あの青春が私のものじゃなくても
東京に来れば、何かが変わると思っていた。
マンガやドラマの中にあるような、キラキラした青春と出逢えるんじゃないかって……そんな淡い希望を持っていた。
だけど、思い知った。
あのキラキラした青春は、誰もが手に入れられるものじゃない。
少なくとも、私が手に入れられるものではなかった。
青春するには、お金がかかる。ある程度の自由な時間が要る。
そして私のお金と時間は、気づけばいつもなくなっている。
……一人暮らしが、こんなに大変で、忙しくて、ギリギリなものだなんて、あの頃は全然、思ってなかった。
東京に来て、まず困ったのが、服を買う場所だった。
地元から持ってきた服は、何だかキャンパスの中で浮いている気がして、入学してすぐの頃は、妙に人目が気になった。
だけど、百貨店や駅ビルの中みたいな“分かりやすい服屋”の服は、予算より五千円以上は高い。それどころか、下手をするとケタが1つ違う。
東京には普通にオシャレな女子達が溢れてるけど……皆、どうやってあの服を調達してるんだろうと、本気で謎に思っていた。
入りやすい古着屋や、私にも馴染みのあるアパレルチェーンを見つけるまで、服のやりくりに苦労したものだ。
……だけど今でも、服に不自由してないわけじゃない。
どんなに安くても、調子に乗って買い過ぎれば、財布に響く。
可愛いと思って買っても、普段使いに向かない服は、結局タンスの肥やしでお金の無駄だ。
着回しも利いて“私に似合う”服を見極められるようになるまで、どれだけ失敗して無駄遣いしてしまったことか……計算するのも恐ろしい。
一人暮らしに慣れないうちは、時間の使い方にも苦労した。
……思えば、家に帰れば既にご飯ができてるなんて、どれだけゼイタクなことだったんだろう。
部活で力を使い果たしてヘトヘトになっても、あとはもう、テレビを見ながら夕食を食べて、お風呂に入って寝るだけだった。
私はただ、用意されていたものを受け入れるだけ。それが誰によって、どんな風に用意されていたかなんて、考えもしなかった。
料理をすれば、調理器具が汚れる。料理を盛れば、お皿が汚れる。
それだって、洗う人間がいなければ、いつまでもシンクに置きっ放しのまま……。
料理や洗い物だけじゃない。お風呂の支度に掃除、ゴミ出しに買い物……。“暮らす”って、そういう細々とした作業が、延々と発生し続けるってことだ。
バイトを終えて、買い物をしながら帰って、慣れない家事をやっつけながら、授業の課題をひとつひとつ片付け、友達からのメッセージをチェックして……気づけばもう、日付が変わっている。
時間って、こんなに、手のひらからすり抜けていくものだったっけ。気づけば消えて、残っていない。
皆、どうやってこの中で、趣味の時間なんて作れているんだろう。
上京してすぐの頃は、夜更かしするのも楽しかった。
実家だったら「いい加減、もう寝なさい」って怒られるような時間を過ぎても、動画を観たり、マンガを読んだり、ゲームしたり……。
後ろめたさを感じながらも、親の目にも何にも縛られない自由さを、楽しんでいた。
だけど……睡眠を削ると、翌日に響く。
授業の間、起きていられない。バイト中にボーッとして、ミスしそうになる。
思えば私は高校を出るまで、日付が変わるまで夜更かししたことなんて、ほとんど無かった。
慣れないことに急にチャレンジしても、身体がついていかないんだ。
一人暮らしで体調を崩せば、思いもよらないしんどさが待ち受けている。
歩くのさえ辛くても、病院まで車で乗せていってもらえるわけでもないし、お粥や水枕を用意してもらえるわけでもない。
そもそも、まだ地理もよく分からない街で、どこに何科の病院があるのかすら、よく分からない。
独りきりの部屋で吐き気や痛みと戦っていると、妙な不安に襲われたりもする。
ひょっとしたら、このまま死んでしまうんじゃないか……。誰にも気づかれないまま、いつの間にか息を引き取ってるんじゃないか……なんて。
体調が戻れば「私、どれだけ弱気になってたんだろう」なんて、笑い話にできるけど……身体が弱っている時は、ネガティブなことばかり、頭をぐるぐるする。
思えば私は、一人暮らしの“良い面”にしか目が行ってなかったのかも知れない。
大変なこともあるとは分かっていたけど、何となく、そこは軽く見ていた。
頑張れば、何とかなる。苦労してでも可能性に挑めば、キラキラした何かが手に入る――そんな風に思っていた。
だけど私の今の現実は、時間に追われ、お金のやりくりに苛まれ、心も身体も疲れきっている。
だけど、私はもう、この道を選んでしまった。
親にも既に高いお金を払わせてしまった。だから、大学卒業までの四年間は、何とか走りきるしかない。
……走りきった先にあるものが、まだこれっぽっちも見えていなかったとしても。
高校時代は、少しでも良い大学に入ることが目標だった。
学部ですら、偏差値と受験科目とフワッとしたイメージだけで、何となく決めた。
大学から先のことは、合格してから考えればいい、入学してから決めればいい……そんな曖昧な人生設計で動いていた。
だけど……大学も、もう一年が終わろうという今もまだ、私には就きたい仕事も何も見えていない。
この先、就活のカリキュラムが始まり、周りが就職へ向け動き出しても、私はずっと立ち止まったままなんじゃないかと、恐くなる。
そもそも私には、就活でアピールできるようなことが何も無い。
他人に語れるような、キラキラした青春や情熱が、何も無い。
サークルやクラブは、お金がかかるし、バイトの時間もなくなりそうだから、できなかった。
そのバイトだって、責任あるポジションに就いているわけでも、他人に褒められるような働きをしているわけでもない。
やり甲斐すらも無く、いつも「早く終わらないかな」と時計をチラチラ見ながら、頭の中で時給を計算している。
ただお金のために働いて、そのお金を家賃や食費や光熱費や……私が“生きるため”に消費する。
時々、たまらなく空しくなる。
……特に、私とはまるで違う“キラキラした青春を生きる人”に出逢ってしまった時などは……。
私のバイト先に、夏の短期で入ってきた人で、海外を歩き回るのが好きなバックパッカーがいた。
詰め込めるだけバイトのシフトを入れて、お金が貯まったらリュックひとつで行きたい国へ飛んで行く――本当にそんな人がいるんだ、と驚きながら、旅の話を聞いていた。
特に印象深かったのは、オーストラリアで見たという、素晴らしく美しい星空の話。
国土のわりに人口の少ないオーストラリアは、星の密度からして“違う”のだそうだ。
あまりにたくさん、白いものが空を埋め尽くしているから、最初はそれが星だということにさえ気づかなかった――と、彼は言った。
どこまでも広がる平原には、夜空を遮るものがほとんど無く、まるで宇宙の中に落っこちてしまったような感じがした、と。
「あれを見ると、人生観が変わる。もう都会の夜景なんて、チャチな模造品にしか見えなくなったよ」
笑いながら語られるそれを、私は遠い世界の御伽話のように聞いた。
きっと私とは一生縁の無い世界の話。夢の中の物語のように……。
私に無いものを持っていて、密かに憧れていた彼は、お金が貯まったらあっさり辞めていなくなった。
その憧れが“別の何か”に変わる暇も無いうちに……。
あのまま、もっと一緒にいたら、好きになったりしてたのかな……なんて、そんな感傷的な想いと共に、時々ふと彼のことを思い出す。
世の中には、びっくりするくらい自由に、やりたいことをやって生きている人もいる。
なのに……私はなんて不自由に、狭苦しい世界で生きてるんだろう。
働いていないわけでもないのに……。
お金って、この世の中の、どこをどう巡ってるんだろう。私の手元には、いつも少しの額しか残されていない。
いつも預金の残高を気にしてキリキリして、着たい服も買えないし、食べたいものも我慢する。
唯一のゼイタクと言えば、たまにストレス発散のために、百均で買い物することくらいだ。
何の役にも立たない、ただ可愛いだけの置物や、実用性より見た目重視の小物を、ひとつふたつ買って、ベッドサイドに並べる。
親に見られたら「またそんなガラクタ買って」なんて言われるんだろうな。
だけど、独りきりのワンルームが、あまりに殺風景でがらんとしてるのは寂しいから、つい無駄な彩りを添えたくなる。
ラメ入りのキラキラした水が零れる水時計に、やたらゴテゴテ飾りが付いているわりに、ほとんど物が入らない小物入れ……。
私のストレスと無駄遣いの産物たち……。
無くても全く困らない“ガラクタ”だけど、それがあるだけで、そこが“ただ寝に帰るだけの部屋”じゃなく、“私の部屋”になる。ほんの少し、居心地が良くなる。
ムダだけど、ムダじゃない。私の心をほんのり救ってくれるガラクタたち……。
上京して数ヶ月が過ぎて……私が手に入れられたものと言えば、そんなちっぽけなモノたちばかりだ。
年の瀬が近づき、薄っぺらなジャケットでは肌寒い季節になってきた。
バイトの時給は変わらなくても、冬物は値段が高くなるから、また着る物に悩み始めている。
駅からアパートへ続く道を、猫背になって歩きながら、ふと、またあの人のことを思い出す。
彼は今頃、どこにいるのだろう。
私が思いもしないような遠い国で、想像もつかない絶景を眺めているのだろうか……。
彼のことを思い出すたび、胸がほんのり切なくなる。
だけど、それが淡い恋なのか、自由な人生への憧れなのか、ちっぽけな自分の人生に対する空しさなのか、区別がつかない。
モヤモヤした想いを抱えながら、いつもの街角を曲がって……一瞬、呼吸を忘れて立ち尽くした。
商店街の小さな通りに、いつの間にかイルミネーションが飾り付けられていた。
まるで光の天井でもできたかのように、道の上、頭上高くにLEDのランプが張りめぐらされている。
見上げると、まるで星空のイミテーションだ。
暗い夜空を背に輝く、無数の白銀の星たち……。
思わずぼーっと見惚れた直後、彼の言葉が脳裏を過った。
『都会の夜景なんて、チャチな模造品にしか見えなくなったよ』……。
ほんの一瞬、恥ずかしさに唇を噛みしめ、うつむきかけて……だけどやっぱり、その灯りの美しさを無視できずに、再び顔を上げる。
……私は、本物の星空を知らない。
地元の夜ですら、星は数えるほどしか見えない。
だから、こんな模造品の、ニセモノの星にだって感動してしまう。
本物を知る人には、呆れられてしまうのかも知れない。
だけど、これが私の生きる世界だ。
ちっぽけな私は、ちっぽけなモノにも感動する。
こんな狭苦しい世界の、殺伐とした日々の中でも、時々こんな風に、思いがけず心動かされることがある。
もっと上質なものを知る人たちには笑われてしまうかも知れない、ささやかな景色や出来事……。
だけど、そんなものでも、一瞬、私の心を救ってくれる。ほんの一時、憂鬱な気持ちを忘れさせてくれる。
……むしろ、本物を知らない、ちっぽけな私だからこそ、今ここで、この景色に感動できたのかも知れない。
東京に来たら得られると思っていた、キラキラした青春は、未だ私の手の中に無い。
だけど、それでも頑張って生きてる。
キラキラ輝く日々じゃなくても……時々、こんな風に、ささやかな何かに感動しながら、一日一日を生きてる。
今日見たこのニセモノの星たちは、「一生忘れない」というほどの思い出にはならないだろう。
だけど、いつか似たようなイルミネーションを見た時、ふと思い出したりするのかも知れない。
今の私の、この言葉にならない感動や感傷と共に……。
……そんなことを、ぼんやりと考えながら、イルミネーションの下、家路を辿った。
パステルカラーの愛すべきガラクタたちに囲まれた、私のちっぽけな“お城”へと……。
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