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江戸の凄腕料理人

「それじゃあ、そのリストにしたがって食事を続けてください。

ただし、一日30分のウオーキングは必ず続けること。」

「はいっ。」

「それじゃー、がんばって下さいね。」

明は回転椅子で向きをくるりとかえると、男は申し訳なさそうに

「ありがとうございました。」

と深くお辞儀をして、部屋を出て行った。

明は男の後姿を見送ると、深くため息をついて、近くにいた松子に話しかけた。

「あのーなんだ、あの世から落ちてきたと聞いたから、いったいどんなやつかと

思ったが、実際に喋ってみると、割といいやつみたいだな。」

松子は小さくうなずくと、幽霊の気持ちを代弁するかのように胸を張って答える。

「そうよ。みんな、見た目や常識で判断するから、本当にいい人と悪い人の区別が

出来なくなるんだわ。」

明も松子につられて小さくうなずく。

「そうだな……。オレも気をつけないといけないな。まあ、おかげで雇った看護婦は

みんな辞めちゃったけどな。おまけに天井も壁も穴だらけだし。」

明はそういって苦笑いを浮かべながらも、ボロボロになった病室を優しい眼差しで眺めた。

「はいはい、文句ばっかし言わないの。今日はすごい人が来てるんだから。」

「すごい人? 誰だよ?」

「あなたでも知ってる有名人よ。」

「おお、そんなにすごい人か? それはチャンスだな。」

明は松子の言葉に元気を取り戻した。

「そうよ、せっかくのチャンスなんだからちゃんと診察してよね。 

この病院の命運もかかってるわけだし。準備はいい?」

明がコクリとうなずく。

「それじゃあ呼ぶわね? ミッチーさん、どうぞ。」

「ミッチー?」

そういって松子に促されると、待合室から照れくさそうに一人の男が現れた。

「こんにち……わ。」

明はそこまで言ったところで言葉を失った。

赤い鎧武者が切り落とされた自分の首を左手に抱え、そこに立っていたのだ。

「こんにちわ、石田三成です。なんか戦争してたら首がはずれちゃって……。」

「すいませんが、帰ってもらえませんか?」

明は目頭をおさえながら即答した。

だが、その明を必死で松子が説得する。

「あら、診療拒否? あなたも偉くなったものねー。」

「お前こそ何様だよっ? しかもあんなモンどうやって治せっていうんだ?」

そこですかさず、三成が二人の会話に口をはさむ。

「大丈夫ですよ。骨と血管と神経をつないでくれればそれでいいんで。」

「病人は黙ってろ。」

そういって明に一喝されると、三成は急にしょんぼりしてしまった。

「ちょっとー、いまの一言、酷くない? 彼はこうみえても急患なのよ。」

「四百年さまよってて、どこが急患だよ? 立派に生き延びてんじゃねーか。」

「よく考えて。四百年間、いろんな病院に受け入れを拒否され続けてきたのよ。

可愛そうだと思わないの?」

「可愛そうだと思うよ。その病院が。」

そのとき、再び、三成が会話に加わってきた。

「やっぱりここでも治療は無理ですかねー?」

明は深くため息をつくと、重い口を開いた。

「見てもらったら分かると思うんですが、うちはあくまで診療所なんでね、

あまり大きな手術はできないんですよ。」

「そうなんですか。」

そういうと、三成は肩を落としてうなだれてしまった。

それを見ていた松子が明に食い下がる。

「ねえ、可愛そうじゃない? なんとかしてあげましょうよ。」

「なんとかっていってもなー。ここにはたいした設備もないしな。」

「うーん……。」

だが、一人で悩む松子の目に、黄色い容器に入ったボンドが飛び込んできた。

「そうよ、これよ。」

松子はそれをつかんで、天高く掲げた。

「いや、それはないだろう。」

思わず首をひねる明。 

三成も明のそばですっかり青ざめている。

「大丈夫よ、失敗は成功のもとなんだから。」

「いまの言葉を聞いて、誰が安心できるんだ?」



しかし、五分後、松子の計画は実行に移された。

「はい、じゃあ歩いてみて。」

松子がそういって、手をパチンとたたくと鎧武者はガシャリガシャリと

音を立てて歩き始めた。

「おお、案外いけるモンですね。」

「でしょ? 人体っていうのは結構器用にできてるもんなのよ。」

そのそばで、明はいささかご機嫌ななめだ。

「医学へのぼうとくだ。」

「なにいってんのよ。医学のために人がいるんじゃないわ。人のために医学が

あるのよ。」

「まー、それはそうだけど……。」

松子は明を上手になだめると、三成に話しかけた。

「気分はどう? 三成さん。」

「はい、最高です。」

三成は松子の荒療治にもかかわらず、笑顔を取り戻していた。

「よかったー。とにかくこれで一件落着ね。」

「ちょっと表を走ってきてもいいですか?」

「いいわよ、日常生活がちゃんと送れなきゃ意味がないもんね。」

そこまで、いったところで明が慌てて止めに入る。

「それはちょっと……。」

「なに? 私の治療になにか不満でもあるわけ?」

その場で睨み合う松子と明。

「そうじゃないけど、病院のまわりを鎧武者が走り回るのはちょっと。」

「そうかなー。乱髪形兜二枚胴具足だから、結構オシャレでいいと思うけどな。」

「鎧の種類じゃねーよ。 鎧をきて街を歩くなっていってんの。」

「あーそういうこと? でも、残念ながら、もう外に行っちゃったみたいよ。」

「えっ。」

松子の言うとおり、明が気づいたときには、すでに三成は外へ繰り出していた。

そして、二人のそばには、先ほどの三成の首が床の上でゆらゆらと揺れている。

「おいーっ、あいつ自分の首置いて行きやがった。どこまで鈍いんだよ。」

そのとき、三成の首が明に話しかけた。

「ちょっと陰口はやめてもらえませんか? 僕、傷つきやすいんで。」

「今の状態は傷ついてるとは言わないんですか?」

そのとき、窓の外で、住民の声が聞こえた。

「きゃー、鎧武者よ。首の無い鎧武者が走っているわ。」

明は思わず頭を抱えた。

「悪夢だ。」

明の横で松子がポツリとつぶやく。

「でもよかったわ。三成さんが元気になって。」

「ありがとうございました。おかげで助かりました。」

三成が生首のまま、頭をペコリと下げる。

「いや、三成さん、あなた騙されてるからね? 何も解決してないからね?」

「これでいいのよ、患者の心をケアするのも医者の仕事なんだから。」

松子はいつも自信満々に答える。その理由はさだかではないが。

「とにかくだ。その首をどこか別の場所に移してくれ。次の患者に見られたら

また悪い評判がたつ。」

「はいはい。」

松子はその首を、診察室に置いてある空っぽの花びんの上に乗せて、次の患者を呼んだ。

「次の方どうぞー。」

「ちょっと人の話聞いてるー? 目立たない場所に置けっていってんの。」

「大丈夫よ、花びんの上に置いてあったら、生首だって花だって思っちゃうんだから。」

「思うかーっ。」

だが、明の思惑とは裏腹に、松子は勝手に次の患者の応対に回った。

「どーすんだよ、おいっ。」

両手で頭を抱える明。

だが、松子はいたっていつも通りだ。

「あー、ノブリンじゃない?」

カーテン越しに松子の大きな声があがる。

「お久しぶりです。幽霊さん。」

診察室では明の頭にハテナが飛び交っていた。

「のぶりん? おい、ひょっとして織田信長とかいうんじゃないだろうな?」

「違うわ、一般の方よ。でもとっても有名な方。」

明はほっと胸をなでおろした。

「有名だなんてそんなやめてください。」

「ま、いいからいいから。」

幽霊がさっとカーテンを横に引く。

「それじゃー、こちらにどうぞ。」

「こんにちは。始めまして、江戸時代に料理研究家をしていました、信子といいます。」

そういって、現れたのは上半身と下半身がバラバラになったエプロン姿の女性だった。

「信子さんはね、江戸時代では有名なカリスマ主婦として、女性たちから尊敬されて

いたのよ。」

そうやって堂々と信子を紹介する松子を、明は手招きのジェスチャーで呼び寄せる。

「松子君、ちょっと。」

「もう、なによ?」

松子の顔が明のそばまでくると、容赦なく明のデコピンが松子の額に命中した。

パチンッ。

「いったーい。」

思わずその場でうずくまる松子。

そして次の瞬間、両目に涙をためて、松子は明をキッとにらみつけた。

「痛いわねー、何すんのよ?」

「あれのどこが一般人だ?」

「江戸時代に主婦やってたんだから一般人じゃないっ。」

「幽霊やってる時点で一般人じゃねえよ。しかもなんで胴体と下半身が真っ二つに

なってんだよ。」

そこまでいうと、松子は急に青ざめてしまった。

「えっ? あなた医者のくせにあの有名なタマネギ事件を知らないの?」

「何だよ? タマネギ事件て。」

「うっそー、信じらんない。本当に知らないんだ?」

そばでムッとする明を尻目に、松子は淡々と説明を続けた。

「タマネギ事件ていうのはね、天才料理人の信子さんが家でタマネギを切っていた時に

手が滑って、間違って下半身を切り落としてしまった有名な事件よ。」

「どんな包丁っ? しかも医学と関係なくねっ?」

そのとき、信子の上半身があわてて二人の会話に加わってきた。

「ちがいますよ、皆さん誤解してます。そのとき私が切ってたのは人参なんです。」

「いや、どっちでもいいよね?」

「とにかくですね。私は早くこの体を元通りして、そのとき完成しなかった料理を

仕上げてしまいたいんです。」

「そんなこといわれてもねー、第一、何を作ってたんですか?」

明が腕組みをしながら尋ねると、信子はうつむきながら小さな声で答える。

「クレープです。」

「人参いらないよね? なんで人参切ったの? 絶対無駄死にだよね?」

「ほっといてください。イチゴが足りなかったんです。」

そのとき、そーっと、机の上のボンドに松子の手が伸びてきた。

その手をがっしりと明の手がつかむ。

「おいっ、まさか。また同じ悲劇を繰り返す気じゃないだろうな?」

「えへへ、バレた?」

気まずそうに頭をかく松子。

「なんですか? 悲劇って。」

そのとき、不思議そうに二人の会話を聞いていた信子の目に、花びんの上に乗っていた

生首が飛び込んできた。

「あ、あれ……、ま、まさか……、きゃあああああ、人間の生首ー。」

両手で慌てて目を覆う信子。

「信子さん、鏡で今の自分の姿を見ましょう。状況的に引き分けですよ。」

だが、すっかり信子はおびえてしまっている。

明は深くため息をつくと、松子に指示を出した。

「仕方ないな、松子、とりあえずその首を便所にでも流してきてくれ。」

「えっ?」

花びんの上で驚く三成。

「当たり前だろ。ほかの患者さんが迷惑してるんだから。それが嫌なら、早く自分の体で

とりにきなさい。」

「いやそれはそうなんですけど……。いま体の方が埼玉の方を走ってまして、戻ってくるまであと何日かかるか。」

「なるほどねー、それは仕方ないなー。おい、松子、確か近くにボーリング場があった

だろう。それをそこに寄付してきてくれ。」

「分かりました。五分以内に戻れるように努力するんでどうかそれだけはご勘弁を。」

三成はあわてて信子から見えない位置に移動した。

「さて、信子さん……。」

そういって信子の方をちらりと見ると、明は苦笑いをしながら答えた。

「見ての通り、うちはなんの施設もないオンボロの診療所です。それにそれだけ

じゃなく、手術をするには僕自身の腕が足りないところもある。だから、いまの時点で

あなたの体をもとに戻すことはできません。」

その言葉に信子がうつむきながら小さくうなずく。

「ただし、あなたの夢を叶えることはできる。」

その瞬間、信子が顔を上げる。

「ここであなたが思う料理を僕たちにつくってくれませんか?」

「えっ?」

「どうせ、ここはまともな人の来ない診療所です。だから、僕はもう腹を決めました。

今日はもうここを休診にするので、あなたがこの世で遣り残したすべての料理を

僕たちに作って欲しいのです。ただし、料理にはアジシオを使ってもらいますが。」

明の言葉に信子の目が急に輝いた

「いいんですか? 本当にそんなことをしてもらって。」

「ええ、患者の希望に答えるのが私たち医者の勤めですから。料理に必要なものはこちらで揃えるので。どうでしょうか? やってもらえませんか?」

「ぜひやらせてください。」

信子は感激してそういうのが精一杯だった。

「というわけで、三成君も食っていくだろ? 体ももうすぐ戻ってくることだし。」

明がそういうと、ベッドの陰に隠れていた三成の首は、やがてひょこひょこと現れ、

申し訳なさそうに明の前で小さくおじぎした。

「それじゃあ、松子、表のドアに休診の看板をつけてきてくれ。」

「オッケー。」

松子は急いで玄関までいくと、ぐうぐう鳴るおなかを押さえながら、ドアをロックして、

「休診」の看板を吊り下げた。


一方、明は信子を台所に案内した。

白い冷蔵庫をガチャリとあけると、中にオレンジの灯りがともる。

「調理に必要な食材はだいたいここに揃っていると思いますが、なにか足りないものが

あれば言ってください。」

「うわーっ、いっぺん触ってみたかったのよね。冷たーい。」

子供にもどったようにはしゃぐ信子。

次に、明はキッチンの下の戸棚を開けた。

「それから、包丁はこちらに入っています。奥から野菜用、肉用と順番に並んでいるので。」

「わかりました。」

信子は台所の配置を一通り頭にいれると、座布団を四枚ほど乗っけた回転椅子の上で、

うでまくりをして、早速、料理開始のベルをならした。。

「それじゃあ始めましょうか?」


いつもは静かな台所から、タンタンタンタンというリズムを刻むまな板。グツグツと音を立てる鍋。上半身とは関係なくタップを踏む信子の下半身。それから楽しそうに料理を手伝う四人の声がいっしょになって響いてくる。それはまるで信子を指揮者として、台所が

ひとつのオーケストラを形成しているようだった。


一時間後、素敵な香りを漂わせながら、小さな食卓にはキレイな皿に盛られた

たくさんの花が咲いていた。

「それじゃあ、みなさん召し上がってください。」

そういって、信子はエプロンをはずすと四人とおなじ食卓に着いた。

「いただきまーす。」

四人は手を合わせておじぎをすると、目の前にならんだ豪勢な昼食に舌鼓を打った。

「おいしいね、コレ。」

「おい、一人で何個食べてんだよ? それ、オレのぶんだぞ。」

「はいはい、ほかにも色々あるんだから。」

つかみ合いになる明と松子をなだめながらも、信子は満面の笑顔をとりもどすと

楽しくゆったりと流れる会話の中で、いつしか食卓から姿を消していった。

「ありがとう。」という言葉を残して。



一方、診療所の外では、休診の看板がかかったドアの前で、持病の「痔」の治療に来た

坂本さんがただ一人もがいていた。




第四話につづく、

次号は7月1日を予定しています。もしよかったらご覧ください。

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