青春時代 英雄の条件は?
まだ薄暗い中庭にいる人影は、体を伸ばしてから刀を素振りし始める。消えたように抜き放たれる刀身が空気を裂く音が静かに響く。
なんでこんなにも早く目が覚めたのだろうか、そう思いながらぼんやりとリリィのことを眺めていた。剣術の『型』なのだろう、鋭いその動きに合わせ揺れる長い髪に思わず見惚れてしまった。それは、剣を振るっているというよりも、まるで舞っているかのようだった。そして、動きを止め真剣な眼差しで大きく息を吐くと、辺りを見回してから何処かに行ってしまった。
目を奪われていた、目が離せなかった、急いで追いかけようと静かに廊下へ――
2階廊下の隅の窓から、建物の影で暗くてよく見えないが、井戸の側に立っている後ろ姿が見えた。すると、サッと服を――
大きな木桶から勢いよく手桶で水をすくうと、バサバサと頭っから何度も被っている。
このパンイチの英雄は少しばかり男らし過ぎる。
背中が、肩が、腰が、息が詰まる、邪魔だ、太陽よ力を……
――どうでもいいのだ。そんなことはどうでも。
朝日に濡れる金色の長い髪は、どんな名画の中の女神よりも神々しく輝いて映った。
宿の一階では、朝食の準備が整いつつあるようだった。朝食に誰より早く来たのは、もちろん彼女達を待ち構えるためである。それからしばらく待っていると、少し軋むボロい階段から天使が舞い降りた。
昨日の旅人ないし傭兵か冒険者のような服装と違って、薄手で胸元の少し開いた可愛らしい女の子の服に代わっていた。そして、今なら早朝の幸運のおかげで、背中が、肩が、腰が、胸が、全て透けて見えるかのようである。すると、殺気立った視線に気が付いた彼女はこちらに向かって来た。
「おはよう、リリィさん、シャルロットさん」
「ラッドさん、おはようございます」
「オマエ、そういうのはやめたほうがいいぞ」
すぐさま胸から目を逸らす。
「……すいませんでした」
リリィは、自身の胸とシャルロットさんの胸とを交互に見ながら何か考えているようだった。
「まあアレだ、そういうのも全部呪いのせいかも知れないしな。オレには『人々から愛される呪い』とかも色々かかってるんだ」
「それが呪い?」
「見ず知らずの男に好かれたり、突然愛の告白をされたりるんだ。『男』だぞ、されたら嫌だろ?」
「なるほどですね~」
リリィは『だからよく人にジロジロ見られたりするんだ』そう言って神妙な顔をしていた。そして、この指輪は外せないからちょっと引っ張ってみろと、細くスラっとした綺麗な手を前に出してみせた。俺がその薬指の指輪を軽く引っ張ると、ギュッ縮み指に食い込んで全く外れないのである。
「見てな」
リリィはとフォークを右手に持つと、テーブルの上に広げた左手に向かって勢いよく振り下ろした。すると『チッ!』火花でも出るような音が小さくして、弾かれるように薬指を避けフォークは木製の古びたテーブルに突き刺さっていた。そして、リリィは無傷の左手と指輪を高々と掲げてみせた。
「……なるほどですね」
「ノ、ノエルなにしてるのテーブルに刺さってるわよ」
「木だって生きている。唾でも塗っといたら治る」
朝食は粗末な硬いパンに具の寂しいスープだった。しかし、リリィはそれじゃあ足りないのか、何かよくわからない肉を焼いたものを頼んでいた。なぜか食事中の行儀がいいのはリリィも貴族だったからなのだろうか? 別の料理を追加して頼んでるし実は凄いお金持ち? 朝からよく食べる人だから背が大きいのだろうか? どうして俺と一緒に朝食をとっているのだろうか? 呪いは? 指輪は? 昨日あれだけ飲んで何ともないのか? リリィの事ばかり気になってまともに食べられていなかった気がする。
「ラッド、オマエこの街に住んでるんだよな?」
「少し前に15歳になって、女神教の孤児院を出て今は仕事探し中ですけどね」
「そうか、同い年なのに苦労してたんだな」
「そうでもないですよ。豊かで気候もいいバタイユ女王国は、積極的に孤児を保護する仕組みもあるし、女王様は慈悲深くとても素晴らしい人で、この街だって平和で安全ですから」
「へぇ~、聞いて少しは知ってたけどいい国なんだろうな」
「ちょっとまってリリィ、だから全て捨てて私と一緒に暮らすためにこの国まで来たんじゃなかったの?」
「うん、シャルロットを守るのは当然だ。だが、オレは武士になるためにヨナ国まで行くぞ」
「……」
「わざわざ危ない旅なんてしないで、ここで一緒に暮らせばいいじゃないの」
「ダメだ。オレは1日でも早く男に戻るために、この指輪をどうにかする方法を旅しながら探す。もちろんあの妖精にだってやり返す。それに、18歳になった時には、最強の男になっているはずなんだ」
「本気なの? ここまで来るのに2年かかっているのよ。ヨナの国まで、とても3年じゃ足りないわ」
「う~ん、船とかもあるし、なんとかなるだろ。それにテンゼン師の故郷を見てみたいんだ」
「それ、本当に本気で言っているの?」
「武士に二言はない。それからラッド! 後でこの街のを案内しろよ。酒を奢ってやったしな」
「え、あ、はい」
「もう、リリィは何でも勝手に。ご迷惑でしょうけれど、案内していただけたなら助かります。ラッドさん、よろしくおねがいしますね」
シャルロットさんのリリィに対する声とは全く違う、優しく落ち着いた声はとても心地よかった。
それにしても彼女は無理やり過ぎる。しかし、事実上、つまりこれは女神の様な美少女達からデートに誘われたということであった。
冴えない黒髪の無職少年は、今こうして二人の美少女と親しげにおしゃべりしているのである。昨日までの人生では決してありえない幸運、それは並大抵の幸運ではない、一生分の運を使い果たしてもまだ足りないくらいの幸運である。そして、それはただの幸運では片付けられない運命なのかもしれないと。




