訓練と知識
「大丈夫か?」
私が落ち着くまで、抱きとめたままじっとしていてくれたグレイさんが苦笑いしながらそう言うのを聞き、何度か深呼吸をして立ち直った私は顔を上げてとにかくお礼を言った。
「あ、ありがとうございます。何とか……大丈夫です……」
「ルリさん大丈夫?」
私をファングワームの模型でぶん殴ってくれたカーク君とキース君も、揃って駆け寄ってくる。
「カーク君! ちょっと、いくら何でも酷いわよ」
グレイさんが手を離してくれたので、振り返った私は割と本気で文句を言った。
「別に冗談でも遊んだんでも無い。皆、最初はああやってファングワームの恐ろしさを知るんだよ。今回は模型だったから笑い事で済んだけど、あれがもし本物なら、今頃ルリさんの腕は無くなってる」
ファングワームの模型を持ったまま、真顔のカーク君がそう言うのを聞いて私は絶句してしまった。
そして、気が付いた。先ほどから誰一人笑っていないことに。
恐らくこの中で、今やった事の重要性を理解していないのは、私だけだっただろう。
チムニーまでが真剣な顔で私を見上げている。
「ええと……」
困ったように私の後ろにいるグレイさんを振り返る。
「カークが言った通りだ。それくらい飛びかかってくるファングワームは危険なんだよ。特に、まだ飛べない子供にとっては一番会いたくないジェムモンスターだろうな。つまり、今のルリにとっても」
真顔のグレイさんの答えに、ようやく意味を理解して今更ながら真っ青になる。
「飛べれば怖くないんだって。ファングワームが跳ねられるのは、せいぜいグレイさんの頭くらいまでの高さだから、それより上まで飛べれば大丈夫だよ。だけど俺はまだ飛べないから、とにかくその場から走って逃げなきゃいけない。もっと小さな子がいたら、抱えてでも一緒に逃げろって言われてる」
こちらも真顔のチムニーの言葉に、気軽にいつも採取に参加していた事が申し訳なくなった。
「い、今まで気軽に採取に行ってたのに!」
思わず顔を覆ってそう叫ぶと、チムタムが駆け寄って来てくれて私の肩を叩いた。
「だって、今までのルリは飛べていたからね。だけど今はチムニー達と同じで飛べないから保護の対象なの。すぐに回復するかもって事でしばらく様子見だったんだけど、もうあれから半月でしょう。だったら飛べない事がいかに危険か、しっかり理解しておいてもらった方が良いってパムに言われたの。それでまだ短剣の練習も始めていないって聞いたから今回の練習になったわけ」
「うう、知らなくて色々とごめんなさい」
「知らないのは当然だよ。ルリはまれびとなんだからさ」
当然のようにそう言って笑ってくれたチムニーの言葉に、私はもう頷くしかなかった。
「ルリはまだ良かったじゃんか。グレイさんが助けてくれて。俺の時なんて、吹っ飛ばされて勢い余ってあの棒の向こうくらいまで転がって行ったんだぜ」
何故か得意気に笑ったチムニーが、10メートル以上離れたところに置かれていた棒を指差して倒れる振りをする。
「ええ、それはちょっと……怪我しなかった?」
「ここにたんこぶが出来て、皆に散々からかわれた。目の周りは青くなるし、もう最悪だったよ」
額を指差しながら、何故か得意げに左目の周りを指で示す。
「大変だったね」
苦笑いしながらそう言って頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めて私の腕にしがみついてきた。
「分かった? だからもしも採取の最中にファングワームに襲われたりしたら、とにかく走ってその場から逃げるんだよ。しかも皆と同じ方向に逃げちゃ駄目だ。例えば、さっきやったみたいに、俺がこっちに逃げたらルリは反対に逃げるんだ。それからさっきのルリは真っ直ぐ走って逃げてたけど、そうじゃなくてこんな風に急に曲がったり、岩や大きな木があればそれの陰を通って逃げるんだよ。ファングワームは、跳ねる以外は這うみたいにゆっくりしか動けないから、とにかく距離を稼げば勝ちだ。な、簡単だろう?」
チムニーの説明に私は何度も頷く。
「分かりました。絶対に走って逃げる。真っ直ぐじゃなくてジグザグに、障害物があればそれも利用する。それで良い?」
「うん! それでいい!」
満面の笑みで頷くチムニーにお礼を言って、それから改めてもう一回逃げる練習をチムニーと一緒にした。
いつの間にかワルターさん達が広場の幾つかの場所に障害物を置いてくれたので、私とチムニーは、ファングワームの模型を振り回して追いかけてくるキース君とカーク君から必死になって逃げ回った。
最後はもう息が切れて走れなくなってしまった私が、キース君の持つファングワームの模型にぶん殴られて吹っ飛び、またしてもグレイさんのお世話になって終わった。
「あ、あり、が……と……」
完全に息が上がってしまいまともなお礼も言えず、支えてくれる腕にすがって必死になって息を整えていたけど、急に襲ってきた貧血にその場に座り込んでしまったのだった。
「ううん、こんなに必死になって走ったのっていつ以来だろう」
しばらくして何とか貧血も落ち着いてきたので、誤魔化すようにそう呟いて顔を上げる。
「ほら、口を開けて」
苦笑いしたグレイさんの手にあったのは、少し小さめの水石。
「ありがとうございます」
笑って口を開けると、その真上で軽く弾いて水を落としてくれた。
「ああ、美味しい」
上手に口の中に落ちた水を一息に飲み込む。
もう一回飲ませてもらってから、自力で立ち上がった。
「ありがとうございました。すごく勉強になりました。次からは、もっと周りに気をつけて採取に行きます」
改めてお礼を言って頭を下げる。
「まあ、子供の採取には常に複数の狩猟組の若いのが一緒だし、そうそう危険は無いさ。子供達がファングワームに出会うのは年に一回程度だよ」
笑ったワルターさんの言葉に、チムニーが笑って手を挙げる。
「俺は二回あったぞ! 初めの一回はカーク兄ちゃんにこうやって抱えてもらって逃げたよ」
そう言って、ファングワームの模型を小脇に抱えてちょっとだけ走ってみせた。
「俺が飛んで逃げてる間中、ギャーギャー泣いてたのはどこの誰だっけ?」
笑ったカーク君に頭を突っつかれて、チムニーが舌を出してアッカンベーをする。
「それで二回目は、一度に三匹も出て俺が泣き出したポポを抱えて一緒に走って逃げたんだよ。よくやったって、後で褒めてもらった!」
得意気に胸を張る様子が可愛くて、私は思わずチムニーを抱きしめた。
「あら、そうなのね。すごいじゃない、チムニーは頼れるお兄ちゃんね」
「ちょっ、急に何するんだよ!」
真っ赤になったチムニーがそう叫んで、周りで見ていた全員が揃って吹き出し、皆揃って大笑いになったのだった。




