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アスファルトに浮かぶ森

「遠藤商事営業部の間瀬弥彦(まぜやひこ)です。本日はお時間頂きありがとうございます」


俺は営業先に挨拶する。

研修で叩き込まれた、心理学的には誰にでも好感を与えるという作り笑いを、顔に張り付かせながら。


「本日ご紹介させていただきますのは、顧客管理の手間を省くソフトで――」


何回繰り返したか分からないセールストークを展開する。

あまりの同一性に辟易する。


完全な反復、複製。

YouTubeの広告だって、これほど同じものが繰り返し再生されることはないというのに。


はっきり言って仕事にはウンザリしている。

いや、もっと大枠で、人生そのものに参っている。


毎日毎日同じことの繰り返し。

心は日々死んでいく。


炎天下の中でセミを採ったこととか、

クーラーの効いた部屋でスマブラをしすぎて怒られたこととか、

氷が溶けて薄くなったカルピスの味とか、

そういった輝かしい記憶が、段々と心の奥底に沈殿して、濁った水底で腐っていくようだ。


「本日はありがとうございました。また、ご連絡させていただきますので――」


パワポの最後の一枚のスライドがスクリーンに映し出されると、相手の質問も受け付けずにさっさと切り上げる。


ビジネスバッグにノートパソコンを放り込んで、冷房の効いたビルから出る。

途端、目が眩んで汗が吹き出す。


道路を挟んだビルの向かい側に、コンビニを見つける。

アイスコーヒーを求めて交差点を渡る。


背広のボタンを外してバタバタと仰ぎ、気休め程度の涼を得ながら歩くと、いっそビールでも飲んでやろうかという気すらする。

横断歩道に三歩ほど踏み出し、何気なく左を伺うと、アスファルトの上が蜃気楼で歪んでいた。


「ん?」


蜃気楼などさして珍しくもないが、何気なく目を凝らす。

そこに、森があったような気がした。

とても深い、一度入れば二度と出られぬ迷宮の森だ。


「……俺、疲れてんのかな」


呟くとひどい目眩がした。

思わず立ち止まり、目頭を抑える。


「おい! 危ないぞ!」


凄まじい怒声が聞こえた。

人が人を本気で心配するときに発する、危機感に満ち溢れた声だった。


思わず身をすくめ、周囲をさっと見回す。

生き物として当然の反応。


そして俺は目にする。


――眼前に迫った大型トラックを。


「あ」


瞬間、視界が真っ黒になって強い衝撃を感じた。

吹っ飛ばされて、視界だけその場に置き去りにしてしまったようだった。


とても長い時間を空中で過ごしたような気がした後、地面に叩きつけられる。

激しい痛みに悶えながら目を開ける。


霞む目に映ったのは、サラリーマンが闊歩する、ビルの立ち並ぶオフィス街などではなかった。

剣だの弓だの杖だのをぶら下げた人間が闊歩する、木と石の町だった。

獣人みたいな者もいて、時おりこちらを指さしてはクスクスと笑っている。


「――マジか」


そんな言葉しか出なかった。

ああこれは、通勤電車の中でよく読むお馴染みのアレだ。


「ベッタベタの異世界転生しちゃったよ」


そう確信出来る材料が三つあった。


まず頬。

つねっても痛くない。


次に視界の左下のステータス画面。

MAZE Yahikoという名前の下に、

Lv 1

HP 15 / MP 15

EXP 0 / 30 (0%)

と表示されている。


こんなものを見せられては、異世界転生でもしたか、VRゲームに閉じ込められたか、そのどちらかを疑うのが、令和元年の一般的な男子の思考だろう。


そして最後に匂い。


俺はさっきから匂っている、

肉の焼けるうまそうな匂いとか、

腐りかけの果実が発する芳香とか、

ワンコインランチを食わす店にありがちな下水臭とかの、

そのあまりのリアルさから、VRよりも異世界に賭けたのだ。


この生の実感は、コンピュータごときに再現出来るとは到底思えない。


町を行き交う人々を眺めたり眺められたりしている内に、道路に座り込んでいることに羞恥を覚えて立ち上がる。

するとすぐに、アイスコーヒーを買い損なったことを思い出す。

喉が渇いた。


実は俺は、アイスコーヒーと一緒にアメリカンドッグをついつい買ってしまうフレンズである。

ついさっきもその気まんまんであった。

要するに小腹も減っている。


俺は水と食料を求めて、異世界における第一歩を踏み出した。

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