにいるの……!?」
「そのセリフはお互い様だと思うんだが」
ていうか、どっちかというと俺の方が居ても自然じゃない?
「まさか同級生にバレるなんて……うわぁ、最悪……」
と、富良野は頭を抱えて分かりやすく動揺する。
そこに1分前までのフランちゃんの面影はない。
「もう恥ずかしすぎて死ねる……あのさ、一つ確認するけど、あんた一人?」
「いや、もう一人いる。今はトイレに行ってるけど」
「だったらそいつに見られる前に終わらせないと……よし」
そう言って富良野はケチャップを手に取り、俺の前に置かれていたオムライスへ構える。
ああ、やっぱケチャップで文字とかハートとか書いてくれたりするんだ。
なんて思っていると。
「それではご主人様、フランと一緒に魔法を唱えてみましょう!」
富良野は一気に、明るく元気いっぱいなメイド口調に戻った。
うお……すごい緩急。プロだな。
「ご主人様とフランがうまく魔法を使うことができたら、このオムライスに綺麗な流れ星が降ってきますよー」
「あの、富良野?」
「質問は受け付けないですご主人様。黙ってフランの言うことを聞いてくださいね?」
「……はい」
富良野の圧力に屈する俺。
どっちが上なんだか分からなくなってきたな。
「それでは、今から呪文を唱えるのでご主人様はフランの後に続いてください♡」
と、富良野は片手を流れ星に見立てて、上から下へと可愛くスライドさせていく。
「キラキラキュンキュン、シューティングスター♡ はい、ご主人様もご一緒に!」
「え、ああ、きらきらきゅんきゅん、しゅーてぃんぐすたー……」
「あれあれ? なんでご主人様は楽しそうじゃないんですかぁ?」
「なんか、今は楽しさよりも困惑が勝ってる」
「なるほどー、それはフランもそう思います。同級生とバイト先で会っちゃうなんて、まるで夢みたいです。悪い意味で♡」
「本音が出てるぞ」
「動揺しすぎてメイドのキャラがブレてきました。あの、この事は誰にも――」
富良野が何か言おうとしていると、トイレから牛山が出てきたのが視界に入った。
「あ、もう戻ってくるかも」
「ウソ!? ヤバイヤバイヤバイ……もう……! では最後に、フランから流れ星のメッセージプレゼントをお送りいたします!」
富良野はその華麗なケチャップさばきによって、オムライスを鮮やかに彩っていく。
「完成です! パンケーキの方の魔法は別のメイドさんにかけてもらって! ……じゃなかった。もらってください!」
「……了解」
脱兎のごとく逃げ去っていった富良野には聞こえていないだろうが、一応返事をしてみる。
なんだったんだ一体、アイツどうしてこんなところに……?
「いやぁ、お待たせして申し訳ない」
訳も分からず混乱する俺とは対照的に、一連の事件を知る由もない牛山が呑気に戻ってきた。
俺も行っとけば良かったな、トイレ。
「ふむ、もう料理が到着しているとは、やはり名店の予感」
「……そうかもな」
「朝日川氏は既に魔法を掛けてもらえたようでなにより。……むむ、随分達筆なメイドさんとお見受けする。朝日川市、一体どんな言葉を希望したので?」
「どんなって、俺は別に……」
目の前のオムライスにケチャップで書かれている文字列を見て、俺は言葉を濁す。
牛山はそれが日本語で書かれたものだと思っているため、パッと見では読めなかったのだろう。
メイドさんとしてのサービスをこなしつつ、富良野が俺に残していったメッセージ。
それは、もし俺が読み間違っていないとしたら。
『I kill you. If you tell my secret.』
「秘密をバラしたら殺す」って書いてるんだろうな……多分。
※
翌日、いつも通りの時間に起きた俺は、普段と何も変わらない時刻に登校し、教室へと向かっていた。
「いやはや昨日は最高でござったな」
「ああ、期末テスト前の学生とは思えない過ごし方だったけどな」
「それは致し方なし。オープンしたての新鮮な雰囲気を楽しめるのは今だけゆえ」
そう言って眼鏡をくいッと上げる牛山。
このメイド狂とこうしてだべりながら廊下を歩くのも日常茶飯事だ。
俺はいつもと同じ日常を繰り返すべく、始業前の教室に足を踏み入れる。
が、昨日と同じなのはそこまでだった。
「おはようあのさぁ用があるからちょっと一緒に来て!」
教室に入るなり、待ち構えていたかのように富良野が俺に詰め寄って来る。
なに? なんて言った今?
「いいからほら!」
「え? あ、ちょっ……!」
そのまま富良野に腕を掴まれて強引に引っ張られ、訳も分からないまま廊下に引きずり出されてしまった。
「あ、朝日川氏が拉致されるでござる!」
「うるさい! んなことするかっての! ちょっと借りるだけだから!」
「牛山、一応通報だけしといて」
「しなくていい! したらメガネ割るわよ!」
と、富良野は過激に牛山へ釘を刺し、廊下を早足で歩き出す。
訳も分からずにグイグイ引かれているうち、屋上へと続く階段の踊り場まで連れてこられた。
なにこれ、怖い……。
「よし、ここなら誰も来ないわね」
「お、お金は持ってないぞ。確かに昨日は牛山に奢ってもらったけど、俺はもともと常に金欠だからな」
「なに? 何の話?」
「……え、カツアゲじゃないの?」
「違うわよ」
「じゃあなんで、こんな人気のない所に?」
「だから、その……き、昨日のことなんだけど」
と、どこか切り出しにくそうな雰囲気で、富良野は伏し目がちに言う。
なるほど、昨日と言えばもうアレしかない。
「なんか、すごい偶然だったよな。メイド喫茶に入ったら、たまたまそこにフランちゃんがいて――」
「富良野ね」
「……富良野がいて、俺たちはバッタリ会ってしまった、って感じだったな」
「うん、そう。……で、本題なんだけど」
そこで富良野は俺にグイッと顔を近づけて、
「誰かに言った?」
低い声でそう囁く。
それは質問というより、尋問と表現した方がしっくりくる言い方だった。
「……いや、言ってない」
「ホント?」
「ああ」
「嘘だったら殺すわよ?」
「お前、そんなにバレたくないのにあんな近場でメイドやってんの?」
「だって、まさかクラスメイトがやってくるなんて思わないでしょ?」
「…………」
俺だって、まさかクラスメイトがメイドをやってるなんて思わないよ。
「そもそも、そこまで秘密にしておくようなことか? 普通に可愛かったし良いじゃん。よく似合ってたって」
「ふぇ!? あ、ああ……あっそう……いやダメよ。お世辞を言ったところで罰は軽くならないから」
「もう罪は確定してるんですか、俺?」
「まあ、今は時間がないから真偽の程は後でじっくり確かめるとして……とりあえずどこに住んでるかだけ教えて」
「……なんで?」
「なんでってそりゃ、朝日川が嘘をついてた場合に、それ相応の対応を取るため?」
「よく分からないけど怖いな。要するに報復みたいなもんだろ?」
「後ろめたくないなら教えられるはずだけど?」
「いや、うん、まあいいけどさ……」
「じゃあ教えて? どこに住んでるの?」
「……駅前のアパートです」
「ああ、あそこね。何号室?」
「えっと、13402号……」
「無駄な抵抗しないの。何号室?」
「103です……」
「なるほどね。あとは……そうだ、家族構成は?」
「え、もし俺が嘘をついてたら家族まで犠牲になるの?」
「あくまで参考までによ」
「…………」
なんの?
そんな抱いて当然の疑問が胸中に浮かびはしたが、富良野の透き通るような瞳が俺を間近で見つめているため、動揺してうまく言い逃れられそうにない。
女慣れしていないことが仇になった形である。
俺情けな……。
「はいさっさと答える。お父さんとお母さんは何人ずついるの?」
「一人ずつです。……っていや、なんだその聞き方、大抵の場合はそうだろ」
「はいはい、兄弟とかはいる?」
「妹が一人いるけど、そもそも俺は今は一人暮らしなんで家族に手は出せないぞ」
「ああそうなの? ふぅん、一人暮らしか……」
俺の言葉を聞き、富良野は何かを思案するように目を逸らした。
マズい、失言だったかも。
確かに蛮行っていうのは一人相手の方が成功率は高くなる。
ウチ、鍵とか超脆いんだよなぁ……。
しかし富良野はそれ以上俺に問いかけてくる様子はなく、手元のスマホに何かしら文字を打ち込んだ後(大方俺の住所だろうけど)、満足そうに口を開く。
「オッケー、もう行ってよし」
※
俺の借りている部屋は木造アパートの一階にある。
駅前から徒歩数分。あのメイドカフェからも近い交通アクセス抜群な部屋だ。
鍵をガチャガチャやりながら建付けの悪いドアを開けて、俺は部屋の中へ入ると通学バッグを床に放り投げた。
大変な一日だった……。
そのままベッドに突っ伏して数分。
冷蔵庫の中身が空っぽだったことを思い出し、重たい身体を起こした。
カップ麺も――もう無くなってたよな。
解に行かなきゃ何もないのか。面倒くさい。今日の夜飯は食べないでおこうかな。
そんなことを考えていると、腹が情けない音を鳴らした。
く、空腹だ……。
しかし外へ出て買い物をするだけのエネルギーは残っていない。
帰り道に買ってくれば良かったと後悔する反面、俺に余計なストレスを与えたのは富良野なのだから全ての責任はあいつにあるような気もする。
あーあ、こんなとき俺をめちゃくちゃ甘やかしてくれる美少女がご飯つくってくれたらなあ。
玄関のドアがノックされたのは、そのときだった。
この部屋に住み始めてから1年以上経つけれど、こんなことは初めてだ。
俺は恐る恐るドアの覗き穴から外を見た。
立っていたのは茶髪でショートヘアの女の子だった。
まさか俺の願望が実現したのか―――と喜ぶ間もなく、その女の子が俺の知っている人物であることに気が付いた。
「……なんだ、富良野か」
ドアを開ける。
富良野は両手でビニール袋とハンドバッグを持っていた。
「な、何よそのイマイチな反応! 異性が部屋を訪ねてきたら、男の子って半狂乱になって喜ぶものじゃないの?」
「いや半狂乱にはならないだろ……普通」
「喜びのあまり失禁すると聞いたことがあるわ」
「俺は犬か何かか……」
どんな異常者だ。さっさと通報されろ。っていうか男子に対するイメージが偏りすぎだろ……。
「うわ、殺風景で散らかった部屋ね」
「悪かったな。で、何の用だよ」
勝手に部屋の中見るなよな、と思いつつ僕は尋ねた。
「そんなの決まってるじゃない。あんたがあたしの秘密を誰にもバラさないか見に来たのよ」
「ああ、そう……。じゃあご覧の通りだよ。一人暮らしなんだから誰にも話しようがないだろ」
「そんなの分からないじゃない。あんたスマホ持ってるでしょ? 履歴見せなさいよ」
「はあ? なんでそんなことしなきゃいけないんだよ」
「誰かに電話したりメッセージ送ったりしてるかもしれないでしょ!」
なんて粘着質なやつなんだ……!
しかし、スマホを見せなければ話が先に進みそうになかったので、俺は渋々富良野にスマホを預けた。
富良野は慣れた手つきで俺のスマホを操作する。
「確かに嘘は言ってないみたいね」
「ああ、俺は逃げも隠れもするが嘘はつかないのが信条だからな。分かったらスマホ返せよ」
「そんなに焦らなくても返すわよ。それとも何? 見られたらマズいものでも入ってるわけ?」
うっ。
そりゃあ肌色面積の多いピンクな画像くらい多少は―――俺も男の子だからね。
「それはお前に関係ないだろ」
「はいはい」そう言って富良野は俺にスマホを手渡す。「でも、猫耳の女の子ばかりというのは趣味が悪いと思うわ」
「余計なお世話だ! っていうか見てるじゃねえか!」
「…………そ、そういうのが好きなら、やってあげなくもなくもなくもないけど」
「え、今なんて?」
「な、何でもないわよ!」
急に大声出してどうしたんだこいつ……。
と、スマホを確認したとき、俺はアプリの連絡先に見慣れない名前が増えているのに気が付いた。
「……『富良野芽衣』ってこれ、お前」
「あたしの連絡先。あった方が都合いいでしょ」
「都合って何の?」
「朝日川って意外と細かいのね。どうせ女の子の連絡先なんて他に登録してないんでしょ? 素直に喜びなさいよ」
「よく知りもしない奴の連絡先なんて知って喜べると思うのか?」
「あ、あたしのことなんて、今から少しずつ知ってくれたらいいじゃない!」
「………はあ?」
なんでちょっと顔赤いんだこいつ⁉
「とにかく上がらせてもらうから! お邪魔します!」
富良野はなぜか半ギレ気味に靴を脱ぎ、無理やり我が家に侵入しようとしてきた。
俺は慌ててその肩を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待て! 勢いで押し切ろうとしてるけど何してんだお前!」
「何って、どうせ夕飯まだなんでしょ? 食べたとしても総菜パンとかインスタント食品ばかりでしょ?」
「それはそうだけど―――ってなんで俺の食生活を把握してるんだ⁉」
「昼休みのあんたを見てれば分かるわよ。食べてるのはいつもパンばっかりじゃん」
「いやまあ、その通りだけど!」
富良野の言葉に猛烈な違和感を覚えていた。
『昼休みのあんたを見てれば分かるわよ』?
それってまるで、いつも俺のことを見てたみたいな……。
そんなことを考えていると、富良野は何かに気付いたような顔をして、言った。
「―――か、勘違いしないでよねっ! 別にあんたのことが気になってたとかそんなじゃないんだからっ! ただ、不健康そうだなぁって思ってただけなんだからねっ!」
「余計なお世話だよ! っていうか俺がパンばかり食べてたからって、お前が何かしてくれるわけじゃないんだろ!」
「してあげるわよ!」
「え、何を?」
「―――ご飯作ってあげるわよ!」
「……マジで?」
俺が言うと、富良野はあたふたと両手を振り回しながら、
「あ、ええと、別にあんたの食生活が心配とかじゃなくて、塩分過多な食事のせいで、隣の席で心筋梗塞とかになられたら大変だから、今のうちに予防しておいてあげるって言ってるの! …………あのさ、ずっと気になってたんだけど」
「なんだよ?」
「いつまであたしの肩、掴んでるつもりなの?」
言われてみて気づく。
俺は富良野の両肩を掴んだままだった。
こうしてみると、富良野って意外と小柄なんだな……って、余計な考えか。
「あ、ああ。ごめん」
「全くだわ。ずっとこんなことされてたらドキドキする……じゃなかった、婦女暴行で訴えないといけないところだったわ」
「訴訟の国アメリカかよ、ここは」
「とにかく台所借りるから。うわー汚い部屋ね」
「いちいちうるさいな……。別に来客もないから良いんだよ」
「軽く掃除して、せめてあたしが寝るところは確保しなきゃいけないわね……」
「……は? えっ? 今なんて言ったんだ?」
「あれ、言ってなかったかしら。今日からあたしこの部屋に泊るから」
「……………………いや聞いてないけど?」
「ほら、バイトとかで夜遅くなることあるじゃない? そのせいで家に帰るのも遅くなっちゃって。バイト先に近いこの部屋ならその心配もないかなって思ったの」
なるほど、授業中いつも寝てたのはバイトで遅くなるのが原因だったのか。
理解はした。しかし納得はしていない。
「だからって、どうして俺の家に……」
「あんたがあたしの秘密バラさないか監視も出来て、バイト先にも近い。一石二鳥じゃん」
「お前にとってはな。でも、俺には何のメリットもないじゃないか」
「うん、そうね」
「『うん、そうね』じゃないだろ! 何平然と言ってんだ!?」
「何よ、あんまり怒らないでよ。血圧あがるわよ……それとも、怒りっぽくなっているのも堕落した食生活のせいかしら?」
「余計なお世話だよ……」
「じゃあこうしましょう。あんたはあたしを家に泊める。代わりにあたしはあんたの身の回りのお世話、全部してあげる」
「身の回りの世話、全部……?」
「掃除、洗濯、家事、炊事、その他全部。どう? これならあんたにもメリットあると思うけど」
「そ、それはそうだけど、お前、家事とかできるのか?」
言ってから思い出す。
そうか、こいつは……。
「忘れたの? あたしメイドカフェの店員さんだよ。ご主人様のお世話は任せてよ。……ところで夕飯は何になさいますか、ご主人様?」
富良野は上目づかいで俺を見た。
その表情に、俺は思わず胸が高鳴った。
「………じ、じゃあ、オムライスで」
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