困った時ははお互い様です。
ミーンミンミンミンミー
せみの鳴き声をBGMにして、アスファルトから跳ね返る地熱が
目に見える景色を歪めていく。
そしてここに、タキシードをびっちりと着込んだ一人の男が。
ふらふらと背中を丸めながらやってきた。
ぼやけた景色の先に見えるのは、「八重洲さくら診療所」と書かれた看板だ。
一方、診療所では、玄関先で松子がほうきとちりとりを持って
鼻歌を歌いながら、淡々と掃除をこなしていた。
「お掃除、お掃除、 楽しいな。」
「あのー、すいません。」
「あー、お客さん? ちょっと待ってくださいね。」
松子がそういって、ちりとりとほうきをその場に置こうとすると
男はニヤリと笑ってちいさく首を横に振る。
「いえ、いいんです。客じゃないんで・・・・・・。」
そして、次の瞬間、男はギラリと鋭く光る白い歯をみせると、
一気に松子に襲い掛かってきた。
「お前の血をよこせーっ。」
「きゃーっ。」
一瞬にして壁際に追い詰められる松子。覚悟を決めたように両目を閉じる。
だが、しばらくしても何も起きない。
松子は恐る恐る目をあけると、男は壁にもたれかかってぐったりとしていた。
「大丈夫ですか?」
先ほど襲われたこともわすれ、松子は男にゆっくりと駆け寄る。
「どこか悪いんですか?」
だが、松子の質問に答える様子もなく、男は小さな声でブツブツとつぶやくだけだ。
松子は途方にくれると、やがて何かを決断したように一気に近づいて、男の声に耳を傾けた。
「よ、よう・・・・・・。」
ひどく震える手を握りしめながら、天使のように微笑む松子。
「よう・・・、なんですか?」
男は目を細めながら、青白い顔に薄笑いを浮かべ松子に謝った。
「妖怪だったんだな? アンタ。 すまないことをした・・・・・・。」
松子は男の言葉に満面の笑みを浮かべると、数秒後、そばにあった緑のデッキブラシが
男の頭に命中した。
カコンッ。
「目が覚めましたか?」
数秒後、男は診療所のベッドにいた。
「すいません、うちの若い者が失礼をしてしまったようで。」
明が深々と頭をさげる。
「どっちが失礼よ、17のレディーを捕まえて妖怪だなんて。」
松子は器具をタオルで拭きながら、プイと横を向いている。
だが、今度は逆に男が二人に頭を下げた。
「すいません、どうしても生きた人間の血が必要だったものですから。」
「おたくは?」
「えー、私、阪野といいまして、隣町で吸血鬼をしてます。」
「阪野さん、吸血鬼を職業みたいに言わないでもらえますか?」
明はポリポリと頭をかきながら話を続けた。
「で今日はどうしてこちらへ?」
「いや、女房が実によく出来た人間で、いつも血を分けてもらっていたんですが、
この度、妊娠しちゃいましてー」
明の目が大きく縦に開く。
「おおっ、いいことじゃないですか? 新しい命が生まれるんだから、素晴らしいこと
だと思いますけど……。」
明はカルテを挟んだバインダーの上で、ボールペンを太鼓のようにパンパンと鳴らしている。
「いや、じつはそれがそうでもないんですよ。」
そういうと、男はゆっくりと唾を飲み込んだ。
「妻が妊娠を理由に血を分けてくれなくなったんです。胎児に影響が出るからと。
しかも、話はそれで終わらないんです。子供の教育に影響が出るから出産後も
血を吸うなとまで言うんです。」
そのとき、二人の会話に松子が加わってきた。
「だったら、トマトジュース飲んだらいいじゃない?」
その瞬間、阪野の顔色がガラリと変わる。
「あなたがた人間はどこまでわかってないんだ? 私は血が飲みたいんじゃないんだ。
血を飲まないと死んでしまうんだよ。よってたかってトマトジュースを出しやがって。」
明はちいさくうなずきながら、話を元に戻した。」
「なるほど。それで私に何をしろと?」
男は明の言葉にようやく落ち着きをとりもどすと、大きくため息を吐いて続けた。
「血を分けてほしいんです。一生困らない位の。」
「血を?」
明はもたれかかった椅子から慌てて飛び起きた。
「冗談じゃない。どこにそんな血があるっていうんだ?」
「おねがいしますよ、先生なら色んな患者からいっぱい血を集めて来れるじゃないですか?」
渋い顔をする明。
「しかしねー、残念ながら、私のところに来る患者はみんなあの世のモノばかりでね、
生き血を吸うのはちょっと無理があるんじゃないですか?」
男は、少しの間考え込んでいたが、やがてなにかを思いついたように話し始めた。
「わかりました、それなら、先生の血を吸わせてください。」
「オレの血?」
「ええ、どんなむさいオッサンの血でも美味しそうに吸うので。どんなに体臭が臭くて
副作用で頭がハゲたとしても構わないので、先生の血を僕に吸わせてください。」
「おいっ松子、十字架持って来い。」
この瞬間、明は男をなぐった松子の気持ちが良くわかった。
「じょ、冗談ですよ、先生。冗談に決まってるじゃないですか?」
あわてて、男は明のアクションを止めた。
明はいつものように大きくため息をつくと、ゆっくりと話し始めた。
「まっ、どちらにせよ、こんな小さな診療所にそんなにたくさんの血が集まるはずがないので
今回はあきらめてもらえませんか。」
「そうですか。」
男は大きく肩を落とすと、明にいわれたようにゆっくりと診療所を出て行こうとした。
だがそのとき、松子が大きな声をあげた。
「待って、阪野さん。」
「えっ?」
その場で立ち止まる男。
「大丈夫よ。私にまかせてちょうだい。」
「またお前かよ。」
そういうと明は、いつものように松子のそばで大きな音をたてて頭をかきむしっていた。
「いやー、坂本さん。わざわざお呼び立てしてもうしわけございません。」
「いえ、いいんですよ。それより本当なんですか? 毎日タダで血液検査してくれっるっていうのは?」
明は多少うつむき加減に返事をする。
「ええ、本当ですよ。じつは新しい検査キットが手に入りましてね。実験台といってはなんなんですが
ちょっとお手伝いしていただきたいと思いまして。」
「あーそうなんですか、いいですよ。私に手伝えることがあるなら。私も体のことが心配なんで。」
明は心の中で坂本さんに手を合わせて深く懺悔した。
「それじゃー、明日もまたこの時間にきてくださいね。」
「えっ、明日もなんですか? 今日、結構抜いたように思ったんですけど・・・。」
冷や汗が明のこめかみを流星のようにすばやく落ちていく。
「ええ、そうなんですよ。今回のキットはひと月の経過を追うものなので。」
「ひと月〜? そりゃまた大変だなー。」
坂本さんが大きく目をあける。
そしてその横ではカーテンをへだてて、阪野が坂本の血を一気に飲み干していた。
「それじゃーまた来ます。」
坂本は周囲をキョロキョロ見回しながら、ゆっくりと診療所を出て行った。
どうやら、まだ松子の与えた恐怖が身に染み付いているようだ。
坂本が帰ると、阪野も帰り支度をはじめた
「それじゃー、また来ます。」
「いいよ、一週間ごとに家に送るから。」
「本当ですか? 助かります。あの人の血メチャクチャまずいんですけど、ないよりマシですもんね。」
「ああ、あの人はいつも自分の作ったまずいパスタを試食してるからな。うまいわけがないだろう。」
明はふたたび坂本さんにふかく懺悔した。
「それじゃー、ありがとうございました。」
そういうと、阪野は階段をおり、街の中へうっすらと消えていった。
それを見て、松子がやわらかな笑顔を浮かべる。
「いいことしたあとは気持ちいいね?」
人をだまして「いいこと」というこの女の神経が、明にはいまだに信じられない。
だから、幽霊は恐ろしいのかもしれない。
「とにかく、一件落着かー。」
明は大きなため息をつくと、その場で天井を見上げた。
だが一ヵ月後、明のもとには大きく肥えた一人の男があらわれた。
「あのー、すいません。もらった血を毎日飲んでたらメタボになっちゃいました。」
「もう、知らんわ。」
明と松子はその場で大きくひっくり返った。
第四話 完
次回は7月10日を予定しております。
よかったらまたみにきてください☆