異世界
活気に溢れた町を彷徨い、小綺麗な飲食店に飛び込んでは、
「皿洗いでもドブさらいでも何でもやるので、水と食べ物を頂けませんか」
と尋ねる。
すると、
「何でもやる? お前、自分の職業はどうした」
と問い返されるので、
「今は無職です」
と、嘘偽りなく答える。
その次は決まって、
「消えな、薄汚え失業者。てめえなんざ亜人以下の草喰らいだ」
と、罵声を浴びせられるのである。
三時間ほど町を彷徨って、この世界について分かったことがいくつかあった。
まず、言葉が通じる。
不思議だがそういうものらしい。
次に身分制度について。
この世界の人間には大きく分けて正人と亜人の二種類がいる。
正人とは俺のような普通のヒトのことで、亜人とは獣の耳や尻尾を生やした、いわゆる獣人のこと。
亜人は差別されている。
正人と亜人という呼び方からもそれは明確だ。
それからもう一つ、職業のこと。
この世界では無職に対する風当たりが異常に強い。
一体どういう理由でかはまだ分からないが、恐らく国がまだまだ発展途上で、経済的な余裕がないからだと思う。
これらのことが分かったところで日は暮れて、次第に町から活気が消え始めた。
ひとつの生き物が死んでいく様を眺めるようだった。
夕暮れの中で死を予感した。
誰も助けてくれない、食べ物が手に入らない。
生まれて初めて経験するリアルな飢え。
心が荒む。
感情を失いかけていた心に、急に怒りだけが舞い戻る。
なぜ俺だけがこんな目にあうのか。
なぜ俺は異世界に来たのになんの異能も持っていないのか。
暗い町に腰を落とし、延々と負の思考を繰り返す。
やがて突発的に辿り着く、いつもの終着駅。
――ああ、死のう。
そう、俺はいつもそうやって逃げて、心を保ってきた。
今回もそうやって現実から逃げて、死を思っていれば何とかなるような気がしたのだ。
その時だった。
少女の悲鳴が聴こえた。
闇夜を引き裂く悲鳴は、事態の深刻さを一瞬で理解させた。
何か異常な事態が起きている。
理屈、恐怖、絶望、あらゆる足枷を置き去りにして、声に向かって駆け出す。
飢えた俺を突き動かすのは、正義感などという生易しいものではない。
もっと根源的な何かだ。
今走らなければ、目の届かない所で決定的なものが終わると確信出来る。
だから走る。
黒い風になる。
そして到達する。
大通りを逸れた暗い路地で、亜人の少女が正人の男三人に囲まれていた。
「だからさ、君の商売は邪魔しないって言ってるだろ? それだけじゃない。おいしい副業を紹介してあげる、って言ってるんだよ」
男が言ってニヤつく。
推定される状況の薄ら寒さに、吐き気を覚える。
「そうそう。三人の客を一晩相手するだけで、銅貨三十枚。木材をせっせと売るより得だろう?」
男達はヘラヘラ笑いながら買春をもちかける。
「やめて……ください」
少女は必死に声を絞り出し抵抗する。
「ほら、早く行こうよ。俺達も亜人に声掛けてるのが見つかったらヤバいんだって」
「そうそう。亜姦なんて変態趣味の極みがバレたら、社会的に死んじゃうよ」
「……お願いします。もう行かせてください」
少女は肩を丸め、両手を胸の辺りで抱き抱えて必死にこらえる。
大切なものを零してしまわないように守っているようだ。
「え? もうイッちゃうの? まだ始まってないんだけど! キミ、実は股に振動石とか仕込んでたりして?」
「……っ……違いますっ……」
「真面目な話さあ、キミ、親のために裏ルートで木材を売り捌いてたんだよね? そんな地味なやり方じゃなくてさ、パーッといこうよ。一息に銅貨三十枚! ほら、この方が絶対キミの親も喜ぶって!」
「……っ……ぐっ……」
俺は見逃さなかった。
少女の目から零れた一滴の涙を。
きっと心配してくれている親の顔を思い出したのだろう。
恐怖には耐えられる。
けれど親から貰った体が汚されるのが申し訳ない。
自分が不甲斐なくて仕方がない。
そういう涙ではないか。
そういった純粋極まるものではないか。
俺が遠い過去に忘れてきた、人として一番大切なものではないか。
瞬間、
「――何してんだ、」
爆ぜたように駆け出し、男の後頭部に全体重を乗せた右拳による一撃を見舞い、
「……オラァッ!!」
返す左拳で鼻を砕く。
果物を絞ったように血が出る。
戦闘が勃発した。
ステータス画面のMaze Yahikoという名前が真っ赤になった。
戦闘状態に入ったことを意味するのだろう。
もう引き返せない。
覚悟を決めて拳を握りこんだ。