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企ノ怪

 雀を逃がしてから幾月幾日が過ぎ去った。

 部屋の一角にて寝転がり鏡を手に取る。魔鏡が映す現世の光景に、陽の光が溢れ思わず眉間に皺が寄ったが、現れた人間の姿に目が止まる。


 あの頃と変わらぬ無邪気な笑みに、頬紅を差したわけでもないのに仄かに赤くなっている頬。ころころと変わる表情。

 常に動く口からは明るい声が絶え間なく紡がれる。


 逃がした子雀。雀のようにピーピーとよく鳴く娘だ。

 今も同年の者たちに囲まれて、あの日向を思わせる笑顔を振りまいている。


 あの時と変わったとするならば、さらに長くなった黒髪が艶を増し、唇も紅を指していないのに何故だか目を引く。

 そしてその華奢な体からは僅かながらに、女のそれを感じさせるものがあった。


「……鈴音」

 

 意味もなく口にすれば、偶然が重なったのか。鏡の中の娘は他の者たちの目を盗んで不安げに辺りを見回す。

 俺の気配でも探しているのだろうか。可愛らしいヤツだ。 



「これは珍しい」


 耳に聞こえた声に集中力が切れる。俺の力が途切れた魔鏡は現世を映すのをやめた。代わりに仏頂面の己の顔が映る。

 まったく忌々しい。


「なンダ。何か用カ?」


 襖に佇むそいつに目をくれてやる。

 無駄に長い白髪を傍らに居る猫の遊女に撫で付け、こちらを胡散臭い笑みを向けている腹黒いアイツ。


「そっけないじゃないか、紅いの。いるのなら声を掛けてくれても良いだろうに」


「勘弁してくれ。酒の席にお前がいたら虫唾が走るカナ」


 白い霧で覆われた山脈が描かれた着物を身にまとい、黒い帯で締め上げている様は女どもには妖艶に映るようだ。

 腹黒を囲む化け猫の遊女たちも、まるでマタタビでも嗅いだかのように恍惚として、顔は半分蕩けている。


「まったく酷い物言いよ。なぁ?」


 おどけて心にもないことを口にしながら、自らを囲む遊女たちの喉を撫で上げた。気色の悪い。


「情事なら他所でやりナ。わざわざ見せつけに来たのカ?」


「いやいやまさか。せっかく遊郭に来ているのに女もつけずに寝そべっている鬼様がいると耳にしてなあ。様子を見に来たまでよ」


 さっさと何処かに行けば良いものを。舌打ちしながら起き上がると、腹黒の奴は部屋に入るなり図々しくもその場で女数人を連れて座り込んだ。


「おい腹黒。ナニしてんダ」


「せっかく来たんだ。ゆっくりしても良かろうに」


「馬鹿か。他所イケ。邪魔ダ」


「ははぁ、やはり酷い物言いだ」

 

 これだからコイツは好かん。のらりくらりと忌々しい。まったく気に障る。


「して、何をしていた? 聞けば魔鏡を使って現世を覗いていたそうだが。なにか気になるものでもあるのか?」


「お前には関係のナイ事だナ」


「あの子雀のことか?」


 意図したわけではないが、腹黒に向けた視線は鋭かったようだ。途端に腹黒に媚びていた化け猫の遊女らが悲鳴を上げ、腹黒の周りから素早く立ち上がり部屋から出ていく。


「そう怒るでない。見ろ、皆逃げてしまったではないか」


 物音のしなくなった部屋を残念そうに見回しながら、苦笑いを浮かべて奴は言った。


「ならとっとと女探しに行けば良いダロウ」


「まぁ待て。どれ、たまには魔鏡で現世を見てみよう」


 のんびりとした仕草で、俺の傍らにあった鏡を手に取り細く息を吐いた。


「ほお。これはまた美味そうに育ったではないか」


 可笑しそうに笑いながら鏡を眺め、俺へ向ける。

 目前に現れた光景に目が止まった。


 そこに映っているのは先ほど俺が見ていた俺の雀。誰もいない「学び舎」、というものだろうか。そこで同年の男と二人きりでいる。


「なるほど。男にも惚れ込まれているようだな。そうだろうな、このように美味そうなのだから、男も寄り付くだろうな」


 男が神妙な面持ちで鈴音の手を取った。

 鈴音も驚いた素振りを見せたが、満更でもないようで振り解こうとはしない。

 互いに顔を赤らめて俯いている。


 何故だ? 何故血が逆流する? 腸が煮えくり返る? 何故ここまで頭に血が上る?

 ただの子雀だ。ただの、人間の娘だ。ただの代わり映えのない獲物――


 そう思った時だった。

 男がそっと鈴音に顔を寄せる。



 ――鈴音っ!   


 怒鳴りつけたいのをこらえ、奥歯を噛み締めながら鏡の中の鈴音を睨みつける。

 その途端、びくりと鈴音の肩が跳ねた。


 次第に蒼褪めていく顔。それから泣きそうになる表情。

 鈴音はそっと男の手から自らの手を引くと、首を左右に振った。

 そして申し訳なさそうに、何度も男に頭を下げた。


「おやおや。振ってしまったようだね。お気に召さなかったのかな。どう思う、紅いの?」


「さぁナ」


 ぶっきらぼうに答えれば、腹黒は肩をすくめて鏡の表面を払った。現世の光景が消える瞬間、鈴音の泣き顔が見えた。

 魚の腹のように白くなった頬に伝う、透明な雫。それが幾筋も雨のように伝っている。



 そんなにあの男を想っているのか。

 あの男の気持ちに応えたかったのか。


 身に感じたことのない胸の内を掻き毟るような不快感。これは一体何だというのか。


「なぁ紅いの。お前は子雀を捕らえにいかないのか?」


 苛々としてその辺に適当に置いておいた酒を飲んでいると、腹黒が訊いてくる。


「どうしようが俺の勝手だろうガ」


 そうだ。いつでも俺の好きに出来る。

 だいたい、たかが獲物一匹、人間の小娘一人。どうとでも出来る。わざわざ俺が動くまでもない。


 だがしかし。妙な胸騒ぎがして落ち着かない。

 先ほどの男と鈴音の光景が離れない。何故だ?



「そうか。なら賭けをしないか?」


 晴れぬ気分の悪さを流そうと酒をまたがぶ飲みすると、また腹黒が妙な事を言ってきた。


「あぁ? 賭け?」


「そう、賭けよ。あの子雀がお前の誓を守りぬくかどうか、試そうではないか」


「むぅ……賭け、ね」


「あぁ。良い余興であろう? 最近これと言った騒ぎも起きぬしな。良いではないか」


 余興か。そうだな。これは余興だ。

 それならば楽しめそうだな。

 

「分かった。やろうじゃないカ」


 俺は頷きにやりと笑う。

 腹黒は「そうこなくては」と意気揚々と鏡に向かって術式を展開する。


「では子雀の姉にでも呪いをかけよう。紅いのの誓をとるか、姉の懇願をとるか。はてさて、見ものよな」


「あぁまったくダ」


 



  

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