プロローグ
浮かれた喧騒が聞こえてくる。
今日は一年に一度の夏祭の日。
遠くに見える川沿いの道には人がわんさかと集まって、屋台が軒を連ねている。
美味しそうな芳ばしい香りが漂ってる。
太郎はこの夏祭を何十回と見てきたが、一度も遊びに行けたことはない。
太郎は何百年も昔、八つで餓死した幽霊だ。
霊体になって以来、生きた人々の住む町へ下りることはできず、結界の張られた山のふもとの林の中だけで過ごしている。
屋台を巡ることはできないが、林の動植物たちと一緒に、花火だけは開催以来毎年欠かさず見ている。
あの屋台には、いったい何が売られているのだろう。あの花火は、河川敷からどのように見えるのだろう。
動植物たちから色々教えてもらってはいるが、それでも自分自身で確認できないのだから、気になってしまう。
「そんなのを気になってばかりだから太郎は成仏できないのだろ」
みんなそう言って笑う。
この林で暮らす人間の幽霊は太郎だけだ。みんな成仏してしまったのだ。
このまま永遠に幽霊であり続け、夏祭を眺め続けるのだろうか。
そう考えていた太郎だったが、今年の夏祭の前日の晩、ある女が結界を解いて、太郎を林の外へと出してくれた。
その黒くて長い髪の女は、この時代には似つかわしくない赤い和服を着ていた。
結界を解いてしまうなんて、ただの人間ではない。
身構える太郎に対し、和服の女は優しく微笑んで頭を撫でた。
途端に太郎の目に涙が溢れてきた。母のことを思い出したのだ。
「さぞ腹が減ったことでしょう。今年の夏祭は私と一緒に回りましょう」
美しい女は太郎を抱いて、もう大丈夫と囁いた。
温かな体温に包まれて、太郎は嬉しいやら悲しいやら色んな感情が込み上げてきて、一晩中泣いていた。
太郎は、自分に実体ができていることにも、女が現れて以来、動植物たちの声が聞こえないことにも、気づかないのだった……。