古い病院
「院長先生、病院内の点検作業が終わりました」
時刻は夕方、日勤の男性看護師が病院施設の点検結果の報告に院長室に入ってきた。
「ご苦労様でした。それで、どうでしたか?」
「はい、毎日こまめに点検しているので、そう大きく変わった所はありませんでしたが、やはり二階の病室は人の出入りが激しせいか、新たに一部屋、壁に亀裂が入っているのを発見しました」
「おお、そうか。それは危ないな」
「はい、今すぐ崩れてくる程のレベルではありませんが、用心に越した事はないでしょう」
「いや、よく見つけてくれた。ありがとう。この病院内でけが人が出たら大変だからな。それでは、この後、夜勤で出勤してくる看護師達にも引き継ぎをして情報共有をお願いします」
「わかりました。伝えておきます」
男性看護師は一礼をして院長室を後にした。
†††
すっかり日が沈み辺りが暗くなった頃、夜勤の看護師達がミーティングの為、院長室に集まりだした。
今夜の夜勤は女性ばかりの三人で、それぞれの好きな歌手の話で盛り上がっている。
院長はそれを微笑ましく眺めながら、
「楽しそうなところを、おじゃまして悪いのだが、そろそろミーティングを始めるよ。日勤者からの引き継ぎで、建物の点検結果は聞いていると思うのだが…」
そう言って院長は説明を始めた……
「と、言う訳で、今日も院内の危なそうな場所をしっかり覚えて対応してください。本来ならこの建物をどうにかしたいのですが、お金の問題もあり、今すぐどうこうはできません。皆さんに負担をかける部分もあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします」
「わかりました。私達は大丈夫ですよ。みんな、今日も一日頑張ろうね」
「はい!危険な場所は覚えました。今夜も来訪者がきたら、危ない場所に向かわせないように、しっかりと誘導します」
「院長、任せてください」
「みんな、ありがとう。…おっ、さっそく誰か来たみたようだ。外から車のエンジン音がするぞ」
そう言って院長は、割れたガラスが残る窓枠から外を見た。
そこには病院の正面玄関前に車を停め、懐中電灯片手に降りてくる若者三人の姿があった。
会話までは聞こえないが、なにやら騒がしく時折笑い声が混じる。
院長は溜息をついた。
「まったく、この病院が潰れてから何十年経ったと思ってるのだ。三十年だぞ。ここの持ち主だった私もとっくに死んで所有権は国になったのだ。だが、この不景気で取り壊しをする予算がなかなか降りてこない。せいぜい、立ち入り禁止のロープが張られたくらいだ。放置されたこの病院はどんどん朽ちて、あちこちで壁や床が崩れてきてる。そんな危険な建物に肝試しに来る若者達のなんと多い事か。この病院内でけが人は絶対に出したくない。私はそれが気がかりで成仏せずにこの病院に残る事にしたのだ。昼間のうちに危険な場所を点検し、夜になったら肝試しの若者達をうまく恐がらせ安全な場所に誘導する。これが中々大変な仕事なのだが……」
そう言って院長は、半透明の体を持つ遅番の看護師三人を振り返った。
「私の後に亡くなったこの病院の元看護師達が、一人で困っている私を見かねて成仏せずに次々に集まってくれた。そのおかげで、生きていた頃のように早番、遅番といったシフトを決めて順番で見回りができるようになった。みんなには本当に感謝しているよ。だけどね、無理して私に付き合うことはないんだよ?成仏して生まれ変わりたくなったらいつでも言ってくれ。その時はみんなで送別会を開き快く送り出すからね」
感謝と申し訳なさが入り混じった表情の院長に、看護師達が元気に答える。
「もう、院長ったら毎日同じ事言って。大丈夫ですよ、その時は遠慮なく言いますから。心配なさらないでください。そんな事より院長、見てください!若者達が病院内に入り込みました。私達も急がなくちゃ」
「おっと、それはいかんな。それではみんな、若者達にケガをさせないように今日も一日よろしくお願いします」
院長の言葉を合図に、全員が仕事体勢に入った。
先程までの笑顔から一変、おどろおどろしい表情を浮かべ両手を上げて手首をだらりとおす。
そして誰の事も恨んではいないのだが『うらめしや……』と呟くと、病院内を歩く若者達の背後へと向かっていった。
了