鐘の音と春風は、感傷もさらって
銘尾 友朗さまの『春センチメンタル企画』参加作品です。
リンゴーン。リンゴーン。
鐘の音がする。
なんだかいつもの聞きなれた鐘の音より、少し低くて物悲しい。
誰もかれも黒い服を着ている。
一人として笑顔なんてなくて。なんだか顔が暗くて。
わたしは胸がぎゅっとなった。
やめて。そんな顔しないで。こっちまで悲しくなってしまうの。
わたしは一生懸命、話しかけるけど、誰も何も言ってくれない。
それどころかこっちを見てもくれないの。
わたしはあきらめて、前へ進んだ。
何故だかとっても体が軽い。すいすい進むの。とっても面白い。
リナおばさん、同じクラスのジェシカとトムを追い越して、もっと人がいっぱい集まっているところへ行く。
皆やっぱり黒い服。ハンカチだけが白く浮き上がって見えた。
あれ? 泣いてるの?
わたしは不思議に思ったけど、そのまますり抜けていく。
人だかりの中心には白い棺。
棺を囲んでいるのは、お父さまとお母さま。兄さまもいる。どうして?
急に胸がどきどきして、わたしは棺の中をのぞきこんだ。
中にはお花がいっぱいで、わたしの大好きなぬいぐるみも入っている。
お花に埋もれるように、横たわっているのはまだ小さな女の子。
透き通るような肌は白い陶器みたい。流れる金髪はお人形の髪の毛みたいにつやつやで、お化粧をしてもらったのか唇は、白い顔の中にぽつんとピンク色の絵具をのせたみたいだった。フリルのついた可愛いワンピースを着ていて、お腹の上に組んだ小さな手には小さな花束を握らせてもらっている。
眠り姫みたいに棺の中へ横たわっている女の子はわたしだった。
そっか。わたし死んじゃったんだ。
すとんと、胸の中へ落ちてきた。
だからこんなに体が軽いのね。息をするのも楽なんだね。
ううん、息はしてないのかな。どっちでもいいや。もう苦しくないもの。
わたしはなんだか気分がウキウキしてきた。嬉しくなって、みんなに笑いかける。
ねえ、だから泣かないで。
わたし、もう苦しくないのよ。ほら、走る事だって出来るのよ。
わたしはお父さまやお母さま、兄さまの周りをくるりと走ってみせた。
でもみんなわたしに気が付かない。見えてないの。
わたしは涙を流しているお父さまの頬へ触れようとした。けど、触れない。すり抜けてしまう。
お父さま、お仕事忙しいのにいつもおやすみのキスしに来てくれたよ。お父さまにもらったぬいぐるみ、大好き。
お母さまに抱きつこうとした。自分の体を抱きしめただけだった。
お母さま、いつも綺麗でいい匂い。お母さまの優しい手が好き。撫でてくれたらいつも苦しいのが少なくなるの。
お兄さまの手を握ろうとした。突き抜けて、お腹のところに刺さったみたいな恰好になってしまった。
兄さま、いっぱいお話聞かせてくれた。いつも楽しくて、わくわくしたの。
お父さまが泣いているところなんて初めて見た。
お母さまの泣き方はいつもと違って激しい。
お兄さまの顔はくしゃくしゃだ。
嬉しさで膨らんでいた気持ちはみるみる絞んで、かわりにわいてきたのは悲しい涙。
わたしが嬉しくってもダメなの。みんなが悲しいと悲しい。
ごめんなさい。
お薬も注射も嫌だってわがまま言ったよ。
ごめんなさい。
発作の時、暴れて引っかいちゃったり叩いちゃったりしたよ。
ごめんなさい。
咳がいっぱい出て苦しかったから、はやく楽にならないかなって思ってたの。
ごめんなさい。ごめんなさい。
こんなに泣いてくれるなんて、悲しませるなんて思わなかった。
悲しまないで。わたし幸せだったの。
病気でずっとベッドの上だったけど。走れなかったけど。ちょっと他の人より短かったかもしれないけど。
リンゴーン。リンゴーン。
鐘の音が鳴り続けている。
名残惜しそうに棺のふたが、涙に濡れた手で閉められる。
わたしはお気に入りのワンピースの袖で、ぐいっと涙をふいた。わたしが泣いてちゃ、みんないつまでも笑顔になれないと思ったから。
もうわたしはずっとここにはいられない。行かなきゃ。
ふわっと風が吹いて、参列者の喪服を揺らす。吹いた風が運んだのは、温かさと、匂いと共にもう一つある。
私は笑った。風が私の金の髪を巻き上げ、陽の光がきらきらと輝いた。
お父さまとお母さま、お兄さまが空を見上げて目を細める。
今日はぼんやりとした水色じゃなくて、青くてぽつぽつと白い雲が浮かんでいる、そんな日。
あの青はわたしの目の色と同じだね。風が色がついたみたいに光っていて、わたしの髪の毛みたいでしょ?
ひらひらと風と一緒に踊る小さなピンク。風に運ばれた、花びら。
わたしのワンピースと同じ色だよ。模様もお花。だって大好きだったんだもの。ね?
花びらはお父さまの頬に貼りつき、お母さまの喪服へブローチみたいに落ちて、お兄さまの手にくっついた。
お部屋の窓から毎年みていたお花。これを見て、いつも笑顔になっていたでしょう?
今年も見えたの。ほら、お花を見て、今もわたし笑っているのよ。
お父さまもお母さまも、お兄さまも泣き笑いみたいな顔になった。今はそれで許してあげる。
覚えていて。わたしはとっても幸せだったの。
わたしを思い出してちょっぴり悲しいときもあるかもしれない。ぎゅうっと切ない時も、泣いちゃうのも仕方ないね。
けどいつかは消えてくれたらいいな。思い出すなら楽しかったことにしてね。
また風が吹いて花びらをさらっていった。頬についた花びらは風に飛び、喪服に色どりを添えていた花びらは休憩をやめ、手についていたはなびらは涙が乾いてはがれた。
空は春うらら。
風光り、強い風が花びらを躍らせている。
リンゴーン。リンゴーン。
鐘の音が鳴り響いていた。