鼠達の計画
残された時間はあまりにも短かった。
そしてその情報の信憑性も確かではなかった。
なにせライアンが主人の部屋を掃除しているときに、使用人達に主人が慌てた口調で荷物を纏めるよう命令しており、その時に「1週間後にメルナが攻めてくる」と狼狽していた様子の主人を見ただけだったからだ。
しかし曲がりなりにもメルナの有力貴族の1人がそこまで不確かな噂話を信じる訳もない。現にバルトの街に数日前から大量の物資がどこかからか運ばれてもいる。
どちらにせよ1週間しか逃走の準備をする時間はないのだ。
次の朝からさっそくオルクは計画をたて始めた。ライアンはあまりそういった計画をたてるのは得意ではなかったし、なによりオルクと違い朝から様々な重労働が待っている。
「僕が計画とそれに必要な物資を纏めるから、ライアンは普段通りしていてくれ。君が帰る夕方頃には多分計画もできていると思うから」
いつものように微笑むオルクが、吟遊詩人が語るどこかの賢者のように見えた。
「あぁ。だけど計画をたてるのはわかるんだが、物資てのはどうするんだ?勿論食料や衣服はあったほうがいいが、そんなもの俺達には手にいれようがないんじゃないか?」
ライアンの問いにオルクは少々あきれ気味に目を細める。
「まさか君は身体1つで脱走する気だったのかい」
「まぁなんとかなるかななんてな。ハハハ……ならないか」
破天荒で前向きな性格もライアンの長所ではあったが、季節は冬。さらに北にむかうのだから、奴隷着のままでは逃げれた所で凍えて死んでしまうだろう。
決断のよさはいいが、決して無謀になってはない。
「必要な物資を買えるだけのお金のことは僕に任せてよ。ライアンはその物資を1週間隠しきれそうな適当な場所とかを見つけといてほしいかな」
「金てオルク。どうやって手にいれるんだ」
「まあそこは任せてよ」
ふふっといたずら気味に笑うオルクにライアンは不安を覚えたが、オルクが仕事で失敗しているのも見たことがない。
なにかいい方法があるのだろう。そう納得しライアンは労働へと向かった。
バルトの街は草原地域に囲まれた、帝国のオアタルタン地方に建てられた街だ。
天候も安定しており、草原地域の肥沃な大地とそれに見合う豊かな作物が毎年大量にとれる中部屈指の穀物庫。
いわば帝国の重要拠点の1つだった。
ここから帝国に供給される食料が、現在のガイアナ帝国をここまでの大国に育てたと言っても過言ではない。
それが突如として同じオアタルタン地方にあるメルナ王国が反旗を翻したのだから、帝国にとってはまさに喉元にナイフを突きつけられたも同然だった。
ここを落とされれば帝国の安全保障が揺るぎかねない。
当初はすぐに鎮圧できるはずだった独立戦争もいまや多方面戦争へと変わり、しかもメルナ王国がバルトに侵攻作戦を開始すると同時に、西部諸国やオーランド神聖皇国も呼応し、国境境に侵攻をかけている。
帝国は各地に援軍を送るも、戦況は帝国の劣勢なのは明らかだった。
そしてバルトの街にも、首都から援軍が到着まで籠城できるだけの物資が各地から大量に搬入されていた。
夕方、ライアンはいつも以上の仕事を終え、帰路へついていた。
中央市場はいつものように賑やかで、人々は日々を生き抜こうと商品を値切る姿があちこちで見られた。「家まで競争だ!」とライアンの傍らを子供達は夕陽を背に市街地に走り去っていく。
戦争中の国とは思えない光景だ。平和とはこういった事をいうのだろうか。
(自分の立場が違えば、生まれが違えば、この街も好きな存在になれただろうな)
自分が北方の生まれでなければ、帝国に故郷を滅ぼされなければ、奴隷ではなければ…。考えた所で今は変わらないな、とライアンは足どりを早める。
しかし平和に見えても、やはり街の様子は慌ただしいようにも見えた。駐屯兵がいつになく街を巡回しているし、今日の労働も普段とは違い、どこからか届けられている大量の物質や武器などを倉庫に搬入するイレギュラーな仕事ばかりだった。
「これゃあ間違いはないな。メルナが攻めてくるのは」
ライアンは帰り際に見える都市倉庫を見ながら呟く。
問題はいつくるかだ。できたら1週間といわずもう少し時間がほしいものたが。
しかしオルクの事だし、宣言した通り計画はもうできているだろう。あとは、
「金、か…。」
オルクは自信ありげに任せてよと言っていたが、奴隷の自分達が財産を持つことは禁じられている。
そして稼ぐ手段というのも、街に出やすいライアンと違い、貴族邸宅を主な仕事場とするオルクに普通ならそれが出きるとは思えなかった。
(まぁオルク先生の事だ。なにかいい策でもあるんだろう)
楽観的に考えるライアンだが、彼が絶対の信頼を与えるほどの知識がオルクにはある。
使用人から今日の飯を受け取った後、奴隷牢にある寝床へのライアンは向かった。
彼が自分の寝床にたどり着いた時、既にオルクが自身の寝床にポツンと座っていた。
そしてライアンを見つけるといつものように軽く微笑んだ。
「計画も必要な物も手に入れた。皆が寝静まったあとに話そうよ」
そう言うと周りにバレないようにオルクは懐から小さな小袋を取り出すと、その中身を見せる。
間違いなく本物だ。
ライアンも商人達が取引の時に扱っていた銀貨しか見たことはなかったが、それでもそれが本物だとは理解できた。
ガイアナ銀貨が数枚、その小袋には煌めいていたのだ。