虫の知らせ
なんでこんな時に…。最悪。
目覚ましを止めて時間を確認する。
15時過ぎ。
今から化粧をしてもぎりぎり間に合うはず。
はじめにアイロンを手に取り、寝癖と天パで絡まりきった髪を伸ばしはじめた。
チリチリと焦げたような匂いが蒸気と一緒に立ち上る。
テーブルのサイズが小さいので、前のめりになりながら身支度を整えなければならない。
この体勢がなかなかつらい。
鏡を覗き込みながら、ファンデーション、アイライン、チーク、リップと格闘し続ける。
そろそろ時間かとスマホの画面をつける。
16時過ぎ。
約束の確認が来ていたので返信して、最後にマスカラを塗ろうと鏡を覗いた。
バキンッ
腰が落ちた。
実際には落ちてはないし、外れてもいない。
しかしそれ以外に説明のしようがない衝撃と痛みが腰に走った。
即座に仰向けに寝転び、痛みの少ない姿勢をとった。
約束していたライブの会場までは、ここから一時間ほどかかる。
しかしこの腰痛ではすぐに起き上がり、支度を完成させることはできない。
なんでこんな時に…。最悪。
スマホを手に取り、約束をした相手へ今日は行けなくなった旨を送った。
早起きも化粧も無駄になってしまった。
楽しみにしていたライブに行けなくなり、どうせすぐに動くこともできないので、私はそのまま眠ることにした。
ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ
どれ程眠っただろうか。
普段鳴らないスマホの振動で目が覚めた。
画面には父親の名前が表示されていた。
「もしもし」
『…もしもし、ごめんな、ごめん、』
いきなりの電話にイヤな予感はしていたのだ。
『…おかあさんなぁ、…死んじゃったよぉ……』
頭が真っ白になる。
言葉はわかるのに、意味を理解することができなかった。
なにかを話した気がするが記憶に残っていない。
電話を切ってからバイト先に連絡をした。
涙は止まらなかったが、体は動かすこともできたし、何をしなければいけないのかも考えることはできた。
あんなに痛かったはずの腰の痛みも消えていた。
今からならまだ実家へ帰る手段もある。
電車の時刻を調べ、家を出た。
何年ぶりかの帰郷がまさかこんな形になるなんて、誰が考えただろうか。
なんで。
電車の中ではその事ばかり考えていた。
しかし、自分の納得する答えなんてでるはずがない。
病気だったのだ、おそらく。心の。
窓の外はすっかり山や森が目立つようになっていた。
暗い窓のに反射して自分の顔が映る。
どうして…。
地元に着いた時にはすっかり日付を跨ぎそうな時刻をまわっていた。
母はいやに白くなっていた。
間違いなく死んでいる。
眠ってなどいない。
そこには、ただ人の形をしたものが横たわっていた。
それはもう私の知らないもので、とても恐ろしいものに思え、私は触れることが最後の最後までできなかった。
死亡時刻は16時過ぎ。
ちょうど私の腰に痛みが走ったくらいだったと後から知った。
偶然と言えば偶然である。
しかし、あの衝撃がなければ、私はライブに向かいスマホの電源を落としていた。
そして連絡を受けることができず、知ったときには帰ることもできず、もどかしい夜を一人過ごすことになっていただろう。
虫の知らせというやつだったのだろうか?
私はあの、上から何かが落ちてきたような衝撃を未だにはっきりと覚えている。