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異世界プロデューサー

作者: 真造心臓

 美しい。

 その光景を見たぼくには、そんな陳腐な言葉しか浮かばなかった。

 人は本当に感動したとき言葉を無くすという話は聞くけど、自分が実際に体験したのはこれが初めてだった。

 建ち並ぶ日本家屋の合間にある、ひと()のない小さな公園。

 そんな観客などいないステージで、彼女は一人で踊っていた。

 誰に見られている訳でもないのに、誰もかもを魅了するような輝きを放って。


 その日のぼくは、外回りで色々なところを歩き回っていた。

 最後の一軒への訪問を終え、事務所に帰ろうと地図アプリ片手に歩みを進めていると、何故か一軒家の建ち並ぶ住宅地へと案内されてしまい、結果として見事に迷った。

 家屋の隙間を縫うような細い路地に案内され、明らかに道なきところへ進めと言われ、何とか先に進もうと四苦八苦している内に、完全に進むべき道を見失ってしまった。

 途方に暮れながらもどこかに活路はないかと辺りをうろついていると、たまたま辿り着いた小さな公園。

 誰にも見向きもされなさそうなそこは、間違いなく今この瞬間だけはステージだった。

 一心不乱に踊る彼女だけが立つ、小さなステージだった。

 彼女だけしか立っていないし、彼女以外が立つこともないだろうが、今この瞬間だけは、彼女を輝かせるための舞台となっていた。

 彼女は背を向けて踊っていたため、こちらには気づいていない。

 それでも、彼女の輝きから目が離せなかった。

 見蕩れている内に、彼女の踊りが終わる。

 ぼくが思わず拍手を送ると、彼女はビクッと肩を揺らしてからこちらに振り返った。

 伸びた前髪が彼女の顔左半分をほぼ覆っていたが、見える範囲だけでも彼女の顔が整っていることはわかった。

 それだけではなく、スタイルも整っており、少し高めの身長もそれを映えさせていて、芸能人をやっていますと言われても違和感がないほどのオーラを持っていた。

 それこそ、先ほどまでぼくが出先で売り込んでいた、アイドルたちに負けず劣らずの。

「……誰?」

 あまり表情は変わらなかったが、彼女怪訝そうな声で尋ねてきた。

「ごめん、怪しい者じゃないんだ! ただ、地図アプリの案内に従っていたら、見事に迷ってしまってね……。たまたまここに来てしまって……」

「ああ……」

 彼女の表情はあまり変わらなかったが、納得した様子だった。

「ビル通りの方から来たの? あそこから駅に行こう地図アプリを開くと、何故かこの辺りを通らされるんだよね。駅からそっちに行くときはそんなことないのに。しかも、何故か行き止まりを進めと言われるし。とりあえず、そこを道なりに真っ直ぐ行って、大通りに出てから地図アプリを見ると良いよ。そうすればわかりやすいから」

「そ、そうなのか。ありがとう」

「別に。よくいるから、そういう人」

 素っ気ないながらも親切に教えてくれた彼女は、話は終わりと言わんばかりに背を向け、その先にある荷物の方へと歩いていった。

 タオルを取り出し、汗を拭う。

 その姿から、すでにぼくの存在は意識の外にあることが窺えた。

 だが、ぼくは立ち去ることができなかった。

「……何? まだ何か用があるの?」

 その場に留まり続けているぼくに、汗を拭いながら彼女が尋ねてきた。

「いや、そのね……」

 ぼくはどうするべきか迷った。

 いつもの、街中でのスカウトならこんなに迷うことはないのだが、この場にいるのがぼくら二人だけだからなのか、妙な緊張感があった。

 彼女は怪訝な様子だったものの、こちらに戻ってきてくれた。

 話を聞く気はあるということなのだろう。

 ぼくは意を決して、彼女に尋ねることにした。

「アイドルに、興味はないかな?」

 だが、その言葉に対する彼女の反応は、芳しいものではなかった。

 スカウトのときによく向けられる、驚きとも、疑惑とも違う、落胆のような感情が見て取れた。

「ないよ」

 それだけ言うと、彼女は再び背を向けようとする。

「ま、待ってくれ! 話だけでも……」

 言いながら、胸元から名刺を取り出そうとしていたのだが、もう一度振り返ってくれた彼女の顔には、明らかな怒りが滲んでいた。

「しつこいよ。興味はないって言ってるでしょ」

 あまりの剣幕に固まっている内に、彼女は足早にぼくから離れていき、荷物を手に取ってその場を去って行った。

 ぼくはそれを引き止めることができず、呆然としていた。


 翌日。

 やはり昨日の彼女のことが忘れられず、ぼくは再びあの公園に行くことにした。

 今日もあの辺りに用事があるし、昨日のうちに地図アプリに印は付けておいたので、再び赴くことはできる。

 見た目からして学生だったし、早く向かったところで会うことはできないだろう。

 そう判断して、仕事を終えてから向かうことにした。

 無事に仕事も終わり、改めてその公園を訪れてみると、彼女は今日も無観客のステージに立ってくれていた。

 ホッと息を吐き、とりあえずは昨日と同じように彼女を見守ることにした。

 彼女が踊り終え、一息ついてこちらに気づく。

 だが、彼女はこちらを確認するなり嫌悪感を露わにして、そそくさと荷物を纏め始めた。

「ま、待ってくれ! ぼくは本当にアイドルのプロデューサーをやっていて、ここに名刺が……」

「興味ない」

 彼女はぼくの言葉を遮り、こちらも見もせずに拒否を示してきた。

「昨日も言ったよね? 興味ない」

「でも、君には光るものがある。君ならきっと……」

 ぼくの言葉はそこまでしか出なかった。

 彼女が昨日を上回る怒りの感情を乗せた形相でこちらを睨んできたからだ。

 彼女は怒りを隠そうともせず、そのままこちらに歩み寄ってくる。

 そして、何も言わずに、左側にかかっていた前髪を掻き上げた。

 ぼくは思わず息を呑んでしまった。

 隠されていた顔の左側、そこには額から頬にかかるまで、大きな傷痕があった。

「この傷があるから、アイドルにはなれない。だから、興味はない。わかった? わかったらサッサと消えて」

 彼女はそう言うと背を向けた。

 ぼくは何も言うことができず、その場に立ち尽くすしかなかった。

 だが、彼女が数歩離れた瞬間、足元が光り始めた。

 その光は彼女を中心に円形に広がり、段々と光を増していった。

 ぼくは本能的に走り寄り、彼女を突き飛ばした。

 結果、中心地が、彼女からぼくに入れ替わる。

 次の瞬間、足下の何かは一際大きな光を放ち、目も開けてられないほどになった。

 思わず腕で顔を覆ってしまう。

 光が収まったと感じ、恐る恐る腕を下ろしてみると、そこは先程までいた公園ではなかった。

 そこは、どこか荘厳な雰囲気を纏う建物の中だった。

 足元にはゲームやアニメにあるような魔方陣が広がっていて、正面には壮年の男と、他数人がこちらに向かって立っていた。

「ようこそ! 聖女さ……ま……?」

 豪華な服に身を包んだ壮年の男が、大仰に両手を拡げながら話しかけてきた。

 だが、ぼくの姿を見て言葉が尻すぼみになっていた。

 そのまま数秒間見つめ合う。

 そして、男は背後に向き直り、怒鳴り始めた。

「どういうことだ! どう見ても男ではないか! 聖女を召喚しろと言ったはずだろう!」

「ひっ! 申し訳ありません!」

「まさか貴様ら、手を抜いたのではなかろうな……?」

「い、いえ! 決してそんなことは! 資料通りに聖女召喚の儀を……」

「ならば何故男が召喚される!」

「わ、わかりません〜!」

 男たちはそんな口論を繰り広げている。

 いや、一方が怒鳴り散らしているだけか。

 そんな光景に混乱しながらも、ぼくは状況の把握に努めることにした。

 結果として、一つの結論に辿り着いた。

 これ、異世界召喚ってやつじゃ……?

 などと思っている内に、ぼくの左側に光が集まり始めた。

 その現象に驚いたのはぼくだけでなく、正面にいる男たちもだった。

 背を向けていた壮年の男も驚いてこちらを振り向き、光に視線を送っていた。

 光は段々と人型へと収束していく。

 そのまま色づいていき、一人の女性の姿が現れた。

 それは、先ほどまで同じ場にいた彼女だった。

 彼女は周囲を見回してから、軽くため息をついた。

「お、おお、貴女こそが聖女様なのですね!」

 壮年の男は、気を取り直したようで、彼女へと尋ねた。

「違うけど」

 だが、彼女はそれを真っ向から否定した。

「い、いえ! 聖女召喚の陣から現れたの麗しき乙女、貴女こそが聖女様です!」

「だから、違うって」

 彼女は呆れたような声で再び否定した。

「聖女はそっち」

 そして、ぼくを指さしながら、そう言った。

「へ?」

「『は?』」

 ぼくと男たちの声が被る。

 そして、その場にいる全員の視線がぼくに集まり、ぼくも思わず自身を指さした。

「そう。貴方たちが呼んだ聖女はそっち。私はおまけ」

 聖女でぼくを、私で自分を指さしながら、彼女は言った。

 彼女は、呆れた様子を隠していなかった。

 その場にいる彼女以外の全員が、言葉を失って立ち尽くすしかなかった。

「ただ、女神様から伝言は預かってる」

「お、おお! 女神様と言葉を交わしたとは、やはり貴女こそが……」

「盟約を破って聖女召喚に踏み切った罪は重い。今回の件に関わった者はそれ相応の罰が下ることを心得よ。だってさ」

 その瞬間、男たちの顔面が蒼白となる。

「じゃ、伝言は伝えたから」

 そう言うと彼女は屈み込み、いつの間にか手に持っていたお札のような物を、足下の魔方陣に貼り付けた。

 その瞬間、足下の魔方陣が再び光り輝き、光が収まったときにはまたもや辺りの景色が変わっていた。

 今度は、森の中の開けた場所のようだった。

「こ、こは……?」

 怒濤の展開にぼくは着いていけていなかった。

「説明してあげるから、こっち」

 声が聞こえた方に視線を向けると、そこには彼女がいた。

 その先には、ログハウスがあった。

 彼女はぼくの反応を待たずにそこに向かって歩いて行く。

 ハッとしたぼくは、置いて行かれまいと慌てて彼女の後に続いた。


 ログハウスの中は、何というか、普通だった。

 特筆することが何もないぐらいに。

 彼女は未だ混乱しているぼくに構うことなく中を進み、部屋にあるテーブルについた。

「そっち座って」

 そして、ぼくに席を勧める。

 拒否する理由もないので、ぼくは彼女の指示に従い、正面の席に腰を下ろした。

 だが、やはり落ち着かず、キョロキョロと辺りを見回してしまった。

「じゃあ、説明するけど」

「あ、ああ」

 彼女が話し始めたので、姿勢を正す。

 そんなぼくの様子を見て、彼女は話し始めた。

「ここは異世界。私たちは召喚された。ここは良い?」

「あ、ああ、何となくはわかってる。未だに信じられてはいないけど……」

「でしょうね。まあ、でも、現実。そして、ここは定番の、剣と魔法の世界。と言っても、文明はそこまで低い訳じゃないみたいだけど。所謂、ナーロッパってやつね。ご都合主義満載のやつ。

 それで、私たちを召喚したおっさんたち、あいつらは女神教という集団。そして、女神教と言いながら、女神の意思を無視して私腹を肥やしてきたクズども」

「クズって……」

「事実よ。自分たちには女神の信託が下っている。だから、自分たちは正しい。自分たちには従わない者には天罰が下る。そんなことを言って、さも下ろされた信託のように、自分たちに都合の良い御託を並べてきたクズ」

「それは……、確かにクズだな……」

「でしょう? それでも、やはり疑問を抱く者はいた。そんな人たちを黙らせるために、過去の文献やらを探りに探って、聖女召喚の儀を行った。もちろん、世のためなんかじゃなく、私欲のため。召喚された聖女を隷属させて、意のままに操って、反発する者たちを黙らせるため」

「そ……れは……」

「そう。ラノベとかでよくある奴。召喚先がクズの奴」

「てことは、割とぼくらは危なかった?」

「そうね。というより、私が危なかった? 本来は私が聖女として召喚されるはずだったから」

 その言葉に、背筋が凍った。

「でも、貴女のお陰で、最悪の事態は逃れられた」

「ぼくのお陰?」

「そう。貴方が聖女として呼ばれた私を押し出して身代わりになってくれたお陰で、私が聖女じゃなくなった」

「つまり……どういうことだ?」

 彼女は察しが悪いと言うかのようにため息を吐いた。

 いや、わからんよ。

「本当なら、私が聖女として呼ばれるはずだった。でも、呼ばれる直前で貴方が私を突き飛ばし、中心にいるのが貴方になった。ここまでは良いわね?」

「ああ」

「で、あの召喚陣は、確かに異世界から聖女を呼び出すモノ。かつて、世界が未曾有の危機に襲われたとき、女神が信託で当時の神職者に授けた、世界を救う乙女を召喚するモノ」

「これもよくある奴だな」

「そう。ただ、魔方陣が拡がるのは聖女となる人中心だけど、聖女となるのは真ん中にいた人になる、すごく中途半端な奴」

「それは確かに……中途半端だな……?」

「しかも、陣が拡がってから召喚までタイムラグがあるから、ぶっちゃけ拡がってすぐに中心から走り去れば、召喚すらされずに済む。まあ、いきなりあんなのが足元に現れたら、普通は戸惑ってそのまま召喚されちゃうだろうだけど」

「まあ、そうだろうな」

「で、今回の場合、中心地に貴方がいたから、まず貴方が聖女として召喚された」

「聖女……」

「そして、中心地から外れたけど、魔方陣からは出ていなかった私も、おまけに召喚された」

「おまけ……」

「ただね、ここに救いがあった。私がおまけとなったことで、本来聖女になる素質があった私には、女神が干渉できた。お陰で、今の状況を教えてもらうことができた」

「なるほど……?」

「女神様にも色々あるみたいで、召喚自体は防げなかったみたい。というより、本来あの召喚陣は廃棄されたはずだったのに、こっそりと文献に遺されてたみたいでね……。二度と使わないという盟約も交わされていたはずなのに。

 前回は世界の未曾有の危機だってことで特別に許しただけだったのに、別に危機でも何でもないときに、しかも私欲のために使ったってことで、女神も直接干渉して神罰を与えられる条件が揃ったらしい。だから、あのおっさんたちがこのあと追ってきたりとかはないよ。きっと、今頃は死ぬよりつらい目に遭ってるんじゃないかな?」

「そうか、それは安心だな。……安心なのか?」

「安心しておけば良いわ。私たちの身の危機が解消されたのだから。ただ、女神様は『今回のことが防げなくて申し訳ない』って謝っていたわ。これまたよくあることだけど、あっちには戻れないみたいだしね」

「そうか……」

「前回は女神直々の召喚要請だったから、召喚される人にも事前に打診があって、了承してくれた人が来たんだけど、私たちは完全に拉致」

「拉致か……」

「そう、拉致。ただ、幸いだったのは、貴方は聖女として召喚されたから、物凄い力を持ってる。まあ、本来の聖女ほどじゃないけど」

「チートってやつか?」

「うん。そして、私も女神に会えて、直接力をもらえた。これまた聖女ほどじゃないけど、世間一般で見ればあり得ないぐらいの」

「それは、つまり……」

「私たちは二人ともチート持ち。だから、安全は割と保証されてる、ってこと。それも、使命も何もないから、結構好きにできる。もちろん、限度はあるけど」

「マジか!」

「テンションがいきなり上がったわね」

「あ、すまん」

「いえ、気持ちはわかるわ。私も実は高揚してるもの」

「そうは見えないが……?」

「よく言われる。まあ、原因はこれなんだけど」

 そう言いながら、彼女は顔の左側をトントンと指で叩いた。

 それだけで察せられた。

 きっと、その怪我をしたときに、絶望してしまったからなのだろう。

 その絶望が、表情を、感情を、奪い去ってしまったのだろう。

「で、チートの内容なんだけど」

 彼女は気にしていないかのように振る舞い、話を戻した。

 他人のぼくが悲痛になっても仕方ないと頭を切り替え、改めて話を聞く姿勢を取った。

「貴方は聖女ってことで、回復とか、結界とか、補助に特化したもの。そして私は、それと合わせるために、戦闘に特化したものにしてもらった。だから、バランスは取れてる」

「確かに、バランスは良いな。……何て言うか、普通は逆じゃね?」

「そうかもね。まあ、そこは状況からして仕方ないわ。お陰でうまくいったんだし。」

「それもそうか……」

「ということで、まずは……、はい」

 そう言って彼女は、左前髪を掻き上げて、顔をこちらに寄せてきた。

 急に整った顔が近づいてきて、ぼくは戸惑いを隠せなかった。

「え、えっと……?」

「練習も兼ねて、貴女の力でこの傷を治してみて」

「……いや、いきなり言われても、どうやれば良いのか全くわからないんだが?」

 当然だ。

 今まで魔法やら何やらとは無縁の生活を送っていたのだから。

「適当に手を翳して、手から何か出してるつもりになって、治れ〜とか思ってれば大丈夫よ」

「そんな適当で良いのか……?」

 魔力を感じたり、訓練をしたり、そういうのが必要なんじゃ……?

「細かいことは良いのよ。できたら御の字って感じなんだから。ほら、早く」

「わかった、わかったから!」

 彼女が顔を寄せつつ急かしてくるので、とりあえず手を翳してみた。

 そして、半信半疑なまま言われた通りにてを翳し、治れ治れと思っていると、突然手から何かの光が出てきた。

 その光は、彼女の顔へと向かって行き、傷を覆っていく。

 その現象に驚いている間にも光が傷を覆い尽くし、光に包まれた彼女の痛々しい傷が徐々に消えていった。

 そのまま数秒もすると、彼女の傷痕は跡形もなく消え、光が霧散した。

 ぼくは呆気に取られて固まるしかなかった。

「どう? 治った?」

「あ、ああ、本当に綺麗さっぱりと消えた」

「ホント?」

「本当だ」

 そう答えると、彼女は指を振って、空中に水を張った。

 恐らく、魔法なのだろう。

 その水を水鏡として使って、彼女は傷の様子を確認したようだった。

「ホントだ、治ってる……、治ってる……!」

 彼女は思わずと言った様子で言葉を漏らした。

 その言葉に、初めて喜びというプラスの感情が見えた。

 ここまで、落胆だったり、怒りだったり、呆れだったり、マイナスなものばかりだったからな……。

 そんな彼女の様子に、何だかこちらまで嬉しくなってきた。

 彼女の頬には、涙が伝っていた。

 それは美しくて、初めて彼女を見たときと同じように、いや、それ以上に美しく感じられて、思わず見蕩れてしまった。

「……ありがとう」

 しばらくして、彼女は涙を拭ってからこちらに向かって頭を下げた。

「い、いや、大したことはしてないから! いや、大したことなんだろうけど、自分がやった感覚がないというか……」

 必死に言い募ると、彼女は顔を上げた。

 そして、口元に手を当てつつ、クスッと笑った。

 それが、初めて見た彼女の笑顔だった。

「それでも、この傷が治ったのは、貴方のお陰だから。貴方がいなければ、この結果にはなり得なかった」

「そう……か……」

 何だか気恥ずかしくなり、思わずそっぽ向いてしまった。

 そんなぼくの様子がおかしかったのか、彼女は再びクスッと笑っていた。

「それで」

 彼女の声が真剣なものに戻ったので、ぼくを、気を取り直して彼女に向き直った。

「これからのことなんだけど」

「ああ」

「私をアイドルにしてくれるのよね?」

「……はい?」

「だって、貴方言ったでしょう? わたしには光るものがある、私ならきっと、って」

「いや、確かに言ったが……」

「でしょう?」

「とはいえ、ここは日本じゃなくて、異世界で……」

「あの言葉は嘘だったってこと?」

「いや、嘘ではないんだけど、あのときと状況が違うというか……」

「そっか。嘘、だったんだね……」

 彼女が落ち込むように顔を俯かせた。

「だああああ、嘘じゃない! 君には光るものがある!」

「だったら、私をアイドルにしてくれる?」

 彼女が上目遣いに尋ねてくる。

 ぼくは何も考えることができなくなり、破れかぶれになって叫んだ。

「わかった! わかったから! アイドルにしてやる! 異世界だか何だか知らないが、ぼくが君をアイドルにしてやる!」

 そう叫ぶと、彼女はしっかりと顔を上げた。

 その表情は、してやったりと言っていた。

 どうやら、完全に一杯食わされたらしい。

「そっか。それじゃあこれからよろしくね、プロデューサーさん?」

 彼女が挑戦的に言ってくる。

 ぼくはそれに対して、虚勢を張りながら答えた。

「任せろ。誰もが見蕩れて止まない、最高のアイドルにしてやるからな!」

「うん。楽しみにしてるね?」

 こうして、ぼくの異世界でのアイドルプロデュースが始まった。

異世界で「これからよろしくね、プロデューサーさん?」と言わせたいがためだけの話。

続きはない。

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