1
村外れの小高い丘の上。午後の強い陽差しを遮る木陰に大きな敷物を敷き、シンプルなドレスの裾をふわりと広げて腰を下ろす若い女の姿があった。その周囲をぐるりと取り囲むようにして、数人の子供達が思い思いの体勢で寛ぎ、皆ひたむきな視線で彼女を見上げている。
「―――そして、お姫様と王子様は末永く幸せに暮らしました」
おしまい。ぱたんと女が絵本を閉じれば、盛大な拍手がわき起こる。女は風にあおられて縺れた長い金髪を掻き上げながら、はにかむように微笑んだ。
「みんな、聞いてくれてありがとう。どう? つまらなくなかった?」
「ううん! 今日もとっても面白かったよ。ねえ、クリス?」
「うん。ほら、特にこの挿絵の不細工な猫とか―――いたっ! 何するんだよ、リリィ」
リリィと呼ばれた年長の少女が、頬にそばかすを散らした少年の横腹を小突く。
「クリスのばかっ! それは茶色の犬よ。ね? クレア様」
「………そ、そうね。ふふ」
(本当は馬なのだけれど)
水彩で描かれた淡い色合いの挿絵を指先でなぞりながら、女―――クレアは花びらのような美しい唇に苦笑を浮かべた。彼らが誤解するのも無理はない。ところどころ絵の具がはみ出した歪なそれは、彼女が手ずから筆をとり、丹誠を込めて描いたものだった。
クレアは幼い頃から絵を描くことが大好きだった。とはいえ、それが得意であるかといえばまた別の話で。子供達の退屈しのぎになればと思い、時折こうして手製の絵本を披露しているのだが、出来映えはあまり芳しくない。それでも無邪気に喜んでくれる子供達に感謝しながらも、己の不甲斐なさにクレアが内心落ち込んでいると、くいっとドレスの裾を引っ張る小さな手があった。
「ねえ、クレア様」
「なあに? シーラ」
クレアは優しい笑みを浮かべ、膝を抱えて座る赤毛の少女を見下ろした。
「このお話に出てくるお姫様って、クレア様のこと?」
シーラは大きな目をきらきら輝かせてクレアを見上げている。クレアは苦笑し、「いいえ」と小さく首を振った。
「違うわ。このお姫様はね、もっと綺麗で素敵な女の人よ」
「クレア様も綺麗だよう!」
「リック………」
シーラの隣に寝そべっていた眼鏡の少年が声を上げ、言葉に詰まるクレアの華奢な手を取った。
「ほら。だって、手がこんなに真っ白だ。母さんや姉さんとは全然違うよ」
「そうだよ! 瞳は晴れた日の空みたいに青くて透き通ってるし」
「髪の毛だって、お話に出てくるお姫様と同じ金色できらきらだ!」
子供達はまるで競い合うようにして、クレアの美点を次々に上げていく。その純粋な気持ちが眩しくて、クレアは思わず潤んでしまった青い瞳を隠すように伏せた。
かつて、この田舎の土地から遠く離れた、華やかな王都で暮らしていた頃。母譲りの美しい容姿を持って生まれたクレアは、日々うんざりするほどの賞賛を浴びせられてきた。当時はどんな美辞麗句にも心が動かされることはなく、鬱陶しくさえ感じていたのに。今こうして無邪気な子供達の口から同じ言葉を告げられると、不思議と素直な気持ちで受け止めることができるのだった。
クレアは「ありがとう」と心からの感謝を込めて微笑み、子供達の小さな頭を順番に撫でた。
「――――さて、そろそろ帰りましょうか。日が暮れる前に戻らないと、みんなのご両親が心配するわ」
「「はーい」」
クレアの言葉に従い、子供達は自主的に周囲を片づけ始めた。天気の良い日に丘の上へ集まり、彼らと穏やかな時間を過ごすようになってから、早五年の月日が過ぎていた。子供達の成長を見守るのは楽しく、ついこの間まで立つのもやっとだった赤子が元気に走り回る姿に、クレアは感心してしまう。心安らぐ光景に目を細めながら、クレアはいつも静かに願うのだった。これからもずっと、この時間が永遠に続けばいいのに、と。
「わたしも何か手伝うわ」
クレアが傍らに置いていた白い杖に手を伸ばすと、年長組のリリィとクリスがすかさず側にやってきて、立ち上がろうとする彼女の体を左右から支えた。
「大丈夫? クレア様」
「ええ、もう平気よ。いつもありがとう」
クレアが杖を持つ手に体重をかけ、背筋を伸ばして自立した姿を見届けると、二人は心得たように離れていく。
その時、不意に強い風が吹き、クレアのドレスの裾をふわりと舞い上げた。ほんの一瞬だけ露わになった、ほっそりとした白く華奢な足。右足に比べて左足がより一層細く、青白いのは長期間筋肉を使っていない証だった。七年前、不慮の事故で左足の自由を失ったのだ。
とは言え、杖さえあれば大抵のことは自力でこなせるため、クレア自身はそれほど悲嘆に暮れることもなく、現在は前向きに生きている。
「クレア様!」
突然、リックと共に敷物を片づけていたシーラが大きな声を上げた。
「どうしたの? 怖い虫でもいた?」
「違うの! 向こうから王子さまが歩いてくる!」
「え?」
シーラが指さした先を見やり、クレアは息を飲んだ。丘のなだらかな坂を上ってくる一人の美しい男がいた。艶やかな漆黒の髪。感情の読めない菫色の冷ややかな瞳。不機嫌そうに引き結ばれた薄い唇。引き締まったしなやかな肢体に、藍色の上質な衣裳を纏い、腰に銀の剣をさしている。
(―――なぜ、彼がここに?)
この場にいるはずがない男の姿を見て、青ざめたクレアは思わず後退った。今すぐこの場から離れたいと思うのに、長時間座り続けていたせいで強張った足は、なかなか言うことを聞こうとしない。
「………久しぶりだな、クレア」
気がつけば、男はあっという間にクレアの目前に立っていた。五年ぶりに目にしたその姿は相変わらず研ぎ澄まされた刃のように秀麗で、過ぎた年月の分だけ精悍になっている。記憶の中に残る、あどけなさを残した繊細な少年はもうどこにもいない。
(もう二度と、会うつもりはなかったのに………)
「フリード………どうしてここに?」
クレアは血の気の引いた唇を震わせ、硬質な声で尋ねた。フリードと呼ばれた男はぴくりと片方の眉をつり上げ、無表情のまま高慢に言い放った。
「お前を、迎えに来た」