朝食にはたっぷりの豆を
光の刺激で目が覚めた。
窓から朝日が差し込んでいる。
俺はいつの間にかベッドに寝かされていた。
軽く伸びて、息を深く吸う。
「痛っ」
体のあちこちが、吸い込んだ空気に刺されるように痛んだ。
ずっと昔、思い付きで筋トレを始めたことがあったが、その翌日に見舞われた筋肉痛の数倍酷い。
「俺……何やらかしたんだ」
この筋肉痛の原因は、間違いなく昨夜の殺し合いにある。
少女の声で意識が飛んで、気が付いたら男三人が倒れていた、あの奇妙な殺し合い。
尋常ではない。
素人目に見ても彼らは決して弱くなかった。
毎日しっかりと鍛錬を積んだ、豊富な実戦経験も有する、立派な戦士であったはずだ。
それが一体、何故。
答えがこの筋肉痛にある気がしてならない。
例えば、気を失っていた間、俺は暴走状態にあって、訳も分からぬまま敵を撃破してしまって、筋肉痛はその反動、とか。
「俺は初号機かっつーの……」
バカバカしい仮説を自嘲して腕をベッドに投げ出す。
――すると。
ぷにゅ。
左手が何か、途方もなく柔らかいモノに触れた。
間違っても寝具の類いではない。
今借用している寝具はどれも安物で、乾麺みたいにゴワゴワしている。
とくれば、これほどの柔らかさを有する物体など限られてくる。
それは猫とか、太り気味の犬とか、そういう生き物の感触。
ただし毛はない。ツルツルである。
とくれば、
「誰だっ!?」
人間に決まっている。
俺は飛び起きて正体を目視する。
「――リベラ、」
そう、それはリベラだった。
同じベッドの上ですやすやと眠っていた。
下着も付けずにダボダボのシャツを着ているせいで、胸元が大きくはだけて、豊かな丘陵が作る渓谷がありありと見て取れる。
どうも俺はヒマラヤよろしく神が宿っていそうな、神秘的ですらあるその山岳を、怒れる巨神がごとく鷲掴みにしてしまったようだ。
慌ててベッドから飛び降り、目を逸らす。
「おい、起きてくれリベラ。おい!」
胸元を見ないよう努めながら、リベラを起こすことを試みる。
が、時おり誘惑に負けて視線が釘付けになる。
「おい、頼むから起きてくれっ! そろそろヤバいって!」
「ん……あっ……おはようございます」
ようやく目を覚ましたリベラは眠そうに答えた。
しばらく経ってから状況を理解したのか、
「……あっ、ごめんなさい!」
そう言って顔を赤くすると、ベッドから飛び降りる。
「寝坊しちゃった、すぐにご飯の支度しますから! 準備が出来たら降りてきてください!」
「え、いやそっち? なんで一緒に寝てたのか説明はなし?」
「えっとその、昨日は私が床で寝るつもりだったんですが、ちょっと魔が刺したというか、疲れてもいたので……ベッドをお借りしてしまいました」
「それなら俺が床で寝たのに」
「そんなのダメです! すごい怪我なんですから!」
リベラはそう言うと手際良く髪をまとめ、部屋から出ていった。
「……腹、減ったな」
結局昨日は飯を食い損ねた。
さっさと朝飯を食わせてもらおう。
支度を終えて部屋から出る。
ここは二階だったようで、階段の下には作業場が見える。
真っ先に作業場に向かう。
今が朝早いのか遅いのかは分からないが、すでにリベラの父は仕事をしていた。
「おはようございます。遅くまで寝てしまってすいません」
「おう、起きたか。もう飯は食ったか?」
「いえ、それはまだ」
「そうか、リベラが支度しているはずだから食べてくれ。ダイニングは二階の一番奥だ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
挨拶を済ませて二階に戻る。
三つある扉の内、一番奥の扉を開けて中に入る。
「あ、どうぞ。お待たせしました」
リベラに促されるまま食卓につく。
「亜人の料理なんてお口に合わないと思いますけど……」
謙遜しながらリベラが出した料理は見慣れないものだった。
硬そうなパンがバスケットに四つと、薄茶色のペースト状の物体。
見た目はレバーペーストによく似ている。
その傍らでは豆っぽいものが入った黄金色のスープが湯気を立てている。
どれもいい香りを放っていて、腹が鳴る。
「ありがとう、美味しそうだ。いただきます」
「どうぞ召し上がれ。私もいただきます」
起きたばかりのリベラも、俺と向き合う形で朝食の席に着く。
リベラを真似て、ペーストをパンにつけて齧る。
ペーストは動物性の脂でまったりとしていて、豊かな旨みと少々の臭みがある。
が、臭みはニンニクでうまく隠されている。
朝からニンニクというのは日本人サラリーマンからすれば、中々とんでもない話に聞こえるが、気にせず食う。
どうせ今日は営業もないのだ。
それどころか仕事自体がない。
俺はここでは無職なのだ。
朝食に何を食おうが俺の勝手である。
妙な解放感に気分が良くなり、食欲も湧く。
スープに口をつけると、鶏ガラっぽい味が感じられる。
豆のような具はまさに豆そのものといった感じで、特にひよこ豆に酷似している。
これもパンにぴったりでうまい。
「どう、でしょうか。やっぱり、お口に合いませんか」
黙々と食べ進める俺を心配したリベラが伺う。
「いや、すごくおいしいよ。中東の料理に似ているのかな? うん、すごくおいしい。俺これすごい好き」
そう答えるとリベラの表情はぱっと明るくなる。
「よかった! でも、ちゅーとー、って何処ですか?」
「うまく説明出来ないな。後で地図を使って教えてあげるよ」
「はい、お願いします。あ、それからもう一つ、一番大切なことを聞いてませんでした」
「ん……何かな?」
「お名前、伺ってませんよね」
「ああ、そうだったね。俺は間瀬弥彦。間瀬でいいよ」
俺が名乗るとリベラは視線を僅かに動かした。
「あっ、出ました、ステータス。えっと、MAZE Yahiko……変わったお名前ですね」
「ステータス? 俺の名前とか、レベルとか、HPとかのこと? それって人からも見えるものなんだ」
何気なく訊いてみるとリベラは、
「え……知らないんですか?」
と目を丸くするのだった。
「ごめん。実は俺、つい昨日ものすごく遠いところから来たばかりなんだ。俺がいた所はここの常識が一切通用しない所で、俺はつい昨日生まれたばかりの赤ん坊みたいなものなんだよ」
「ふふっ、大きな赤ちゃんですね」
そう笑うと、リベラは身を乗り出した。
「ほら、ペーストが口に付いてますよ、赤ちゃん」
俺の口についたペーストを拭おうと身を乗り出すリベラ。
またも胸元が大きくはだけてしまい、俺は丘陵の二つの頂上を眺めてしまう。
「ばばばばっ、ばかっ、いいって、自分でとるって!」
俺は手で乱暴に口を拭う。
ごめんなさい、と笑いながら謝るリベラに反省の素振りはなく、あくまで楽しそうである。
「そ、それより。教えてくれないか。ここの常識を」
「常識を教える……ですか。構いませんけど、それって結構難しいですよね?」
「……確かにそうかも」
リベラの言う通りだ。
俺だって、突然外国人に「日本の常識を教えてくれ」とか頼まれたら困り果てる。
自分が知ってて当たり前のことを、体系的な知識として他人に教えるのは、案外難しいものだ。
「そうだ、教会に行ってみてはいかがでしょう。確か、無料の公共教育制度があったと思います」
俺はリベラの提案をあっさり受け入れて、残りの食事を片付けた。
そして、心からの感謝を込めて言った。
ごちそうさま。