前編
前々作『自動退場の悪役令嬢』
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前作『子爵令嬢ウェンディの羨望と後悔』
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こちらを先にお読みいただいた方が、ストーリーがわかりやすいかと思います。
「王位第一継承者、フライがここに宣言する! ディル公爵家サニアとの婚約を破棄し、マンス子爵家ウェンディを婚約者とする!」
伯爵子息サルタは、目の前の舞台を見守る。
全ては、彼女が書いた戯曲の通りだ。扇に隠された表情は遠目ではよく見えないが、誇り高い彼女にふさわしい艶やかな笑みを浮かべているのだろう。
すでに、泣き崩れるウェンディと寄り添うフライ王子という狙い通りの場面が演出されている。
(これで、全てがうまくいく……)
最後に登場する役者のムーランを見やると、彼は腕を組んでじっと佇んでいる。視線を戻すと、サルタはそっと目を伏せた。
この舞台を完成させるまでのことが、自然と思い起こされる。
サルタは”王家の暗器”と呼ばれる伯爵家の後継者だ。ゆえに、王子の懐刀として、その理想を叶えるために幼いころから仕えてきた。
王子が王冠を戴くその時のため、側近となるべき貴族子女を選別したのは伯爵家で、適性の有無を判断したのはサルタだ。側近候補の貴族子女は王子の遊び相手という名目で次々と王宮に招かれ、サルタによって厳しく振るいにかけられていった。
そして、王子の頭脳には神童と名高かった公爵家のムーランを。剣と盾には侯爵家の双子チューズとザース。未来の王妃選びは難航したが、将来の美しさと聡明さを予見してディル公爵家サニアに決まった。
サルタと伯爵家の選択が正しかったことは、すぐに明らかとなった。
「ぼくは、みんなが笑顔になれる国を作りたいんだ!」
それは幼い王子の無邪気な願いだった。そして、その願いに違わぬ努力をしていた。未来の側近として王宮を定期的に訪れるようになった彼ら四人は、王子に共感し、その姿勢に尊敬するようになっていった。
「そうですわね。わたくしも、フライ様たちとずっと笑っていたいですわ」
そうやって王子に笑いかける幼いサニアの姿を、サルタはよく覚えている。まだ子供だけれど、そこに将来の王と妃の姿を見た。
王子は彼らとともに切磋琢磨していった。ムーランと並んで勉学を修め、ザースとともに将軍から剣の手ほどきを受ける。パーティーにはサニアをパートナーとし、チューズと社交の経験を積んでいった。
「僕は、一部の上流階級の人間だけが得をする社会を正したいんだ。身分制度が不要というわけではないが、今この国には、貧しくて餓死する国民があまりに多すぎる。同じ国に生まれたのに、こんなに差があるのは不公平じゃないか」
フライ王子の幼い願いは、年を重ねるごとに明確な理想となっていった。やっと十を数えたばかりだというのに、側近たちと定期的に開かれるサロンでの茶会はこのような政治的話題ばかりだ。
「しかし、どうするんだ? 国王はまだ若く、フライが即位するのはまだまだ先だ。現段階では王位第一継承者という不安定な権力で、さらにまだ子供と言われる俺たちができることは限られているぞ」
ムーランの指摘は的確だった。うぐ、と王子は言葉に詰まる。
やれやれ、といった風にチューズとザースは笑う。顔と体格はあまり似ていない双子の二人だが、このような仕草や表情はよく似ている。
「まずは、何が不公平を生みだしているのか原因を探ってみてはいかがでしょうか。フライ様の理想を妨げるものが何かを知ることなら、わたくしたちにもできますでしょう? 実際にどうするかは、その後でも遅くはないと思いますの」
「そうだ、それがいい! まずはなぜ不公平が生まれているか調べよう!」
サニアの提案に、途端に王子は元気になる。
「さすがサニア。フライの扱いは彼女が一番だね」
「……ああ、そうだな」
サルタは目の前の微笑ましい光景を見ながら、隣のムーランに話しかける。
いつかこの二人が、賢王・賢妃と並び称えられるのだろう。そんな未来が自然と思い浮かぶ。
「よし、そうと決まったらそれぞれの得意分野で探るよ」
「んじゃ、ボクは貴族社会から探ろうかな。父上について社交場にいってみるよ」
「でしたら、わたくしは茶会で色々調べてみますわ。幸い、招待されている茶会や夜会は多くありますの」
サルタの呼びかけに答えたのは、社交の得意なチューズとサニアだ。
「仕方ない、オレは町に行ってみるか」
「そういうことなら、僕が手伝うよ。ザースはスラムなんて行ったことないだろ?」
町で平民側を探るのには、チューズの双子の弟ザースと隠密行動の得意なサルタが名乗りを上げる。
「みんな、ありがとう……!」
「フライ、感激しているところ悪いが、俺たちは予算や法律を見直すぞ」
「うん。そうだね、みんなに負けてられないね」
フライ王子とムーランは、貧しい民に対してどのような法があり、どのように予算が組まれているのか正確に現状を把握することにした。
それからしばらく、それぞれが王子の理想のために動いた。まだ成人していない彼らは、ゆっくりと、けれど確実に。
進捗状況は、変わらず茶会で報告されていた。しかし、あるとき見慣れぬ少女がサロンにいたのである。
「彼女は、マンス子爵家のウェンディですわ。歳はわたくしたちと同じですの」
サニアは悪びれる様子もなく、少女ウェンディの紹介をする。
突然の招かれざる客に、皆どういう反応を示せばよいか戸惑っている。フライ王子さえ口ごもる中、いら立ちを隠すこともなかったのはサルタだ。
「なに、勝手に部外者を連れてきてるのかなあ?」
「それはごめん遊ばせ。百聞は一見に如かず、連れてきたほうが早いと思いましたの。ウェンディは、フライ様の理想を叶えるお役に立てる子ですわ」
「それは君が決めることじゃないよ。だいたい、身元だって確かに調べていない、それも子爵家の人間じゃ……」
思わず口走ったサルタの失言にいち早く反応したのは王子だった。
「子爵家の人間だから、何だい? サルタ、僕の考えを知っている君が、身分を理由に相応しくないなんて言ったりしないよね」
サルタはすぐに口を閉じた。
――――僕は、一体何を口走ったんだ。フライ王子の身の安全を守るのが第一優先とはいえ、身分で全てを判断するような考えを根底ではしていたのだろうか。
茫然とするサルタを気にもせず、サニアは話を続ける。
「フライ様、ウェンディとは先日の茶会で会いましたの。とても記憶力が良くて、一瞬見ただけでも正確に物事を覚えていられるのです。その記憶力のおかげで、茶会に参加していた伯爵令嬢のブローチを見つけ出し、トラブルを見事に解決したのですわ」
「ふぅん。とはいえ、どの程度の記憶力なのかは調べてみないとな」
ムーランは、サニアの後ろで俯くウェンディを不躾に睨めつける。失礼なムーランの態度にむっとしたサニアは、あえて得意げに宣言する。
「ムーラン、その鼻明かして差し上げますわ」
「大したことなかったからって、後で吠えるなよ」
結局、ムーランが鼻を明かされる形で終わった。
ウェンディの記憶力はサニア以外の全員の度肝を抜いた。ムーランが持っていた前年度の国家予算書に一度目を通しただけで丸暗記してしまったのだ。莫大な数字を一つも間違えることなく答えるのだから、ムーランもその能力を認めざるを得なかった。
「だからって、サニアが得意げなのが腹立つ」
「ふふん、奥ゆかしいウェンディの分も威張ってるだけですわ」
「さ、サニア様……」
サニアの後ろでおろおろするウェンディは、凛としたサニアにはない繊細な可愛らしさがあって皆の好感を得ていった。チューズは大胆にも「サニアと違ってかわいいね」と声を大にしてウェンディを口説いたため、しばらくサニアから睨まれることになったのは仕方ないだろう。
こうして、ウェンディは王子の側近として認められていった。
調査も順調に進み、学院に入学する頃には王子の理想を阻む原因も明らかになりつつあった。
一つは、利権を貪る地方大貴族たちの存在。役人と領地を治める貴族が癒着し、民へ重い税を課している領地が複数あった。貴族は正規の税と余剰に課した税の差額を懐に入れ、民は身を粉にして働き重税に喘いでいた。
もう一つは、貧しい民は貧困の連鎖から自力で抜けることが非常に難しいことだ。スラムなどの貧困街で暮らすものの多くが、低い賃金で長時間労働を強いられていた。そもそも低賃金で労働を強いられるのは、手に職がないことと、読み書きができず悪条件で労働契約を結んでしまうことが主な原因である。しかし、低賃金で働く彼らに技能や学を習得する余力はない。さらに、そのような環境で生まれた子供たちも同様に貧しく、生きるために働くことで精いっぱいである。こうして、貧困の連鎖は断ち切ることができずに続いている。
「僕は、この学院でより多くのことを学ぶ。そして、民の生活を向上できる政策を必ず考えだし、卒業までには実行できるように力も付けてみせるよ」
入学式のため、フライ王子はサルタとともに馬車で学院に向かっていた。小さな窓から見える空は晴れ渡り、二人の前途を祝しているかのようだった。
「王子……。不肖サルタ、その理想のために全力で仕えさせていただきます」
「サルタ、そんなに畏まらなくていいよ。……君はあの日、ウェンディが来た日から、少しだけ僕から距離を置くようになってしまったね」
馬車に揺られながら、サルタは何と言葉を返してよいかと口ごもる。
「君が、僕を心配してくれてたからこその言葉だって、ちゃんと分かってる。その後、ちゃんとウェンディのことを調べ直してくれたことも、民について理解を深めようとしてくれたことも、知ってる」
「王子、その」
サルタの言葉を、フライ王子は首を振って遮る。
「謝るのは、僕のほうだよ。あの時、サルタを傷付けるようなこと言って、頑張ってくれてたことも知ってたのに礼一つ言わずにさ」
「僕のほうこそ、王子の言葉で、無意識のうちに身分で物事を測る怠慢に気づけました。愚かな自分を正せたのは、王子のおかげです」
だから、ありがとうございます。
その言葉に、王子は目を見開いた。
「やだな、僕はそんなことはしてないよ」
「いいえ、してるんです。だから僕も、王子の身をお守りします。そして、不正を働き、自分たちだけ甘い蜜をすするような貴族たちを糾弾できる証拠を、必ず集めてみせます」
馬車の中で、決意を新たにし、二人は王立学院へ入学した。
そして、王子もサルタも決してその誓いを違えることはなかった。
サルタは秘密裏に行動するため、最低限の学業を修めて学院からしばしば姿を消してしまう。チューズなどは付き合いが悪いとむくれている様子だが、理由を知っている王子は上手く取り成していた。
成長するにつれて、変装して大人たちの社交場に違和感なく紛れることも可能になり、不正をする貴族たちのつながりも順調に見えてきた。学院を卒業するまでは、まだ時間がある。そう思い、慎重に証拠を集めていった。
中途半端な証拠で糾弾しても、トカゲのしっぽを切るように末端貴族を処罰するだけで終わるのは目に見えている。そして、次はないだろう。ますます巧妙に、腐敗した貴族どもは尻尾を隠しながら不正を働くのだ。
だからこそ、一網打尽にできるだけの証拠を。すべては、フライ王子の高潔な理想のために。
しかし、ある時からぱったりと貴族たちの動向が見えなくなった。
なぜだ? 調査していることに気づかれたのか? だが、それなら僕の存在が明るみになってもおかしくないはず……。
焦る気持ちを隠しながら、サルタは久しぶりに学院に行った。気づけば最終学年に進級し、学生という身分も残りわずかだ。
いつものみんなが集まるサロンに行くと、雰囲気がいつもと違った。
青ざめるウェンディ、深刻な表情の王子、疲れた様子の双子。ムーランは相変わらず不機嫌顔だが、いつも以上にイライラした雰囲気は伝わってくる。
「……何かあったのかい? そういえば、サニアがいないね」
サニアの名前を出した途端、部屋の空気が一段と重くなった。サルタはいまいち状況がつかめない。
「サニアの様子が変だ。俺たちを避けるようになったし、貴族至上主義発言も目立ち始めている」
「……へ? サニアが?」
ムーランの言葉を、サルタはすぐに信じられない。誰より、王子の理想に共感し支えてきた彼女がなぜ。
こういうとき、サニアの公爵家という身分が恨めしい。彼女に意見できる人間があまりに限られている。学園内では、同じ公爵であるムーランか、あるいは。
「僕がサニアと話してみる」
名乗りを上げたのは王子だ。
「フライ、お前が動くと他の学院生にどう影響するかわからないぞ。下手したら、貴族至上主義派と対立しかねない」
「そこは気を付けるよ。それに、ムーランはサニアに口で勝ったことないだろう?」
だから、僕しかサニアと対等には話せない。
そう言われてしまえば、ムーランは何の反論もできなかった。
「だから、安心してウェンディ。サニアだって、話せばわかってくれる」
「そう、ですよね……」
サロンの隅で俯いているウェンディは、ようやく微かにほほ笑んだ。王子はウェンディの様子を確認した後、真剣な表情でサルタたちに向き合う。
「チューズとザースは、学院内の統制を頼む」
「わかってますって」
「お任せを」
チューズとザースは揃って礼をすると、王子の目配せに気づいて、ウェンディを伴ってサロンから退室する。静かに扉が閉まると、王子は残ったサルタとムーランに向き直る。
「まず、報告を聞こうか」
「はい。正直に申し上げますが、実は、監視していた貴族たちの動きがつかめなくなっています」
「なんだって。サルタのことが明るみになったのかい?」
「いえ、それはないかと。それならば僕の周囲がうるさくなっているはずです」
「思い当たることはある?」
「まだ何も……」
ふう、と王子は一つため息をついて、壁に寄りかかる。傾いた陽が王子の顔にかかり、その美貌をより際立たせている。
「サニアのこともあるし、頭が痛いね」
「最近は学院に来ておりませんでしたので、サニアの様子に全く気付きませんでした。申し訳ありません」
「サルタのせいじゃないよ。サニアのことは僕に任せて。これでも、婚約者だしね。だから、サルタは今まで通り外のことをお願い。」
御意、とサルタは恭しく礼をとる。
サロンを退室して、足早に廊下を進みながらサルタは思案する。
――――サニアの王子への忠誠は本物のはずだ。これまで側で見てきたんだ、こんな短期間で覆るはずがない。もし、貴族主義派に傾くことがあるとすれば、サニア自身、もしくはディル公爵家が何か弱みを握られているのか、あるいは……。
サニアを信じている。だからこそ、自分の目で確かめなければサニアが変わってしまったなど、とても信じることができなかった。
サルタの行動は早かった。まずは、ディル公爵家の動きから探りを入れるため、すぐ部下に公爵家を見張らせる。特に公爵家に出入りする人間にも変化はなく、社交関係も変化は見られなかった。金の流れにも不自然な点は見られない。これで弱みを握られているという線は消えた。
一方でサルタ自身は、昼間はサニアの様子を確認し、夜は社交場に出て諜報活動を行った。多忙を極めたが、王子のためと思えば苦にはならなかった。
そして、数か月の調査の後、サニアが新たに交流を持っている学院生たちと、尻尾をつかめなくなった貴族たちが一致していることが判明した。――その貴族たちが、第一王子フライの廃嫡を目論んでいることも。