解体作業と取り引きの終了
「うわあ、改めて近くで見ると、本当に大きいのね」
グレイさんに引っ張られるようにして上昇しながら、私は振り返って見下ろすワイバーンの巨大さに圧倒されて身震いしながらそう呟いた。
それにもうかなりの距離まで上がっていると思うんだけど、まだ上昇していて止まる気配がないのを不思議に思い、私の手を引いてくれているグレイさんを見上げた。
「あの、グレイさん……」
「ん? どうかしたか」
優しい声でちょっと首を傾げながら見下ろされてまた私の心臓が跳ねる。
「ええと、何処まで上がるんですか? もうかなり上がって来たと思うんですけど」
跳ねる心臓をなんとか誤魔化しつつ、できるだけ平静を装ってそう尋ねる。
「ああ、もうこの辺りだよ。ほら到着だ」
そう言ってグレイさんはまるで指を広げるみたいに風切り羽を大きく広げて、翼を地面と水平になるように広げる。それを見て、私も同じようにしてみた。
すると、下から吹き上げて来る強い風を翼が受け止め、私やグレイさんの体はその場にふわりと浮いた状態で留まった。
「そっか、これだけの上昇気流がある場所でなら空中でホバリングしていられるんだ」
納得してそう呟いて、握った右手の温かさを出来るだけ気にしないようにしながら、ちらりちらりと眼下に広がる光景を気にしていた。
「おお、そろそろ始まるぞ」
チムニーを抱いたキース君が、同じように近くでホバリングしていたんだけど、下を指差しながら嬉しそうにそう言って笑う。チムニーもご機嫌で歓声を上げている。
「うわあ、スプラッタがいよいよ始まるのね」
諦めのため息と共に小さくそう呟き、私は下を見ているふうに俯いてこっそり目を閉じた。
「まずは血抜きからだね」
カーク君の妙に嬉しそうな言葉に、私はなおいっそうぎゅっと目を閉じる。
絶対に見ない。
あのワイバーンの体の大きさを考えたら、すぐに眼下は血の海になるに決まっている。この距離でそんなもの見たら……。
「あれ? ねえあの道具は何に使うの?」
だけどロアの不思議そうな声に、ついうっかり目を開けてしまった。
しかし私の予想に反して、スプラッタ地獄にはなっていませんでした。
ワイバーンの周りに、さっき転がして持って来ていた巨大な樽が並べられていて、まるでホース見たいな太いチューブがそれぞれの樽に突っ込まれていたのだ。
「あれは何をしてるの?」
思わずそう聞いてしまう。
「何って、今から血抜きをするんだ。ワイバーンの血は貴重な素材で、薬の材料になる。浮き島で採れる幾つかの薬草と調合すれば、怪我によく効く良い薬になるからな。あれは俺達も貰っていくよ」
血抜きをしてくれるのなら、ちょっとはマシかもしれない。
密かに安堵しつつ眼下の作業を見守る。
倉庫組の人達も出て来て、地上の人達と協力してワイバーンの首筋や翼の付け根部分などに、チューブの先に取り付けた太くて長い針を突き刺し始めた。チューブの途中には、まるで自転車の空気入れのような手で押すポンプみたいなものが取り付けてあり、あちこちで手分けしてそのポンプを動かし始めた。
「へえ、あんな風にして血を抜き取るのね。そりゃあ確かにあの大きさを考えると、どこかに吊るして血抜きするってわけにはいかないものね」
ホースの端が突っ込まれた樽の中にどんどん注がれていくワイバーンの血は、驚いた事に、なんと赤ではなく綺麗な薄紫色をしていた。そして、樽から立ち上る香りはとってもスパイシーなハーブっぽい香り!
このまま焼いても大丈夫なんじゃないかって思えるくらいの良い香りがしている。
「ええ、どういう事よ……」
驚き過ぎて、怖さが何処かへ飛んでいってしまったみたい。
しかも薄紫の綺麗な液体と花の香り。おかげで見ていても現実感が全くなくて怖くなかったわ。
手慣れた人達の手によって手早く解体されて素材と肉や骨に分割されていくワイバーンの身体は、意外なくらいに本当に綺麗だった。
「へえ、お肉は綺麗な薄ピンク色なのね」
小さく切り分けたとはいえ、あの塊一つでいったい何百キロあるんだろう?って大きさなんだけど、どうやらあれを手分けして持って上がるみたい。
ううん倉庫組の人達が持てる重さって、いったいどれくらいまでなんだろう。あのまま持って上がるとしたら、すごいわよね。
巨大な塊をさらにいくつかに切り分けている手際の良さを見て密かに感心していると、カステアさんがこっちに向かって手を振っているのに気がついた。
「ねえ、何か言ってるみたいだけど?」
「みたいだな。ちょっと降りるか」
嫌そうにため息を吐いたグレイさんが私を連れて降りてくれる。
「ああ、悪いね。すまないんだけどルリさんにお願いしても良いかな。ワイバーンの肉を幾つか収納して持って上がってやってくれないか。予定以上の量になっているらしくてちょっと手が足りないんだよ」
「そりゃあそうだろうさ。今回落としたのは、どれもデカかったからな」
にんまりと笑ったグレイさんの言葉に、カステアさんは笑顔でサムズアップなんかしてる。
「良いですよ。どれを持てば良いですか?」
「こっちへ。大きめの塊を持ってくれるかい」
木箱が積み上がった一角に案内され、木箱の影で牛一頭よりも大きいであろう肉の塊を次々に受け取っては収納した。
収納してしまうと、私への負担は一切無くて重さを全く感じなくなる。
だからこんなふうに大量の肉を受け取っても、実は私への負担はゼロ。
ううん、これって本当にどういう仕組みなのかしらね?
それから、グレイさんも私に比べたら少ないけれど、切り分けた肉の塊を幾つも受け取って収納していた。
順番に降りてきたカーク君やキース君も幾つか受け取っていたから、今回は収納できる限り持って、残りを箱詰めして持って上がる作戦みたいね。
結局、かなりの時間をかけてワイバーンの解体作業が終わり、現場は拍手喝采に包まれていた。
なんというか、地上の人達と翼人の人達の一致団結っぷりがすごかったわ。
その後にもう少し待たされて、どうやら私達が受け取る分の肉の引き渡しが完了したみたい。
先に、また数人ずつで網で包んだ大きな木箱を、運搬担当の人達が幾つも担いで上がって行く。
彼らは解体作業には参加せずに、海岸に近い当たりの木陰で一休みしていたわ。まあ、いくら鍛えているし翼も大きいと言っても、あれを運ぶのはきっと相当な重労働なのだろうから、休憩も必要よね。
大きな荷物を担いで次々舞い上がって旋回しながら上昇していく頼もしい彼らを見送ってから、私達見学組も順番に引き上げていった。
最後に残った倉庫組の何人かと護衛の人達は、次回の取引内容を確認してから上がって来るんだって。
またしてもグレイさんにお姫様抱っこされた私は、カーク君やキース君達と一緒に大空へ羽ばたいて上昇していった。
その時、あの空母もどきの甲板に、フレディさんが駆け出して来るのが見えた。
こっちに向かって手を振りながら何か叫んでいる。
「ねえ、グレイさん。あの人が出てきたわ。ねえ、何か言ってるみたいだけど」
「構うな」
短くそう言ったグレイさんは、地上を振り返りもせずに大きく羽ばたいて旋回しながらどんどん上昇していってしまった。
見下ろしたけど、もうあっという間に島は遠くになり、甲板の上のフレディさんの姿は見えなくなってしまったのだった。
「ううん、いったい何だったのかしら」
小さく呟いたが、上を見ているグレイさんからの返事は無い。
こうして、なんだか気になる事を放置したまま、私の初めての取り引き見学は終了したのだった。




