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 クレアは現在、車上の人となっていた。予期せぬ再会後、フリードに有無を言わさず連れ去られ、近くに待たせていた馬車に無理やり押し込められたのだ。子供達に別れの挨拶を告げる暇もなかった。今頃きっと心配しているに違いない。

(一体どこへ向かっているのだろう………?)

 のどかな田園風景の中を馬車が滑るように走り出してから暫くたつものの、クレアの正面に座る美しき誘拐犯は、不機嫌な眼差しを窓の外に固定したまま、未だ一言も口をきこうとしない。

「ねえ、フリード。わたしをどこへ連れて行くつもり?」

 ついにクレアは痺れを切らして問いかけた。子供達が見ていた手前、大声を上げることは憚られ、大人しくフリードの後に従ったが、現状は決してクレアの望むところではない。できるならば今すぐ馬車の扉をこじ開け、大怪我を承知で外に転がり落ちてしまいたかった。クレアにとって、フリードと二人きりという状況はそれほどに気まずく、耐え難いものだった。

「………俺の屋敷だ」

 それだけに、目を逸らしたまま冷たい声で告げられたフリードのその答えは、クレアを戦慄させた。

「―――何ですって?」

「だから、俺の屋敷に行くと言っている。王都にあるエルジア邸だ。何度も同じことを言わせるな」

(―――違う!)

 クレアが聞きたいのはそんなことではない。

 二年前、フリードは亡き父君の跡を継ぎ、現在二十歳という若さでエルジア侯爵家の当主を務めている。王家に連なる大貴族であるエルジア家は、クレアの母の実家であり、フリードの父とは兄妹の仲だ。つまり、フリードとクレアは従姉弟にあたる。

 クレアの方が五歳年上ということもあり、幼い頃は小さなフリードの手を引いてあちこち連れ回し、今にして思えば、まるで実の姉弟のような気安さで高慢に振る舞っていたものだ。

 しかし、成長と共に関係は自然と疎遠になり、ある事件をきっかけに二人の繋がりは完全に途切れてしまっていた。

 ――――今日という日まで。

 不自由な左足がずきりと疼いた気がして、クレアは膝の上で手の平を強く握りしめた。

「嫌よ! どうしてわたしが王都に行かなければならないの? お父様からは何も聞いていないわ。今すぐわたしを村に戻してちょうだい!」

 クレアはフリードが口にした『王都』という言葉に過剰なほど拒絶反応を示し、ヒステリックに叫んだ。

 今から五年前。王都で暮らしていたクレアは左足の療養と称し、都会の喧噪から少しでも遠ざかるようにして、伯爵である父が所有する領地の中で最も遠方にあるこの土地へとやって来た。

 両親は一人娘であるクレアと離れて暮らすことに今でも難色を示しているが、村での素朴な暮らしは気が遠くなるほど穏やかで、王都での華美な生活に疲弊しきったクレアの心をゆっくりと優しく癒してくれた。親不孝であることは承知しながらも、クレアはもう二度と王都へ帰るつもりはなかった。

 それなのに―――。

「フリード!」

 大きな声で名を呼ぶと、フリードは軽蔑するような冷たい双眸でクレアを見据えた。

「………お前には知らされていないようだが、叔父上からは事前に許可を頂いている。詳しい説明は屋敷に着いてからしよう。子供ではあるまいし、大声を出すな」

「――――っ」

 父の話のくだりは初耳だった。突然そんなことを聞かされて、納得できるはずもない。あまつさえ、聞き分けのない子供であるかのような言い方をされ、クレアは怒りのあまり涙が出そうだった。

 けれど、フリードの前では決して泣かない。クレアは血が滲むほどに強く唇を噛みしめて俯き、フリードの姿を完全に視界から追い出した。



* * * * *



 二時間後。二人を乗せた馬車は王都の中心部に位置するエルジア邸へと辿り着いた。馬車が停車し、御者が外から扉を開けてくれた瞬間、クレアは心の底から安堵のため息を漏らした。これでようやく、この地獄のような空間から解放される。

 理不尽な言い合いの後、クレアとフリードは頑なに互いの存在を無視し、視線を交わすことさえしなかった。車内は始終重苦しい沈黙と緊張感に満たされていて、呼吸をするのも一苦労な有様だった。

 身軽な動作で外へ降り立つフリードのしなやかな背中を横目で見つめ、クレアはほっと胸をなで下ろした。

「降りろ」

 フリードが振り返り、俯いたまま動こうとしないクレアに向かって命令するように促した。その高慢な口調は気に入らないが、こんなところでいつまでも強情を張っても埒があかない事は理解していた。

 クレアは最後の悪あがきをやめて愛用の白い杖を取り、渋々ながらも不安定な馬車の座席から慎重に立ち上がろうとした。そこで、すっと目の前に差し出された優雅な男の手を見て、クレアは思わず動きを止める。その手の持ち主を信じられない気持ちで見下すと、無愛想に歪められた涼しげな紫水晶の双眸と目が合った。

「…………」

 クレアは瞬きも忘れて、無言のままフリードの青白い手のひらを見つめた。フリードからこんな風に女性として扱われたことは初めてだった。

 フリードと最後に会ったのは七年前。当時のクレアはすでに社交界デビューを果たしていたが、彼はまだ子供と言っていい年頃だった。男女の成長は精神的にも肉体的にも後者が早熟であり、加えて、五年という年齢差が当時の二人の仲に齟齬をもたらし、疎遠なものにしていた。その関係が修復されることはついぞなく、今日に至るまでクレアがフリードにエスコートされる機会は訪れなかった。

 だから今、こうしてフリードの男としての成長を目の当たりにしたことで、クレアは目が覚める思いだった。すっかり大人になったフリードの姿を目にしてはいても、クレアの中で彼はまだ少年の面影のまま立ち止まっていたようである。そんな己の愚かな認識に気付き、クレアはくすりと苦笑した。

「そうよね………貴方ももう子供じゃないものね」

 ぽつりと零したクレアの呟きに、フリードは自尊心を傷つけられたようだった。苦虫を噛みつぶしたような顔をして、クレアの手を杖ごと強引に掴んだ。クレアはむっとして、その手をふりほどこうと反抗を試みる。幼かった従弟の成長に素直な感心を覚えたものの、現在のクレアの心情的に、彼に自分を委ねる気にはなれなかった。

「手を離して、フリード。わたしは一人で大丈夫だから」

 かつて社交界にいた頃、群がる男達を冷たくあしらっていた自分を思い出し、クレアはぴしゃりと切り捨てた。しかし、クレアの手に絡みついたフリードの長い指はびくともせず、

「降りろ」

 と、もう一度強く急かされてしまう。結局、折れたのはクレアの方だった。クレアはため息をつき、不本意ながらもフリードの手を借りて馬車から降り立った。重ねた手は大きく厚みがあり、クレアを危なげなく支えてくれた。

 クレアは眩しげに目を細め、眼前に広がる広大な屋敷を見上げた。真白な壁の優雅な造りの建物は、まるで城のように巨大で美しく、最後に訪れた時とほとんど変わらない。そのまましばらく複雑な気分で立ちつくしていると、不意に杖を横から奪われた。

「なっ………!」

 突然の出来事に驚き、ぐらりとバランスを崩したクレアの体を、フリードが抱き上げる。そのまま無言で歩き出したフリードを、クレアは信じられない思いで見上げた。

「フリード、待って! ちゃんと自分の足で歩くから、降ろしてっ」

「駄目だ。お前の調子に合わせていると、いつまでたっても中に入れない」

 前を向いたまま、ひどく面倒そうに言い放たれた身勝手なその言葉。クレアはついに怒りを爆発させ、フリードの広い肩を拳で叩いた。

「勝手に連れてきておいて、何なのよ! どうしてわたしの自由を奪うの? わたしが貴方の言う事を聞かなければいけない義務はないわ!」

「―――うるさい!」

 フリードが声を荒げ、クレアはびくりと肩を震わせた。決して大声ではなかったが、彼が怒りで取り乱すところを見たのは初めてだった。幼い頃には喧嘩をしたことも多々あるが、フリードは冷ややかに相手を見下し、静かに憤るという子供らしくないタイプだった。

 クレアが恐る恐る見上げると、はっと我に返ったフリードは気まずそうに視線をそらし、止まっていた歩みを再開させた。

「………大きな声を出すなと言っているだろう。これ以上、俺に逆らうな」

「どうして? わたしが何をしたって、貴方には関係ないでしょう」

 勢いを削がれたクレアは、大人しくフリードの腕に抱かれたまま、淡々とした口調で彼を責めた。

「これからは、そうではなくなる」

「それは、どういう意味?」

「………今に分かる」

 フリードは意味深な言葉を残して黙り込んだ。クレアは最後まで問い詰めようとしたが、玄関の外に主人の帰りを待つ使用人達の姿を見つけ、沈黙した。

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