青春時代 男の嗜み
青春時代【15歳】
国境を跨ぐ西端の都市ガルアンの城門にて。
「そっちの坊主はノエル・リリーホワイト15歳で傭兵、お嬢さんがシャルロット・ヴァンダム15歳か」
「オイ! フード取って顔をだせ――」
二人が幾つかの事務的な決まりきった質問に淡々と答えると、後の人がつかえているのか時間が惜しいのか、国境だというのに、いとも簡単に開放されてしまった。
国境と言っても、国境に沿って特別な何かがあるわけではない。国を超えるのではなく、都市に入るため城門と門番である。地続きの国境などあってないようなもので、広い街道にある都市を避け歩いていけば、それでそのまま入国出来てしまう。加えて長く続く平和と自然災害の殆ど無い非常に安定した気候に恵まれた、アリアン共和国とバタイユ女王国の国境などやっぱりあってないようなものである。
「おぃ……天使だったな」
「いや、女神様だな」
二人の門番はそう呟いてボーッと後ろ姿を見送った。
「ねぇ、そう言えばお金を取られなかったわね」
「そういった街もあるんじゃない? きっとここの領主は気前のいいやつなんだろうな」
バタイユ女王国の西端、都市ガルアンの分厚い石造りの城門を抜けると、大通りは無数の人で溢れかえっていた。流石に国境を跨ぐだけあって、人に物に様々なものが交わる賑やかな街だった。そして、二人の進む周りからは、『天使だ、天使の美しさだ』『いや女神だ、女神様が降臨なされた』そんな声が小さく聞こえてくるのである。
二人の向かい側から、周りより頭一つ分抜きでた赤黒い短髪が危険を知らせるような、まだ17、8歳だろう体格のいい若い男が、見るからにガラの悪い連中を数人従えて歩いてくる。そして、目つきの悪い赤毛の男はすれ違いざまにドスの利いた声を上げた。
「オイ女」
「……」
二人は赤毛の男の声を完全に無視して横をそのまま通り過ぎる。『シャルロット走るぞ?』そう手を取ると、『待て』と上がる声を背に、人の波の中をヌルヌルと驚く速さで駆け抜けていった。
「あのまま喧嘩するかと思ってヒヤヒヤしたのよ」
「ああいう連中に関わるとろくな事にならないからな。
特にあのデカい奴は目つきが悪いし絶対にしつこいぞ」
「そう、成長したのね」
「そんなことよりも今日はなんてったって酒だ。飲んで飲んで飲みまくるんだ」
「一滴だって飲んだことないくせに」
そう言って笑う姿は、まるでおとぎ話の中のお姫様のように可愛らしかった。
こうして二人は、国境の喧騒の中で一歩大人に成るために念願の酒場へと足を踏みいれるのであった。
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俺は、たまたま知人との待ち合わせのためにその酒場へやってきていた。あまり清潔とは言えない店内には、ゴロツキ連中などが居たが、まだ少し時間が早いせいだろうか人が疎らで静かな雰囲気だった。だが、あの二人が入ってくると、店内の何処か薄暗かった空気が変わったのだ。そして、そわそわと辺りを見回す様子は、天使のように愛くるしかった。
二人が席に着くなり、ゴロツキ連中の一人の男が声を掛けようとしている。
「嬢ちゃんかわいいねえ~、どうよ俺に一杯付き合わねえか?」
「ぱぁーどぅん?」
向こうのテーブルでは、『あれで口説きにいってるつもりかよ』などと、仲間のゴロツキ連中がゲラゲラと笑っている。
「あぁ!? いいから付き合えってんだ!」
「ぱぁーどぅん?」
「この女ナメてんのかぁ!」
馬鹿にされたゴロツキの男は、女の子の手に掴みかかりながら怒鳴った。
「……やっと15歳になった。今日は初めて酒が飲めるそういう日だ。お前みたい――」
彼女達のテーブルは一触即発、完全に喧嘩を売っている。それよりあの子はいったい何考えてるんだ? 俺はどうするればいい? でも、たぶん、今ここで声をかけなかったら、俺があの子とお近づきになる機会なんか一生ない。
……男になれ。やればデキる。これは神が与えたもうた試練にして最高のチャンスだ。
「おい! そ、その子から離れろッ!」
目眩がする緊張の中で、少し震えた声を上げて男と彼女達の間へ割って入った。
言うより早く男の手が出る。鋭い拳が腹に一発、次は顔面への二発目。
「ガキは引っ込んでろ!」
俺は頬を殴られ見事に吹っ飛ばされて、グラグラ揺れる景色の中でも店中がザワザワとしているのがわかった。
……俺を見詰めている。作戦は成功した。
勝負は一瞬と聞くが本当に一瞬だった。
俺の方を見詰めていたはずが、瞬きする間に男のすぐ目の前に立って、すでに高く上げられた爪先は男の顎の先端を捉えていた。そして、男は糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ち、意識とは関係なく身体をピン!と伸ばしたまま硬直させて床に転がっている。
たまにビクビク痙攣する男に、仲間のゴロツキ連中が駆け寄ると、『死んだんじゃね?』『ダッサ』『口だけかよ』『アイツらヤッちまうか?』などと、またゲラゲラ笑っている。
「やめとけ、アイツはただもんじゃねえ、タイガさんへの報告が先だ」
一人がそう言うと、他の何人かは負け惜しみに捨て台詞を吐いて、ぐったりとした男を肩に担ぎ店を出ていった。
「弱いなら無茶すんな、守られとけ」
殴り飛ばされている俺に近づいてくると、冷たくそれでいてどこか暖かい声で強く呟いて戻っていく。
「あ、ありがとうございました」
とっさにテーブルに戻ろうとするのを呼び止めた。
「男として当然のことをしただけだ、オレは武士を目指しているからな」
……男として? 武士?? 何を言っているんだ? たしかに背は高いと言うか俺より少し高いくらいだが、白い肌に小さく整った顔は美少女、天使、いや女神のようだと言ってもいい。そして、こちらに向き直る少女の動きに合わせ、背中まで伸びた金色の長い髪が舞っている。ほら、胸だってちゃんとあるし間違いなくどこをどう見たって『女の子』だ。
「まあ、信じないかもしれないが、こんな姿をしていてもオレは男なんだ」
「あんましジロジロ見るな……そういう視線はだいたいすぐわかる」
すぐさま胸から目を逸らす。
「……すいませんでした」
「なんとも思っちゃいないから気にするな。
あぁ、そういうのは全部あれだ、オレにかかった呪いのせいなんだ」
「な、なるほどですね~」
「ああ、もの凄くタチの悪い最低の呪いだ」
しかし、しかしだ。実は男なんだ呪いなんだと言われても、さっぱりわけが分からない。女の子なのに二人旅のようだし、適当に嘘を言っているのだろうか?
ただ、美しく女神様のように完璧だと思われた女の子は、こうして少し話してみると、実は凄く痛い人なのかもしれないという事だけはわかった。
「……オマエが勝手に殴られに出てきたといっても面倒をかけたな」
彼女はなにか考えていたのか少し間を開けながらそう言った。
「こんなのカスリ傷です。あなたに怪我がなくて本当によかった」
「フフフ、お前ちょっと面白いな。
今日はオレが奢ってやる。
酒を呑むのは初めてだからワクワクしてたんだ。
ほら、男は酒を嗜むってやつだろうな」
ヤセ我慢だ。殴られた頬はおもいっきり腫れているようだし首も腹もめちゃくちゃ痛いけれど、痛みなんか全部どこかへ吹っ飛んでしまうようだった。
それから、彼女はテーブルに戻って、もう一人の女の子に何か話している。しばらくすると、こっちにおいでと手招きするのだ。その仕草はわざとらしい程にとびっきり可愛くて、さっき人ひとり葬ったのも、今こうして俺に手招きしているのも、全部が夢の様に感じられた。
彼女たちのテーブルに座ると、すぐに彼女が話しかけてきた。
「金は気にするな。運良くちょっと余裕ができたんだ」
「ありがとうございます……えぇっと、それよりお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか? 僕はラッド、よろしくお願いします」
「ああ、そっか、そうだよな…… オレはリリィだ。それからこっちはシャルロット、オレの婚約者だ」
リリィと名乗った少女は、隣の栗毛のミディアムヘアが可愛らしい女の子を見ながらサラッと重大な宣言をした。
「はじめましてラッドさん、私はシャルロットと申します。
リリィはあんなだけど素直でいい子なのよ。よろしくね」
「はじめまして、まさかシャルロットさんも男だなんて」
「違う違う、私は女の子、リリィとは違うわ」
そう答える人に安心感を与えるような優しい笑顔は、どこかのお嬢様かお姫様のようだった。しかし、さっきの呪いの話と婚約者発言で混乱して会話があまり頭に入ってこなかった。
そうしているうちに、麦酒やぶどう酒に、混合酒なのか10種類くらいの酒と幾つかの料理が次々とテーブルへ運ばれてきた。どうやらリリィは片っ端から店の酒を頼んでいるようだった。そして、初めは恐る恐る口をつけていたが、すぐに慣れたのか麦酒が気に入ったのか、『大人の味だ』と水のようにガブガブ飲んでいる。
「おいラッド! これ飲んでみろよ、ほら早くしろ美味いゾ」
そのうち目の座ったリリィが、無理やり俺に飲みかけの麦酒やよくわからない混合酒を飲ませようとしたり、シャルロットには飲まないなら口移しだと迫っているのだ。どう見てもタチの悪い、とても男の嗜みなんて言っていい飲み方ではなかった。
酷い酔っぱらいは、まだ出会ってから半日も経っていない俺に、今までの旅のことを自慢気に話しだした。そして、その話はどれも断片的だったが、同い年の15歳のはずなのにずいぶん『様々な苦労?』をしてきたようだ。
二人は親同士が友人だったため物心付く前から一緒にいたこと。
シャルロットは、15歳になったら30歳を超えた子爵と結婚がする事が決まっていたということ。だから13歳になる少し前に家を飛び出して、隣りのアリアン共和国からこの国まで旅してきたらしい。
さらに、おかしな話は、子供の頃に呪いの指輪のせいで女の姿に変えられているという話だった。そして、もう何年も男に戻る方法を探しているらしい。
呪いの話もそうだが、子供だけの二人旅なんて、にわかには信じがたい話だった。しかし、どうやらテンゼンと言う人が面倒見て国境の近くまで送ってくれたらしい。話の限りではどう歩いても2年もかからない道のりだが、テンゼンに剣術を習いながら、あっちこっち寄り道ばかりの旅をしてきたようだった。
そして、武士とは真の男だとか、テンゼン師は最強の男だとか、武士は素晴らしいだとか、オレは武士になるとか、途中からテンゼンの事をずっと自慢していた。
やがて、『麦酒は苦い』と子供のように叫ぶと、甘ったるい蜂蜜入りの混合酒を一気に飲み干して、最後はそのままテーブルに突っ伏して眠ってしまった。
その後、ラッドはシャルロットと二人で少し話をした。
「リリィはあんなだけどいい子なのよ」
リリィを見つめるシャルロットの頬が少し赤くなっているのは、何か飲んでいるからなのだろう。表情も仕草もとても色っぽく見えた。
そして、リリィの話は嘘ではないと、シャルロットは薬指に嵌めた小さな指輪を見せた。二人お揃いの、この指輪の呪いでリリィは女の姿に変えられたのだと話してくれた。確かに酔い潰れたリリィにも、シャルロットと同じ指輪が見えた。『じゃあ、シャルロットさんも呪われているんじゃないか?』と尋ねたらどうも違うらしく、詳しくはあまり話したくない様子だった。
「それから、テンゼンさんは女の人よ。26歳、いえ、今は29歳かしら」
「ずっと東の島ヨナ国の生まれで、こんな遠くまでたった1人で10年以上旅してきた剣の達人なの」
「心配ないわ」
そう言うと、眠ったリリィに目をやって、もうお開きにしましょうと話を切り上げた。酔い潰れたリリィを部屋まで運んで行こうとするとシャルロットさんに断られ、彼女がリリィを背負って上の階へと登る。身体は小さいけれど意外と力持ちだった。
そして、安心しきっているその寝顔は、酒臭い酔っぱらいのそれというより天使の寝顔だった。
それから、忘れる所だったが、俺を呼んだ友人はなんの連絡もしてこないし酒場にも来なかった。しかし、彼には感謝してもしきれないくらいだ。




