プロローグ2
洞窟の奥までは意外と短かった。
拍子抜けもいいところだ。
洞窟の最奥、小さな泉がごつごつとした鉱石にゆらりと波紋を映し出していた。
泉の水源が外に繋がっているのか洞窟の最奥というのに妙に明るい。
そして、絶えず波紋を浮かべ続ける泉の中心にソレは座っていた。
ソレと表現するのは全身が隠れる薄黒いローブを被っているソレの性別が判断出来ないからに他ならない。
その上、明るい場所にも関わらずローブから見えるべき顔は一分の隙も無く影に覆い尽くされている。最早生物であるかどうかも怪しい。
俺が狼狽しているとソレは声をかけてきた。
「やあ、『おはよう』?『こんにちは』?それとも、『こんばんは』だろうか?」
声も中性的でどちらとも判別つけがたい。
「洞窟に入る時はまだ明るかったので『こんにちは』でいいかと」
「いやはや、律儀だな。君は。それでここに来たという事はそういう事で良いのかい?」
「そうですね、はい。過去に送って貰えると聞きまして」
俺が答えると、ソレはクツクツと声を噛み殺して笑った。それが嘲笑なのか単に面白可笑しかっただけなのかは分からない。
「君は私が人間か否か、むしろ生物か否かまで訝しんでいるみたいだけど。私からしたらその状態で普通に会話をしている君の方が疑わしいな」
「お褒めに預かり光栄です」
「それで君は過去に戻って何をしたいんだ?それを聞かなきゃ始まらない。過去に戻るというのは本来なら世界の倫理を侵す行為だから、それなりの対価は払って貰わなければいけない」
「対価ですか」
その言葉に思わず動揺した。何も覚悟が足りないわけではない。
家も無く、仲間も友人も家族も無く、金も金になるような資産も無い。
つまり現状俺には持っているものが何もないのだ。
「いや何、命や記憶なんて私にとって何の価値にも成らないものは取らない。あくまで物品として私が価値のあると思う物だけだ」
命と記憶を対価から外されてしまえば俺に払えるものはなくなる。
そのことを素直に話すことにした。頭を下げる。
「申し訳ありませんが俺は今自国から追われており、価値のあるものや金銭等も全てあちら側に押さえられています。ですので、俺は対価を払う事が出来ません」
「何言っているんだ?対価なら君の手の内にあるじゃないか、聖剣という世界中の財宝をまとめても敵わないようなお宝が」
「……聖剣」
『聖剣エクゼメシア』
天の使いとされる妖精族、その妖精族に君臨する絶対王から賜った魔王を葬れる唯一の方法とされる究極武装。
かつて世界が危機に陥った時、それを救った者が常に手にしていたといわれる伝説そのものである。
「……その勇者の魂と呼べる聖剣を対価として支払うなら過去に戻れる上に多少のオマケを付けてやっても構わないぞ」
「じゃあ、それで」
「そうだろう。聖剣を手放す勇者など――、え?」
「これで過去に送って貰えるんですよね。でしたら、どうぞ」
重心を右足に傾け、聖剣を左手に取るとソレに向かって放り投げる。
ソレは慌てたような態度で投げられた聖剣を受け取る。手に取った聖剣と俺を交互に見ながらソレは取り乱していた。
「え?普通渡さないだろ。世界の宝だぞ?君を救った武器だぞ?この世界で最強武器だぞ?」
「いや、俺は武器未装備の方が強いんで」
「は?」
「魔王とタイマン張って分かったんですけど、俺は武器が無い方が強いみたいです」
「え?」
「それに無しでも魔王倒せましたし、聖剣の世話になったのはここまで来る時に足代わりになって貰った位ですかね?」
魔王を単体で挑んだ事と聖剣無しで倒した事、それが原因でここまで酷い目になっているとも言える。
「ああ、過去に戻った時に当然魔王も居るから、そこの話をしたいのですね。それは大丈夫です。魔王の攻撃は全て覚えましたから次はかすり傷一つ負わず倒す自信があります」
「……うん。もう何も言わず対価を貰っておくよ」
ソレのトーンが一気に落ちる。トーンと一緒に威厳も削げ落ちた気もするが気にすべき事ではないので放っておく。
「で、君は何がしたいんだ?」
「それはですね」
俺は思わず顔が赤くなるのを抑える。想像しただけで幸せな気分になって、このまま死んでしまいそうだ。
「ブランチェリアさんを愛でる事です!」
空気が凍った。
―――――――――――――――――――――――――――
ブラン何某の魅力について小一時間話は続いた。
話をまとめると彼女は悪逆非道の限りを尽くした魔王の部下、その中でも幹部クラスだった。
町や村を躊躇なく焼き払い、生き残った人を晒すように魔物に食わせ、勇者たちと行動を共にした女達は魔物たちの苗床にしたという。
ちなみに幹部クラスの魔族(魔王部下の総称)の中でも彼女は五本の指の中に入る実力の持ち主で魔王四天王の一人と呼ばれていた。
性格は奔放な上に残虐、どれだけ残虐な行為だろうと身内の粛清だろうと笑みを浮かべて成し遂げる鬼畜生だったらしい。
――で、勇者な彼がいつどこに惚れたのかと言えば、最後死ぬ前に色々と泣き喚き散らした時にキュンと来たらしい。
意味が分からない。
ともかく結論、この勇者は趣味が悪い。
―――――――――――――――――――――――――――
「君は復讐しようとは思わないのか?」
「復讐?面白いんですか?」
「いや、君は世界を救ったにも関わらず拒絶され殺されかけているんだ。誰かを恨んでも仕方ない。私は君が復讐に戻るといったとしても軽蔑しないし、聖剣を貰った以上過去に送るのも取りやめる事はない。私は特殊だからこうして君を見ているだけで君の追ってきた人生を観る事が出来るのだけど、……これは復讐して然るべきだと思う」
ソレは俯いて吐き気を堪えるように最後の言葉を呟いた。
『復習して然るべき』、その言葉を聞いて俺はほっとする。
いやあ、世の中にはまともな人が居るもんだなあ。
少し世の中の悪意を浴びすぎて正常でないだけで他にも良い人が居る事も分かっている。むしろ悪意の塊のような人間の方が少ないのだろう。
それに旅の仲間が裏切るのは魔王戦の前に気づいていた。旅の仲間が裏切ることが分かれば芋蔓式に王国も裏切ると分かる。
だからこそ、どうせ死ぬのならと魔王と単騎で挑んだのだ。
ほんの少し予想が外れる事を期待して。
「……君は奇妙だなあ」
「よく言われます」
本当は言われたことはない、はずだ。少しもやっとする。
「そろそろ過去に送ろうか。正直あれだけ言ったけど私は君を止める気なんてなかったんだ。あれは暇つぶし、対価も必要ないしね」
ソレは俺に手のひらを向ける。
初めて肌が、人と認識できるものが見えた。
自分と同じ人間と同じ肌色の手だった。細すぎず太すぎず性別は判断できないが成人はしているであろう人間の手の大きさ。
やがて目の前の景色がマーブル色に溶けていく。ソレの姿の一つの色となって存在認識が曖昧になる。
意識もマーブルの中に溶けていく感覚に襲われて、体の感覚はいつの間にやら消えた。
「では良い二度目の生を。――ちゃんとオマケはつけておくからね」
視界も消えて真っ暗になる中で声だけが届いた。
「そういえば過去が変われば世界が云々言ったけど気にせず自由に生きてくれ」
・・・・・・。
「――だって、私が創った世界だからね。…………おまけって何がいいかな。意識だけ飛ばしたから新しい体?それと同じ人物のいないような世界に飛ばさないと。肉体は元の体をベースにしてと――」
最後まで聞き取れなかった。
視覚も消え聴覚も消え嗅覚も触覚も味覚も無い。
ただ意識が吸い込まれていると認識するだけだった。
『――奇妙ね、君は』
声が頭で響いた。そういえば彼女にも奇妙と言われていた事を思い出す。
『――この期に及んで私より酷い顔しているなんて』
落ち着いたわ、と。首を差し出した彼女一人。泣き腫れた目を細めて軽く噴き出して笑って、死んでいった彼女一人だけ。
『――男なら泣き顔なんて女に見せたら駄目だから』
俺は悲しくて泣きそうになったんじゃない。
悲しくて泣きそうになったのはそれから数時間後の話だ。
あの時は、あの時彼女が見た顔は、初めて誰かを好きになって惚れてどうしようもなくてテンション上がって緩みそうな表情をどうにも抑えられなくて出来上がった多分生きていた中で最も幸せだった顔だ。
だから、聖剣も勇者も英雄も信頼も世界も要らない。俺はあの気持ちをくれた彼女の隣に立てていれば、――いい。
・・・・・・・・・。
やっぱりあわよくば恋人にしたい。
結婚とかして幸せになりたい。
どこの馬の骨とも知らないやつに殺されて欲しくない。
恨まれる事なく、幸せになっておめでとうと言われるようになって欲しい。
幸せになってほしい。
俺なんか隣に居なくてもいいから幸せになってほしい。
・・・うん、格好良く欲無しに生きるなんて俺には無理だった。けど、とりあえずの目標は決まった。
――魔王を目指そう。